2006年10月22日
海洋冒険家・白石康次郎さん応援スペシャル
今週のベイエフエム/ザ・フリントストーンは「白石康次郎さん応援スペシャル」です。 |
写真:矢部洋一 |
世界一過酷な外洋ヨットレース、「5オーシャンズ」に参戦している海洋冒険家、白石康次郎さんの応援スペシャル。『ザ・チャレンジ 2360日の軌跡』と題し、スタート地点、スペイン・ビルバオからの最新情報など交え、白石さんの挑戦までのドキュメントをお送りします。
たったひとりのスキッパーがヨットを操船して挑む、世界一周のレース、「5オーシャンズ」は、スペインのビルバオをスタートし、およそ半年をかけて、再びビルバオに戻ってくるという過酷なレース。そんな「5オーシャンズ」、実は、10月22日にスタートし、すでにレースの真っ最中なんですが、数日前にスペインのビルバオにいる白石さんと電話で話すことが出来ました。
●お久しぶりです。スタートを控えて今の気持ちはどうでしょうか?
「まだまだやることが山のようにありまして(笑)、残念ながら憧れの『スタート前は何もやらない』っていうことができない状況なんですが、スタートまで間近なので精一杯頑張ります」
●船が強風でダメージを受けたそうですが、修復の具合はどうですか?
写真:矢部洋一 |
「今、クルーが一生懸命やっていますので、スタートまでには間に合います。ただ、まだ諸々の準備がありますので万全とはいきませんが、最後までクルー一同力を合わせて頑張っています」
●最後までバタバタしてしまうのが「5オーシャンズ」って感じですね。
「各チームによって準備が万端なところもあれば、お金がなくてなかなか準備が進められないところもあるみたいです。僕はまだまだ駆け出しなので、いずれはトップ・チームのようにやりたいんですけど、何とか安全にスタートすることに一生懸命ですね」
●今回の「5オーシャンズ」は2ヵ所しか停まらないということで、1回のレグがすごく長いですよね。で、第1レグの終了がオーストラリアで、クリスマスと新年がオーストラリアで陸上で迎えることになるんですよね?
「ええ。今まではもっと細かくレグが分かれていたんですが、今回は2ヵ所なんですね。だから、スペインを出て赤道を越えて、さらに南氷洋を超えて、オーストラリアへ行くんですね。だから、今までの2レグ分を一気に走ってしまうということですね」
●いつも、白石さんは1人で船の上でクリスマス・ケーキを焼いたりとか、いろいろなお祝い事をしていたじゃないですか(笑)。
「今回は残念ながらそういうイベントがないので、ご期待に沿うことが出来なくて申し訳ないです(笑)」
●そっかぁ! でも、いつもよりも長く乗っていらっしゃるから、違った催しがないかなぁって期待しちゃうんですけどね(笑)。
「うーん(笑)。今回、赤道と南氷洋の両方通るんですよ。だから、船のセッティングが全然違うんですね。世界一周、ノンストップのセッティングにするので、今までのセッティングとは違ってきましたね」
●今回の目標が「天、水のごとし」ということで、「天如水(てんじょすい)!」
「これは僕の目標っていうか、気持ちの目標で、地球とか宇宙との一体感や、水のあり方を心に浮かべて、それを見習ってこのレースを過ごせば、自然との一体感があるのではないかな、また、そうありたいなと思ってやっているということです」
今回の白石さんのレースのテーマ、「天、水のごとし」。白石さんのホームページにも「天如水(てんじょすい)!」がフィーチャーされているんですが、実は、この言葉を筆で書いたのは、白石さんが母と慕う、冒険家の植村直己さんの奥さま、公子さんなんですね。また、白石さんは大好きな師匠でもある居合道の先生からも「自分が水になれ」と言われたそうで、今回のレース展開も白石さんが水になりきれるかどうかにかかっているといえるかもしれませんね。
