2004年2月29日
冒険家・石川仁さんのカムナ葦船プロジェクト
今週のベイエフエム、ザ・フリントストーンのゲストは石川仁(いしかわ・じん)さんです。
河原に生える植物、葦(あし)を束ねて葦船(あしぶね)を作り、太平日本で葦船を建造し、大航海を行なう「カムナ葦船プロジェクト」を立ち上げました。壮大な計画を進める石川さんに計画の具体的な内容や、日本で行なっている葦船学校のことなどうかがいました。
“リンゴがコロコロ”が 石川さんの原点
●石川さんは大学生のときに休日を利用してアメリカやヨーロッパ、インドにアフリカと色々なところを旅されて、そこから全てが始まった感じですか?
「そうですね。そこから旅人生が始まりました。最初のアメリカへはホームステイのツアーで1週間くらい行きました。1人じゃ怖かったので(笑)。その時に自分の中で作り上げてきた国境が崩れて『あっ、外国も日本も何も変わらないな』ということに気付いたんです。ホームステイしていたところのお母さんが自分の子供に『あんたは散らかしてばかりで本当に・・・』って言っていて、『俺が子供の頃に言われていたことと同じだ』と思って(笑)、次は他のところも見てみようと思って旅が始まったんです」
●そのあとはホームステイという形ではなくて・・・。
「その次はバックパッカーとして『今度は1人でどこでも行ってやる!』みたいな感じでしたね」
●石川さんのホームページを読むと「地図もガイドブックも読まない」と書いてあったんですが、そうなんですか?
「はい。アメリカに行ったあとヨーロッパに行ったんですよ。その時に冷蔵庫みたいなバックパックを背負っているでしょ。辞書やお湯沸かし器とか学校の宿題が入った・・・(笑)」
●そうか、まだ学生さんだから・・・(笑)。
「そうそう(笑)。ガイドブックを持って『ああだ、こうだ』とやっていたんだけど、そのヨーロッパの旅の最後にたまたま荷物がなくなったことがあるんですよ」
●えっ・・・?
「大事な大事な全財産がなくなったんです。ギリシャからスペインに飛んで、空港についたときに荷物が出て来なくて、どこにいったのかも分からないし、お金も荷物の中に入れっぱなしだったので無一文で放り出されちゃったんです。その時に地元の人達にすごく良くしてもらったんですよ。ハーモニカを吹いているような黒人の人がいて、その人は足が悪くてギブスをしていたんですが、街角で吹いていたんです。たまたま僕のポケットにもハーモニカが入っていたので一緒に吹いたりしたんですが、お金が貯まってくると『仁、お前ご飯でも買ってこい』って言われたりしました」
●荷物をなくしたことで逆に新たな旅の展開を生んだんですね。
「そうですね。夜、寝るときに『ウチに泊めたいんだけど泊められないから、寝袋を貸してあげるから地下鉄の構内で寝なさい』って言ってくれたので、『ありがとう』って言って地下鉄の構内に入っていくと、縦列駐車のように寝ている人がたくさんいたので、空いているところを見つけて入って寝袋をパッと広げたら、リンゴとパンと缶詰めとともに『朝飯に食えよ』っていう手紙が入っていて、リンゴがコロコロと転がっていったんですけど、嬉しかったですね」
●いい旅ですねー。
「荷物がなくなって大変でしたが、それがあったからリンゴにも繋がったわけでしょ。そのときに旅っていいなと思いましたね」
●さらなる旅路への後押しになりましたね。
「リンゴが転がっていったのが今の僕の原点かもしれないね」
●石川さんはペルーでクスコに住んで観光ガイドもしていたんですよね。ただの旅人じゃなくなったんですね。
「旅人じゃなくなったというよりはお金がなくなったんですね(笑)。アメリカから入ってバスでメキシコから中米を回って南米に入って、コロンビアでジャングルの川下りをしてペルーに着いたころは、全財産で40ドルしか持っていなかったんですよ。どうしようかと思っていたんですが、クスコに行けば観光ガイドができると聞いていたので行ってみたんです。でも何の知識もないのですぐに仕事はできないじゃないですか。現地の人にも仕事はないと言われたんですが、少しづつ勉強してそのうちにガイドができるようになったんですが、チチカカ湖で葦船というものに出会うんです。浮島っていう葦が群生しているところに、葦の家を建てて暮らしているという人達がいるんです。そこに行って住ませてもらって、葦船の作り方を教わったんです」
●葦船って生えている葦ですよね?
「そうです。水辺に生えている葦があるんですが、それを束ねて船にするんです」
●それで沈まずにちゃんと走るんですか?
