1999年4月10日
タイガー・エスペリさんのYEAR 2000
今週のベイエフエム/ザ・フリントストーンのゲストはタイガー・エスペリさん、田久保雅己さん、内田正洋さんです。 |
左から田久保雅己さん、内田正洋さん、
タイガー・エスペリさん。前はエイミー。 |
●スピリット・オブ・カジという素晴らしいボートの中で今日はお話をうかがっていきたいと思いますが、今週のゲストをご紹介します。まずは、このヨットのオーナーである、雑誌KAZIの編集長、田久保雅己さんです。
田久保さん「ご無沙汰しております」
●よろしくお願いします。そして、お馴染み、シーカヤッカーの内田正洋さんです。
内田さん「どうも、ご無沙汰しております」
●そしてもうひとかた、伝説のサーファーであり、現在はカヌー・ビルダーとしてもご活躍のタイガー・エスペリさんです。
タイガーさん「アロハ。お招きありがとうございます。今日は私の文化をみなさんと分かち合いたいと思います。そして、まずこのチャントをみなさんと分かち合いたいと思います」
(チャントを披露するタイガーさん)
●ありがとうございました。このチャントは1日の始まりを意味するチャントだそうです。今日、こうやってインタビューでお話をする前に、チャントでご挨拶をしてから始めていきたいとタイガーさんはおっしゃっていたんですが、タイガーさんがチャントをしていらっしゃる間、風が吹いたのか、マストにロープが当たる音が聞こえました。
田久保さん「船も少し揺れてきたんじゃないですか」
タイガーさん「伝統というのは個々の祖先を呼び戻すためのものなんです。全ての準備を整える意味があるんですよ。これで、みなさんも『よし! 準備が出来た!』というふうに感じているのではないでしょうか。そうやって気分よく始めることが、重要だと思うんですよ」
●田久保さん、今タイガーさんは日本に住んでいらっしゃって、カヌー・ビルダーということでカヌーも作っていらっしゃるんですけど、これが、「YEAR 2000」というプロジェクトになっているとうかがったんですが、このプロジェクトについて教えていただけますか?
田久保さん「今やりたいと思っているのは、日本の子供たちを実際に作ったカヌーに乗せて、日本の港を巡っていって、古代航法とカヌー作りを日本へ伝えたいというのが第一にあるんですね。そのために今、色々な苦労をしているんですよ。資金的な面でも苦労をしているので、僕ら、海の仲間で応援してあげようと思っている最中なんです」
●そもそもタイガーさんはなぜ、日本へ渡ったんですか?
田久保さん「ある学説によりますと、ハワイから日本へカヌーで渡ってきたっていう学説があるんですよ。西伊豆に“かのや神社”っていうのがありまして、その神社の奥に壁画みたいなのがあって、そこにカヌーみたいなものが書いてあるらしいんですよ。で、そこの“かのや神社”から『カヌー』っていう名前もきたんじゃないかって説があるんですね。で、彼(タイガーさん)もその場所を尋ねていったらしいんですけど、とても興味深かったらしくて、おそらくその辺の意味があって日本でカヌーというふうに考えたんだと思うんですよね」
タイガーさん「カヌーの歴史はここ日本にもあるんです。帆走カヌーは日本の歴史の一部なんですよ。ただ、難しいのは日本ではもう使われていませんから、帆走カヌーで旅をするという習慣がまったくなくなっているんです。でも、日本にも人々がどこからかやってきているわけです。例えば、タヒチから人々がハワイに渡ってきたようにね。日本では中国から人々がやってきたというふうに考えられていますけど、南太平洋からもやってきたんです。それぞれの文化のかけらを残して、先に進んだ人もいれば、住みついた人もいたでしょう。でも、それは随分昔のことで、その部分の記憶は、今は眠りについているんですね。ですから、私はそれを目覚めさせたいと考えているんです。そして、分かち合いたい。それに、私はあなた達と同じように、アイランダーなんです。私達はみんなアイランダーなんですから、お互いの知識を分かち合い、自分達の島々を守るのに役立てる必要があるんです」
●実際問題としてよく聞くのが、潮の流れで日本からハワイなど、東方向へ向かってはすんなり行きやすいけど、逆っていうのは行きにくいそうですね。
田久保さん「ええ、そうですね。よくヨットなんかでも太平洋横断なんていうと日本から出て行きますからね。その辺がハワイから日本へというと難しそうですけど、内田さん、どうなんですか?」
内田さん「ハワイからグアム島あたりまでは行きやすいんですよ。風の方向も季節によってはあっちへ行っているし。で、これは結構実績があるんですね。で、グアムから沖縄方向へ行くっていう方法と、沖縄の海洋博でサタワルの人達が沖縄まで来たっていう話があるんですけど、それも可能なんですね。ただ、もう1個ルートがあって、硫黄島の近くの北硫黄島ってところで、1992年に東京都の教育委員会が、遺跡を発掘したんですよ。それが昭和20年代にある考古学者が伊豆諸島で発見したポリネシアの石器文化なんですよ。で、その繋がりが分からなかったんだけど、その北硫黄島でものすごくいっぱい出ちゃったんですね。それを見つけたことによって、もう1本のルートが見つかったんですね。それが、基本的にはポリネシア・ルートなんですよ。7年前に見つかったばかりなんですね」
