2009年6月7日
「THE FLINTSTONE OCEAN OF HOPE」今回は「OCEAN OF HOPE」と題し、私たちに夢や希望を運んでくれる海に関連するおふたかたのゲストにご登場いただきます。まずは、グラミー賞・受賞プロデューサー「ダニエル・ホー」さん。「ダニエル」さんは4月にリリースされた海洋保護を支援するチャリティ・コンピレーション・アルバム、『KAI PALAOA』をプロデュースなさったんですが、今夜はそんなアルバム、『KAI PALAOA』についてのコメントをご紹介します。 そして、もうおひとかたは、プロ・ウィンドサーファーで海洋冒険家の「中里尚雄」さんです。「中里」さんはこの春、鹿児島の桜島から、沖縄本島の辺戸岬(へどみさき)まで、およそ650キロを、ウィンドサーフィンで28日間かけて横断することに成功しました。今夜はそんな「黒潮海洋横断~命のバトンタッチリレー」を振り返ります。
それらをリスペクトする気持ちになって欲しい <ダニエル・ホー> |
●そんなチャリティー・アルバムには『KAI PALAOA』というタイトルが付けられているんですが、このタイトルに込められた思いをこんな風に話していました。
ダニエルさん「『KAI PALAOA』は『クジラの海』という意味で、この言葉には『2つの海流が出会う場所』という隠れた意味合いもあるんだよ。
ちなみに『KAI PALAOA』は僕が今回のアルバムの為に書き下ろした曲のタイトルでもあって、更に、SIG ZANEがアルバムに提供してくれたデザインでもあるんだ。
このCDを通して、みんなが海やそこに暮らす生きものたちの大切さを意識し、それらをリスペクトする気持ちになって欲しいと思うよ。」
●幼いころから海と深く関わってきた「ダニエル」さん。そんな「ダニエル」さんが環境問題を強く意識するようになったきっかけを話してくれました。
ダニエルさん「少年時代はサーフィンをしたり、泳いだり、シュノーケリングをしたりと、ほとんど海で過ごしていたよ。釣りをしたり、カニを捕ったり、夜にはランタンでサンゴ礁を照らしながら矢で魚を突くトーチングをしたり、小さなカヤックで遊んだりと、岩やサンゴで傷だらけになりながらも、僕にとって海は常に冒険を味わえる最高の遊び場だったんだ。
今、僕はロサンジェルスに住んでいるんだけど、LAの海も美しいよ。ハワイに比べて水はちょっと冷たいけどね。ただ、あまりキレイでないビーチもあるから、海を出たとき、皮膚がかぶれていなければラッキーだよ。」
●そんな「ダニエル・ホー」さんはハワイの海についてこんな風に語っています。
ダニエルさん「海の中に入っているといつも癒されるよ。塩水は浄化作用があるし、夕陽を観ながら、ただ海に浮かんでいるだけで、クレイジーな日常から解き放たれる気分なんだ。だからこそ我々はそんな海の自然を守る方向に進まなければならないと思う。その大切な一歩を踏み出すために、このCDが役立つことを願っているよ。」
●ここからは海洋冒険家の中里尚雄さんにお話をうかがっていきたいと思います。中里さんは無事、「黒潮海洋横断~命のバトンタッチリレー」から戻られました。おかえりなさい!
中里さん「ただいまです!」
●ちょっと時間は経ってしまいましたけど、ご苦労様でした。そして、成功おめでとうございます!
中里さん「ありがとうございます!」
●海洋横断、長かったですね。
中里さん「長かったですねー。予定の3倍くらいでしたね。」
●時間がかかったのには色々な理由があるので、今日はその辺を振り返って、改めてうかがっていきたいと思うんですけど、3月13日に桜島を出発しまして、出発して2日目にして大きなアクシデントが起きまして、肋骨が2本バッキリと折れてしまって・・・。
中里さん「バッキリとね。レントゲンを見たら、しっかりと骨が離れていましたね。」
●どういう状態で折れてしまったんですか?
