2009年5月10日
今週のベイエフエム/ザ・フリントストーンのゲストは、山本高樹さんです。インド北部の山岳地帯ラダックの魅力とは? |
標高3500メートル、冬は雪と氷に閉ざされ、昔は外国人が入ることは許されていなかった、インド最北部の山岳地帯ラダック。そんなラダックに暮らした山本高樹(やまもと・たかき)さんをゲストに、辺境の地での人々の暮らしぶりや伝統、そして彼らから学んだことなどうかがいます。
●はじめまして、よろしくお願いします。早速なんですが、「ラダックの風息」というご本を出版された山本さん。一般の方はラダックという地名が聞きなれないと思うんですが、どの辺にあって、どんな場所なのかご説明していただけますか?
「はい。インドの最北部にある山岳地帯なんですが、ヒマラヤ山脈とカラコルム山脈に挟まれている、標高3500メートルくらいにあるところです。で、地図を見ていただくと分かると思うんですが、国境線が破線になっていて、中国ともパキスタンともちゃんとした国境が確定していなくて、『こっちは自分たちの土地だ』みたいなことを主張しているのに挟まれている、ちょっと微妙なエリアなんですね。なので、20~30年位前までは外国人も入ることができなかった場所だったんです。今もインド軍にとっては重要な軍事拠点でもあります。」
●そんなラダックに約1年半暮らしていらっしゃったんですよね?
「はい。2007年の春から2008年の夏の終わりくらいまで、足掛け1年半ほど滞在していました。」
●知ったキッカケを含めて、どうしてラダックだったんですか?
「8~9年くらい前まで出版社で働いていたのを一旦やめて、半年間くらいアジアを横断する長い旅をしていたんですね。で、その途中であまり予備知識もなく、『あ、行ってみようかな』と思って、長距離バスに乗ってラダックを目指したんですが、標高が高いので案の定、高山病になりまして(笑)、フラフラになって『あぁ、もうダメかもしれない』と思いながらバスに揺られていたら、ラダックって場所に着いたんですね。
ラダックを象徴するすごく立派な僧院があるんですけど、そのティクセ・ゴンパという僧院が窓から見えた瞬間に『うわっ! なんだここは』と、例えて言うなら一目惚れみたいな感じで、理屈ではなかったですね。」
●高山病でふわっとしているから余計に感じるものもあったのかもしれませんね(笑)。
「そうかもしれないですね(笑)。そのときは、移動日も入れて10日くらいしかいなかったんですけど、ラダックを離れるときも『僕は絶対にここに戻ってくるな』って予感めいたものがありました。それが、どうしてかって聞かれると説明しにくかったんですけど、その思いがずっと心の中にあって、僕は職業がフリーライターなので、いつかものを書くという形で、このラダックに戻ってきたいという思いがずっとあったんですね。で、『よし。思い切って行こう』と。それで決めて、ラダックで暮らすことを始めてみました。」
●やっぱり、ちょこちょこと行くよりは、どっぷりと腰をすえて、長期で滞在してそこの生活に入るほうが、本当の文化とかそこの人々のことが見えてきますもんね。
「そうですね。本を書くという動機があったので、仕事の合間にちょこちょこと日本から通っているようだと、結局、底の浅いものになってしまうんじゃないかという思いがあったんですね。ただ住んでみたかったんですね(笑)」
●(笑)。とにかくそこに行ってみたかった?
「みんなに『なぜ?』って聞かれるんですけど、ラダックに行ったことある人に『なんか、また戻りたくなるよね』って言うと、『あー、分かる!』ってみんな口を揃えて言うので、そういう不思議な魅力を持った場所だと思いますね。」
●はじめは高山病で、立ち寄った寺院を見て、「なんだこりゃー!」で惹かれて住んでしまったラダック。実際に長期滞在でラダックに行かれたときっていうのは、それまで描いていたイメージと近い場所でしたか?