タイガーさん「カヌー民族のファミリーを築くんです。タヒチやニュージーランド、サモア、トンガ、クック島、ハワイ、そして、アラスカにもカヌーはあります。ですから、みんな家族になるんです。ですから、日本でもカヌーが出来上がったら、カヌー・ファミリーの一員になれるんです。そうして、お互いの文化を交換し合うんです。私が日本に来て、お寺に行ったり、日本のライフ・スタイルを学ぶことで、国に帰ったら子供たちにアイランダーとしての日本の生活を教えることが出来るんです。そうすることによって、子供たちが日本に来たとき、貴方達の文化を理解し、敬意を表することが出来るでしょう。でも、例えばあなた方がハワイへ来て、島に対して敬いの精神を持てないとしたら、それはアイランダーとしての私の責任なんです。私がみんなに教えなければならないんです」
内田さん「青森県で三内丸山遺跡が見つかったじゃないですか。あれは、20メートルくらいある大きな建造物も造っているわけですよね。で、ハワイのカヌーも同じなんですよ。縛ってああいう構造物を造っているわけですね。だから、文化が非常に似ているわけですね。特に海人(うみんちゅ)の文化とか、彼らが扱っているサバニなんていうのはまさしくカヌーだし、エスキモーの世界にも同じようにカヌーがあるんですよ。ウミャックっていうんですけど。そういうのを考えていくと、日本っていうのはカヤックとカヌーがかつて融合していたようなところ、ハワイアン・カヌーと似たような双胴式のスタイルのものが日本にあったっていうことがいわれているんですね。伊豆半島の伊豆っていう言葉は、日本語じゃないんですよ」
●えっ、じゃ何語なんですか?
内田さん「『伊豆』って日本語で言っても意味がないでしょ。あれ、アイヌ語なんですね。で、『岬』っていう意味なんです。で、日本語にはアイヌ語の地名がいっぱい残っているんですよ。『千島』も実はアイヌ語なんですね」
田久保さん「なんていう意味なんですか?」
内田さん「『遠くの島』っていう意味なんです。そういうものが色々残っているんですね。だから、タイガーさんが言っているように、僕らもアイランダーであるわけです。だから、アイランダーということは、必ずどこからか来ているんですね」
タイガーさん「私達はアイランダーだから、自分達にとって大切なものは何なのか、これを理解し、残そうとしているんだと思います。私が日本に来たように、旅をするということは、他のアイランダーたちの生活を学ぶためなんです。それは自分達の役にも立つからなんです。ですから、今、私が日本のみなさんと分かち合いたいと思っているのは、カヌーに関する知識なんです。そして、ナイノアが分かち合わなければならないのは、星を使ったナビゲーションの知識なんです。私達は自分達の知識を全てのカヌー民族と分かち合いたいと思っているカヌー・ファミリーの一員なんです。そして、私達にとって唯一の共通点はカヌーです。言葉は違います。でも、心は同じです。そして、カヌーは共通語としてみんなが理解できるものなんです」
内田さんがおっしゃっていたように、日本は南太平洋で使われていた「外洋帆走カヌー」と、北太平洋の沿岸で用いられた「カヤック」の接点だったということは確実なようで、さらには「帆走カヌー」の起源は、日本ではないかという専門家も増えているようです。
カヌーやカヤックは、太平洋沿岸の人々にとって重要な交通機関だっただけではなく、島や沿岸地方に暮らす人々の精神的な象徴として、とてもスピリチュアルな存在だったことや、共通の文化的背景もあり、いわば海の兄弟として共感できる部分は多いとタイガーさんはおっしゃっています。
そんな中、ハワイの「ホクレア・プロジェクト」を契機に、南太平洋やアラスカ、カナダなどの各地で現在、自然発生的に伝統的なカヌーやカヤックの建造が広まりつつあるそうで、さらに、2000年の1月1日には、世界で一番早く日の出を迎えるニュージーランドの沖に、太平洋沿岸のカヌーやカヤックの全てが一堂に会して新しい年を迎えようという、壮大なイベントも計画されました。
ちなみに、太平洋各地のカヌーの絵を見て、その構造を研究してきたというタイガーさんによると、太平洋沿岸で使用された「帆走カヌー」は不思議なことに、構造的にはどれもみなほとんど同じで、性能的にもほぼ似通っていたのではないかと考えられるそうです。
ただ唯一、違っていたのは長い舳先(へさき)の先端部分。この舳先部分には、それぞれの民族が、思い思いに動物や魚、また、民族の守護神などを描き、海の上の遠い波間に見えるこの舳先の飾りを見るだけで、その船の母港がどこか分かったそうです。
内田正洋さん、タイガー・エスペリさんと。
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●タイガーさんは日本で伝統的な帆走カヌーを作っていらっしゃるわけですが、このカヌーを日本で作る意味を教えていただけますか?
