2003.06.29放送 野田知佑ハモニカライヴ4 今週は、上野公園水上音楽堂で開かれた恒例イベント「野田知佑ハモニカライヴ」の模様をお送りしました。今年は作家・カヌーイストの野田さんほか、モンベルの社長・辰野勇さん、吉野川の釣り人代表・森口玄七さん、そして作家の夢枕獏さんが登場。徳島「吉野川」についてのトーク・セッションや、野田さんの哀愁あるハモニカの音色をはじめ、イベントの前には夢枕獏さんにじっくりお話を伺うことができましたので、その模様をもたっぷりとオンエアしました。
今年は辰野勇さんの司会・進行のもと、第1部が野田知佑さん、夢枕獏さん、森口玄七さんを迎えてのトークショー。第2部が野田さんのハモニカと辰野さんの横笛ライヴ。そして最後は、ゲストの方々が持ち寄った貴重な品々のオークションが行なわれました。まず、そんなイベントから早速、トークショーの模様の一部から御紹介しましょう。 辰野:「もうおなじみの夢枕獏さん。吉野川との関わりは?」 夢枕:「僕は釣りなんですよ。四国をうろうろしていたときに、鮎を釣ったのが最初ですね。ハヤばっかり釣れて、悔しくてね、それから共釣りの竿を使って釣ったというのが最初ですね」 辰野:「夢枕さんは吉野川だけでなく、世界の川をご覧になっていると思いますが、世界の川を見てきても吉野川に魅かれる部分というのは、どういうところですか?」 夢枕:「野田さんが言ったと思うんですが、ヒューマンサイズという言葉が1番ピッタリくるところですかね。中国の川は濁っていてどうしていいのかわらないですね。あと水が冷たすぎて人間にとって厳しいですね。確かにアラスカで大きいキングサーモンを釣るのってすごいドキドキしていいんですけど、毎日はできないですよ。日本の川は毎日鮎を釣ったり、フナを釣ったりというのは大丈夫ですよね。やっぱり人間のサイズにちょうどいい温度、きれいさ、川幅、水量、そういうのが1番いいんだと思います」 野田:「我々の渓流釣りというのは、釣るだけでなく自然の中に全身で浸るでしょ。森林浴も兼ねて渓流の中に全身を浸して遊ぶ。そういうことができる川は世界でも日本だけ。日本でも、西日本ですね。北日本はダメです、アラスカと同じで。特に5月から10月まで水の中に入って遊べるというのは、日本の川のいいところですね。外国の川ではなかなか水の中に入れない。吉野川で川ガキ養成講座というのをやっているんだけど、吉野川で上流から河口まで5箇所でキャンプするんですね。その全員が川の中に入って出てこない、そういうことができる川って、日本でも珍しいね」 辰野:「吉野川は、僕が日本で1番好きな川なんですよ。僕は釣りとかの遊びはやらないんだけど、あの川ほど変化に富んだ素晴らしいところはない。千差万別、上流から下流の河口まで、本当にいろんな顔を見せてくれる。そんな思いがします。森口さんはどうですか、支流にもいっぱい素晴らしいところがありますよね?」 野田:「その前に、僕が森口さんの正体をばらしますと、木頭村の細川内ダム反対で、建設省を初めてやっつけた小さい村の村長だった、藤田恵さんのお兄さんです。それで吉野川の主と言われていまして、吉野川のあらゆる淵のことを知っていまして、また支流の釣りも詳しく知っています。吉野川の辞書みたいな人なんです。それから河口堰反対闘争で最初からかなり重要な役割を果たしてこられた方です」 森口:「吉野川は辰野さんもラフティングなんかでよく御存知だと思いますが、上流の方に行くとダムが近づいてくるわけですよ。それでダムの濁った水が流れてきますから、あまり上流だと濁っているんですね。普通の川は上流へ行くほどきれいな水になるんですけど、吉野川には早明浦ダムという大きなダムもございまして、上流が濁っているんですね。支流が合流してどんどんきれいになるんですね。銅山川という大きな支流があったんですが、そこもダムが3つできて完全に水が止まってしまいました。香川県や愛媛県に抜かれてしまうわけです。 今は3つだけ大きな支流が残っていまして、伊沢谷川と、貞光川と、穴吹川です。特に穴吹川は本当に素晴らしい川なんです。その穴吹川も上流にいくと昭和51年の豪雨で被害を受けたところが出て来て、もう背の高い人だったら階段として歩いていけるようなえん堤の間に、かわいそうなあめごがいるんですよ」 辰野:「野田さん、十堰のあたりにすごいたくさん魚がいるんですよね」 野田:「普通、日本の川では、堰、えん堤の前後500m、または100mは立ち入り禁止、釣っちゃいけない。