「想像していたよりもさらに奥が深かったという言い方がいいんじゃないかと思いますね。ラダックという土地にはラダック人といわれているチベット系の、日本人と近い顔立ちの民族が暮らしています。で、日本の6分の1くらいの面積のところに、二十数万人しか住んでいない、相当少数の民族なんですが、言葉もチベット語の方言のラダック語というのを喋りますし、信仰している宗教もチベット仏教なんですね。とても古くから根付いていて、今、中国に占領されているチベット本土では、文化大革命のときとかにも、お寺の9割が破壊されてしまったり、今も信仰の自由がすごく制限されているんですけど、ラダックはそれ以前、800年~1000年くらい前のお寺がそのまま残っていたりとか、古いチベット仏教に基づく風習だったりとか、さらに古い土着の風習とかも残っているんですね。あちこち訪ね歩けば訪ね歩くほど、『こんなことやっているの!?』とか、『これはすごいな!』とか、挙げればキリがないんですが、とてもトラディショナルな風習が残っている場所です。それがすごく面白かったですね。」
●ご本でも拠点を決めては、あちこちお祭りに行ったりとか、取材をされたり、ご自身もかなり楽しまれた様子が伝わってきました。
「エンジョイしましたね。」
●ラダックは面積が日本の6分の1だそうですが、日本で例えるなら、どこのような感じですか?
「山が多すぎて、どこからどこまでラダックなのか、見通しても見通しても、また向こうに山があるみたいな感じなので、第一印象は『山』っていう感じですね。インダス川の上流の源流に近い川が流れていまして、その川沿いに水があるので、村が点在しているという感じです。一番大きなレーという町には2万人から3万人くらいの人が住んでいるんですけど、それ以外は村単位なんですね。で、標高が高くて極端に雨が少ない土地なので、冬の雪解け水で農業をしたりとか、牧畜をしたりとか、昔ながらの暮らしをしている人が多い土地ですね。」
●本のお写真を見ても、川は氷河が溶けた後のすごくキレイな色をしていますもんね。
「川の色も季節によって変わるんですね。夏の間は雪解け水が多くて白く濁った色になって、冬になると深緑の少し淀んだ感じの色になるんですが、夏から秋に差し掛かるほんの2、3週間の間だけ、エメラルドブルーの素晴らしくキレイな色になったりするんですね。それも、やっぱり長い間時間をかけて現地にいなかったら、分からなかった部分でもあったので、そういう意味でも長くいてよかったなぁと思っています。」
●気温はどうなんでしょうか?
「夏は日差しがすごくきついので、最高気温が25度から30度くらいまで上がるんですが、冬は本当に寒くて、最低気温がマイナス30度くらいまでになりますね(笑)。本当に何もかもカチカチに凍りつくという感じで、周りを山に囲まれていますので、冬は峠道が雪で塞がれてしまって、陸路で入ってくることができなくなってしまうんです。それで、トラックで物資を運んでくることもできないので、野菜も果物も入ってこないし、持ってきたとしても凍ってすぐにダメになってしまうので、ジャガイモとかニンジンを土に埋めておいて、食べるときに掘り出して食べたりしています。ちなみに主食は、ラダックで一番育てられている農作物というのが大麦なんですけど、それを炒って粉にしたものをツァンパと呼んで、それをバターを入れたお茶、バター茶で練って団子にして食べたりします。」
●それだけでも、ラダックには昔の文化が残っているなぁって感じますよね。
「外界からの急激な変化の波にさらされている部分もあって、ゴミ問題であったりとか、色々な問題も抱えてはいるんですが、本来持っている伝統的な生活様式というのは、ゴミが出ない生活で、食事で残飯が出ても全部家畜の餌になるし、糞尿も全部コンポストという形で、乾燥しているので簡単に肥料になるんですね。それを畑で使ったりとか、本当に循環型のすごくクリーンな村社会が営まれています。で、最近インドからの影響でそういうシステムが崩れつつあるのがすごく残念なんですけど、そういう昔ながらのいいライフスタイルをもっと世界中に知ってもらおうと活動しているNGOもたくさんありますし、ラダックっていうのはそういうモデルケースになりうる可能性を持っていると思うんですね。そういう意味でも、環境問題に興味のある方はラダックに行っていただくと、とてもいいんじゃないかなぁと思います。」
●ラダック内であちこち旅をしながら、「あっちでこういう祭りをやっているぞ」、「こっちでこういう農耕をやっているぞ」ときくと、ヒョイっと行って取材をしてっていう日々の1年半、長期滞在をなさった山本さんなんですけど、今振り返って一番印象に残ったことってなんですか?