1993年に26歳で、ヨットによる単独無寄港無補給世界一周の最年少記録を樹立した白石さん。そんな白石さんがこの番組に初めて出演して下さったのは、今から12年前、1994年の10月。ヨット/モーターボートの雑誌「KAZI」との共同企画の締めくくりとして、当時の編集長、田久保雅己さんが“ヨット界期待の青年”として白石さんを番組に連れてきて下さったんです。
その後、白石さんは、2000年にはヨット単独無寄港・世界一周の偉業を綴った本、『七つの海を越えて』を出版。その年の5月に再び出演していただき、世界一周の時の数々のエピソードを語っていただきました。そして実は、その時に世界一周のヨットレース「アラウンド・アローン」に出たいという夢も持っていらっしゃったんです。
また、この年、白石さんは「こうじろう」という名前の字を「鉱次郎」から「康次郎」に変えているんですが、そのことにからんで飛び出した2000年5月7日の発言です。
写真:矢部洋一 |
「ステップアップしたかったんですよ。そういう気持ちが働いて、2000年は『白石康次郎・改造計画』っていうのを進めているんですよ(笑)。まず、1月1日に元服するつもりで、大人にならなきゃいけないと。そして、何百人の方にお世話になっているので1人で歩いていかなきゃいけないと思ったんですね。多田(雄幸)さんも亡くなってしまって、一人で歩いて、大人になろうという意味でステップアップしようと決めたんです。ということでまず名前を変えて、体も鼻を手術して通りをよくして、21世紀の空気をいっぱい吸おうと(笑)。ということで肉体改造して、ステップアップするために地盤を固めている最中です」
●白石さんの場合は、単独無寄港世界一周の最年少記録は去年、オーストラリアの18歳の子に抜かれちゃいましたけど、それに関しては「やられたな!」っていう感じはあるんですか?
「よくみんなから同じ質問をされるんだけど、そういう感じは全然ないです。僕は次の『アラウンド・アローン』とか、次のレースに気がいっちゃっているので、そっちの(レースの)方が気になりますよ。とにかく『次のレースに出たい!』っていう思いばかりですね」
●ニュー康次郎が目指すのは、「アラウンド・アローン」のレースなんですね。
「そうですね。是非、2年後には出たいなと思っております」
●それまでに肉体改造計画を実行していただいて・・・(笑)。
「僕は体力的にはいつだって出られるんですけどね(笑)。『お前、明日出ろ!』って言われたら出ますしね(笑)。船の方を作らなければいけないので、冒険の場合は準備段階が一番大変ですね。資金もそうですしね。そこら辺が一番大変かな」
ヨットマン・多田雄幸さんに弟子入りし、腕を磨いた白石さん。その師匠である多田雄幸さんこそが、1982年に行なわれた、第1回の世界一周単独ヨットレース「BOCレース」のクラスII(50フィート)の優勝者なんです。このレースは82年以降は4年に一度の割合で「アラウンド・アローン」という名前に変えて行なわれてきたわけですが、白石さんにとっては、師匠に追いつき追い越せの、夢の舞台だったんです。
「最初に僕が見たのは高校2年生のときかな。水産高校にいて、その頃はヨットで世界一周しようっていう大それた夢はなかったんですけど、船乗りになろうと思って学んでいたんですね。ちょうどその頃にビッグ・ニュースが飛び込んできて、『なんと日本人の多田雄幸が世界一周レースで優勝した』と。それで初めて知りました。で、本が出るまでに1年くらいかかったのかな。本を読んで、手作りの船で優勝されたということと、私が多田さんに弟子入りしに行ったときに、非常に仲間を大切にしていて、スキッパー同士が本当に素晴らしい友情関係で結ばれていたんですね。多田さんが、第3回でまたチャレンジするんですが、私もサポート・クルーで色々な港に行かせていただきました。その時にスキッパー同士の友情を見ていて、『すごいんだな』というのは感じていたんですね。素晴らしいレースだなということで、このレースに出たいと思ったんですね」
そんな白石さんに「アラウンド・アローン」参戦のチャンスが巡ってきたのは、2002年。でも、順風満帆とはいきませんでした。その時のことを振り返って、白石さんはこんな言葉を残しています。
