2007年4月29日

ホールアース自然学校が25周年~代表の広瀬敏通さんを迎えて~

今週のベイエフエム/ザ・フリントストーンのゲストは広瀬敏通さんです。
広瀬敏通さん

 日本の自然学校の草分け、今年創立25周年を迎えたホールアース自然学校の代表・広瀬敏通(ひろせ・としみち)さんをお迎えし、自然学校のあり方や、エコツーリズムについてうかがいます。

人々が自然離れをしていた
25年前に作った自然学校

●ホールアース自然学校も創立25周年を迎えたそうですが、そもそも自然学校を25年前に設立しようとしたキッカケってなんだったんですか? 当時、自然学校ってなかったですよね?

「なかったですね。後に、環境省などが全国調査をやって、今、2000の自然学校があるんですが、当時は全くなかったんですね。で、25年前になぜ思い立ったかというと、僕が海外から戻って日本で生活し始めたのがその頃だったんです。で、僕がいう生活は開拓なんですよ。アジアで10年間、開拓みたいなことをやっていたので。自給自足の生活をするというのがまずベースにあって、あとは自分がやりたいことを様々に実現していくっていう思いだけだったものですから、25年前に自給自足に暮らすにはどこがいいかって考えたときに、『富士山麓って広々していていいな』って思って、そこに行きました」

●では、広瀬さんはもともと自然学校を作ろうと思ってスタートしたわけではないんですね。

「そうなんですよ。自然学校という言葉がなかっただけではなくて、自然学校という考え方もなかったので、あくまでも自分が自給自足で暮らしたいという思いが一番強かったんですね。で、動物農場という名前をつけてやり始めたんですけど、これはイギリスのジョージ・オーウェルという作家の小説からとった名前なんですが、これを始めたときにポニーとかロバとかヤギとかヒツジとか、普通の農家では有り得ないような動物を次から次に飼い始めていったので、結果的には人もたくさん集まるようになってきたんですよね。あとは、すぐに子供たちのキャンプを始めちゃったので、『始めちゃった』って言うと不本意みたいですけど(笑)、それをやったきっかけが子供たちに何らかの働きかけをしたいという気持ちからだったんです。それは、僕がアジアで21歳の頃に一緒に暮らしたのが子供たちだったからなんですね。アジアの孤児だとか、戦争孤児たちと一緒に暮らしたので、子供というキーワードが僕の中で非常に強くあったんですね。で、日本に帰ってくると、みんな家庭を持った子供たちばかりなんだけど、親を亡くしたり殺されている子供たちと同じように、日本の子供も僕らが声をかけてあげたくなるようなところを持っている気がしたんですね」

●80年代の前半から中ごろにかけてですから、子供たちが一番自然離れをしていたころですよね。

「そうでしたね。何しろ、僕が日本へ帰ってきたら、大人が喫茶店でピコピコやっていましたから(笑)」

●はい!(笑) スペースインベーダーとかありましたね。

「ビックリしました」

●みんな夢中でやっていましたもんね。

「『この国は一体どうなっちゃったんだろう!?』って思いましたよ(笑)」

●(笑)。子供たちのキャンプをスタートさせたのが、自然学校への第一歩だったんですね。

「始まりでしたね。キャンプは1人ではできないので、自然にとても近い活動をやっている仲間達が集まってきて、今の自然学校の母体を作っていったんですね」

どの世代でも感じている自然の変化

●そもそも自然学校の定義って何なんですか?

「これは、日本環境教育フォーラムという自然学校の全国的なネットワークがあるんですが、そこで自然学校センターというのを置いて、僕がその担当をしているんですけど、そこで出している定義というのは、大雑把な定義と細かな定義があって(笑)、大雑把な定義を言うと、専門家が常駐しているということですね。それから、活動している場を持っているということと、3つ目が環境教育のプログラムを年間通して実施しているというのを条件としているんですね。で、アメリカなどでは今、1万数千を越える自然学校があるんですけど、その自然学校のとりまとめをしているような役割の人と話をしてみると、『広瀬が言うような定義を当てはめると、2千くらいだ』って言うんです。で、『なぜ、そんなに数が落ちちゃうの?』って聞くと、『アメリカでは環境教育っていうのをやっていないんだよ』って言うんですね。つまり、アウトドア・スクールみたいな、カヌーや乗馬、登山を教えたり楽しんだりする学校はたくさんあるんだけど、そういうのを環境教育というかどうかは微妙だと。だから、アウトドア・レクリエーションの分野でやっている自然学校が多いっていうことなんですね」