タイガーさん「カヌーを作ると魂が目覚めます。そして、その魂は故郷を知らなければなりません。カヌーは自分のふるさとを知る必要があるんです。もし、私が鎌倉から旅立ったら、鎌倉だけがカヌーのことを知り、カヌーも鎌倉しか知らずに出発することになります。つまり、カヌーは自分の島を知らぬまま旅をすることになるんです。ですから、カヌーが日本中を廻って触れ合うことが大切なんです。そうすることによって、カヌーに『日本』という島の魂が宿るからなんです。旅はそれからです。
このプロジェクトを通して、もしカヌーで沖縄や福岡、北海道を訪れたとき、『僕達もカヌーを作りたい!』と言われたら、私は大喜びで手伝うでしょう。私の望みは日本中を廻ることによって、『カマクラ』と名付けられたこのカヌーが日本のカヌーとしてみんなに認知されることなんです。例えば、ホクレアがハワイのカヌーであるようにね。
ここで、みなさんと『カマクラ』という名前の意味を分かち合いたいと思います。ハワイでは『カマ』とは、『子供』。『ク』は『立ち上がる』とか『昇る』。『ラ』は『太陽』という意味があります。つまり、『カマクラ』はハワイでは『CHILD OF A RISING SUN』という意味があるんです。ですから、このプロジェクトには色々な意味があるんです」
内田さん「要するにこれは日本人の問題だから、自分達が作るっていう意識が先にないといけないよね。僕らが手伝うんじゃなくて、彼らに手伝ってもらう。僕らがやっていることを彼らに手伝ってもらう。そういう感覚じゃないとおかしな感覚になっちゃうから。まず、自分が『カヌーを作りたい!』と思って本気になっちゃえば、何とかしてみんなで作るわけですよ。その時にどうしても作れないから、頼んで協力してもらうっていうようなスタンスに持っていきたいなと思っているのね。だから、ナイノアもよく言うんですけど、彼らもハワイの人だからハワイの問題としてホクレアを作ったし、今度は僕らが日本人として、日本の問題として『カマクラ』を作って、航海をしていく。そういうムーヴメントにならないと、意味がないんじゃないかって気がするよね」
タイガーさん「今ではカヌーに名前が付けられました。そして、3日前に私達にとって、とても大切なハワイのマスターがこのカヌーのためのダンスと歌を作って持ってきてくれたんです。これで、魂が生まれる準備が整ったわけです。もし、カヌーを作ってから名前をつけたのでは意味がないんです。作る前に名前や歌やダンス、そして、カヌーを作る意味を理解することが重要なんです。ですから、ようやくカヌーを形作ることが出来るんです。名前やダンス、そして魂を持った今からが始まりなんです。工場で作られている現代の船には魂がありません。誰かに買われて、オーナーが名前をつけて、ようやく魂を宿すんです。これが現代のスタイルです。昔のスタイルは名前や歌を始め、多くのものがあって初めてカヌーが作られるんです。今回のカヌー・プロジェクトの進行状況はそういったところです」
田久保さん「今のお話の船に魂を入れるっていうのは本当にすごいなと思いますよね。確かに、自分も長く同じ船に乗っていると、友達っていうよりももっと違う生き物みたいになってくることがあるんですよ。それを、先に魂を入れるっていう感覚は今までなかったですね」
●本当の意味で生きているものっていう感じがしますよね。今度は是非、カヌーを作っている場を見せていただければなと思います。最終的にはザ・フリントストーン on カマクラ号を実現したいなと思います。今日はどうもありがとうございました。
オープニング・テーマ曲
「ARMS / JOHN HALL」
M1. KONA WINDS / HENRY KAPONO
M2. ONE / BEE GEES
M3. NOW & FOREVER/SWEET MEMORY / KEALI'I REICHEL
M4. SAIL ON / COMMODORES
油井昌由樹アウトドアライフ・コラム・テーマ曲
「FLASHES / RY COODER」
M5. FOREVER NOW / LEVEL 42
M6. 鎌倉物語 / SOUTHERN ALL STARS
エンディング・テーマ曲
「THE WHALE / ELECTRIC LIGHT ORCHESTRA」
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