写真:矢部洋一 |
「今回は時間がなくて、3月に船を手に入れたんですね。それから、その船はシングルハンド用ではありませんでした。フルクルー用。本当だったら6人とか8人で乗る船ですね。で、それをある程度、シングルハンド用にしなければならないと。あと、お金もないし、時間もないということで、3月に船を買って6月に出港だったんですね。でないとスタートには間に合わないんですね。その策はあまり正解ではなかったですね。ニューポートへ行くためには、まず太平洋を横断してサンフランシスコへ行かなければならない。それだけでもすごいことですね。今度は太平洋から南に下がってパナマ運河を通過して、マイアミ、ニューポートと。約3ヵ月かけて地球を半周しなければならないんですね。で、私もそこで随分疲れましたね(笑)」
●そうですよね(笑)。お電話で話していても、『やっとスタート地点に着いてこれからなのに、前半戦を終えたくらいの疲れがある』っておっしゃっていましたもんね。
「そうですね。今まではニューポートがスタートだったんですが、2001年のテロのことがありまして、平和を訴えるということで、今回は特別にニューヨークがスタート地点になったんですね。で、レース自体の予定も結構タイトで、スタート前は1日も休みがなかったので疲れているし、モチベーションは下がるしね。正直、スタートほどつらいものはなかったですね。みんなは『17年間かかったスタートです! いよいよ実現します! どうですか?』って聞いてくるんですけど、本当は僕、『やめたい!』って言いたかったんです(笑)。『日本へ帰してくれ!』って。正直、そんな状態でした。前半はギリギリでスタートしたっていう感じですよね。非常につらかったです」
色々と大変なことがありながらも、高校生の時に多田さんの雄姿を見てから、17年間育んできた夢。その夢が現実になった、貴重な時間でもあったんですね。
前回2002年の「アラウンド・アローン」では、第1レグでキールのトラブルがあったり、2度のストーム遭遇で足止めを食ったり。また、南氷洋ではクジラと激突するアクシデントにも見舞われるなど、自然の猛威をまざまざと感じさせられた白石さん。2003年にご出演していただいた時には、自然の厳しさについてこんな風に振り返っていました。
写真:矢部洋一 |
「レース展開の話をしますと、僕はずっと2位でいたんですよ。そこには赤道無風帯っていうのがあるんですね。それをどう通れば一番早いかなってスキッパーは悩むんですよ。で、僕はその頃気象情報を持っていなかったんですね。で、トップのヨットは西に出していたんですね。僕はそれを知らないで真っ直ぐそのまま南下していったんです。そうしたら赤道無風帯に掴まって船がストップしてしまったんです。後ろの船はその僕の船を見て、『あっ、康次郎止まった』ってことで、どんどん西へ出すんですよ。それで、せっかく2位だったのに、一気にビリ。みんなからの電話でも『何でもっと西に行かないんだ?』って責められたんですけど、全員が後から言うのね。『お前、知ってるんだったら先に言えよ!』って言いたいんだけど、みんな後から言うの(笑)。結局、最下位になってしまって、その後ケープタウンまでで何とか2挺抜き返して4位になったんですね。そこまでは1番長いレグで50日かかりましたね。それで、『気象学って大事だ』って思って、ケープタウンで勉強しましたよ」
●嵐も大変ですけど、ヨットにとっては無風もつらいんですね。
「ものすごくキツイものがありますね。その時に1回、ダウンバーストという現象に遭いました。スコールは風が強くなるんですね。『ホワイト・スコール』っていう映画もそうなんですが、僕が走っていたらスコールが来たんですね。その時はたった3~4分で0ノットから40ノットまで吹き上がったんですよ。風が最初はなかったのでフルセイルだったんですね。そこに40ノットの風が来て、あっという間にひっくり返ったんですよ。風の力で横倒しですね。それから船がなかなか風の力だけでは起きようとしないんです。外は真っ白です。ホワイトアウトみたいになっちゃうの。約30分くらいかな。あれはすごかったですね。ダウンバーストは2回目ですけど、マストが折れなくて良かったです」
