2009年2月8日

打瀬舟を豊かな東京湾のシンボルに~漁師さんの金萬智男さんを迎えて

今週のベイエフエム/ザ・フリントストーンは金萬智男さんのインタビューです。
金萬智男さん

 漁師さんでNPO法人・盤州里海(ばんずさとうみ)の会の理事長でいらっしゃる金萬智男(きんまん・のりお)さんをお迎えし、東京湾の変遷や、伝統的な木造船、打瀬舟(うたせぶね)の復活のことなどうかがいます。

干潟で起きている変化とは!?

●はじめまして、今日はよろしくお願いします。盤州っていうのは地域的にはどの辺を指すんですか?

「よくいわれるのは、金田海岸といって潮干狩りが有名なところなんですけど、川崎から木更津に行くアクアラインの着岸点のところなんです。そこにかなり大きな干潟が残っているので、そこを盤州干潟っていうんですね。そこで漁業を営んでいるっていう感じです」

●昔は里海っていう言葉もなかったじゃないですか。里山というのが見直されるようになってから、それに対する里海っていう言葉も最近では耳にするようになったんですけど、盤州の干潟の近辺っていうのは、名前も「盤州里海の会」にしたのも、みんなが親しめる海という意味合いを込めて付けられたんですか?

「そうです。漁業とか漁場っていうのは結構、閉鎖的なところがあって、市民が入りづらいという部分があるから、もう少し市民の方に漁業を知ってもらったり、海を知ってもらったり、そこには漁獲以外の生きものもいるし、そういうものが共生して生態系をなしていくと、漁業者もひとつの生態系としてみるという部分で、僕たちは里海という言葉を使わせてもらったら結構広がりまして、おかげさまで少しずつ認知されるようになりました」

●活動自体はどういう活動をなさっているんですか?

「暖かいとき、春から夏にかけては、干潟探検っていって、子供たちだけじゃなくてお母さんたちと親子で干潟に来てもらって、生きものの観察会とか、植物の植生を見たりとか、漁業の話をその場でするとか、冬場は海苔、本業は海苔養殖なので、天日干しの海苔の体験を1月にもやりましたし、2月にもやりますし、そういう感じの活動が中心ですね」

●そんな活動をしている「盤州里海の会」なんですけど、金萬さんは今、木更津で現役の漁師さんなんですよね?

「そうです」

●子供の頃からずっと木更津なんですか?

「ええ。生まれも育ちも産湯までも全て東京湾の木更津です(笑)」

●(笑)。変わりましたか?

「いや、自分たちのところはさほど変わっていないです。幕張とか千葉の海とは全然違って、子供のときに遊んだ干潟がそのまま残っていますので、自分の状況ではほとんど変わっていないですね」

●漁という意味ではどうですか?

「かなり変わりましたね」

●現役でやっていらっしゃって、一番の違いってどんなところが挙げられますか?

「自分が20歳の頃から始めて、もう30年経つんですけど、その当時は、例えばアサリ漁に行くと、バカガイ漁もやっていたんですけど、水揚げが1日に1人で7万円くらいになっていたんですね。それが今はカイヤドリウミグモとか色々な問題があるんですけど、今は1万円にも満たない水揚げになっています。そこら辺の水揚げですね。漁師の収入がかなり激変しましたね」

●問題って色々挙げられていると思うんですけど、やっぱり温暖化とか自然環境の変化っていうのが大きいんですか?

「一概に温暖化とは言えないんですけど、例えば、冬場の海苔養殖では2~3度水温が高いんですよ。で、海苔も水温が高いと育ちが悪くて、去年から今年にかけての一番摘みっていうのはほとんど真っ青になっちゃった状況で、それを人間がどこまで対応できるかっていうところにきちゃって、2週間ずらしましょうよって言っているのにずらせない。それをずらしていけば温暖化にも対応できるんですけど、実際は温暖化の影響を受けているのかもしれないです」

●暖かくなる現象があって、私も今、このままの状態で旧暦の暦に戻すと1ヶ月くらいずれるじゃないですか。案外、それぐらいがちょうどいいのかなって思いました。

「そうかもしれないですね。多分、今までの地球の動きからしたら、10年~20年なんて短いスパンなんですね。それで急に温暖化ってわけでもないんですけど、去年なんかはすごくよかったんですよ。水温が低くて、状況もよくて海苔も当たったので、1年1年毎年違うって感じですね」

東京湾の豊かな海を取り戻すシンボルに打瀬舟を!

