2007年7月15日
星の航海士、ナイノア・トンプソンさんと、海洋ジャーナリスト、
今週のベイエフエム/ザ・フリントストーンのゲストはナイノア・トンプソンさん、内田正洋さんです。 |
7月16日は海の日ですが、今週のザ・フリントストーンは海にちなんだ内容です。この番組では熱く取り上げてきた「ホクレア号航海プロジェクト」。これはハワイと日本の強い結びつきを再確認するようなプロジェクトなんですが、どんなプロジェクトなのか、ここでおさらいしておきましょう。ハワイ語で「幸せの星」という意味を持つホクレア号は、1975年に復元された古代の外洋航海カヌーなんですが、全長はおよそ19メートルの、船体がふたつある双胴船(そうどうせん)で、いわゆる帆を使って進む帆走カヌー。
そして、プロジェクトの中心人物は1997年に公開された龍村仁監督のドキュメンタリー映画「地球交響曲/ガイアシンフォニー第三番」の出演者でもあるハワイ人の星の航海士、ナイノア・トンプソンさん。
ホクレア号の建造のときから関わってきたナイノアさんは、1980年にホクレア号のキャンプテンとして、海図や羅針盤などの一切の近代器具を使わずに、星と波と風だけを頼りに航海する、ミクロネシアに伝わる伝統航海術、スター・ナビゲーションで、ハワイからタヒチまでの4千キロの海の旅を成功させました。そのナイノアさんの偉業はハワイの先住民の人たちに、大きな勇気と誇りをもたらし、自然と調和して生きてきた祖先の知恵や技術、文化や伝統を学び直して、ハワイ人としてのアイデンティティーを取り戻そうという運動につながりました。
そんな、ナイノアさんは、10年ほど前から、ハワイと日本との強い結びつきを再確認するために、日本までホクレア号で航海することを夢見て、5年半前に実際の準備に取り掛かり、今年1月19日に一度はハワイ島を出航したのですが、舵に不具合が生じたために、一度戻り、23日に再出航。ミクロネシアの島々を巡り、4月24日に沖縄の糸満に入港。その後、熊本、長崎、福岡、山口、広島、愛媛と、ゆかりのある寄港地を経て、6月9日に最終目的地の横浜に入港し、およそ5ヶ月、13,400キロにも及ぶ航海を無事に終えました。
今週のザ・フリントストーンは、そんな歴史に残る航海を終えたその日に、ナイノア・トンプソンさんを、横浜の宿舎でキャッチし、お話を聞くことが出来ました。そして「ホクレア号航海プロジェクト」の日本側のキーマンで、数々のサポートを行なってきたシーカヤッカーであり、海洋ジャーナリストの内田正洋さんにも同席してもらいました。おふたりによる興味深い話が盛りだくさんです。
●海図や羅針盤など、一切の近代器具を使わず、スター・ナビゲーションという、星や風、波など、海の自然のサインだけを頼りに日本にやってきたホクレア号ですが、実は、沖縄から横浜までの航海ではスター・ナビゲーションを用いていなかったんです。その理由をナイノアさんはこんな風に語っています。
ナイノアさん「一番の理由は、日本国内を航海する時期の問題で、安全面を重視してのことだったんだ。台風シーズンにリスクを侵すことはあまりよくないからね。それに、日本のことを知れば知るほど、自分たちだけで国内を航海するには準備不足だって感じたんだ。というのも、日本の海にはハワイでは味わったことのない障害がたくさんあるんだよ。例えば、3,600もの島々や強い潮流、台風や霧など、数えきれないほどあるんだ。それに加えて、交通量も今まで経験したことがないほど多いんだ。そういった日本の海の環境に不慣れな点を考えると、スター・ナビゲーションを用いるということ以上に、我々だけで航海するのは、あまりにもリスクが高すぎるって判断したんだ。だから我々が安全に航海を続けるには、日本の水先案内人たちの存在は不可欠だった。そして彼らは素晴らしいナビゲーションをみせてくれたんだ。今振り返ってみると、もしかしたら彼らなしでも航海できたかもしれない。しかし、そのことを私は試してみようとも思わないよ。日本に何年も住んで、十分経験を積んでいない限り、絶対にやらないね」