どんな困難に遭遇しても、師匠・多田雄幸さんの教えを守り、楽しむことを忘れない白石さんは、最年少単独無寄港世界一周をやった頃から俳句をたしなんでいるんですが、白石さんの俳句って普通の俳句とはちょっと違うんです。
写真:矢部洋一 |
「僕の俳句と普通の俳句の決定的に違うところは、普通の俳句っていうのは『美しく』とか、情景を伝えるんですけど、僕の場合はアドベンチャー俳句っていうか(笑)、汗と血と涙を俳句に詠めないかと。要するに、キレイだけじゃなくて、本当につらい部分とか、新しい俳句の分野に挑戦しようという趣旨で詠むんです。面白いでしょ?」
●確立したら、冒険野郎たちがこぞって真似するかもしれませんよ(笑)。
「(笑)。強いっていうか、汗臭い俳句にしようと(笑)。ただキレイなだけじゃパターンが同じなので、そういう俳句を作ろうと思ったんですね。松尾芭蕉にも詠めない句が僕には詠めるんですよ。なぜかっていうと写真と同じで、現場に行かなきゃその写真を撮れないじゃないですか。どんなにいい腕を持っていても、山に行かなきゃ山の写真は撮れないんですよ。だから、どんなに俳句の勉強をした偉い人でも、南氷洋に行っているのは僕だけだと思うんですよ(笑)。だから、南氷洋で詠む、僕にしかできない俳句っていうのがあると思うんですよ。それは負けられないところですね。南氷洋の特徴はとにかく波が高いんです。8メートルとか10メートル近いんですね。そのときに、アホウドリとかカツオドリが波の水面ギリギリを飛ぶんですね。波が持ち上がれば彼らも上昇して、こっちが必死にヨットをやっているのに悠々としているんですよ。その時は『カツオドリ 波の合間に 消えてゆく』っていう俳句を詠んだんですね」
●見えたり隠れたり、波と一緒に動くからですね。
「あと、ドライフーズのお吸い物があったんですね。それをお湯で溶いたんですよ。そしたら、菜の花が浮いてきたんですね。で、その菜の花がものすごく眩しかったんですよ。なぜかっていうと、海の場合は草木一本生えていないんですね。海って非常にキレイなんですが、色として緑がないんですよ。それで、フリーズドライのお吸い物をお湯で溶かしたら、菜の花の緑がポッと出てきて、そのときに感動するくらい輝いた緑だったんですね。そのときに詠んだ句が『ささやかな 緑も眩しい 大航海』というものなんです。これは季語が入っていないので川柳に近いんですけどね(笑)」
●そういう細かいことはいいんですよ!(笑)
2002年、当時「アラウンド・アローン」と呼ばれていたこのヨットレースに初めて参戦した白石さんですが、この時の挑戦は決して万全の態勢で臨んだわけではありませんでした。しかし、各レグが終わり寄港するたびに、懸命に修理を施し、船のパフォーマンスは尻上がりにアップ。そしてついに2003年5月8日、なんと白石さん自身のお誕生日に感動のゴール! とはいえ、ゴール直前までは深い霧で不安なラストでした。
写真:矢部洋一 |
「ものすごい霧でした。100メートル先が見えなかったですね。で、あと10マイル、あと1時間なのにまだガスっているんですよ。こんなことでゴールできるのかなと思っていたんですが、最後、ゴール寸前にワーっと晴れたんですよ。その晴れた瞬間、ニューポートの町が一気に見えてきたんですね。もう劇的でした」
●まるで映画みたいですね。
「映画みたいでしたね。それまで100m先も見えなかったのに、急にワーっと町が見えだして、そこに迎えの船に仲間達がみんな乗って来て手を振ってくれて、いよいよ多田さんが20年前にゴールした所、僕の思い出のスタート地点に、180日かかって無事に世界一周のゴールしましたね」
●しかもそのゴールの日は、日本時間のお誕生日。