でも吉野川はこの10年、市民がいろいろ関わって権利を主張し始めたので、まさに吉野川は住民の川になったね。誰も文句言わなくなった」 辰野:「みなさん、勘違いしないでください。上流100m、下流150mはそこでの生き物は捕っちゃダメって立て札はありますから。決してそれを奨励しているわけではありません。でも、あまり声を掛けられることが少なくなったと、こういうことです」 野田:「いや、吉野川に関してはね、我々のものになりましたね」 辰野:「いえいえ、我々のものじゃありません」 野田:「建設省や漁業組合のものでもなくて、これはみんなのものだって、当たり前のことなんだけどね。日本中の川は漁業組合が威張りすぎる。漁業組合はトラの威を被るキツネでね、国土交通省の権威を借りているんですよ。あいつらは何の権利もない。ダムを造るときは、真っ先に彼らが買収されますからね。そういう実績が有るので、建設省とつるんだ市民ですね、非常に悪い連中です、漁業組合は。 それが吉野川に関しては姫野さんを始めとする吉野川シンポジウムに絶対文句を言わないですね。あそこで我々がキャンプをするんだけど、そのことで文句を言ったのは一回だけ。県庁の連中が言いましたね、あそこは禁漁区ですって。だけど我々はせせら笑って蹴飛ばしています。相変わらず、夜に懐中電灯を照らして、30人くらいの子供がね、100匹くらい捕ってきたの。簡単に捕れちゃうのね、もう本当に痛快でしたね。あれはもう我々の自由になる川ですね。東京でいじめられたら吉野川に来て下さい。何でもできます。姫野さんに言えば全てオッケーです」 森田:「ちょっとついでで、報告したいんですけど、今日はこのために来たと言っても過言ではないんですが、先日、徳島県知事選で私達が擁立した太田さんが負けました。そこで姫野さんが本当に素晴らしい敗戦の弁を述べたんですね。これで吉野川の問題が決着付いたわけではない。泉知事は選挙の直前になって、危ないところだった、負けるところだったということを選挙のホームページに書きまして、それはどういうことかというと、最初は河口堰も吉野川の計画に含めるとしていたのを、直前になって調査をしたのでしょう、可動堰は話し合いの中に含めないという発言をしたんですね。これは公約ですよ。だからこの公約を守ってもらいたい、と姫野さんは釘を刺したんです。これから泉知事がどういう姿勢をとるかによっては、また激変が起こる可能性があります。みなさん一つ、注目していて下さい。よろしくお願いします」 辰野:「でも、この30年で日本の川はほとんどコンクリートで埋め尽くされてしまいましたね」 野田:「本当にその頃の日本の川はきれいでしたね。僕は吉野川のダムができる前の大歩危、小歩危で泳いでいるんですよ。これは僕の自慢でね、潜って30m先のアナゴや鮎を突いていたんですよ。見えたんですね。あんなきれいな渓谷はなかったですね。あれは世界一だったでしょう。あれから色んな国の川を潜っていますけど、あれほどきれいな川、渓谷はないです。しかも水温が高い。夏はずっと大歩危、小歩危で潜っていましたね、昭和38年ですね。その後上のダムができたので、『あの頃の、渓谷を知っているんですよ。素晴らしいものでした』、そういう話を地元のじいさんと話していたら、そのじいさんは興奮してしまって、声が出なくなったんですよ。最後には決まり文句で『ダムができる前は良かった』です。これは日本中の老人が言うことですが、もう言わないようにしたいですね。そんなことを言うんだったらダムを止めればいい。 今も解決していないけど河辺川ダムが8割できていますが、これも長良川方式で『ここまで造ったのだから造らせろ』と造ってしまったら、河辺川の下流の人達は同じように『ダムができる前は良かった』って言うに違いありません。もう、こういうことは聞きたくないので止めさせましょう、本当に」 辰野:「僕、5日前は河辺川にいたんですよ。すごく水が出ていて、熊川はかなり濁っているんですけど、河辺川はきれいなんですよ。いい川ですよ。熊川に合流しているところなんて、善と悪のような色をしているんですよ、あんなきれいな川がお釈迦になると思うと、悲しいです」 放送では、野田さんのハモニカの演奏で「この道」「夏の思い出」「島原地方の子守唄」「竹田の子守唄」の4曲を、また辰野さんの横笛の演奏では、アニメ映画でお馴染み「もののけ姫」をオンエアしました。 そんな中、野田さんが「島原地方の子守唄」について、歌詞を朗読しながら次のように語っていました。