●金萬さんは「盤州里海の会」の理事長でいらっしゃいまして、それ以外にも打瀬舟建造プロジェクトの活動もなさっています。これは金萬さんが代表なんですか?

金萬智男さん

「代表っていうか、設立発起人なんですよ」

●この打瀬舟っていうのはどういうものなんですか?

「帆掛け舟っていうと分かりやすいかな。帆を上げて風を受けながら漁をするという船なんです。で、木造船なんですけど、昭和20年くらいまでは東京湾でも何百隻という船があったんですね。それが今は1隻もない状況なので、そういうものが東京湾にあったら楽しいんじゃないかと」

●木更津方面でも打瀬舟というのは・・・。

「あったみたいですね。それが結構報道されて、木更津の80歳くらいの方が『自分、若いときはやっていたぞ』と。『協力することあるんだったら、言ってくれ』ってそういう電話を結構もらったんですね」

●金萬さんご自身は打瀬舟の記憶や乗った経験っていうのはあるんですか?

「ないですね。写真でしか見たことないですね」

●では、本当に一世代前なんですね。

「そうですね。ちょうど自分の上の世代ですね。もうすぐ60歳になる人達が子供のときに見ていたと。帆を上げて東京湾を疾走している打瀬舟がいっぱいあったというのは聞いていますね。東京湾で一番大きかったのは、検見川で大打瀬という20メートル弱のすごく大きな打瀬舟があったんですね。それが東京湾で一番カッコイイという話で、昔のお年寄りが言うんですね。それを復活させようと。ベイエフエムの下も昔は海だったので、18メートルくらいの高い帆を上げて打瀬舟で漁をやっていたし、で、今はベイブリッジあるし、レインボーブリッジはあるし、俺の地元のアクアラインはあるし、その下を帆を上げて、木造船で走ろうじゃないかと。俺は漁師なので、できれば漁もやろうと」

●打瀬舟って一口で言っても、色々なタイプがあるんですね。

「そうですね。全国どこにもあったので、いまだに現役でやっているのが熊本だったり、北海道の野付であったり。野付のやつは去年、見てきたんですけど、小さくても、素晴らしくよかったですね。現役で30隻くらいやっていたんですかね。帆を上げて風に当たりながら漁をするという。で、そこの環境を守りながらやっているんですね。藻場というものを非常に大切にしながら、船外機をその場でつけちゃうと藻が絡むので、その上で傷めないように、藻にいるホッカイシマエビをとる漁だったんですね。東京湾でもそうやって環境を守りながら、もう一度豊かな海を復活させるシンボルには、打瀬舟がちょうどいいのかなと。それで始まったんです」

後世に残すためにも打瀬舟を!

●現在、打瀬舟建造プロジェクトという形で打瀬舟を作るという意味では、金萬さんですら見た記憶がないということは、実際に打瀬舟を造れる人、船大工さんも少ないんじゃないですか?

「最初はどうしようかと思ったんですが、探したら70~80歳代の方で3人ほどいまして、大打瀬舟を造った経験のある人はいなかったんですけど、もう少し小さな打瀬舟を造った船大工さんはいたので、昔の大打瀬舟の見本さえあれば造れるんじゃないかということで、それを探したら、2隻あったんですよ。現物が2隻で、それも全部FRPでくるんで浮いているので、それをまた解体して、見ながら設計していく感じになるんですね」

金萬智男さん

●1隻造るのにどれくらいかかるんですか?

「見積もりを取りましたら、大体2800万円ですね」

●約3000万円なんですね。

「ま、ベンツ1台くらいですね(笑)」

●(笑)。これは、一口船主という形で一般の方からも寄付を募っているんですよね?

「そうです。今のところ150人くらいで200万円も集まっていない状況ですけど、できる限り多くの人たちがひとつの夢を共有して、みんなで木を切りに行くところからやりたいなというのがあって、その形にしたんです。みなさんに一口船主として参加をしてもらっているのも使わずに、建造が始まったら使おうということでキープしていますので、多分、まだまだ先は長いですね(笑)」

●(笑)。計画は動き始めているけれども、建造が始まるのはまだ先という感じなんですね。

「ある程度、助成金をとろうかという話も出ているんですけど、そうすると近道は近道なので、そこら辺が今考えどころで、資金面で悩んでいるんですね」

●自分たちの湾の中で活動ができるという打瀬舟は、漁にも使えるんですか?

