2002.02.03放送
冒険家・九里徳泰さんを迎えて

九里さん“人力移動”という言葉の生みの親、九里さんは1年ぶりの登場。前回は家族でオーストラリア4000キロを縦断したときのお話や、“人力モバイラー”の話で盛り上がったんですが、今回は1年ぶりということで、この1年の冒険家・九里徳泰の活動を振り返ってもらうことにしました。「冒険家としての僕ということでいえば、かなり激動の1年だったですね。冒険家としては14年目に入ったんですが、一区切りつけた年でした」と語る九里さん。実は昨年5月『九里徳泰の冒険人類学』という本を出版されました。
九里さん本「この本は世界中の冒険家たちに僕がインタビューしたものや、自分の冒険論、僕がどういう目的で何をするために冒険したのか、冒険とはなんなのかということを解き明かした本なんです。最終的には人間っていろんな人生の局面の中で大なり小なり冒険するじゃないですか。それを集約したのが『冒険人類学』です。」

よく“冒険は家に帰ってきたときに帰結する”という人がいますが。
「そうですね。そういうことをいう人はいますが、僕が展開している冒険は死んでも冒険ですから。たまたま死んでしまった、僕の場合はたまたま生きてるってだけ。人間の死というものは意味的には大きいですが、僕にはあまり大きな意味はないんです。日常の中で大病して死んでしまうとか、交通事故にあうとかいうことは冒険家にもあって、冒険の中で不意打ちを食らうような、例えば雪崩があったりとか、海では絶対起こりえないような大きな波がきてしまったとかで、死んでしまうことはあるんですが、それはそれでしょうがないと。
 普通の冒険家って、やりっぱなしなんですね。それをちゃんとまとめることで、社会に応用がきくんじゃないかと思うんです。例えば経済が悪いと、じゃぁ、何が悪いのかということをちゃんと調べて、冒険の方法論を経済の中で発揮する。今の低迷している経済を僕の冒険の理論で考えると、一歩踏み出せてない。一歩踏み出すのって大変じゃないですか。批判もあるし。でも、そこを一歩踏み出す。冒険って、死ぬつもりでは行きませんから、その一歩を無謀に出しているんじゃなくて、確かめてガシっと出す。その一歩が踏めるかどうか、それをこの本でまとめて、みんなどうやってその一歩を踏んでいったのか・・・。」

なるほど、そこでこの「人類学」というのが入ってるわけですね。
「そうですね。これ副題で“ホモ・アバンチュール”となっているんですが、フランス語で、ホモは人間、アバンチュールは愛とか、冒険という意味。つまり人間とは冒険するものなのであると。そういう意味を込めたんです。だから冒険がなくなってしまえば人間じゃなくなるんです。諸説ありますけど、一番最初人間は木の上で生活していて、誰かが降りてきた。もう一つの革命は火を使いだす。そこのところで一歩冒険をしている。ITの分野だって絶対こんなことはできないよといいながら乗り越えてきているし、コンピューターのスピードなんて10年間で100倍になってますからね。」

じゃぁ、皆さんもこの本で刺激されて・・・
「そうです。会社の中で、学校で、ストリートで、冒険の一歩を。気持ちなんです。よく冒険家って山登ったりとか、ソリ引っ張ったりしているイメージが強いですけど、あれはただ目に見えてるだけのことで、本当は心の中で冒険をしているんです。誰もできないこととか、無理だと言われていることとか、やったことがないことを、僕たちは具体的に可能にしていく、そのプロセスを見せているだけで、本当は心と頭の中で前進していって、こわいものを乗り越えていってるって感じがします。」

心と頭の冒険。でも、この1年の間にはフィジカルな冒険もやってのけました。片山右京さんとヒマラヤのチョー・オユー、8201メートル、世界第6位の山。今回右京さんと一緒というのは?私からすると右京さんと登山というのは結びつかなかったんですけど。
「僕ね、レーシング・ドライバーという職業と冒険って、近いなぁと思ってたんです。死ぬじゃないですか。なおかつものすごくお金かけるでしょ。それに名誉がかかってくるでしょ。これって、今の冒険は違ってきたんですが、50年前の登山ってそうだったんですよ。凄いお金がかかったし、国家を背負って登ったし、帰ってきたら大臣になれるぐらいですよね。F1もかなり近い冒険的要素があるんじゃないかと。
 片山さんというのは昔からお父さんと一緒に山をやられてて、F1終わってからやるものを探してたんですね。F1の選手ってある意味では次元を越えちゃった人だから満足するものがなかなかない。で、満足するものを求めて山にやって来て、たまたま僕がそんな面白いことをやってるドライバーがいるんなら取材しようと。これから本にするんですけど、片山さんというフィルターを通して、登山とか冒険の本質を書こうと思ってるんです。何故人は山に登るのか、何故人は冒険をしなくちゃいけないのか、それを書いていこうと思ってます。来年の2月にはできてるんじゃないかな?」

