2002.6.23放送 きゃんさん(以下き)「とみさん、おひさしぶりですねぇ。」 とみさん(以下と)「おひさしぶり」 エイミー(以下エ)「なんか前にきゃんがお世話になったって。」 き「とみさんはたくさんの人に会っているから忘れてるかもしれないけど」 と「そうですね。昨日のことも忘れるほどなんで、10何年前に私と親しく話したって言ってますけど、全く忘れてましたね。ごめんね。」 き「BayFMで大きい顔してるけど、ここくると小さくなるね。」 エ「今日はホントに色々教えて下さい。」 こんなやり取りで始まった今回。話題は当然、琉球の方言ウチナーグチと標準語が混じったウチナーヤマトグチで語られた、アルバム『ニライカナイ』へと移っていきます。 と「我々がウチナー芝居で使っているウチナーグチや、戦前のウチナーグチになると、皆さん全くわからないと思うんですよ。」 き「エイミーね、私もわからないの。おばぁと暮らしていても、おばぁの方言は聞けても、敬語みたいなのがあると変形してきてもうわからないのよね」 エ「じゃぁ、私がこのCDを聴いてわからないのは当然?」 き「そりゃぁ(笑)」 エ「でもね、最初に聞かせていただいたときに、全くわからなかったんですよ。でもわかるはずだ。心で聴こうと思って聴いていったら、ウチナーヤマトグチの方はわかるんですよ。でも、途中からストーリーの展開上、完全なウチナーグチになる部分があって、そうなるとハテナ。で、最後にヤマトグチが混じるようになると、“間はどう展開してったんだろう”って。」 き「ということはとみさん、エイミーは話の内容は良くわかってないようですね。」 と「そうですかね。でもねぇ、言葉って、耳で聞くだけじゃなくて、心で聴いて、心がわかればやはりわかるようになるんじゃないですか。まぁ、本当に微妙な沖縄の言葉は知らなくても全体的なものはわかると思うんですよ。私たちは、英語なんて全然知りませんよね。何を見ているかわからないけれど、見ているうちに聴いているうちに、こうかなと、向こうが言っている心と自分が聞いている心と、結び合わせて重ね合わせて、こういう意味だなと、わかる程度なんですよ。そういうふうに聴いていただいて、また直に沖縄にいらして、触れていただければ、あぁ、こういうことなんだと実際にわかっていただけると思うんですよ。」 エ「ここでちょっと、お話の一つ、“空を飛んだ山”というのを聴いてみて下さい。 番組ではとみさんのほのぼのとした語り口が印象的な“空を飛んだ山”というお話を聞きます。最初は「おばぁと一緒に海風に吹かれながら昔話をしよう」という語りかけから始まるこのお話。その海辺の浜から見える小浜島には、山があり緑も豊富。その隣には平べったい竹富島もみえます。小浜島には山があるのに、何故、竹富島には山がないのか。昔は竹富島にも中岳という高い山があったんですが、その中岳に住んでいた人の行いがよくなかったため、中岳が竹富島から小浜島に飛んでいってしまった、というお話なんです。このお話は、『天然自然の恵みは天からの授かり物。それを大事に活用し、山や海に感謝して生きなさい』という教訓を含んでいるんです。 エ「雰囲気としてはおばぁが本土から遊びにきた孫に色々お話を聞かせてあげているというような感じ?」 と「ともかく、今昔話みたいなものをゆっくりと話して聞かせる機会も少なくなってますよね。それに核家庭でおじいちゃん、おばあちゃんと一緒に生活する機会もなかなかないですよね。大所帯で、おじいちゃんおばあちゃんが暇さえあればこういう話をしてくれた、という想い出はもうないと思うんですよ。まぁ若い子達も、いろんな映像でいろんな文化を吸収してますけど、昔を振り返ってのことは全くわからないと思うんですよ。だから、知っている年寄りが教えてあげないと、という気持ちにもなりますね。」 き「私なんかアルバムを聞いたときには、沖縄に一人暮らししている92歳のおばぁがいるんですよ。ひ孫の面倒見てますからね。もう、会いたくなりましたよ。元気かねぇと思って。」 と「やっぱり会いに行きたいって気になってくれました?」 き「なりましたよ。おばぁと一緒にお茶飲んで、黒糖でも食べながら話聞かんといかんなぁと思いましたよ」 と「そうですよ。仕事も忙しいでしょうから休みをとって、心を癒しに帰ってらっしゃい。」 き「はい、そうします。反省。ウチのおばぁも“とみ”っていうのよ」 と「えっ、そうですか?ほんと?」 き「ウチは“比嘉とみ”っていうんです」 と「えっ、比嘉?あららら。私も旧姓は比嘉ですよ」 き「あら。本当ですか?」 と「ホントです。おばぁは嘘つきませんよ」 き「あいなぁ。どっかでつながってるんですね」 エ「妙な盛り上がりを見せてしまっていますが、おばぁ、お話をこのCDの方に少し戻したいと思うんですが、やはり沖縄というと、星砂。星の形をした砂。よくお土産にもらったりもして気になるんですけど、それにまつわるお話“星砂の伝説”というのもあって・・・」 き「これどんな話ですか、とみさん」 と「沖縄にはこれといった宗教がなくて、祖先崇拝で、ウチナーのウナイガミ、女兄弟は神様みたいな存在だって。ウチでもウナイ、お姉さんを大変大事にするとか。だから女は中柱。お家の真ん中の柱だって。支えているのは女だ、女神が支えてるんだ。女というのは本当にえらい(笑)」 き「女は偉いんだ。子供が産めるんだから」 と「そうそう。そこのところで女は一番偉いって、思ってるんです。いや本当にえらいんですよ。万物の霊長たる人間を産んでくれるんだから。」 エ「で、このお話の中ではそんな女の流す涙。最初は恨みの涙で砂を全部赤くしてくれっていい、そして一人息子が死んでしまったあとには悲しみの涙で黒砂にしてくれ、でも死んだと思った息子が帰ってきた。喜びの涙で白い砂に変えてくれって。女の流す涙はどんなものであれ清いものなんだって。」 と「そうです。心から流す涙だし、本当の心の中には悪というのはないと思うんですよね。その人の立場によって悪にもなるけど、本当の根底、涙が出るというのは、やはり心から出るんだから、そういう涙は尊い涙にして欲しい。星のようなきれいな心で見て欲しいとかそうなって欲しいということじゃないでしょうか。」 エ「で、そんな星の砂をお土産にもって帰りたいんだったら、自分の足で歩いて自分の目で見つけて自分の手ですくい上げて大事にもって帰りなさいっておばぁが最後に言っている・・・」 と「自分の目的とするものはやはり自分の努力。夢も自分の努力によって。夢が寄ってくるんじゃなくて、果報が寄ってくるんじゃなくて、自分の努力によって報いられるんだってことを諭すというのかな、話してる。」 和やかにインタビューが進むうちに、沖縄の言葉には男女別のものがあるということもうかがいました。 *CD&著書紹介/平良とみさん ゲストトークのリストへ ザ・フリントストーンのホームへ photos Copyright (C) 1992-2002 Kenji Kurihara All Rights Reserved. |