「走りますよ。草って一本でも浮くじゃないですか。それを束ねると人が乗れるようになるんですよ。草の船だから『なんなのこれ?!』っていう感じなんだけど(笑)、乗ってみるとすごく安定感があるんですよ。どうして安定感があるのかというと草なので下から水を吸うんですよね。そうするとダルマと同じように水に濡れている部分が重くなるので、安定感がでるんですよね。下の方が重いんです」
●いい感じに吸ってくれるんですね?
「そうです。面白いのが葦という草は水を吸うと1.5倍に膨張するんですよね。だから船の濡れた部分っていうのが1.5倍に膨張しますから、ロープが食い込むほど締まるんですよ。逆に水が入りにくくなってくるので、ちょっと濡れたくらいの方が防水性も高まるんです」
●画期的ですねー。
「安定もしますしね。友達が防水加工をすればもっと持つんじゃないかと言うんだけど、それが逆で濡れて膨張して重くなったほうが安定性がでるという、理にかなった船なんです」
世界初!半分になった船での航海!
●チチカカ湖で葦船に出会った石川さん、葦船にハマってしまいましたね?(笑)
「そうですね(笑)。一番最初に葦船に出会ったのが10年前ですからね。10年間は葦船一直線って感じですね(笑)」
●葦船って歴史が古いんですか?
「歴史的に一番古い証拠品というのは、エジプトの壁画の中に紀元前4000年、今から6000年くらい前にすでにパピルスという草を束ねた船の壁画が残っているんですよ。少なくとも6000年前には草の船、葦の船があったということになるんですね」
●日本は自然が豊かということを考えると、日本にも葦船や草船ってなかったんですか?
「日本の中だと、例えば古事記や日本書紀ってあるじゃないですか。その最初の頃に伊耶那岐神(いざなきしん)と伊耶那美神(いざなみしん)というのがいて、二人が出会って一番最初に生まれた神様が水蛭子命(ひるこのみこと)といいまして、その神様は葦船に乗って流されるというくだりがあるんですが、内容は別にしても葦船という単語が古事記や日本書紀ですでに使われていたんです。それも神話として残っているので、日本でも古くから葦船というものがあったと考えられます」
●じゃあ、歴史的には日本人のルーツ的なところで葦船は存在していたんですね?
「そうですね。古事記もそうですし、例えば秋田県の秋田市には葦船をお神輿にして、20基くらいで町内を練り歩くという神社があったり、日本海側だと灯籠流しのときに草を束ねた船を造って、そこに供物を載せてご先祖様にということで流したりもしますし、高知県の方では仁淀川という川では川漁師さんが草や葦を束ねて船を造って、それで漁をしていたという話もあります」
●日本人にとってゆかりのある船なんですね。石川さんはイースター島で大型の葦船造りにも参加しているんですよね?
「はい。大型のものを3艘造りました」
●大型のものってどれくらいの大きさなんですか?
「30mくらいの葦船です。昔のわら納豆ってあるじゃないですか。ああいう感じに草を束ねて2つくっつけて、前後の部分を上へキュッとあげて三日月型にするんです。その長さは30m、幅は4.5m、高さが3mくらいですね」
●それは何人くらい乗れるんですか?
「それは10人乗って航海しました」
●実際に石川さんは乗られたわけですが、乗り心地はいかがですか?
「乗り心地は最高ですね(笑)。面白いのが、普通の船はうねりや波が来たときに波を上がって下りますよね。船自体は硬いのでシーソーのように越えたときはバタンと下りてきますよね。でも葦船はすごく柔軟性があるんですよ。だから波が来ると尺取り虫みたいに波を吸収して“く”の字に曲がって下りていくんですよね」
●(笑)。でもそれって大波が来たときに怖いですよね?
「そんなにフニャフニャではないですけど、逆にしなるということで強度にもなっているんですよ」
●じゃあ、海が荒れているときは木で造った船よりもいいんですか?
「ええ、安定して揺れが少ないんですよ」
●その大型の葦船でどのくらいの期間、航海されたんですか?
「僕がマタランギ2号に乗ったときは、南米からポリネシアのマルケサス諸島というところまで行ったんですが、それが88日間、約3ヶ月間の航海でしたね」
●これは帆を立てて風で進むんですか?
「風と海流に乗って進みます」
●葦船で旅をしていたときの一番のトラブルってなんですか?
「実は、30mの船がいつも真ん中でしなっていたので、2ヶ月半くらい経ったときに真ん中の部分を縛っているロープが切れ始めまして、その船が半分になってしまったんですよ(笑)」
●(笑)。航海中にですか?
