2006年7月2日

串崎吉光さん・文子さんの「千葉から鹿児島へ夫婦歩き旅」

今週のベイエフエム/ザ・フリントストーンのゲストは串崎吉光さん・文子さんです。
串崎吉光さん・文子さん

 千葉県八千代市から実家がある鹿児島まで徒歩で旅をされた「串崎吉光(よしみつ)」さん「文子(ふみこ)」さんご夫妻をお迎えし、歩いてふるさとに行こうと思ったきっかけや、家族の反応、そして、夫婦らしい旅のエピソードなどうかがいます。

人生の永久保存版にと始めた歩き旅

『千葉から鹿児島へ夫婦歩き旅』

●『千葉から鹿児島へ夫婦歩き旅』というご本を出されて、実際に千葉県八千代市から鹿児島のご実家の内之浦まで歩かれたのがちょうど2年前になりますね。

吉光さん「そうですね」

●そもそも、鹿児島まで歩こうと思われたきっかけは何だったんですか?

吉光さん「私は団塊の世代の一人なんですけど、長年、繊維メーカーに勤めておりまして、その間インドネシアとか韓国、台湾などの長期の単身赴任を経験したんですけど、一部、家庭を犠牲にしながらひたすら働いてきたという年代です。そういう留守の間に看護士で働いている妻に二人の娘の子育てとか、進学までも任せっきりだったんですね。共働きでいつもすれ違いだったということを反省しまして、まず共通の趣味を持とうということで、ウォーキングを始めたんです。私の退職をきっかけにしまして、セカンド・ライフを見直してみようということで、故郷の鹿児島までの歩き旅を計画したんです」

●でも、ウォーキングを趣味と考えると、目的地の鹿児島って果てしなく遠いなって思ってしまうんですけど、二人とも「よし、行こう!」という感じだったんですか?

吉光さん「そうですね。私は、よもやこういうことになるとは思ってなかったんですけど、言いだしっぺは女房の方なんです。佐原市にある伊能忠敬記念館を訪問したときなんです。彼は55歳で日本測量の旅に出まして、江戸を発って蝦夷地(今の北海道)へと向かったんですけど、17年もかけて日本全国を測量して歩いたんですね。その伊能忠敬の銅像の前で闘志が湧いたんでしょうかね(笑)、妻が突然言い出したんです。『我々の人生の永久保存版に何かしよう』ということで、『故郷の鹿児島まで歩こうじゃない!』と言い出したんですね」

●奥さん、大胆なことを!(笑)

文子さん「(笑)。実は、伊能忠敬記念館の前に、近くの民族資料館に行ったんですね。そこで昔の人が四国まで徒歩と船で旅行したっていうのを見まして、惹きつけられるものがありまして、『ひょっとしたら自分達にもできるんじゃないかな』と思ったんです」

●そうやってスタートした鹿児島までの歩き旅なんですけど、78日間で計1800キロ歩いたそうですね。その旅の中でもいくつかの決め事があったそうですね。

文子さん「ええ。それは子供達と相談して決めて、まずは、安全第一。私達が寝袋を用意していたものですから、子供達からは反対されて(笑)、宿で泊まるようにということで、それが安全第一かな」

吉光さん「もうひとつあったよね?」

文子さん「支え合いです」

●ご本の中でもうひとつ、私の印象に残った言葉が「BE AMBIOUS」なんです。旅の途中で「こんなにしんどいのに、どうして歩いて旅をするの?」って聞かれたときのご主人の答えが「BE AMBIOUS」。

吉光さん「ええ。雨の中をコンビニに入ったときに、若い学生さんでしょうかね。『この雨の中を、どうしてこういうことをするの? 考えられない』と言われたんですね。そのときに私がキザに『BE AMBIOUS!』と叫んだんですよ(笑)。そしたら、『カッコいいー!』と言われたんですよ。たまたまその時、TOKIOの歌で『AMBITIOUS JAPAN !』という歌があったんですね。新幹線にも『AMBITIOUS JAPAN !』と書いてあって、我々が歩いているとあっという間に通り過ぎていくんですよ。『BOYS BE AMBITIOUS』という言葉を小学生か中学生のときに学んだことを思い出して、歩くときも常に『BE AMBIOUS! BE AMBIOUS!』と言いながら歩いていたんです(笑)。コンビニで言ったときに若者にウケたものですから(笑)、それを若い子達とすれ違うときにキザに『BE AMBIOUS!』と言っていたんです(笑)」

