2003.1.5放送 新春特別企画 THE FLINTSTONE ARTISTS SPECIAL 2003年初の放送となる今週は、21世紀を展望するザ・フリントストーン的「海外アーティスト・スペシャル」です。自然保護活動を行なっているシンガー・ソングライター/ジュリア・フォーダムや元イーグルスのドン・ヘンリー、オーストラリアの新人バンド/ジョージ、そして、カルロス・サンタナ、元ホワイトスネイクのヴォーカリスト/デイヴィッド・カヴァデールのメッセージを紹介しながら、21世紀の地球や自然環境、そして人類について考えます。放送では、アーティスト本人のメッセージに日本語訳も同時にお伝えしましたが、ここではその日本語訳を中心にご紹介します。
「すごく気になるわ。例えば、イラクに対して攻撃するのは間違いだと思うし、中国のエイズ問題についても気になるわね。この間、読んだ記事に、感染者が4,000万件にも達しているって書いてあってすごくショックだったわ。だってアメリカやヨーロッパではエイズ問題はかなり落ち着いちゃっているじゃない?でもアジアではまだまだ大問題で、特に中国ではエイズ人口が急上昇しているっていうのが心配よね。 私はどちらかといえば楽観主義な方で“グラスには半分しか水が入っていない”というより“半分も入っている”って考える方なんだけど、あの9/11の悲劇以来、地球の流れが変わったように感じていて、ちょっと心配しているの。もちろん「あ~もうこの世も終わりだ!」なんて言うつもりはないけど、私たちが当たり前だと思っている暮らしや生き方が、急激に変化する可能性があるって感じるようになったの。どんな風に変わるのかは予想できないけど、あまりにも間違っていることが多いような気がするのよね。例えば、また中国を例に出すけど、中国でオリンピックを開催するのってどう考えても違うと思うのよ。だって宗教的な違いという理由だけで、毎年1万5,000人もの人を痛めつけているわけじゃない?そのことに対してアメリカが何も言わないこともおかしいと思うのよね。 あと、ナイジェリアでミス・コンテストを開こうっていう発想事態、私には理解に苦しむわ。だってどう考えたって不適切じゃない?もちろん私は宗教について詳しいわけじゃないけど、ビキニ姿で歩き回っていい場所だとは思えないわ。まぁ、普段はあまり口に出さないんだけど、政治的な問題点について私が最近考えているのはこんなところかしらね。 今でも私は、希望や信念を持ちたいと思っているけど、ここまでくるとどう考えていいか分からないというのが正直な気持ちなの。未来は明るく楽しいものになるとは言えない。あまりにも予測不可能な気がするの。だから今の私は、どちらかといえば、明日、終わるかもしれないという意識で毎日を過ごしているのよ。でも、それは「あ~もう世の中の終わりだ!」って絶望して大騒ぎするじゃなくて、「あまりにも世の中クレイジーすぎる」って冷静に捕らえているの。5年前はこんなこと考えてもみなかったわ。でもいろんな変化があってこの先もどんな変化が待ち受けているのかわからないのが現状なのよ」 そんなジュリア・フォーダムが今、メッセージ・ソングを書くとしたら、一体どんな内容になるんでしょうか。 「今こそゲイリー・クラークの“HOPE, PRAYER, AND TIME”という曲を世の中に改めて紹介し直すべきだと思っているの。アメリカでは、9・11がらみの記事には必ずといっていいほど消防士たちの活躍が取りざたされたり、“普通の人が途方もないことを成し遂げた”というフレーズが書かれていたんだけど、ゲイリーの曲にはまさにそういった歌詞が書かれているのよ。実は私はこの曲をカバーしているんだけど、自分のレパートリーに今の世の中に対してこんなにもピッタリのメッセージが込められた、優れた曲があるのに、わざわざ新しい曲を書く必要もないように感じているの。とはいえ、何曲かアイディアはあるのよ。一つはアフガニスタンの女性が凧揚げをしてはいけないというニュースを見てインスパイアされたもの。 そしてもう一つは、さっきも話したナイジェリアでのミス・コンテストをテーマにしたものなの。でも、メッセージ・ソングを無理やり書き上げるっていうのは好きじゃないのよ。書けたら書けただし、完成しなければ、それはそれ。もちろん、みんなにとって意味のある曲が書ければ嬉しいけど、自分で書けなかったとしたら、喜んでゲイリーの曲を歌い継ぎたいって思っているわ」