中里さん「まだ湾内を走っていたんですけど、その日は風がすごく強くて、順調にいっていたんですけど、すごい突風が入ってきて、あおられて飛ばされてしまったんですね。そのときに前に飛ばされて道具に当たったんです。ウィンドサーフィンのハンドルの部分ですね。ブームっていうんですが、そこが肋骨にもろに直撃して、『ポキッ』って音が聞こえたんですね。もちろん、グチャグチャって感じで飛ばされて、海に落ちて当たって、しばらく痛くて動けなかったですね。もう気絶寸前ですよね。で、何とか体力が回復するのを待って、今回の旅は伴走船をつけたんですけど、そのエリアだけ伴走船をつけなかったんです。」
●湾内ですしね。
中里さん「湾内だから、岸辺の近くを通ろうということでね。で、2キロ離れていたんですね。誰も見ていない、誰もいない中でその事故が起きたので、帰れるかどうか心配だったんですけど、10分くらいうずくまって、手を置いて『ヤバイ!』とか言っているうちに、だんだん体力も回復して、意識も戻ってきたので、何とか自力で岸に上がれたっていう感じだったんですね。で、たまたま上がったその目の前が偶然にも病院だったんですよ。だから、1人で行って、その間にみんなが駆けつけてくれて、ウェットスーツを着ていたけど、1人じゃ脱げないし、『いてーっ!』って言いながらみんなが脱がしてくれて、支えられてレントゲンを撮ったっていう感じなんですね。」
●これ、骨折した人だったら分かると思うんですけど、ウェットスーツを着ていて固定されているときはまだいいんだけど、それを脱がされたときの激痛ったらないですもんね。
中里さん「本当にそうだった! まだウェットスーツを着ていたほうがまだ締め付けられて、痛みが若干少なかったんですけど、脱いだ途端、激痛でしたね。」
●そういう状態だったら当然、お医者さんはドクター・ストップをかけるんじゃないですか?
中里さん「そう言っていました。でも、先生が『僕から“安静にして”って言っても、行っちゃうんでしょうね』って行ってね(笑)。」
●(笑)。そうして改めて再出発。
中里さん「事故を起こして2日後、1日休んで出発しました。」
●その後しばらくは順調でしたか?
中里さん「その後はやっぱり痛かったですよね。痛み止めを飲んでも効かないんですよね。モルヒネまでいかないけどなるべく強いのを出してもらって、それで何とか乗り越えられた感じですね。で、テーピングもトレーナーの木津さんに診てもらって、スペシャル・テーピングでしっかりと固定してもらって、それで助けられましたね。」
●痛みを乗り越えて、次なる1日1日のゴールにたどり着いて・・・。
中里さん「そうですね。1回1回のゴールというふうに気持ちを切り替えました。どこまで行けるか分からないってなったので、開き直りみたいなものが出てきて、この先見えないけど、行けるところまで行こうと気持ちを切り替えました。最初に組んでいた予定は一気に飛ばして、1日何十キロっていうコースだったけど、小刻みにいこうと切り替えて、それが結果良かったですね。」
●そうやってその場所その場所のゴールにたどり着いて、そこの人たちに迎え入れられて、子供たちに迎えられた瞬間っていかがでしたか?