●そうは言っても、アメリカの方が意識が高いような気がするんですけど・・・。

「自然へのアプローチというか、接触の仕方はアメリカの方が遥かに密度が濃い状況を持っています。アメリカはもともとが、アングロ・サクソンの基本的な考え方として、人間界と自然界というのを二元に分けて考えていて、自然界に対して人間界から積極的にアプローチしていくという考え方があるわけですよね。ですから、レクリエーションの場でも、あるいは開拓の場でも、自然界に対して積極的に働きかける。そこに入っていくフロンティア・スピリッツをどんどん生み出していくっていうのはありますよね。日本の場合はどちらかというと、自然があるのは当たり前で、そこをベースに人が暮らしているので、特に自然界に対して意識を持っていないんですね。自分達の暮らしと対峙した存在とは考えていないようですね。で、かつてはそういう暮らしが成り立っていたからいいんだけど、意識が変わらないまま暮らしが変わってしまって、意識をしないままどんどん自然が失われていって、気がついたら『あれ!? 子供のときに遊んだ川がなくなっている』とか、『空き地が消えている』とか、『林が消えちゃった』とかって、この数十年の間に膨大に起きたんですよね」

●広瀬さんが自然学校を設立した1982年くらいっていうのは、まだ自然がありましたよね。

「そうですね。でも、僕が学生時代とか子供の頃を考えて、今の環境と比較をするでしょ。すると、本当に変わってしまったなと思うんですね。で、今の20歳前後の学生達に聞いても、同じことを言うんですよ。つまり、それぞれの世代毎に、自然の変化を感じているんです。例えば数十年というスパンで比較している人もいれば、せいぜい5年や10年で比較している人もいて、その単位でも既に変わってしまっているんですね。それくらい急激に変わってしまっているということなんですよ」

●ということは、広瀬さんが初期の時代に行なったキャンプに参加している子供たちっていうのも、彼らなりの自然の触れ合いはあってもキャンプのノウハウはなかったでしょうし、今、参加する子供たちはもっとないんでしょうね。

「そうですね。1982年頃の子供は少なくとも親が自然の中で遊んだ経験を持っているんですよ。で、現代の子供のほとんどの親は既に自然の中で遊んでいないんですよ。そこら辺が決定的に違うんですね。ですから、途中から『親にこそ』っていう思いが強くなってきて、親向け、大人向けのプログラムがすごく増えてきたんですよ」

●そういう大人向けのプログラムに参加される大人たちって見ていてどうですか?

「自然は様々に人間に対して色々な効果をもたらしてくれるっていうのは、知識として持っているんですけど、実感として持っている人は少ないんですね。日頃、ビジネスの最前線で仕事をしている人達が自然界に来ただけでは癒されないんですよ。ところが、スタッフはインタープリターとかを呼んでいるんですけど、自然学校のプログラムやスタッフを通して、自然の波長とお父さんたちの波長を繋いでいくと、あとはノリノリになっているんですよね。初日はポケットに手を突っ込んで、所在なさげに何をやっていいか分からなくて突っ立っていた人達が、2日目以降になってくると、どんどん役割を見つけ出して動き始めてくる。で、例えば夕方の黄昏時になると、夜の準備で忙しいにもかかわらず、黄昏の自然にポッと心を向けるような意識が戻ってきたりとかね。そういうシーンがいっぱい出てくるんですよね。だから、自然と波長が合い始めると、その人の心の中の色々な歪みがうまくチューニングされていって、とてもいい状況が作られていく。その結果として帰ってくる頃には、本当にリフレッシュした状態になるっていうことだと思うんですけどね」

バブルの崩壊を機に人々の価値観は変化した

広瀬敏通さん

●ホールアース自然学校では1987年頃からエコツーリズムとか環境教育に本格的に取り組まれていますけど、この時期に始めたというのは何か理由があったんですか?