じゃぁ、来年この時期、また定点観測で新刊本を紹介できればと思うんですが、このチョー・オユー登られて達成感とかはどうだったんですか?
「僕体調がすごく悪かったんです。普通は60日ぐらいかけて登るんですけど、他の仕事とかもあってスケジュールがうまくいかなくて31日間で登ったんですよ。ほとんどシェルパと二人という小さな隊で、ほとんど単独に近い形で登りましたから達成感も高かったですね。やっぱ、頂上着いたら涙が出てきましてね、涙流すとゴーグルが曇っちゃうんで、流しちゃいけないんですけど、3滴ぐらい流しましたね。」

やっぱりどうしても曇ってしまう?
「曇らせなかった。プロだから、涙流すときだけゴーグルを外して。ジワッときてから家に電話したんですよ。衛星携帯電話があって電話したら、息子が出てきて“パパ、今どこにいるの?”って。こっちは酸素が薄くて3分の1ぐらいしかないからまともに答えちゃって“中国って国のチベットって所のチョー・オユーっていう8000メートルの山に登ってんの”とかいっても“エー?”って。それで“お山?”っていうから、“そうそう、お山にいるんだ”って。4歳ですからね、色々質問が飛び出して2分近い長電話になってしまって、で、奥さんに替わって“元気に下りてね”みたいな感じで。」

実は九里さん。この1年の間にまたご家族で、去年の夏、カナダのクィーンシャーロット島の方に行かれてますが、これは完全にお休み?
「そうです。バケーションです。」

今年あたりもどこかに行かれるんですか? あ、でも二人目がおできになったんで・・・
「そうなんですよ11月に娘ができたんで、下の子が少し大きくならないとね。」

うーん。まぁ、親子の関係っていうんですか?日本人は欧米に比べると下手なのかなとも思いますが、そうも言えなくなってしまいますね。この4月から学校が土・日お休みになって。

「そうですね。これ、文部科学省的には週休2日って言ってはいけないんです。学校週5日制と呼びましょう、これから。ですからこれから24時間×2=48時間、子供がべったり家にいるんです。」

それをどうやって過ごそうという中で、素晴らしいマニュアルができました。『親と子の週末48時間』
「これね、実際は教科書なんですよ。新学習指導要領準拠ですから。教科書の副教材として使うに耐える内容になっています。」

久里さん本2 というわけで、九里さんが中心となって作った本、『親と子の週末48時間』は、文部科学省の新学習指導要領にそった、主に自然体験を通しての教育入門書で、1月から12月まで、1年を通して体験できる、52のプログラムが用意されています。つまり、毎週末のちょっとした時間を利用して行なえるようになっているわけですが、各プログラムは見開き2ページで解説されており、左ページには、カレンダーやテーマと目的、概要など。そして 右ページには4コマ・マンガ風のイラストが掲載され、学習の観点や、子供たちにどんな風に言葉をかけるといいかなども添えてあって、とても分かりやすい内容となっているんですが、具体的にはどんなプログラムがあるのか、ここでいくつかご紹介しましょう。
 例えば、2月の第3週のテーマは「自分で火を起こしてみよう」。目的は「火の大切さに気付く」となっていて、マッチやライターを使わずに火おこしを体験します。これによって、子供たちの創意工夫を育んだり、例えば、火の始末をすることで、責任感を養うといった、教育的な効果があります。
 一方、3月の第1週のテーマは「クロスカントリー・スキーに出掛けよう」。目的は「スキーをはいて雪の不思議を知る」。クロカンの体験も大事なんですが、スキーを履くとどうして足が沈まないのかを考えたりしながら、教科でいうと体育だけでなく、理科の内容にまで踏み込みます。
 また、3月の第3週のテーマは「梅の花を見に行こう」なんですが、目的は「外来種の植物を考える」となっています。「梅」も奈良時代に、中国から持ち込まれた外来種だということで、そんな梅の話から「セイヨウ・タンポポ」などの外来種や、海外に渡った「桜」などの植物についても考えながら、国際理解といった面を学習します。
  とかく“総合学習”のための本というと難しいイメージがありますが、九里さんがまとめた自然遊びのマニュアル本『親と子の週末48時間』は親子で、楽しく体験できる内容ばかり。にも関わらず、簡単な中に、奥の深さも兼ね備えていて、子供たちだけではなく、お父さん・お母さんの好奇心をもそそってくれること間違いなしのオススメの1冊です。