●1回ウケちゃうとどうしても使いたくなっちゃいますもんね(笑)。

吉光さん「もともと私の好きな言葉でもありましたからね」

家族の支え合いがあってできた歩き旅

●旅の中で奥さんからビシッと「旅人はルールとマナーでしょ!」と言われる場面もあったそうですね?

文子さん「ええ。さった峠(静岡県庵原郡にある峠)でのことですよね?」

吉光さん「そうだね。さった峠がかなりきつかったんですよね。そこに甘夏ミカンがいっぱいなっていたんですよ。しかも、いくつか落ちているんですね。うだるような暑さで喉が渇いていますし、甘夏ミカンにいくらでも手が届くんですよ。誰もいないですし(笑)。で、ふと取ろうとしたら『ダメだ!』て言うんですね。で、『旅人はルールとマナーでしょ!』って言うから、私も『いい格好するなよ』って言ったんですよ(笑)。『落ちているじゃないの』って。でも、『取ったらいかん!』って言うんですね。『黙って取るのはダメだ』と言うものですから、喉が渇きましてね」

●下に落ちているのもだめだったんですか?

吉光さん「まだ食べられるものもあったんですけどね(笑)。峠の頂上まで行ったら、3つか4つで100円っていうのがあったんですよ。でも、意地でも買わずにそのまま歩いたんですけどね(笑)。実は母校で講演を依頼されましたので、この話をしたんですよ。で、子供達が熱心に聞いてくれて、終わってから帰るときに、小学校低学年くらいの子が後ろから『おじちゃーん! ルールとマナーを守って歩こうねー!』って言うんですよ(笑)。やっぱり子供達は熱心に聞いてくれていたんだなと思うと嬉しかったですね」

●今回の旅でハプニングがあって、一旦帰らなければいけない大きな事件もありましたね。お家が空き巣にあってしまったんですよね。

吉光さん「そうなんですよ。それも、歩いて21日目の名古屋の熱田神宮に辿り着いた時だったんです。ここは、私達が江南市で勤務していまして、そこで結婚をして長女が生まれて、お宮参りをした場所なんですね。懐かしの熱田神宮まで歩いてきまして、お賽銭を投げて、旅の安全と留守の無事を祈って、その夜、コンビニで買った弁当をビジネス・ホテルで広げて食べようとしていたら携帯電話が鳴ったんですね。出てみると娘からで『お父さん! 空き巣にやられた! 窓ガラスも割られて、現金も盗られてる。今、110番して警察がこっちへ向かっているところだから、後でまた、かけるね!』と言って電話を切ったんですね。で、2人ともビックリして、私は『あの熱田神宮のお参りはどうしたんだ! 賽銭返せ!』って言うくらいに(笑)、心配でカリカリきてたんですね」

●でも、ご家族が無事だったからよかったんですけど、そんな事件が起きて、一旦、旅が中断してしまうと、旅を再開するのってどうしても腰が重くなっちゃいますよね。

吉光さん「そうですね。でも、娘達が『お父さん、お母さんの夢を達成してください。ピンチはチャンスだよ』って言ってくれたんです」

●素敵なお嬢さんたち!

吉光さん「それで再出発することになったんです」

●そういう意味では今回の歩き旅はご家族全員の本当の支え合いの旅で終わったっていう感じですね。

吉光さん「そうですね。つくづく家族の絆や支え合いが大事だなぁと、旅をしてみて、踏破してみて思いましたね」

九州男児の意地!

●今回の旅のご本を読ませていただいても、色々な名所も廻られているので、千葉から鹿児島までの観光ガイドにもなるようなご本だなぁって感じたんですけど、それも旅を計画されたときに「こういうところを廻ろう」って決めて廻ったルートだったんですか?