●というわけで、日本国内での航海はベテラン・クルーたちにとっても未知の経験ばかりだったようですが、実は今回の航海には若いクルーも何人か乗っていました。
ホクレア号に乗船した日本人クルー、
荒木汰久治。 以前、この番組にも出演してもらった。 久しぶりに会い、握手をかわした若い力。 |
もうひとりの日本人クルーは内野加奈子。
ナイノアは荒木、内野のふたりにも 賛辞を惜しまなかった。 |
ナイノアさん「クルーを選ぶ時、安全面を第一に考えるのがキャプテンの務めなんだ。しかし、カヌーは学校であり、デッキは大切な教室でもあるんだよ。我々の遺産や文化を後世に伝えていくためには、若い世代を教育しなければならない。そのためには若いクルーを乗せる必要があるんだ。だから戦略の一つとして、年齢でクルーを選ぶこともあるんだ。現在、リーダーシップを取れるだけの経験を積んだ世代が何人か育っていて、実は今回、パラオからヤップ島までの航海では、その中の1人にキャプテンを任せたんだ。彼らは20代の若者たちで、私たちとしてはなんとか彼ら独自のチームを編成して、できれば来年にはその新世代のチームで、ハワイ、タヒチ間の航海をさせてみたいと思っているんだよ。もし、彼らが我々ベテラン抜きで、一度でもタヒチを見つけ、またハワイまで戻ってくることができたら、きっと自信につながる。それは、とても大切なことなんだ。しかし、ちょっと勝手なことを言わせてもらうと、彼らの先生でもある我々にとっては、彼らの成功は我々の成功でもあるんだよ。航海士にとっての最後の役割は、その知識を次へと伝えていくこと。だから、我々に素晴らしい知識を授けてくれた師匠たちに敬意を表す意味でも、我々は次の世代を育てなければならないんだ。
ちなみに、さらに下の世代、高校生の教育も行なっているんだ。そうやってもっともっと若い世代を育てていかなければならないと思っている。しかし、航海にはリスクがつきもので、危険なことも多いから、あまり若すぎてもダメなんだ。ただ大切なのは年齢よりトレーニング。彼らが最悪の事態に対処できるようトレーニングすることなんだ。うちのセイラーたちには全員4キロほど泳がせているし、最低3時間は水の中に入れておく。そして波の荒いところから波の穏やかなところまで泳がせたりもしているんだ。責任者としては彼らが最低でもその程度はこなせることを知る必要があるからね。しかし、我々以上に彼ら自身がそれを知ることが必要なんだ。クルー育成においては、体力と学問の両方のトレーニングがとても重要なんだよ。航海が成功するかどうかの95パーセントはトレーニング、つまり実際の航海に出るまでに、心身ともにどれだけ準備できているかにかかっているんだ。だから我々が航海に出るまでには5年以上もかかってしまうんだよ」
タイガー・エスペリがホクレア号を呼んだ<内田正洋>●今回の航海でナイノアさんが一番印象に残ったことはなんだったのか、聞いてみました。
ナイノアさん「沖縄までナビゲートした時は特別な思いだったよ。熱帯地方の北を航海して、気候のパターンも変わった。星に関してはハワイと沖縄ではさほど違いはないけど、何より私にとっては、沖縄を見つけるということはとても大切なことだったんだ。というのも、私のようにハワイで生まれ育った人や、長年ハワイで暮らした人はみんな何らかの形で、日本人を先祖に持つ人たちと、友好的で深い関わりを持っているんだ。だから私だけではなく、私の家族にとっても、日本への航海はとても意味深いものだったんだ。