「あの曲は作品の仲でも最も重要な曲で、僕にとっても、とても深い意味のある曲なんだよ。みんな知っているように、僕は環境活動家なんだ。世界中の偉大な河川がダムの建設によって破壊されている。電気や水道水などのために、至る所にダムが作られてきたんだ。でも、実際には人間の生活にマイナスに作用しているってことに、やっと人は気付き始めているんだ。というのも、まず第一に、ダムによって魚がいなくなる。サケが川を上ってこれない為に、サケの数がどんどん減少しているんだ。またダム湖は沈泥で埋まり初めているのに、その除去方法が分からないでいるんだ。 そこで今アメリカでは一部のダムを壊し、新しい建築を差し止めようという動きが出ているんだよ。そうしないと河川がダメになってしまうからね。ダムは川を殺してしまうんだよ。発電に関しては他の方法を探さなければならない。さもないと河川を破壊し、生態系をも破壊してしまうからね。これは僕にとっても大切な問題なんだ。僕が住んでいるテキサス州ダラスでもUSアーミーを相手に、大々的なプロジェクトが動いているんだよ。USアーミーは世界屈指の環境破壊団体でね(笑)、僕も長年に渡って闘っているんだ。彼らは自然界を改善しているつもりなんだよ。でも実際は違う。自然を改善することなんてできやしないんだ。そこでヤツらはダムを建設し、森林を伐採して道路を作り、なにもかもコンクリート詰めにして、美しい渓谷を埋め尽くしているんだ。もしかしたら短期的には問題が解決したように見えるかもしれない。でも、長い眼でみるとこんな方法でうまくいくはずがないんだ。もっとひどい形でしっぺ返しを食らうことになるんだよ。これは政府の堕落を意味しているんだ。金や権力によって堕落してしまったってことなのさ。アメリカの企業は一番、環境を汚染している。彼らは汚染して得た利益を政府に還元して政府を金で買うんだよ。 この曲で表現しているのは、彼らは神が創られたすべての創造物を破壊しているということなんだ。生命と直結している川は、聖なる存在といえるだろ?川は生命の尊厳の象徴として、また、川の流れを人生の流れに例えたりもするだろ?この曲は内容的にはそんなことを歌ったもので、サウンド的にもピアノで川の流れのようなイメージを作り出しているんだよ。 あと、テキサス出身の老人が書いた『グッド・バイ・トゥ・ア・リヴァー』という本もあるんだ。アルバムのカバーにはその著者への感謝を記しているんだけど、僕の曲もこのタイトルをもらってつけたものなんだよ。この著者は1950年代の後半に、ダム建設によって破壊されようとしていたテキサスの素晴らしい川をボートで旅しているんだ。二度と見れなくなってしまうその美しい姿を最後に自分の眼でしっかり見ておきたい、別れを告げたいという想いから一人でボートを漕いで旅をした様子が綴られている、本当に素晴らしい本なんだ。この本からはタイトルだけではなく、内容的にもインスピレーションを与えてもらったんだよ」 ドン・ヘンリーの発言にも登場した“GOODBYE TO A RIVER”という曲。この曲には彼の川に対する想いが凝縮されています。ここで、その曲の内容を簡単にご紹介しましょう。 「雨期が早まったという。しかし、踏み入るべきではなかった場所に残した、損傷の中に埋もれた我々の傲慢さを、天の水によって洗い流すことができるのなら、僕はかまわない。 荒々しく流れる川を支配するため、人は川を湖と堤防、ダムと水門という箱に押し込めてしまった。川に別れを告げよう、さよならと・・・」 「我々は時々思い出したように人生を生き、素晴らしいものを徐々に無くしつつ、最後には堕落し、魂そのものをも失ってしまう。農地や街の罪をかき集めながら、汚れた水が土地を汚染していく。工場の主任たちや丘の上の施設は、聖なるすべてをダメにしてしまっている。僕は我が子になんと説明すればいいのだろうか・・・。歳月が感覚を鈍らせる中、僕は言葉で教会を作り、かつて知っていた世界にすがりつく。今なお残る美しさを、おまえを通して感じるために、僕は必死で世代の壁をよじ登る。川に別れを告げよう、さよならと・・・」