「僕の中で一番ラダックの素晴らしさを感じたのは、人だったんですね。ラダックで暮らしている人が、自分が最初に一目惚れした理由だったので、あとから思い返してみると、僕はラダックで暮らしている人々に魅力を感じて『暮らしてみたい』と思うようになったんだと改めて思います。
僕は人の写真を撮るときに、自分に課していたルールがありまして、ラダックの挨拶は『ジュレー』と言うと、『こんにちは/さようなら/ありがとう』の意味があるので、必ず『ジュレー』って挨拶をして、覚えたてのラダック語で自己紹介をして、『写真を撮ってもいいですか?』というふうに聞いて、『いいよ』って言ってもらえたら撮るようにしていたんですね。『ダメです』って言われたらそのまま引き下がって、必ずコミュニケーションをとって、その人と関わった結果の写真を残そうというふうに思っていたんです。で、そういうふうにして自分の心を相手にできるだけ開いて、真正面から接すれば必ず向こうもそれに答えてくれるっていう部分があるんだと思うんです。本当に少数民族で、すごく苛酷な自然環境なので、家族、兄弟、親戚、友達、ご近所さんみんなが固く支えあっていなければ、バラバラになってやっていけないと思うんですね。でも、互いを支えあう絆がすごく強い人々なので、そうやって支えあっている人達っていうのは心に余裕があると思うんですよ。だから、僕みたいなよそ者がフラフラ行っても、やさしく受け入れてくれる度量の広さがあるんじゃないかと思うんです。その支えあうことで生まれる心の余裕っていうのが、ラダックの人々のすごく素晴らしいところだと思いますし、今まで僕が東京で暮らしてきた中で、いつの間にか見失った部分じゃないかなって改めて思うようになりました。」
●ラダックの過酷な自然がそういう人間性を育て、今に至るまで保たせている、そして、そういうところでの文化や伝統が受け継がれて、人間だけではなく、生き物にも同じような接し方をしていると思いますし・・・。
「そうだと思います。それは本当にチベット仏教というものが根幹にあるので、無駄な殺生は決してしないし、本当に物を大切にするし、人を敬う気持ちであったり、色々なものに対するリスペクトがある人々だなぁと思います。」
●ラダック語っていうのは、山本さんは前から知っていたわけじゃないんですよね?
「はい。知らなかったです。」
●身振り手振りで覚えていくっていう感じだったんですか?
「現地の一番大きな町の本屋さんに行くと、英語で書かれたラダック語の簡単な教科書みたいなものがあったんですね。で、それも買ってちょっとずつ勉強はしていたんですけど、全然上達しなくて、3ヶ月くらい過ぎてしまったんですね。で、そのときに現地で、僕と同じくらいのときに来て、村で農作業をして頑張っていたケイタ君という男の子がベラベラに喋られるようになっていて、僕はショックを受けたんですね。で、ケイタ君に『教えてくれ』とお願いしたら、そのあとすぐにケイタ君は日本に帰ったんですが、日本語のカタカナとラダック語の単語を合わせた対照表みたいな物を作って僕にくれたんですね。それを穴が開くほど見て、暇があればそれをずっと見続けて、自分でノートにも書いたりとかして、チベット語の文字は難しいので、カタカナで発音を起こして、それで、『これはこういう言い回しで・・・』みたいなものをちょっとずつ増やしていったという感じです。」
●例えば今、ラダック語で自己紹介をしていただくとどんなふうになるんですか?
「『ジュレー ンゲ ミン ガ タカ インレ』、『私の名前はタカです』、『ンガ ジャパン パ インレ』、『私は日本人です』という感じです。」
●イントネーションを聞いていると、日本の方言っぽい感じにも聞こえますね!
「ビックリするくらい似ている言い回しがありまして、日本語で『よっこらしょ』って言いますよね?。」
●はい。
「それを、向こうでは『あっぱらせ』って言いますね(笑)。ビックリしました。『似ているよー!』って言ったら、『そう?』って言われましたけど(笑)」
●ラダックに行かれて、あちらで体験されたことを踏まえた上で、今、日本に戻られて、日本を見たときに「こういう部分をもっと思い出せばいいのにな、参考にすればいいのにな」って思うことってありますか?