「はい。霧の一瞬の晴れ間でしたね。そのあと、また雨が降って曇っちゃったんですね。だから、その一瞬の晴れ間とバースデー・フィニッシュは神様がちょっと御褒美をくれたのかなと思いましたね」
●「ハッピー・バースデー」ってバースデー・プレゼントをくれたんですね。
「それは感謝してますね」
こうして長いレースは終わったわけですが、今年の4月に出演して頂いた時には、この時のレースをこんな風に総括してくれました。
「おかげさまで2002年、2003年のレースで初めてアラウンド・アローン、単独世界一周に参加させていただいて、非常に苦しい状況ではあったんですけど、無事に完走してクラスIIで4位になりました。本当にあれは高校生の時に『このレースに出たいなぁ』と思って、ヨットの所作を弟子入りして学んで、17年間かかってやっとスタートラインに立って、見事完走してという、まさに素晴らしい思い出でしたね。そもそも僕、師匠のカバン持ちをしてあのレースに参加した頃は、クラスIIといって15メートル以下の船だったんですね。だから小さいんです。で、やはり車でいうF1、最高級のオープン60フィート、18メートルっていうクラスIで出ることに憧れていたんですね。だから、前に世界一周をしたときは、多田(雄幸)さんが思い半ばで亡くなってしまったり、色々な人の支えがあってできたことなので、前回のレースは自分の中でまとめると、『白石康次郎、夢叶いました。』っていう感じなんです。文章で言うとね。で、いよいよここから自分のレースが始まる。前回は多田さんや岡村の造船所の人達、フリントストーンのみなさんもそうです、名も知らない僕が色々な人にお世話になって、やっと出て『ありがとうございました!』というレースだったように思います。これからはいよいよ、白石康次郎として師匠よりも上のクラスIに出場するわけですから、本当の自分が試されるものになるんじゃないかと思います」
白石さんが現在、参戦中のレースは、今回から名前が「アラウンド・アローン」から「5オーシャンズ」に変わり、コースも少し変わっています。まず、スペインのビルバオを今日10月22日にスタートした各ヨットは、オーストラリアのフリーマントルに12月下旬に到着予定。これが第1レグ。そして第2レグは、来年2007年1月7日からスタート。フリーマントルを出た各ヨットは、3月中旬の到着を目指し、アメリカのノーフォークに向かいます。そしてラストの第3レグは、4月15日のノーフォークから始まり、5月上旬に再びスペインのビルバオに戻ってくることになっています。白石さんは今年の4月に番組で今回のレースの抱負を語ってくれました。
写真:矢部洋一 |
「今回はクラスIで、社会的な意義として、アジア人が、そして有色人種がクラスIに出場するっていうのが初めてなんですよ。で、あとはなんとか表彰台を目指して、今までよりいい船を中古で手に入れたので、優勝はなかなか難しいけども、しっかりした走りがしたいなというのがレース展開のテーマですね。あと、個人的には水になること。水になるっていうのが僕のテーマでね。これは居合道の先生から『水になれ』という宿題を頂いたんです」
●その言葉を聞くだけでも、かなり深そうですね。
「深い。水になるんです。『白石君、前回のレースは楽しかったか?』と聞かれて、『はい。楽しかったです』って言ったんですよ。すると『それじゃ、ダメだ。“楽しい”っていうのは水じゃないだろう。第三者だろう。お前が水になれ!』って言われたんです。大好きな師匠です。『楽しいもクソもない。お前が水になれ!』って言われたので『分かりました!』と即答しました。それが僕の心の中のテーマなんです。で、私のライフワークでもある子供達の冒険授業を、この前、僕の卒業校でもある付属鎌倉小学校でもやったんだけど、これからは全国に広めてもっともっとホームページも充実させて、教育プログラムを充実させながら、こういう番組にも出させていただきながら、乗るのは僕1人なんですけど、みんなで世界一周できるような教育プログラムが出来ればなぁと思っております」
●楽しみですね!