野田:「こういうのを世界中の青年が集まっている前でギターで弾くと、絶対に勝ちますね。いくらギター間違えても分からないし。しかも年期が入っているから人の心を打つんですね。もうインディアンのばあさんなんかは泣きますね。そして翌日残飯なんかを持ってきてくれる。だからこれから海外旅行する人は、古い歌謡曲と子守歌は覚えておいたほうがいいですね」 ハモニカライヴは恒例の、野田さんのハモニカによる「故郷」で終演を迎えました。最後に、いつまでも少年のような心を持つ野田さん、今年の予定についてはこんな風に語っていました。 野田:「今年はビックサーモンリヴァーっていう、僕のカヌー歴では1番楽しい川、2週間、400キロの川旅で、誰もいない原野を蛇行した川に行きます。人家が全然なくて、魚は釣り放題。キングサーモン釣り放題、ライフル打ち放題、8月の終わりだからオーロラが出るんですよ。オーロラ見放題。グリズリー出放題(笑)」 辰野:「ありがたくないじゃないですか(笑)」 野田:「4人で行くんで、何人帰ってこれるかだね」
●今回、野田さんとは久しぶりにお会いになったんですか? 「いや、実は一週間前に四国に行きまして、野田さんが四国の日和佐に家を建てまして、そのお祝いを兼ねて、遊びに行ってきました(笑)」 ●じゃあ、ちょこちょこと。 「僕、四国は野田さんにも顔出したりしながら年に3~4回行っていますね」 ●ということは、吉野川との関わりもかなり深いんですね? 「吉野川は相当昔に鮎釣りをやって以来、たまに寄らせてもらっている川ですね。四国はいい川がいっぱいあるので、吉野川だけということではないですけどね」 ●私たちも何年か前に第十堰を見に行ったんですが、その時はすごい衝撃で、こんな素敵なところで、本当に日本だなって感じがしたんですが。 「吉野川は、川幅も広くて、ふところも深いですし、第十堰もすごいいい堰でね。こういうやり方があるんだというのが、すぐわかりますよね。何も堰き止めるだけじゃなくて、ちゃんとオーバーフローして水が流れるシステムを持っている堰があるんだというのが、初めてわかったんですよね」 ●よく、先人の知恵とかおばあちゃんの知恵袋とかいいますけど、私もあそこに行ったときに自然を無理矢理人間の力で閉じ込めたり押さえつけるのではなく、うまく利用するのができるんだなって思いました。 「そうですね、非常に上手な自然と人間とのシステムの調和が見事な例だと思いますね」 ●特に日本は島国で、回りは海に囲まれ山も川もあって自然豊かな国で、その中でも川は誰もが身近に一度は接したことがあるはずのものですよね。 「東京のような特殊な都市は別として、日本はものすごい数の川があるんですよ。だから、誰もが生まれたところのすぐ近くに川がある。最近では川の上に蓋をして道路にしたり、どぶ川同然になってしまったりして、人間から遠くなっちゃってますけど、川と親しむチャンスっていうのは今でも求めればあるんですよ。ただ、みんな外に出なくなっちゃったからねー(笑)」 ●(笑)。 「うちの娘を見ててもね、家でゲームをやっている姿のほうが多いですね。もう、外で遊ぶというのがほとんどないんですよ」 ●それは、たとえば親の代が若くなってきて、その人たちが子供を連れて外に出なくなっているのか、それとも遊ぶものが自然の中で自分たちで工夫して遊ぶ以外に、与えられる遊びが多くなりすぎているから? 「いろんな原因があると思いますよ。まず1番の原因は自然が少なくなったということですね。僕の家でも30年前は田んぼだったところも家がどんどん建っていますし、川も遠ざかったりして、住んでいる周りに自然がなくなったのと、昔は娯楽が少なかったんですよ。今は小学生が学校から帰ってきて、時間を潰すのにはいろんな選択がありますよね、ゲームや塾とか」 ●そんな中で、野田さんが校長を務める川の学校、川ガキ養成講座もありますけど。 