●実はナイノアさんは、ハワイでの仕事の都合もあり、日本国内での旅にはあまり参加できなかったようなんですが、今回の旅の途中、ホクレア号は、タヒチまでの最初の航海のクルーであり、一時期、鎌倉に住んで、日本のための古代航海カヌー、カマクラ号の建造に力を入れて下さった、今は亡きレジェンド・サーファー、タイガー・エスペリさんの追悼セレモニーを行なうために、鎌倉に立ち寄っています。その時の思い出を内田正洋さんが話してくれました。 内田さん「みんなタイガー・キッズなんですよ。で、タイガーの弟のルイが一緒にホクレア号に乗ってくれて、一緒にマカリイ号(ハワイの航海カヌー)を造ったクレイ・バートルマンの娘のポマイもいて、今のマカリイの船長でもあるチャドがいて、パティがいて、彼が毎日、長谷寺に日参していた時代から鎌倉に残した力みたいなものが、そのままあの場に表れて、タイガーもホクレアにものすごく感謝をして生きてきた人だから、ホクレアの意志だろうなって感じ。今回の航海でその一瞬だけ奇跡的に穏やかになるんですよ。実はそれが何回もあったの。だから、七里ヶ浜沖で本当に穏やかで、水深ギリギリまで近づけて、タイガーの遺灰を撒いて、タイガーが亡くなったときにオアフ島と同じ時間に僕らはセレモニーをしたんだけど、そのときのメンバーがみんなパドル・アウトして、サーフボードで来てくれて、アウトリガー・カヌーも来て、それで、なんだろうなぁ・・・、これがホクレアなのかなぁみたいな。『あぁ、やっぱりタイガーが呼んだんだなぁ』っていうのをハッキリと感じていたので、俺はカマヘレに乗ってしんみりしていましたよ(笑)」 日本への航海を通して未来が見えた<ナイノア・トンプソン>●準備期間に5年半、そして149日間の長い航海を経て、最終目的地の横浜に、無事到着したホクレア号。そんな日本への航海を通して感じたことをナイノアさんに聞いてみました。 ナイノアさん「我々が今回の航海で一番感じたことは、世界中の異なる文化と接することの大切さ。日本に来るのにはリスクが伴っていた。少なくとも我々はそう感じていたんだ。つまり、ハワイではとても重大な価値を持っているカヌーが、日本で全く受け入れられなかったらどうしよう。遠く離れた日本までやってきて、誰も関心を示してくれなかったら、この航海の意味は? そして航海の価値は無くなってしまうのではないだろうか? そんな不安があったんだ。
我々は個人、コミュニティー、そしてホクレア号として、自分たちの価値観のもと行動しなければならないと思っている。だから我々は日本と同じように、故郷であるハワイをしっかり守り、ケアしなければならない。我々の環境や資源を守らなければならないのだよ。ハワイという島を考えたとき、更には、地球という島を考えたとき、天然資源を消耗してしまったら戦争になってしまう。エネルギー資源を消耗してしまったら戦争になってしまうんだ。耐えられないような事柄や多種多様な異なる文化に目を向けず、ただ人種差別的な目でしか相手を見られなくなったら、間違いなく戦争になってしまう。異なる宗教に理解を示すことができなければ、やはり戦争になってしまう。このようなことを考えながらアメリカ合衆国の一州としてハワイを見たとき、私はとても不安になるんだ。
ホクレア号から日本が学ぶべきもの●環境問題とか、地球人として抱えている問題も山積みなんですけど、日本人としては内田さんが言うところのヤポネシアンとしてのアイデンティティーを思い出すための、いいキッカケをホクレア号が作ってくれたのかなって気がしますよね。 内田さん「そうですね。今回、ホクレアをカマヘレで瀬戸内海を引っ張ってきたけど、『セイリングしていないと価値ないじゃん』みたいな感じがあるじゃないですか。でも、全然違うのよ。観音様みたいなものを大事に大事に引いているっていう世界。そういうふうに見えるのね。大事なホクレアに今の日本を見てもらっているんだよねって思えたかな。要するにホクレアが持っているものっていうのは、おそらく今の人類が抱えている大きな問題のキッカケなんですよ。で、1000年以上前の航海をやってきたっていうことは、1000年以上前のことを体験するっていうことで、1000年前の世界までさかのぼれる。で、それが出来ているっていうことは、多分、そこに1000年分の知恵が入っているんだよね。だから、カヌーは学校だってナイノアが言っていたけど、本当に学校なのよ。