中里さん「大感激ですね。なんとも言えない大感激。もう言葉にならないですね。痛みを乗り越えて、やっぱりブームを握っている間は痛いんですよ。で、意識も飛ぶんですよ。で、肘関節も痛くなって色々なところが痛くなるんですよね。薬も切れてくるんですよね。で、しゃがむだけで痛いのに、ブームを握って、激痛も走りながら、それでも歯を食いしばりながら、乗り越えて乗り越えてようやく、朝出て夕方着くっていうね。中には9時間以上走り続けて夜になってしまったこともありました。そこで出迎えてくれた人たちの温かみっていうのがね、すごく嬉しくてね。垂れ幕持って『宝島、おめでとう!』とかね、『徳之島、おめでとう!』とか色々な島の方たちや、諏訪瀬の子供たちとか色々な子供たちが、垂れ幕を持って出迎えてくれたんですよ。嬉しくて嬉しくてね。」
●来た甲斐あったって思いますよね。
中里さん「思いますね。もう嬉しくてね。子供たちもよく来たなって感じでね。リュックにも子供たちに渡すための夢のハガキが入っていますから、子供たちに渡して、海を渡ってこれを届けてくれたって、みんな真剣に受け取ってくれましたね。みんな夢について真剣に考えてくれてね。昨日も徳之島でお世話になった方からメールが来て、子供たちもしっかり夢について『自分はこういう大人になるんだ』ってしっかり取り組んでいるっていう言葉をいただきました。」
●今回の冒険の大きな目的が「命のバトンタッチ・リレー」ということで、ハガキをリュックに背負って、1回1回のゴール地点で、そこの子供たちに手渡して、それを受け取った子供たちは、それを読んで次なる自分たちへのメッセージを書いたハガキを中里さんに託して、次に繋がっていったんですよね。
中里さん「そうなんですよ。お願いしていないのに、もう用意してくれていたんですね。島々の人たちの間で連係プレーがすごくできていて、諏訪瀬の教頭先生が全校生徒6名、島全体の人口が47名という小さな島がいっぱいあるんですけどね。そういう島が10個以上もあって、その島の教頭先生同士が連携を取って、出迎え体制をとってくれて、もうすごかったですね。」
●それらの内容っていうのは中里さんも読まれたりしたんですか?
中里さん「はい。全部読ませていただきました。」
●どうでしたか?
中里さん「純粋な子供たちの夢が書かれていて、『これをリュックに入れてください』って言って、教頭先生と子供たちが渡してくれるんですよ。みんなネットワークがしっかりできていて、PTAはPTA同士で島で連携をとって、婦人会の方たちが連絡を取ってくれたり、学校の教頭先生同士で連携をとってくれたり、受け入れ態勢ができていましてね、色々な夢を語りましたね。子供たちと夢を語り合う交流会が一番嬉しかったです。」
●自分も次に運んでもらう手紙を書いている子供たちが、他の島の子供たちが書いた手紙を受け取って、それを読むわけじゃないですか。そのときのリアクションだったり、受け取った後の変化って、中里さんがご覧になって感じることはありましたか?
中里さん「すごく真剣な眼差しですね。本当に行ってよかったなぁって実感しているんですけど、学校の先生いわく、普段は大人の言うことなんか聞かなくて、話しても下を向いて遊んじゃったりする子供たちが、みんな真剣に僕の方を向いて話を聞いてくれたんですね。どの学校も。それを先生や親御さんたちがそういうお言葉を言ってくださって、本当に良かったなぁと思いましたね。真剣に、手間ひまをかけて、命を張ってでも伝えたいものっていうのがあるって言いましたけど、まさにそれを子供たちが感じ取ってくれて、子の後ろ姿は伝わったんじゃないかなって実感していますね。」
●中里さんはそれぞれの島でどういうお話をされたんですか?
中里さん「今回のテーマである夢について語ったんですけど、夢っていうのは思っているだけじゃなくて、最初の一歩が大事だよということをみんなに伝えたんですね。今回も僕はみんなに伝えたい夢があるってことを伝えて、そのためには最初の一歩が必要だ。一歩出たけど、そこには落とし穴があるかもしれない。僕は今回、その落とし穴っていうのは事故だったんですけど、肋骨を2本折って、それでも伝えたいものがある。みんなに会って夢を伝えるために最初の一歩目が出る。そして、二歩目、三歩目が出る。それで、だんだんゴールが近づいてくるということですね。
今回、このルートが夢のひな形になったんですけど、島を出発するときは次の島が見えないですから。見えるところもあるんですけど、みんなが持っている夢もゴールは見えないんですね。だけど、進んでいるうちに、だんだん真ん中くらいに来ると島が見えてくるわけですね。僕、そのときは『やったー!』って夢が近づいてきて嬉しくなるんですけど、『みんなもそういう気持ちで、最初ゴールは見えなくても、気にすることないよ。進んでいるうちにゴールは見えてくるからね。今回の冒険と一緒だよ』って話をしましたね。みんなすごく感じ取ってくれました。」
●島で出会った子供たちとは今でも交流を続けていたり、連絡が来たりするんですか?