「川ガキ養成講座はね、僕も遊びに行ったことがあって、講師っていっても一緒に遊んでくるだけなんですけけどね。あそこの子供はすごく生き生きしていて非常にいいですね。こういう子供達がいるならまだ日本の未来は明るいぞと、少しホッとしましたね、僕の方が教えられた感じで。シジミなんか捕ったことがことがない子供達が、地元の方の船で捕りに行くんですね。あれはやっぱり楽しいですよね。見ていると、子供はもう興奮していますよ」 ●そして大人が興奮できる遊びの一つに釣りというのがありますけど、夢枕さんもかなり釣りにはハマっていらっしゃる? 「僕はもう、釣りにはハマっていますね。もう首までというより、鼻まで浸かって耳で息をしている感じで(笑)」 ●(笑)。夢枕さんは、雑誌「BE-PAL」の、雑魚党・神奈川県支部長もされています。支部長としてはどうですか? 「別にいつも通りですよ(笑)。でもあまり魚を差別しないというところですね、基本的には。僕らの仲間でもいるんですけど、例えば鮎を釣りに行ったときに、ハエがたかって怒って捨てちゃったり、それも毛嫌いするように裏の薮の中に捨てるのは、ちょっと待てよっていう感じなんですけど。やっぱり魚は平等ですからね」 ●今、ちょっと力が入りましたね(笑)。 「僕も魚に好き嫌いはありますよ。でも鮎しかいない川って気持ち悪いですよ。いろんな魚がいる中から鮎を狙って釣るのが面白いわけですから」 ●長年釣りをなさっていて川とも接している中で、川はかなり傷んで変わってきていますか? 「ひどいですね。去年いい釣りをしたなと思っていた場所に行くと、もう淵がなくなっているケースが多くて、5年したらもう変わっちゃってるんですよ。多くはえん堤工事が入って、去年ここでイワナ釣ったよなーっていうところでも、サラサラの浅い流れになっていたりしますね。10年したらもっと変わりますね、えん堤やダム、護岸工事とかでね」 ●その中でも、やはり不必要な工事が多いですか? 「7割くらいはいらないですね。えん堤も機能するのは最初だけで、全部埋まってしまったら機能を果たさないですから。かえって危険なものになるんですね、まとめて土砂が落ちてきますから。えん堤はいつか壊れますから、逆にいつ壊すかとか、そういう問題も生じてくると思うんですね」 ●そういう意味では、今回第4回になりました「野田知佑ハモニカライヴ」なんですが、毎年行なわれて都会で川から離れてしまった人も触れられるキッカケがあるのはとてもいいことだと思うんですが。 「多分今日いらっしゃる方の多くは、自分でも行っている方が多いと思うんですね。でもその方達がもっといい場所を求めたり、あとは野田さんのハモニカを聴きたいというのもあって、フィールドに出ていくキッカケになればいいと思いますね」 夢枕さんは7月12日に公開される「手塚プロダクション」のアニメ映画『ぼくの孫悟空』で脚本を担当されたんですが、夢枕さんが最初に描いた「孫悟空」は手塚作品のイメージとは、かなりかけ離れていたようです。また、今年の夏はどうやら大きな予定があるようでした」 ●夢枕さんは『ぼくの孫悟空』という手塚プロダクションのアニメーションの脚本を担当されていらっしゃって、これのキッカケはどういうところからだったんですか? 「僕は西遊記が非常に好きで、子供の頃から読んでいたんですよ。もちろん、手塚治虫さんの『ぼくの孫悟空』はかなりのインパクトを与えてくれたんですね。玄奘三蔵が天竺までお経をとりにいったコースを3年くらいたどっていた時期があったんですよ。そんなことも手塚プロのどなたかが知っていて、声を掛けてくれたんじゃないかなと。 手塚治虫さんの『ぼくの孫悟空』がベースだったんですけど、それだったら俺が書く意味がないと思って、自由にやさせてもらう許可をもらって、かなり怖い孫悟空を書いたんですよ。宇宙の誕生から書いたんですね。そもそも宇宙はカオスというもので、それからこの天地が造られていきましたという話をふって、その天地創造に使われなかったカオスがこの世のあちこちに残っております、それが花果山の上に石の形で残っている。それに最初に触れた生命の形をとって、カオスがこの世に誕生してくるという設定を作って、その石に最初に触れた小猿がいて、その小猿の形から悟空が誕生するわけですよ、花果山の石から。にも関わらず、本来のカオスに戻るときがあるんですよ、悟空が。