2003.11.30放送 ~若き旅人・石川直樹さんの“旅の神髄”に迫る~ ●石川さんは本当にあちこち旅をされているんですけど、そもそもが高校2年の夏休みに1人でインドとネパールに行かれたのが最初だったんですよね。何故行かれたんですか? 「中学生の時から青春18切符という各駅停車乗り放題の切符を使って、ホームで寝たりしながら日本を野宿してまわっていたんですよ。日本をまわっていてそろそろ世界にも行きたいなっていう時に、高校の世界史の先生がインドが好きで世界史の授業の時にインドの話をいっぱいしてくれたんですね。それにその先生はバックパッカーだったというのもあって『あ、インドって面白そうだな』と思い旅に出ました。もともとヨーロッパとかに行くよりはもうちょっと地を這うような旅をしたいなとずっと思っていたんですよ。その時、旅行記とかも色々読んでいて、インドの旅行記とかもいっぱい読んでいたんですね。それに先生からの生の話も凄く役立ちましたね」 ●じゃあ、すでに中学の時には放浪癖があったということなんですか? (笑) 「そうですね(笑)。放浪癖といえば放浪癖なんですけど、一人旅という事自体に憧れていたんですよね。野田知佑さんというカヌーのおじさんがいて、そのおじさんの本に『一人旅はいいぞ』的な事をいっぱい書いてあったんですね。要するに『前に進んでいて左へ進むのも右へ進むのも自分の決断だし、あるいは七難八苦が全て自分に振りかかってくるので、そういう旅を経験しておいた方がいい』ということを言っていて、『あ、その通りだな』と思って、ずっと1人で旅をすることに憧れていたんですよ」 ●そんな「野田おじさん」のところに弟子入りもなさっていますよね? 「そうですね。弟子入りというか一緒に過ごしていただけですけどね」 ●石川さんの凄いプロフィールを拝見する中で興味があったのが、ミクロネシアでの伝統的な航海術『スター・ナビゲーション』をマウ先生に教わっていて、この方って確かナイノア・トンプソンさんの師匠でもありますよね。マウ先生に教わったキッカケってなんだったんですか? 「マウ・ピアイルグとナイノア・トンプソンに関する本が日本で唯一、一冊だけ出ていて、その本『星の航海師』を読んで、作者の星川淳さんに出版社経由で連絡を入れて是非僕はマウ・ピアイルグという人に会って話を聞いてみたいということを伝えたら、今いるであろう場所を教えてくれて、もちろんアポイントメントも取れなかったんですけど、多分いるであろうサイパンのある村までとりあえず行ってみたんですね。そしたら偶然マウに会えたので弟子入りを志願したら『いいよ』と言われたんですよ」 ●どういうことを学ばれたんですか? 「ほとんど座学がメインで、最初はスター・コンパスといって星を丸い方位の中に32個配置するんですけど、そういう事から始まって星の覚え方ですね。二対にしたり四対にして覚えたり、そういう基本の事を教えてもらいましたね」 ●前にナイノア・トンプソンさんにお話をうかがったときに、マウさんからの最終試験だったのはハワイからタヒチの方に向かって『お前、タヒチが見えるか?』って訊かれて、その時に物理的には見えるはずもない所なのにナイノアさんは『見えます。心の中のタヒチがしっかりと見えます』って言ったらマウさんが『それだったら大丈夫だ』っていうのが最終試験だったらしいんですけど、石川さんの場合はどうでしたか? 「ナイノアの場合、全部分かって自分で航海もできる段階に入ってからヴィジョンとして『心の中に島が見えるか?』っていう事を言われたんだと思うんですね。僕の場合は最終も何もまだ100分の0.5位しか修得できていないので、座学プラスその一ヶ月間サイパンでマウに習って、日本に一回戻った後、一緒に実践航海をしたりサタワル島で一緒に暮らしたりとかそういう感じですね」 ●でも、星って居る場所によって見えなかったりすることが多いじゃないですか。特に日本の都内の空から見ても全然違うでしょうし、曇っているとかの天気は別としてもどんなに晴れていても見えてこない星の数だったりとか、年々環境汚染等の関係で見えなくなっていくっていう、そういう意味ではスター・ナビゲーションは時代とともに変化していってるんですかね? 「日本ではそうでしょうけど、ミクロネシアの上では見える星は一定していてそれは何故かというと、赤道の近くなので一つの座標を覚えていけば応用出来るんですよね。