「僕が1982年から動物農場と同時に牧場をやり始めたんですよ。で、その牧場は体験型の牧場を作るということで始めて、観光牧場的にすごくヒットしたんですね。で、僕はそういうのを作るつもりはなかったので、自分で日々それに追いまくられる状況で悩んでしまったんですね。で、同時にその頃、観光っていうのが『おかしいな』ってすごく痛感させられたんです。例えば、観光バスや旅行会社の人達とたくさんお付き合いをしますよね。そうすると、必ずリベートを渡す仕組みがあったり、牧場の体験を楽しんでいる人達を追い立てるようにして、次から次にこなしていく仕事のやり方だとか、そういうのが実に嫌だなぁと思って、『これはもしかしたら観光っていうのとは違うんじゃないか』って思い始めたのが牧場をやっていた頃なんですね。で、同じようなことを考えた人たちが全国的に集まって、東京観光人クラブっていうのを作ったんですよ。今はなくなってしまったんですけどね。で、そこに参加してやっていたのがエコツーリズムというものに触れる最初のキッカケだったと思うんです。それが、1985年頃ですね。で、1987年に牧場を放り出して、本格的にもう1つの観光にしっかりと目を向けていこうという気持ちが強くなったんですね」

●25年前から自然学校を作られて、こういう研究をずっと見てこられて、どの辺から人々の意識や全体的な変化を感じるようになりましたか?

「バブルが崩壊したのは、それによって弱者の人をたくさん生み出すことにもなったんだけど、もっと乱暴な広い見方で言ってしまえば、僕はバブルの崩壊ってすごくよかったって思っているんですよ。それまでみんな、ありもしない永遠の繁栄伝説みたいなものに追いまくられていて、本当に自分達の将来についてしっかり考えるっていう意識が少なかったと思うんですが、そこでガツーンと目を開かせてくれた。で、同時にさまざまな環境問題が相当深刻なところまできちゃっているんだっていうことを教えてくれたわけですね。それが、1992年の地球サミットといわれたリオ・サミットとピッタリ重なっていて、あの頃から21世紀は環境の世紀になっていくんだって言われていましたし、我々も20世紀の後半のようなやり方でこれからの社会を作るっていうのは不可能なんだってことに気づきましたよね。で、それが結果的に自然学校が全国に広まっていったベースにもなったし、観光業が一気に頭打ちになっていくのと同時に、エコツーリズムという分野が急速に広がってきたっていうことにもつながっていったと思いますね。やっぱり、社会全体がこれまでの価値観とこれからの価値観がガチャーンと変化する時期が、ちょうどあのあたりをエポックにしていたと思うんですね」

●広瀬さんは日本エコツーリズム協会の理事もされていますが、エコツーリズムの問題点や今後の課題を教えていただけますか?

「これまでの観光は、観光地を台無しにしてしまうとか、大量に送客して、感動もへったくれもないような旅をどんどん作ってきちゃったとか、そういう諸々の課題をエコツーリズムによって解決できると思っていたんですよ。ところが、実際にエコツーリズムを全国、様々な地域がやり始めていったら、同じような問題がたくさん起きてきたんですね。つまり、エコツーリズムでも解決できない問題がたくさんあるんだってことに気がついてきたんです。で、ある意味、これは当たり前なんですよね。我々の社会っていうのは色々な要素が繋がっているので、言葉を変えただけで変化するような単純なことは有り得ないですよね。だから、我々の暮らしそのものを変えていかない限り、エコツーリズムというものを、環境と観光が両立するような仕組みとして成り立たせるっていうのは、なかなかなりにくい状況なんですよ。でも、だからできないのではなくて、エコツーリズムの分野も、様々な環境教育の分野もみんな同じなんだけど、今の社会ではもう成り立たない。で。それに代わる新しいシステムを作るとか、暮らし方を変えていくっていうことをしなければならない。そのアクションとして、例えば食べ物について色々考えて、なるべく地産地消のものを使うとか、農薬を減らしたものを使うとか、あるいはゴミを出さないような暮らしをするということと同じように、エコツーリズムという形で我々の地域社会の作り方や、観光のあり方をみんな変えていこうと。だから、完成型ではなくて発展型の言葉なんですよね」