「是非、楽しんで下さい。せっかくやりますので、僕が真剣に走るのはもちろんのこと、ただ傍観するのではなくて、ヴァーチャル・クルーとして精一杯世界一周レースを一緒に走る意気込みで参加していただければと思います」
というわけで、ここでもう一度、スタートの数日前に電話で話が出来た白石さんに登場してもらいましょう。
写真:矢部洋一 |
●当面の目標は第1レグだと思うんですけど、2ヵ月かけてオーストラリアのフリーマントルに無事にたどり着くことが一番の目標になりますか?
「そうですね。第1レグは船のコンディションを見ながら走りたいなと思っています。なかなか事前の準備が完全ではないので、スペア・パーツも多く積んで、船の様子を見ながら徐々に船のスピードを上げていこうかなという作戦です」
●アジアで初めて「クラスI」に参戦ということで、その意気込みを聞かせていただけますか?
「今回は中古ですがいい船を手に入れましたし、いいクルーもいますので、しっかり走って、何とか表彰台に上がれればいいなということで頑張っています」
●私達は日本から多くの人たちが一緒に白石さんとスピリット・オブ・ユーコー号に乗ったつもりで応援したいと思っております。そんな、みなさんへのメッセージをお願いします。
「今回は日本のみなさんに多くの応援をいただきました。そのおかげでアジア初のオープン60というプレイスに出場することができました。これは大変名誉なことでありますし、みなさんに感謝を申し上げます。いよいよこれからスタートですので、是非、みなさんもエイミーさんのごとく船に一緒に乗ってみなさんの夢も乗って走りますので、みなさんも楽しんで表彰台を目指して一緒に最後はハッピーエンドで終わらせたいと思います。よろしくお願いします」
●第1レグ、気をつけてオーストラリアまで行ってくださいね。
「エイミーさん、また沖からレポートします」
●よろしくお願いします。どうもありがとうございました。
今回のレースでは「バーチャル・クルー/仮想乗組員」として、皆さんも白石さんと一緒に「スピリット・オブ・ユーコー号」に乗って世界一周のレースをすることができます。費用的にも精神的にも、白石さんを支えることを目的にしているこのプロジェクトについては、白石さんの公式ホームページをご覧下さい。ちなみに、白石さんはホームページ内にブログを開設しており、レース中もできる限りアップし、写真も掲載する予定なので、ぜひ白石さんの奮闘振りや近況を読んで応援してくださいね!
■海洋冒険家「白石康次郎」さん新刊情報
『人生で大切なことは海の上で学んだ』
・白石康次郎さんのHP:http://www.kojiro.jp/ |
オープニング・テーマ曲
「ACOUSTIC HIGHWAY / CRAIG CHAQUICO」
M1. DON'T STOP ME NOW / QUEEN
M2. THE WATER IS WIDE / JAMES TAYLOR
M3. HOLD ON TIGHT (TO YOUR DREAM) / ELECTRIC LIGHT ORCHESTRA
M4. SAIL AROUND THE WORLD / DAVID GATES
ザ・フリントストーン・インフォメーション・テーマ曲
「THE CARRIAGE ROAD / JIM CHAPPELL」
油井昌由樹アウトドアライフ・コラム・テーマ曲
「FLASHES / RY COODER」
M5. 歌ってよ夕陽の歌を / 森山良子
M6. FRESH WIND / ORLEANS
M7. YOU'RE NOT ALONE / CHICAGO
エンディング・テーマ曲
「THE WHALE / ELECTRIC LIGHT ORCHESTRA」
|