日本に来たらそれをずらしていけばいいんですけど、日本でほとんど星が見えないという状況でナビゲーションするのは難しいですね」 ●石川さんは2000年に「POLE TO POLE」という北極から南極までの旅をなさっていて、先頃、中央公論新社から『POLE TO POLE 極圏を繋ぐ風』という写真集を出されていて、場所によっては写真を見ているだけでも凄いですね。 「そうですね。北極とか南極は凄く鮮烈な印象を持っていますけども、1年をかけた長い旅でしたし、振り返ったら確かに苦しいこともありましたけど毎日凄く楽しかったですね」 ●8人の若者が集まった今回の旅なんですけど、石川さんはどういうキッカケで参加されたんですか? 「7カ国から8人の若者が集まって各国で選考委員会みたいなものが出来ていて、日本にも新聞記者の人や有名な登山家の人で構成された5人の選考委員の方がいるんです。その当時僕はマッキンリーに登ったりミクロネシアに行ったり、ユーコン川を下ったりというのを選考委員の1人の人が知って僕に声をかけて下さったんですよ。他に何人かいた中でたまたま僕を選んでくれたんです」 ●8人の中には女性も何人かいらっしゃったそうですが、長旅というのはどうでしたか? 「8人のうち男の人が5人で女の子が3人だったんですけど、同年代の19歳から26歳位までだったので、当然凄く喧嘩もするし、1年間も一緒なので色恋沙汰があったりとか色々あったんですけど、でも最終的には凄く色々な学びがあったしこんなに多様な顔触れで良かったなと思いましたね。だから食文化とかでも、例えば韓国のジェイという人と僕なんかはご飯を結構食べたがるんですけど、ヨーロッパの人達はスパゲッティーばかりとか、そういう事でくだらない喧嘩をした程度でしたね。家族以上に長くずっと一緒にいて、朝から晩まで『個』のスペースがないんですよ。たまに都市部ではホテルにも泊まりますけども、いつもテントで野宿だし本当に年がら年中ずっと一緒だったので色々な事がありましたね」 ●写真集に「ぼくは北極の海上を歩いている」と書いてありましたが、写真を拝見していると「これ、水の上だろ?! 」って思っちゃうんですけど。 「実際、海の上を氷が漂っていてその氷と氷がぶつかって乱氷帯が出来たりとか、北極と南極と言っても色々な違いがあったし、中でも北極は僕が一番キツかった場所なんですね。1ヶ月の間に7頭の白熊に会ったりという事があったので、凄く厳しいですが僕の一番好きな場所でもありますね」 ●このPOLE TO POLE の旅を終えてゴールに着いた瞬間、どんなお気持ちでしたか? 「月並みな言い方をすればやっと南極点まで来たんだということで感動はしましたけど、まだまだ行けるぞっていうか、やりたいことはたくさんあるし、その時は南極に1ヶ月位いましたけどまた南極にも行きたいなとも思いましたし、色々な気持ちが錯綜していましたね」 ●実際にはこのPOLE TO POLE のゴールラインを踏んだその後に、南極にそのまま残って世界最高峰の山々を登ってらっしゃるわけですから、ゴールというのは今から見れば一つの通過点だったんですかね。でも1年かけて北の果てから南の果てまで旅をしたら、ちょっとここらで休憩をしようかなというのはなかったんですか? 「ちょっと休憩をしたいなと思うことはありましたけど、休憩をするほど疲れていなかったし、南極にいられるっていう事だけで凄く嬉しかったし、滅多に来られない場所だったので、山にも登りたいし、まだまだ帰らずに旅を続けたいという気持ちの方が強かったんですよね」 ●石川さんは『大地という名の食卓』という本も出していらっしゃるんですが、食べることって旅人としては「その地のものを食べて初めてその地に溶け込むというか、その地を知る」という人もいるし、「旅をしている中で現地の人が食べているものを食べていると、その場では健康のためにも凄く元気でいられるんだ。その地のものを食べるのが一番いいんだ。」とおっしゃる方もいらっしゃいますし、石川さんの場合はどうですか? 「僕の場合、旅の姿勢は『郷に入っては郷に従え』というのが基本なので、もちろん現地のものを食べるし、環境が凄く厳しい場所だったら生きる事と食べる事はほとんど直結していると思うんです。