「はい、海の真ん中で(笑)。船の真ん中のところでロープが切れて2つに割れてしまったんですよ(笑)。でも草の束なので半分になっても3分の1になっても浮いているんですよ。で、仕方がないから真ん中のところで切り取って、船首は捨てて、小屋のあるところへ移って船尾の部分を前にして帆を逆に張って、2週間航海したということがありました。もちろん舵はありませんでした」
●でも自然素材ですからそのまま海に流しても大丈夫ですね(笑)。
「ええ(笑)。だから『世界初!半分になった船で航海!』ですよね(笑)。あれは本当にビックリしましたね。しかも半分になったらスピードが出ましてね(笑)。『こりゃ、いいな』と思って、『最初から半分にしとけば良かったね』っていう話も出たくらいです(笑)。小さくなった分、安定性も良くなったんです」
●葦船は応用が利くんですね。
「そう。ただ舵がなかったので、というのは後ろの部分に舵がついていたでしょ。それを前に持ってきたので、舵が利かなくなるので切り落としたんですよ。そこでどうしたかというと、帆の角度だけで進もうと思ったんだけど、そんなことはできないので、成すがまま風の吹くままに流されていたんですが、なぜか目的地としていたマルケサス諸島に一直線に着いたんですよね。それこそ角度が1度、2度ずれたらその島を通りすぎて何百キロ、何千キロって行かなくちゃならないじゃないですか。あの時は運ばれたという感じがしましたよね。自然に意志があるかどうかは置いといても、360度のうち1度に向かってちゃんと着きましたからね。お見事っていう感じでしたよ」
葦船はタイム・マシ-ン
●石川さんは「カムナ葦船プロジェクト」というのを立ち上げていますが、これはどういうプロジェクトなんですか?
「これは葦船の航海実験、ノルウェーのトール・ヘイエルダール博士とかスペインのキティン・ムニョスさんという先人の方々は、葦船での航海で古代人の海洋民族達が移動していたという証明を唱えていたんですが、僕等はそれだけに留まらずに環境問題についても取り組んでいきたいという思いで、新たに日本で立ち上げたんです。葦船での太平洋横断という目的もあるんですけど、それだけではなくて水をキレイにする植物で造った船ということで、子供さんや大人の方と一緒に船を作って遊びながらでも、水環境を考える機会を提供できればいいなと考えております」
●もう試作の船も造っているんですよね?
「はい。去年は15艘くらい造りました」
●石川さんは葦船学校というのも開校されていて、そちらで葦船の作り方も教えているんですよね?
「そうですね。そんなに作り方は複雑ではなくて、3つの大きな束をロープで螺旋状に巻いていくというものなんですけど、大体2日くらいでできます」
●2日でできちゃうんですか?
「2日間で5mの2人乗りの葦船カヌーができます。1回造れば造り方はわかりますので、そのあとはご自分で葦を刈って毎年でも造っていただくといいと思います」
●ということは、葦が生えているところに行けば、その場で造って「この川下ろうか」って言ってすぐに乗れるわけですね。
「そうです。今の感覚だとカヌーやパドルを買って乗ろうとしますけど、葦船の造り方を覚えるとロープさえあれば、葦を刈って括ってそのまま川遊びが簡単にできますよね。それは海でも川でも同じです」
●「カムナ葦船プロジェクト」はミニ航海をされてから、太平洋横断をされるんですよね?
「そうです。先程言いましたように船が半分に割れちゃったじゃないですか。それは南太平洋で起こったことなのでまだ良かったんですが、北太平洋は低気圧の通り道なのでもっと海が荒れるんですよ。だから今まで造った船では強度が足りないんですよ。なのでもっと芯の部分に竹を入れたり、色々な工夫をして船体のフォームなども考えながら、もっと強くて機能的な葦船を確立したあとで渡ろうというのが僕等の計画なんです」
●最終的には「カムナ号」で太平洋を横断するんですね。これに乗り込むクルーなどは決まっているのですか?
「いや、クルーに関してはまだ決まってないです。早くても来年か再来年になるので候補は何人かいるんですけど、追い追い決めていこうと思っています」
●石川さんにとって旅、そして葦船の魅力ってなんですか?
「僕は葦船をタイム・マシーンだと思っているんです。というのは葦船に乗っていると自分の中に日付がなくなってしまうんですよ。見渡すものは水平線しかないじゃないですか。そうすると今の時代が縄文時代なのか、それとも西暦2004年なのかという違いはどこにもないんですよね。見上げても葦船ですし、帆を張ってバタバタってなっているじゃないですか。そうすると自分の気持ちの中もだんだん海の人間の心に変わっていくんですよね」
●じゃあ、フリントストーンもいずれマイ葦船を造って、ミニ航海ができればなと思っているので、その時は是非教えてくださいね。
「風が強いとまた沖に流されて、うっかりするとサンフランシスコ辺りに着いているかもしれないですよ(笑)」
●それはそれでまたいいかなみたいな(笑)。私達もいずれ葦船学校の方にお邪魔させていただきたいと思います。
「関東の方でも葦の調達ができそうなので、今年の夏から来年に向かってたくさんの葦船学校を展開していくと思いますので、是非いらしてください」
●今日はどうもありがとうございました。
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