文子さん「最初、行きたいなと思ったところは、山口県の錦帯橋なんです。行く何ヶ月か前に補修工事が終わったというのをテレビで見まして、是非行きたいなと思っていたのと、あとは愛知花博でしたっけ?」

吉光さん「浜松浜名湖花博とかっていうイベントがありましたですね。何度も舌噛みそうになりました(笑)」

●早口言葉みたいですね(笑)。

文子さん「本当ですね(笑)。あとは、原爆ドームとか、宮島の厳島神社は最初から行こうと計画していました」

吉光さん「そうだね。東海道400年の歴史をこの旅で知りましたし、本にも書いていますけど、我々は地元が九州の鹿児島ということで生麦事件の跡とか、熊本の“西南の役”での西郷隆盛がそこでやられたという場所も廻りました。かつては西郷さんは官軍だったんですけど、その田原坂での決戦の時には賊軍になってしまっているんですね。で、そこで敗れて城山へ帰って『もう、ここでよか』って言って割腹したという田原坂のところでは2人ぼっちだったものですから、帰りが怖くてさびしくてですね(笑)、あれは今でも忘れませんが2人で逃げるように下りて帰ったような気がします。『西郷さんもああやって逃げて帰ってきたのかなぁ』って思った田原坂もありますし、旅をした後にまた本を読んだり、図書館で調べたり、インターネットで調べたり、これもまた懐かしく、非常に楽しかったですね」

●旅の終盤では弟さんが途中まで見に来たりしたそうですが、78日かけてたどり着いたご実家では皆さんが家の前で手を振りながら待っていてくれたそうですね。そのときはどんなお気持ちでしたか?

吉光さん「故郷がどんどん近づいてきて、内之浦のロケット基地が見えてきたんですね。で、それからいよいよ携帯電話が繋がらなくなってきたんですね(笑)。携帯電話が繋がらないくらいに、深い山の中と海に囲まれた偉大なる僻地が私の生まれた大好きな田舎なんです。そこまで来た。そうしているうちに今度は神戸、大阪から弟達が、子供達は羽田から飛行機で飛んできて待っているんですよね。『まぁ、歩くというのは遅いねー』というような感じで(笑)、車で何回も見に来るんですよ。で、家のほうで何か仕掛けているんじゃないかという気はしたんですけど、何回も見に来て『まだ来んのか? まだ来んのか?』という感じなんですね。私はそのときに頭の中で『ゴールをしても、両親がチラッと見えてくる、兄弟も見えている。子供達の前では絶対に泣かんぞ!』と思っていたんですね。俺は九州男児だから、戦争へ行っている親父の涙は見たことがないんですね。なので『泣かないぞ! 泣かないぞ!』と言いながら歩いていました」

文子さん「私は『到着したらどんな気持ちになるんだろう?』って自分に問いかけながら歩いていまして、泣くとか泣かないとかそういった感じではなかったですね(笑)」

●女性は強いですね!(笑) でも、そこはご主人の実家ですからね(笑)。嫁の立場としてはね。私もその気持ちは分かります(笑)。でも、そこに娘さんたちが待ってらっしゃったじゃないですか? やっぱり自分の子供達の顔を見ると、ちょっとグッと来るんじゃないですか?

文子さん「そうですね。留守宅で色々あったのでホッとしましたよね」

●冷めた奥様と熱い旦那様でうまくバランスが取れているんですね(笑)。でもご主人、そのときに涙を流さなくてよかったですね。

吉光さん「実はね、もう準備していたんです。汗をかくから帽子の下にタオルをかぶっていたので、汗を拭くフリをして拭きました(笑)。お袋は、黙って内緒で来た私達を『よく2人で頑張った!』と言ってくれたんですよ。握手をしたときに汗を拭くフリをして、ちょっと拭きましたです(笑)」

●九州男児の意地を見せたんですね!(笑)

吉光さん「汗を拭きましたですよ(笑)」

次の目標は宗谷岬

●今、振り返れば、本当に最高の78日間だったんじゃないですか? 歩いているときは喧嘩や口論もあったでしょうけど、振り返ると、こんなに夫婦一緒に濃い時間を過ごしてたくさんの思い出を作った時間というのも、もしかしたらそんなにないんじゃないかなって思いました。今、振り返ってみてどうですか?