 そんな総合学習書としての一冊。九里さんは、その意味について、こんな話をして下さいました。

「まぁ、複合的にすべての教科がかかわってくる。それで問題を主体的に解決しようというのが総合学習のキモになってる部分ですから。あと、生きる力ですね。冒険人類学でも言いましたが主体的に自分からアクションを起こそうというものです。ですから、文部科学省は何を言っているのかというと、冒険的な人間を作りたいと言ってるんですよ。だからこういう教育書を書きましたが、冒険家としてはつながっているんです。
 教育って今区切ってますよね。学校の中だけが教育、外は学習塾みたいにお勉強。テストを取るためだけのテクニックです。でもそのテクニックをやり過ぎちゃったから、私たちや子供たちはこんなになっちゃったんですよね。Aって言うとBってすぐ答えられるのに、何故AはBになるのか、本当にBでいいのか、考えない。覚えることしかしていない。だから考えて自分で結論を導きださなきゃいけないんです。答えは間違っていてもいいんです。もしかしたら世の中には答えがない問題もあるかもしれない。でも、受験のテクニックにかかると問題見ただけで答えが類推できてしまうようになるんです。実際、世の中はそんなに簡単じゃないじゃないですか。それをこの本の中で言いたいんです。
 実は、60歳、70歳ぐらいの人にこの本を見てもらうと、日本人はこんなことすら文字に書いて教えなくてはいけないほど退廃してしまったのかと言われてしまうんですよ。日本って文化をかなり捨て去ってきちゃったんですよね。お祭りはなんでやるのか、と言うと、答えられる人はほとんどいない。昔のおじいさんならほとんど答えられる。初詣ではなんで行くんだろうというと、みんな惰性で行ってる。まぁ、惰性で行ってることも重要なんだけれども、その中に隠れたものがたくさんあって、親がそれを掘りだしてやる。だからお父さんが教師になって欲しいんですよ。授業が終わったら教育が無いなんてことはなくて、親が伝えることは山のようにある。それをどうするかといえば、僕は演出だと思うんですよ。
 この本はシナリオですよね。どこでどういうふうに声をかけると最終的にはこういう教育効果があがります。あなたのお子さんは興味の持ち方の方法を覚え、主体的な子供になりますよと。そのうち子供たちは別の状況の中で、同じやり方によって、自分で教育を始めるんです。自分で自分のために。それはだいたい楽しいことなんだけれども、そのきっかけ作りですよね。
 一番重要なのは動機づけだから、子供がそのことをやりたいのか、やりたくないのかちゃんと導いてあげる。無理やり引っ張っていっても、子供がやりたくないって言ってたら教育効果は上がりませんから。と同時に父親も楽しくなきゃいけないんで、遊んで欲しいんです。遊びの中から子供が吸収できるものはしていくという感じですね。私も一応、昨年の7月から中央大学の助教授になりましたんで、教育者として教育の本が書けたということからいえば非常に有意義な秋でした。」

まぁ、非常に有意義な1年を送られた九里さんですけど、来年もまた定点観測でお話うかがいたいですね。

「まぁ、ヒマラヤの頂上から電話しますよ。メールも送れるし。」

是非是非お願いします。

*著書紹介/九里徳泰さん
 『九里徳泰の冒険人類学』

 発行・同朋舎/発売・角川書店 本体価格1,900円
 人はなぜ冒険をするのか? 冒険とは何かをまとめた本です。
 BE-PAL BOOKS『親と子の週末48時間』
 小学館 本体価格1,200円
 今年4月から始まる「総合的な学習の時間」の家庭対応のマニュアル本。副題は“「小学校週休2日・総合学習」時代の自然遊びマニュアル”。特に、小学生のお子さんがいる方には大変参考になる本です。親子で楽しく体験できる内容ばかり、にも関わらず、簡単な中に、奥の深さも兼ね備えていて、子供たちだけではなくお父さん・お母さんの好奇心をもそそってくれること間違いなしのオススメの1冊です。

九里徳泰さんのオフィシャルサイトへ
最初に戻る ON AIR曲目へ
ゲストトークのリストへ
ザ・フリントストーンのホームへ
photos Copyright (C) 1992-2002 Kenji Kurihara All Rights Reserved.