(タ):「個人的には、最低って気分だね。オーストラリア政府は僕や僕の友人全員の代表でもなんでもないね。オーストラリアの移民問題は本当に最低なんだよ。ちょっとでも意識のあるオーストラリア人ならみんな思っていると思うんだけど、移民に対する対応は非人道的ともいえるんじゃないかな」 (ケ):「本当に恥ずかしいわ。オーストラリアはとても大きな国で、色んな人が暮らしているけど、私たちの世代の多くは、なぜそこまで無慈悲になれるのか全く理解できないでいるの。だってオーストラリアはとっても大きな国で、スペース的には余裕があるわけだし、多種多様な文化の融合が我々オーストラリア文化の特徴だって私は思っているの。そしてそれは誇りであり、大切にするべきことだと思うのよ。少なくとも私たちから言わせてもらえば、誰でもウェルカムよ。だって私たち自身ビジターでしかすぎない。本当のオーストラリア人といえるのはアボリジニだけなんですもの。 それに、メルボルンに行ったことのある人ならわかると思うんだけど、あそこはギリシャ文化が色濃く現われている土地なのね。で、ある人が、『もし30年前、僕らの祖父母が移民した頃、今のような政府だったら、きっと僕は今ここにいないよ』って言ったの。でももしそうで、メルボルンにギリシャ文化が根づいていなかったら、きっと今のメルボルンはなかったと思うの。 あと、シドニーにもリトル・イタリーという、パスタのお店やイタリアっぽいお店が立ち並ぶ場所があるんだけど、ここも同じことがいえるんじゃないかしら。そう考えると、今の法律が昔あったとしたら、オーストラリアの一番の魅力ともいえる多様性が失われていたと思うの」 (タ):「ただ、これは政府のポリシーの象徴だと思うんだけど、ヨーロッパの人の方がオーストラリアに入りやすいんだよ」
「アボリジニやアメリカン・インディアン、そしてアフリカの人々の救いとなるような音楽を作り続けたいと思っているよ。あと、この地球上に、平等や正義、尊厳を促すための新次元、というか新たな視点を示したいと思っている。・・・ようは、新たな考え方を示したいんだよ。そうすれば人々はグルーやスワミー、ヨギにラバイ、政治家に教皇などから離れられる。こういうものから解放されて自由になって欲しいんだ。というのも彼らは恐怖心を植え付けているだけだからね。恐れの対極にあるのは喜びなんだ!。 だから僕は人々に喜びや何事も不可能ではないということを訴え続けたいと思っているんだ。もちろんハードルが高いことはわかっているよ。でも、いつも言っていることなんだけど、ソウル、ハート、マインド、ボディ、イコール・一つの音。その音を奏でれば、まるで禅の指導者に、あの棒で肩を叩かれた時のように、“ハッ!”とするんだ。そしてそうなった時、人々は内からの導きによる可能性に対してオープンになれる。人は誰でも瞳の外にも内側にも友だちがいるんだ。だから時には内なる友に目を向ける必要があるんだよ。そうすれば、君という人間が世界を変え、愛する者に何かを与えられるということが分かってくる。無理なことなんて何もないんだ。そのことを自分自身で発見し、人々にも伝えていく。 僕が見たいのはそれなんだよ。僕は地球上にその連鎖反応状態を築いて、みんながハッピーになって欲しいんだよ。多くの人は不幸でみじめだと思っているだろ?だから僕はその状況を変えて、みんながハッピーで健康で、希望に満ちているって状況を作りたいんだ」
「怒りからは何の喜びも生まれないんだ。全くなにもね。ある記事を読んだんだけど、科学者たちは人間のDNA、ジュノームを発見して、ある科学者によると、地球上に存在する600億人から、7,000世代前、6万人のコロニーだった時代まで遡ることができるそうなんだ。つまり、この地球の人口は6万人のコロニーが成長したものであるという可能性が高いということなんだよ。6万人といえば、オレのコンサートでの観客の数なんだよ。つまり、みんな繋がっているってことなのさ。繋がっていなければおかしいんだよ。外見は違うかもしれないけど、パーツはみんな一緒さ。感情なんてうり二つなんだよ。言葉の違いなんて全く問題じゃないね。感情や問題、喜びや愛、美しさ・・・、これらはすべての人が分かち合っているものなんだ。だからもし誰かを殴りたくなった時はこのことを考えてみるのもいいかもしれないね。怒りを覚えたり、暴力的な気分になった時は、みんな同じなんだってことを考えてみるといいよ」
●ジュリア・フォーダム 場所:ブルーノート東京 日程:1月27日(月)から 2月2日(日)まで。 ただし、1月30日(木)は除きます。 チケット代:8,400円。 お問い合わせは「ブルーノート東京」、東京、03-5485-0088まで。 ●サンタナ:東京公演 場所:日本武道館 日程:4月16日(水)・17日(木) チケット代は、S席、8,500円、A席は8,000円。 こちらのお問い合わせは「ウドー音楽事務所」、東京、03-3402-5999まで。 最初に戻る ON AIR曲目へ ゲストトークのリストへ ザ・フリントストーンのホームへ photos Copyright (C) 1992-2003 Kenji Kurihara All Rights Reserved. |