「もちろん環境面、農業のやり方だったりとか、そういった部分では色々なノウハウを、現地のNGOもたくさん持っていますし、参考になる部分はあると思います。
日常で暮らしている中で僕たち1人1人が出来ることっていうと、ご近所さんに会ったらちゃんと挨拶をするとか、スーパーやコンビニで買い物したら『ありがとう』と言うとか、1人暮らしの方だったら、もうちょっとマメに家族に電話をしてみるとか、疎遠になっている友達とご飯を食べに行ってみるとか、ちょっとだけ周りの人にやさしくするとか、ちょっとだけ気にかけてあげるとか、気遣ってあげるとか、それだけでも全然違ってくるんじゃないかなと思うんですね。『何言っているんだ!?』と思われると思うんですけど、実はそういうほんのちょっとしたことを、僕たち1人1人全員がやり始めたら、かなり変わると思うんですよ。それだけで、ラダックの人たちが持っているような心の余裕みたいなものが、少しずつ生まれてくるんじゃないかと思うんですね。
僕たち、なまじしがらみが多くて、生きにくい社会に生きているので、そういうのが抜けてしまいがちですけど、そういうのをちょっとやるだけで全然違ってくるんじゃないかと思っています。」
●心に余裕を持つっていうことが、全ての源ですもんね。例えば、環境問題にしても、親子の間でも、恋愛でも、仕事でもそうでしょうし、余裕がないとやりたくてもできないですもんね。
「そうですね。僕がとても尊敬している方で、もう亡くなった星野道夫さんがいらっしゃって、最近また星野さんの本を読み直しているんですけど、星野さんが本の中で『2つの自然』というお話を書かれていたんですね。1つは僕らの身近にある公園であったりとか、近くの山だったりっていう自然。それもとても大切で、日々の潤いになるものですよね。で、星野さんはもう1つの自然というお話をされていて、それは星野さんがとても愛されていたアラスカの原野の中でたった1人で見られていた、『この世にそんなところがあるのか』って思いたくなるほどの凄まじい自然。『そういう自然が世界のどこかにあるんだって心の中で思えるだけで、ポッと余裕が生まれる』っていうことを書かれていて、僕はそれがものすごく腑に落ちて、僕にとってもうひとつの自然というのはラダックなんだなと。今でも、真冬の山の中でフラフラになっているときに、雪の積もった川の対岸にアイベックスという野生のヤギの群れがいたときの角のシルエットを思い出すと、『今もあの山の中にはアイベックスがいるんだなぁ』って思えるんですね。それも、1つの余裕なんじゃなかなというふうに思います。」
●ラダックはみんなに行ってもらいたい場所でしょうか? それとも、独り占めしたい場所でしょうか?(笑)
「いや(笑)、みなさんに行っていただきたい場所ですね。もし、時間的、金銭的なご都合が許すものであれば、一度行ってみていただけると、みなさんの心に残る場所になるんじゃないかなぁと思います。」
●本の中にはトランスポテーションのこととかも含めて、細かい情報とかも載っているので、この本を持ってラダックに行っていただきたいですね。
「そうですね。後ろのほうにある旅行情報のページだけ、コピーして持っていっていただければ、それだけでやっていけると思います。」
●日常会話で使える単語なんかも載っていますしね。
「これが使えれば余裕だと思います。」
●私も頑張って覚えようかなと思います! 今日はどうもありがとうございました。
AMY'S MONOLOGUE~エイミーのひと言~
この番組で様々なゲストの方からうかがった言葉に「厳しい自然環境に暮らす人ほど優しさや思いやる心を持っている」というものがあります。都会でなに不自由なく暮らしている私たちは、一見幸せそうにみえて、実は溢れんばかりのモノや情報に押しつぶされ、心の余裕を無くしてしまっているのかもしれませんね。 |
フリーライター、山本高樹さん情報著書『ラダックの風息 空の果てで暮らした日々』
「スライド & トークショー」
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オープニング・テーマ曲
「ACOUSTIC HIGHWAY / CRAIG CHAQUICO」
M1. JUST LIKE HEAVEN / THE CURE
M2. LOVE AT FIRST SIGHT / STYX
M3. OLD DAYS / CHICAGO
ザ・フリントストーン・インフォメーション・テーマ曲
「THE CARRIAGE ROAD / JIM CHAPPELL」
M4. ANYWHERE LIKE HEAVEN / JAMES TAYLOR
M5. GOOD PEOPLE / JACK JOHNSON
M6. RELAX (TAKE IT EASY) / MIKA
エンディング・テーマ曲
「THE WHALE / ELECTRIC LIGHT ORCHESTRA」
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