で、日本はこれが学校であるということを、ハワイの人たちから直接受け取れるだけのベースを持っているってすごく感じるし、それを理解するのも日本は速いと思う。京都議定書も日本の京都で決めたことだから、それも日本の責任だし、多分、色々な責任が今から日本に関わってくる。だけど、そういうものに日本が対処していくためには、この21世紀にカヌーによる教育があれば、対処できる子供達が生まれてくるはずだってホクレア号を見ていて感じるのね。日本の海洋文化っていうのはとてつもなく奥が深いし、歴史も長いし、そんじょそこらじゃ壊れないっていうのが今回ハッキリと確認できたのね。だから多分、今、日本に忘れているものっていうことで、タイガーは『カヌーが必要だ』って言ったんだと思う。それが明確に分かってきたから、まず、カマクラ号を造って、で、今回、色々なところで『うちの町でも造る』って言われたんだよね」 ●最初にハワイでホクレア号が出来たときに起こった現象と同じ現象が日本でも起こっているんですね。 内田さん「今回、寄ってきたところではみんな必ず言うの。だから、ホクレア号が作った世界を日本がきちんと受け止めて、本当に小さな団体がやっているホクレア号の世界を、日本が構築していけるんじゃないかなって思いが、今回、確信に変わった感じがしていたから、今日、着いて終わったっていう感じが全然していないんですよ。『あら、なんだよ!? ここから始まるのかよ!?』みたいな感覚が今日、横浜でしたんですけどね」
タイガー・エスペリさんのインタビューもご覧ください。
このほかの内田正洋さんのインタビューもご覧ください。
日本人クルーのひとり、内野加奈子さんのインタビューもご覧ください。
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■「ホクレア号航海プロジェクト」情報今回のインタビューを読んで、さらに「ホクレア号航海プロジェクト」について詳しく知りたくなった方は、下記サイトをご覧ください。
・ポリネシア航海協会(英語のサイト):http://pvs.kcc.hawaii.edu/welcome.html
また、夏休みにハワイに行かれる方は、ぜひ現地でホクレア号について学んできてはいかがでしょうか。オススメは、オアフ島の「ビショップ博物館」、「ハワイ・マリタイム・センター」そして、「ポリネシア・カルチャー・センター」の3ヶ所。いずれも詳しくは、ハワイ州観光局の公式ホームページをご覧下さい。 ・「ハワイ州観光局」公式ホームページ:http://www.gohawaii.jp/ ■海洋ジャーナリスト・内田正洋さん最新刊
『祝星「ホクレア」号がやって来た。』
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オープニング・テーマ曲
「ACOUSTIC HIGHWAY / CRAIG CHAQUICO」
M1. SOAK UP THE SUN / SHERYL CROW
M2. SOMEDAY / CECILIO & CAPONO
M3. NA PE'A O HOKULE'A / ALDEN LEVI
油井昌由樹ライフスタイル・コラム・テーマ曲
「FLASHES / RY COODER」
M4. FRIENDS / ELTON JOHN
M5. SAIL ON, SAILOR / THE BEACH BOYS
M6. THERE IS A SHIP / 白鳥英美子
ザ・フリントストーン・インフォメーション・テーマ曲
「THE CARRIAGE ROAD / JIM CHAPPELL」
M7. WHAT A WONDERFUL WORLD / LOUIS ARMSTRONG
エンディング・テーマ曲
「THE WHALE / ELECTRIC LIGHT ORCHESTRA」
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