それは感情が高ぶったり、悲しいことがあったり、怒ったりしたときに怖い怖い孫悟空になって暴れ回るという設定にしたんですよ。非常にうまくいったと思っていたんですが、手塚プロ側の考えも入ってきて、基本的には映画なので怖い悟空よりは、子供が読んで親しめるカワイイ悟空になりましたね。全然違う孫悟空をやるわけにもいかないと思いますので」 ●夢枕さんはそのカオスからの孫悟空のお話や、陰陽師も描かれて、山岳小説『神々の山嶺』もそうですけど、モデルがあるんですか? 「モデルは森田勝さんという山で亡くなられた方がいるんですが、その方が 主人公の羽生丈二のモデルですね。モデルと言ってもそのまま書いているわけではなくて、僕の場合は羽生丈二という半生を森田さんの経歴になぞるような形で設定して、そのライバルに長谷常雄というのがあって、これは当然登山家の長谷川恒男さんがモデルになっていて、この二人のライバル関係を背景におきながら物語は進行しているわけです」 ●なるほど。夢枕さん御自身は、山登りとかは? 「僕はね、釣りと並行して山に登っていた時期があったんですよ。大学卒業して2~3年、25~26歳くらいまでは山人間だったんですが、なんで川になったのかというと、野田さんと会ってカヌーを覚えたということと、元々釣りが好きだったということ、あと体力がなくなったという、いくつかの理由で同じ時間があると川で釣りをするようになっちゃったんですね。今は3日、時間があると、川で釣りをしちゃうんですよ(笑)」 ●エベレストとかにも行かれたんですか? 「ええ、でも僕はベースキャンプまで行きまして、帰ってきましたけど」 ●今年は三浦雄一郎さんが登られましたよね。 「70歳で頂上まで行かれて、大変なことですよ。僕はベースキャンプまで行くだけでも息は切れるし、目はかすむし、散々な目に遭いましたけど。でも先輩として、歳をとってもそういうことをやっている人がいると思いながら自分の年齢を考えると、まだ大丈夫だなってホッとしますね。まだいろんなことができるんだなって。だから野田さんも僕より年上で、ジャイアント馬場さんと同じなんですけど(笑)すごくホッとするし、安心できますよね」 ●安心なさって、まだまだ次にやってみたいと思われていることって、ありますか? 「やりたいことはいっぱいあってね、この夏8月から9月にかけて野田さんとカナダのユーコン川の上流部分にいくんですよ。支流のビックサーモンリヴァーですね。カヌーをやってきます」 ●じゃあ、それに向けて? 「今は原稿と釣りでトレーニングは全然していないんですけど。川は漕がなくても勝手に動いていくので(笑)」 ●(笑)。じゃあ、お気を付けて行ってきて下さい。ありがとうございました。
○そんな方は、ぜひ「吉野川・東京の会」が毎年、阿波踊りの時期にあたる8月上旬に開催している「徳島ツアー」に参加していただきたいと思います。水がとても奇麗な吉野川でのキャンプや、水遊びはもちろん、阿波踊りに参加したり、美味しい食べ物を堪能したりと、盛りだくさんのこの「徳島ツアー」。 詳しい情報は、「吉野川・東京の会」までお問い合わせください。 E-MAIL:masukawa_kunihiro@ybb.ne.jp HP:http://www.mandala.ne.jp/yoshinogawa/ ○そして「吉野川」や「第十堰」のことをもっと詳しく知りたい、会員としてその活動をサポートしたいという方は、「NPO法人・吉野川みんなの会」までお問い合わせください。 TEL:088-657-0722 HP:http://www.daiju.ne.jp/
○お話にもあった山岳小説『神々の山嶺』コミック版は、現在5巻まで絶賛発売中です。集英社/定価1000円 ○また、陶芸にもハマッているという夢枕さん、素人4人の奮戦記をまとめた『陶素人(とうしろう)』という本も出していらっしゃいます。双葉社/定価1700円 詳しくは「夢枕獏」さんの公式ホームページをご覧ください。 http://www.digiadv.co.jp/baku/ 最初に戻る ON AIR曲目へ ゲストトークのリストへ ザ・フリントストーンのホームへ photos Copyright (C) 1992-2003 Kenji Kurihara All Rights Reserved. |