吉光さん「実は『どこまで続くだろう?』って思っていたんですけど(笑)、2人で歩いている、そして故郷というすごい引力へ向かっていくときに、途中、やっぱりかなりつらいんですね。足にまめはできるし、日射病になりそうだし、雷は怖いし、台風へ向かっていくようなときもありましたけど、やっぱり2人で歩くと、どっちかで支え合っているということが、歩いてみてつくづく感じましたね。2人ぼっちですので、そのときに支え合いというのが大事なんだなと、経験してみて私は思いましたね」

文子さん「私1人だったら、できなかったことですよね。毎日、地図を広げて、翌日のルートを確認したりしてくれましたので、それについていったような感じですから、私は1人ではできなかったなぁと思いますね」

吉光さん「もし、私1人だったら、トンネルを通るときも彼女に言ったんですよ。別に記録を作ろうとしているわけでもないし、まさか本を出すことになろうとも思っていませんでしたから、『車を停めてヒッチハイクをしようよ』とか、『誰が見ているわけでも約束しているわけでもないので、電車に乗っていこうよ』って言うんですけど、彼女は頑なに『自分達2人の永久保存版にしようということで歩いているんでしょ!』って言うんですよ。なので、もし、私1人だったら、こっそりと車か何かに乗っていたかもしれませんね(笑)」

●ルールとマナーはかなり破っていたでしょうね(笑)。今後、また大きな旅に出てみたいとか、こんなところに行ってみたいというアンビションはあリますか?

吉光さん「アンビションはですね(笑)、西日本は歩きとおして自信がついたんですけど、日本列島を見渡すと、北の端の宗谷岬がなんか待っていそうな気がするんですよね。ですから、日本橋を渡って、三国街道を新潟に抜けて、今までは太平洋側を歩いてきましたので、日本海側を歩いて北の端の宗谷岬へ行ってみたいなぁという気持ちがあります」

●奥さん、ご主人はこうおっしゃっていますけどもいかがですか?(笑)

文子さん「私も同じです(笑)」

●懲りない夫婦ですね(笑)。これからも楽しいウォーキング、楽しい夫婦としての支え合いの旅を続けていただきたいと思います。フリントストーンも応援しています。

吉光さん&文子さん「ありがとうございます」

●今日はどうもありがとうございました。

■このほかの串崎吉光さん・文子さんのインタビューもご覧ください。

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■「串崎吉光」さんの本『千葉から鹿児島へ 夫婦歩き旅』

千葉から鹿児島へ夫婦歩き旅
新風舎/定価1,575円
 奥様の「文子」さんとともに、千葉県八千代市の自宅から故郷・鹿児島県内之浦まで、実家には内緒で、夫婦そろって徒歩で里帰りした時の1800キロ78日間の記録。日記形式で綴られた内容は、夫婦だけではなく、娘さんたちとの強い愛と絆を感じられる感動作!
 また、毎日歩いた距離や時間、そして使った金額なども記されているので、ぜひ参考にして皆さんも徒歩の旅に出られてはいかがでしょうか。
 

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オープニング・テーマ曲
「ACOUSTIC HIGHWAY / CRAIG CHAQUICO」

M1. LONG WALK BACK/ DANNY WILD & REMBRANDTS

M2. AMBITIOUS JAPAN ! / TOKIO

M3. IT AIN'T OVER 'TIL IT'S OVER/ LENNY KRAVITZ

ザ・フリントストーン・インフォメーション・テーマ曲
「THE CARRIAGE ROAD / JIM CHAPPELL」

油井昌由樹アウトドアライフ・コラム・テーマ曲
「FLASHES / RY COODER」

M4. GOLD IN THE SUNSET/ BOB SCHNEIDER

M5. 夢のふるさと/ 伊豆田洋之

M6. TAKE A WALK/ EDIE BRICKELL

エンディング・テーマ曲
「THE WHALE / ELECTRIC LIGHT ORCHESTRA」
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