「漁にも使えますし、一口船主の方は子供たちと一緒に乗船体験してもらおうと思っています。そして、東京湾の網を引くのを手伝ってもらったり、航行するだけでもいいので、実際、今の状況では帆だけでは港からは出られないので、ある程度、動力をつけて沖に出ますので、それは安全にやりたいと思っています」

●打瀬舟が何艇か東京湾にバーっと行って・・・。

「それが夢なので、1隻だけあってもつまらないんですよ。みんなで競争しながらとか、そういうのがいいのかなぁとかって考えています」

●何艇かで漁をする姿っていうのも、見たいですよね!

「ええ。ただ、そこで問題になるのが船大工になってきて、船大工のきっちりした技術を記録に残しておかないと、後世の人たちがもう1回船大工をやりたいっていったときにできないので、そして、大打瀬に関してはまだ記録がないので、これは今回いいチャンスなのでとっておかないとと思っています。で、記録に残したら、正直なところまだまだ夢のまた先の夢なんですけど、海の学校みたいな専門学校を作って、そこに今ヨットなんかはマホガニーなどの木材で作るところが多いので、そういう船大工コースを作ってもらって、船大工の育成をすれば、また次の世代に技術を受け継げますからね。漁師もそうなんですけど、後継者がいないので、そこで漁師の学校をやってもいいですしね。その辺は色々な問題があるんですけど、今後、色々クリアしていけば時代は変わってきますからね」

●「復元してみたいよね」、「あれってどうだったんだろう」って思ったときに、遅すぎるっていうケースもあるわけですから・・・。

「始めたときに、それを言われたんですよね。『今ならできる』って言われたんですね。じゃあ、里海の会の活動はちょっと縮小して、継続的な活動はしているんですけど、今、休会という形をとっています。で、『この打瀬舟のことをやらせてくれよ』って言ったら、メンバーがOKって言ってくれたので、メンバーを変えて、東京オリンピックのヨット監督に入ってもらったり、復元をした事がある人にも入ってもらったり、日本一和船を持っている博物館の館長さんにも入ってもらったり、現実的にこの人たちでできるだろうって人たちが集まっているので、これを逃しちゃうとちょっと無理かなと」

●次の船大工さんも含めて、新しい東京湾の姿というのを、みんなで育てましょうよ!

「本当の豊かな海というのを打瀬舟から見られればいいなぁと思っています」

東京湾を“豊かな海”に!

●金萬さんの描く東京湾の姿ってどういう姿なんですか?

「明治44年に東京湾漁業図というものがあったんですね。そこには市原から横浜まで干潟は全部揃っていて、そこに藻場というアマモがいっぱい生えていたんですね。打瀬舟って藻エビ漁とも言われていて、藻にいるエビを引く漁だったりするんですね。そのエビがいれば生態系的にどんどん魚が増えてくると。色々な魚種も増える。僕は海苔漁なのでもちろんOKなんですけど、キレイな海ではなくて、見た目が汚くてもそういう生き物いっぱいの豊かな海が理想なんですね。透明度が高い東京湾っていうのはイメージが違うので、魚がいっぱいいてピョンピョン跳ねている東京湾がいいですね」

●東京湾もここ何十年の間で色々変わってきているじゃないですか。豊かな海から始まって、汚い海になって、キレイな海になって、今、また改めて豊かな海っていう表現が使われるようにって、「“汚い海”、“キレイな海”、“豊かな海”の違いって何なんだろう?」、「“キレイ”ってそういう意味なんだろう?」って表現の違いで勘違いする人もいれば、誤解のままきてしまっていたケースっていうのも、ようやく本来あるべき姿に戻りかけているのかなって気もするんですが、実際はどうなんですか?

「まだ徐々にですね。もっと多くの人に東京湾を知ってもらったり、触ってもらって、体験してもらうっていうのがいいんじゃないですか。そうすれば、少しずつ見えてきますからね。実は、自分だって東京湾の木更津で海苔をやっていますけど、お台場の海岸で海苔柵を作って子どもたちの環境学習をやったり、川崎の東扇島でも同じことをやっているんですね。東京湾をひとつだと思ってやっているので、そこに少しでも触れてもらうと、本来の東京湾の姿が見えてくるんじゃないかと思います」

●そのシンボル的存在になるのが、この打瀬舟。

「そうですね。打瀬舟があって、舳先では俺がビールを飲んでいるという(笑)」

●(笑)。楽しみながら自然のことを考えられるっていう。

「楽しみながらやらないと、何事も続かないですからね。出来る限り楽しもうと(笑)」

●(笑)。これからも盤州里海の会では色々な体験プログラムを続けられるんですか?