日本でもグローバルなエコツーリズムを

広瀬敏通さん

●広瀬さんは、エコツーリズムには欠かせないガイドの育成にも力を入れていらっしゃるそうですね。

「はい。諸外国ではかなり一般的に国家登録や国家認定があって、ガイドの品質が保証されているんですが、日本のエコツーリズムの世界は諸外国のようにガイドの認定制度がないんですね。日本では『今日からエコツアー・ガイドになります』って言って看板立てればできちゃうんですね。だから、ガイドの品質を少しでも保証していこうということで、僕たちは全国各地でガイドの養成に力を入れているんです。それで、できれば今年中には日本エコツーリズム協会として、ガイドの認定制度を作っていこうという話し合いに入っているところです。やはり、ガイドが決定的な役割を果たすっていうエコツーリズムの分野が、特に外国の方からはすごく関心を持たれているので、英語やスペイン語や中国語、韓国語でガイドできるガイドさんを作っていかなきゃいけないんですね。そういう意味で今、ホールアース自然学校でも国際室っていうのを置いて、英語、スペイン語などでガイドできるシステムを作ってきているんです。そこに色々国々の人達が頻繁に訪れてエコツアーを楽しんでいくんですが、彼らは日本でいわゆる観光バスのパック・ツアーにしか参加できないと思っていたのが、こういうツアーに参加できて直に地域の文化に触れたり、日本独特の自然に触れたりすることができるっていうことに感激して帰っていくんですね。で、それをもっともっと日本全体でやれるようにしていかないといけないと思うんですね。日本政府は今、ビジット・ジャパン・キャンペーンというのをやっていますよね。日本に訪れる外国人(訪日外国人)を増やそうというキャンペーンなんですが、どういうふうにもてなすのか、どういうことを求めに日本に来てもらうのかっていうところについての戦略はまだ弱いんですよ。巨額な予算でやっているけど、ちょっとずれているんじゃないかなっていう気がしています」

●ホールアース自然学校が創立25周年を迎え、この先のホールアース自然学校の野望(笑)、目標はなんですか?

「(笑)。自然学校というのが前例がない世界でしたよね。だから、変な言い方なんですけど、僕らはなんでもできちゃったんですよ。ですから、色々なことに手出し口出しをして、世界を広げてきているんですね。で、極端な言い方をすると、日本という社会は全てが自然をベースに成り立ってきた社会なので、日本の中での活動は、どういうことでも自然学校のフィールドとしてはおよそできてしまうんです。例えば、災害救援だとか、地域を元気にする活動だとか、企業をもっと環境経営に熱心になってもらうような取り組みだとか、色々な分野で今、自然学校が取り組み始めているんですね。で、そういうことからすると、かつての25年前からは想像がつかなかった分野まで手出しをしていて、これからは今ここでは想像つかないようなことがきっと起きるんじゃないかって思っています」

●では、今後もどうなっていくかチェックしつつ、私達もしばらくホールアース自然学校にはお邪魔をしていないので、また是非うかがいたいなと思います。

「ええ、そうですね。ホールアースの本校は富士山にあるんですが、どんどん進化していますから、是非、見に来てください」

●是非、うかがわせていただきたいと思います。今日はどうもありがとうございました。

 

このほかの広瀬敏通さんのインタビューもご覧ください。


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■ホールアース自然学校情報

 広瀬敏通さんが代表を務めるホールアース自然学校は現在、日本におよそ2000校ある自然学校の草分け。今年創立25周年を迎えた、そんなホールアース自然学校では、質の高いインタープリター(スタッフ)のもと、内容の濃いユニークなプログラムがたくさんあります。そのいくつかをご紹介しましょう。

・「いきもの自然紀行」
開催日:毎月第2土曜日
内容:富士山麓田貫湖周辺で、植物や生き物の不思議を探すというもの

・「洞窟アドベンチャー~富士樹海ケイビング」
開催日:5月13日と20日のいずれも日曜日
内容:真っ暗な溶岩洞窟で、スリリングで新鮮な驚きを楽しめます

・「田んぼガッツ村」
開催日:毎月第3土曜日
内容:田植えから収穫までのお米作りを体験できるファミリー向けのプログラム

・「富士川カヌーキャンプ」
開催日:6月9日(土)~10日(日)
内容:日本三大急流といわれる富士川を体でたっぷり味わい、河原でキャンプを楽しみます

 このほかにも年間を通した自然体験プログラムや、指導者養成のプログラムなど充実した内容となっています。詳しくはホームページをご覧下さい。

・ホールアース自然学校のHPhttp://www.wens.gr.jp/

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オープニング・テーマ曲
「ACOUSTIC HIGHWAY / CRAIG CHAQUICO」

M1. GET UP AND GO / PILOT

M2. BUILDIN' A HEAVEN ON EARTH
/ MISS ABRAMS & THE STRAWBERRY POINT 4TH GRADE CLASS

M3. COWBOY DREAMS / PREFAB SPROUT

ザ・フリントストーン・インフォメーション・テーマ曲
「THE CARRIAGE ROAD / JIM CHAPPELL」

M4. CHEER DOWN / GEORGE HARRISON

M5. PLANETS / TEENAGE FANCLUB

M6. YOU'RE JUST A COUNTRY BOY / ALISON KRAUSS

油井昌由樹アウトドアライフ・コラム・テーマ曲
「FLASHES / RY COODER」

エンディング・テーマ曲
「THE WHALE / ELECTRIC LIGHT ORCHESTRA」
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