生きるためには食べなくてはならないからおいしいもまずいも言っていられないので、そこにあるものを食べられるだけで幸せだっていう事ですよね」 ●『大地という名の食卓』という本の中でもPOLE TO POLE の時の食事の話も出ていますけれども、極地では軽いというのと簡単だというのでオートミールがメインディッシュならぬ「メインミール」になっていて、これはちょっと辛かったみたいですね(笑)。 「本当に気持ち悪くなるほど詰めましたね(笑)。でもまずい食べ物ではないんですよ。何も味付けをしなかったらまずいですけど、ココアを入れたり砂糖を入れたりバターを入れたりしておいしくして食べているので、最初の二口、三口は物凄くおいしいんですけど、寒さをしのぐためにカロリーがどんどん吹っ飛んでいくんですよね。だから無理矢理喉から出る位に食べなくてはいけない。そういう嫌なことはありましたけども(笑)、些細な事ですよね」 ●あと、面白かったのが真っ赤なゼリーをデザートにと石川さんが作ったんですけども、寒い外に置きすぎていて、「デザートにゼリーがあるよ」ってメンバーみんなが喜んだのに、出てみたらカッチンコッチンになっていて食べられなかったっていう・・・(笑)。 「そうですね(笑)。冷蔵庫より寒かったっていう事ですかね。プルプルのゼリーが出来上がったらすごく良かったんですけどね(笑)」 ●期待した分、ガッカリというのも大きかったんじゃないですか? 「大きかったですね。プルプルを期待して触ってみたらカチコチですからね(笑)」 ●最終的には石川さんが全部トロトロにして・・・。 「飲んだんですよね(笑)。甘くてカロリーもあるので無駄には出来ないですからね。」 ●旅のもう一つの楽しみの、現地の人々との触れあいで何か思い出に残っている事ってありますか? 「たくさんありますからね。う~ん・・・」(と考え込む石川さん) ●場所にもよるでしょうけど、基本的に旅人には親切だってよく言うじゃないですか。 「いやもう、限りなく色々な親切を受けてきましたよね。北極ではイヌイットの青年と仲良くなって毎日の生活の話を聞いたりしたんですけど、彼らは物凄くて、僕達が凄く寒くて三重の手袋をしても『寒い寒い』って言っているような時に、素手になって荷造りのロープをグイグイやっているんですよね。そういうのを見て彼らは本当に強いんだなと思って、それは肉体的にも精神的にもそうですけど、人間が元々持っていた野性をまだ持っているんだなあと思って、凄く尊敬しましたね」 ●そういう場所場所っていうのは何がキッカケで『ここに行きたい』とか『あっ、ここだ』と思うんですか? その都度ですかね? 「いや、その都度というか、人から話を聞いたり本を読んだりすると『ああ、行きたいなあ』とか思いません?(笑)」 ●まあ、思いますけどね(笑)。実際にそこに行ってしまうまでっていうのが「本当に行きたいのかな」じゃあダメですしね。まだそこまで踏み込めない自分というのが「でも、仕事しないとな」とか「それだけ休みとって行っちゃったら帰ってきてから仕事が無くなっちゃうかもしれないな」とか「行くために頑張ってバイトでもしながらお金を貯めないといけないし」、「旦那がいるしな」とか色々な後ろ髪というか理由をつけて行っていないんですよね。 「じゃあ、本当に行きたいレベルがMAXに達していないんでしょうね。僕は元々突撃型の性格をしているというのもあるんですけど(笑)、もう本当に行きたいというレベルに達すると後ろを見ずに、どんどん突き進んでいっちゃうと思うんですよね」 ●石川さんの場合、本当に行きたいという場所が本当にたくさんあるっていう事ですね? 「そうですね。行っていない場所とか変な場所、違う環境に身を置いてみたいなというのは凄く思いますね」 ●色々な所を旅されて、色々な経験をなさっている石川さんなんですが、石川さんの場合は山、海、地球全部がフィールドっていう感じじゃないですか。例えば野田知佑さんだったらカヌーイストで、川やカヌーがメインで、野口健さんだったら登山家、登山がメインという感じがあるんですけど、石川さんの場合って今回は「旅人」という紹介の仕方をさせていただいているんですけど、移動手段や行く場所は様々ですよね。 