「打瀬舟ができてからは、盤州里海の会の活動も元に戻そうかという話をしています。とにかく今は一番に打瀬舟をやらないと船大工さんがいなくなっちゃうので、そこを一番優先しています」

●できれば打瀬舟を作るのに若い船大工さんなんかにも、参加していただきたいですね。

「そうですね。やりたいなっていう人たちにはどんどん経験してもらいたいですね」

●一口船主も募集中で、作る参加者も募集中で、みんなで未来の夢をかなえるために、東京湾の打瀬舟にみなさんのご協力をお願いしたいと思います。

「よろしくお願いします」

●金萬さんの夢は今のところ、打瀬舟を現実のものとして造り上げることでしょうか?

「夢いくらでもありますからね。これができたら、次のおにぎり屋さんを作るとか(笑)」

●そのときにはまた、おにぎり屋さんについてお話を聞かせていただければと思います(笑)。今日はどうもありがとうございました。

このほかの金萬智男さんのインタビューもご覧ください。
AMY'S MONOLOGUE~エイミーのひと言~

 金萬さんが子供の頃から干潟(盤州)など、風景が変わっていないってすごいことですよね! これから先もずっと変わらぬ姿を保って欲しいと思います。
 また、変わり果ててしまった東京湾に、古きよき打瀬舟をぜひ復活させて欲しいです! 今回、金萬さんのお話をうかがって私には一つの夢ができました。それはいずれもう一度、ハワイの外洋航海カヌー「ホクレア号」に来日してもらい、そのときには打瀬舟で出迎えるというもの。「ホクレア」と東京湾の打瀬舟何艇かが潮風に帆をはらませて走る姿、皆さんも観てみたくないですか!?
 東京湾に打瀬舟を復活させることは、“打瀬舟を豊かで美しい東京湾にするためのシンボルにしたい”という金萬さんの思いはもちろん、船大工さんの技術の継承にも役立つほか、木造の舟を作るためには手入れされた森が必要となるので、森林保全にも繋がります。更に、子供たちの環境教育にも繋がる・・・。こんな良いことづくしのプロジェクトに支援しない手はないですよね! 皆さんもぜひ一口船主としてご協力ください。

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漁師さんのNPO法人「盤州里海の会」理事長、金萬智男さん情報

打瀬舟一口船主、募集中!
 大きな帆を風にはらませ、東京湾を走りながら小エビなどを捕っていた木造帆船、打瀬舟。金萬さんが代表を務める「東京湾に打瀬舟を復活させる協議会」では、そんな打瀬舟を東京湾に復活させるために、現在、一口1万円で、3,000口を目標に「一口船主」を募集中です。個人でも非営利法人でも企業でも一口1万円から。船主になると舟の完成後、乗船体験が出来ます。皆さんもぜひご支援ください。
 尚、詳しくは「東京湾に打瀬舟を復活させる協議会」のホームページをご覧下さい。

 東京湾に打瀬舟を復活させる協議会のホームページ
 http://utase.yokochou.com/

NPO法人「盤州里海の会」
 干潟の恩恵を受ける漁師さんと一般市民が一緒に、“人と生き物”が共生できる里海を目指して活動することを目的に、盤州干潟で漁業を営む漁師さんが中心となって作った会。

 盤州里海の会のホームページhttp://www.satoumi.net/

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オープニング・テーマ曲
「ACOUSTIC HIGHWAY / CRAIG CHAQUICO」

M1. 海に来て / 松任谷由実

M2. FISHERMAN'S SONG / CARLY SIMON

M3. AGAIN / LENNY KRAVITZ

ザ・フリントストーン・インフォメーション・テーマ曲
「THE CARRIAGE ROAD / JIM CHAPPELL」

M4. 海に出かけた / 斉藤和義

M5. YESTERDAY ONCE MORE / CARPENTERS

M6. 海 その愛 / 徳永英明

エンディング・テーマ曲
「THE WHALE / ELECTRIC LIGHT ORCHESTRA」
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