「例えばクライマーだったら凄い壁を登っている時にアドレナリンが出て快感を覚えたりするかもしれないですけど、僕の場合は全て、そういう技術はどこかへ向かうための手段であって、僕は旅を楽しんでいるというかただ単に色々な場所に行きたくてその過程でカヌーが必要だからカヌーを使ったり、山登りの技術が必要だから山登りの勉強をしたりという感じなので、別に山登りでも凄く難しいルートから登ってやろうとかはあまり思わないし、要するにただ自分の目でその場所を見てみたいし、自分の身体でその場所の感覚を感じ取りたいという気持ちが凄く強いのでやっているわけなんですよね。だから僕の中では山も川も海も空も全然境界が無くて行きたい場所に行くっていうことなんです。冒険家といったって僕はそういう極地や辺境の地って確かに好きですけど、今はただ興味があるだけで、あと2年位したら興味が無くなって、例えば役者になりたいとか思っていきなり芝居の勉強をし始めるかもしれないし、絵描きになりたいと思うかもしれないし、ただ今興味を持っていることが、あまり人がいない場所に行って自分の目で見て自分の身体で感じる事だってだけですよね」 ●この間、モンベルのトークショーの中でもおっしゃっていたんですが、熱気球にチャレンジしたいというか、次は旅をしたいというお話をされてましたけど、これは何故ですか? 「色々と海を旅したり山を旅したり陸地を自転車で走ってきて僕はずっと宇宙に行きたいと思っていて、月の山に登りたいんですよ。月面の写真集があってそれを見たら凄く良い山があるんですよ。登ったら面白そうな宇宙に続いている坂道があったんですけど、そこを登ってみたいと思ったんですよね。地球を外からも見てみたいし、いきなり月の山も登るというのも無理な話なんですけど、それまでに段階を踏んで空も旅したいなと思って、空を旅する為の色々な良い道具を思い描いていたんですけど、パラグライダーやハングライダーは揚力なので地面に落ちてしまう。でも気球だったらある程度旅が長く続けられると思って、今、熱気球をずっとやっていて風を読んだりとか気象条件を把握したりとかそんな感じで気球を熱心にやっているんですよね」 ●気球は資格とか必要なんですか? 「一応ライセンスがあります。3ヶ月位気球に乗ってとるんですよ」 ●それをマスターするとさらにスター・ナビゲーションへもいい感じで繋がるという見通しもありますか? 「まあ、星はいっぱい見えるでしょうけどね。あと気象のことに関しては凄くためになりますよね。色々な所で応用が利くと思います」 ●熱気球での最初の旅はどこへ行きたいですか? 「今はずっと日本国内でやっていて、正式に発表するのはまだなんですけど、1月に大きな遠征を考えていて長い旅をしたいなと思っています」 ●じゃあ、しばらくはまだ旅というものに興味を持ち、そこに進んでいくっていう感じですかね? 「まだ見ていない場所も行っていない場所もたくさんありますし、やってみたいこともたくさんあるし、そういうのをやりながら自分なりに写真とか文章などで表現していけたらなと思っています」 ●石川さんにとっての旅というのはまだまだ続きそうなんですけど、1月のその大きな遠征を終わられたらまた番組でお土産話を聞かせていただけますか? 「是非、話させて下さい」 ●今日はどうもありがとうございました。 「ありがとうございます」
◎『POLE TO POLE 極圏を繋ぐ風』 中央公論新社/本体価格3,800円 ・石川直樹さんが2000年に「ポール・トゥ・ポール・プロジェクト」に日本代表として参加し、世界7ヶ国の若者と9ヶ月かけて北磁極から南極点を徒歩、スキー、自転車、カヤックなど、人力で踏破された時に撮りためた膨大な数の写真からセレクトされ、構成された、石川さん初の写真集。 ◎『大地という名の食卓』 数研出版/本体価格1,300円 ・旅の記憶を「食」という視点で描いた写真エッセイ集。インドのカレー、アラスカのイクラ丼、北極のオートミールなど、全部で6編のエッセイが写真とともに掲載されています。 ・石川さんは“地球と人をながもちさせるエコマガジン”『ソトコト』で『大地に生きる人々』という記事を連載中です。こちらもぜひチェックしてください。また石川さんのホームページもご覧下さい。アドレスはhttp://www.straightree.com/です。 最初に戻る ON AIR曲目へ ゲストトークのリストへ ザ・フリントストーンのホームへ photos Copyright (C) 1992-2003 Kenji Kurihara All Rights Reserved. |