中里さん「はい! 昨日も来て、すごく嬉しくなりましたね。で、自分の勉強机に夢について僕が残した言葉を親御さんが書いて、それをフレームに入れて、子供たちに勉強しなさい言って、『諦めそうになったら、これを見て夢について語っているんですよ』って、そんな言葉を昨日メールでいただきましたけど、嬉しくなりますね。」
●最終ゴールに着いたとき、やっぱり最初に感じたのはホッとしたって感情なんですか?
中里さん「ホッとしたのと、それ以前に信じる心は結ばれるなって思いましたね。今回、島と島を結んでいきましたけど、やっぱり信じる心が大事だなぁと思いましたね。出発のとき色々なトラブルがあって、スタッフでも離れていった方もいるんですが、『もう無理だ』って言ってみたりとかね。『やめろ』って言ってみたりとか。だけど、信じて残ってくれた人が最後まで伴走船でついてきてくれて、やっぱり信じるってすごく大きな力になりますよね。自分自身も『できる』って信じる心を持ってずっと挑んでいましたから、すごく大きな力になるんだなぁって実感しましたね。僕自身も色々なことで学んで確認できましたね。で、決して1人ではできなかった。伴走船がなかったらできなかった。で、船長さんとのコミュニケーション。また今回、船に乗ってサポートしてくれる方が4人いたんですね。中には仕事を全部キャンセルして28日間ずっとついてきてくれた、4人全員そうなんですけど、中には学校の先生だったけど、来る前に辞めてきてくれた方がいたんですね。その方は1泊2日で応援・見送りをするために来たんですけど、船に乗って僕が怪我をしたのを見て、学校を辞めて伴走船に乗ってずっとサポートについてくれたっていう方もいました。あと、残り2人は学生ですね。みんな僕を信じてついてきてくれた方。1人でも欠けていたらこの冒険はできなかったですね。」
●こういう冒険をすると、仲間の大切さっていうのが改めて確認できますよね。
中里さん「できますねー。島に着くと応援している人たちからメールが届くんですね。講話会に集まってくださった方からのエールが届いたり、『がんばれー!』って100人の声が届くと、すごく響くんですね。」
●これで、大きな冒険がひとつ終わりました。これから、どんどん暑くなります。夏になります。大体、これくらいの季節からですか、夏といえば中里さんは地元の大網白里のほうで、子供たちを相手にした教室を開催されていますが、今年もやる予定ですか?
中里さん「もちろんです! 今年で9年目になりますね。」
●夏の教室に集まってくれる子供たちに中里さんが一番伝えたいことって何ですか?
中里さん「それは僕、技術を教えるんじゃなくて、自然を通して自然を学ぶということですよね。ウィンドサーフィンでも風を掴んで、エネルギーを感じてスピードを出したりしますけど、それは自然の言葉というか、自分と自然との対話というか、自然を学ぶための道具であるに過ぎないんですよね。サーフィンでも波に乗りますけど、本当に波との対話というか、自然を知ってもらうために教室を開きたいなぁと思っているんですね。自然回帰ということで、自然を離れてしまった子供たちが、大人たちも多いですけど、そういうのを教えていきたいですよね。」
●それがもしかしたら、中里さんが肋骨を折っても「いや大丈夫だ。いける」って自分で確信をした。自然と対話してきた中里さんが、最終的には自分という自然とも対話できるから、自分自身に対しても強くなれるし、自信も持てるしっていう・・・。
中里さん「そうなんですよ。本当にエイミーさんの言う通りで、海に出ると1人しかいないんですよね。頼りになるのは自分しかいなくて、自分を信じるしかないんですね。あと『できる』っていう自信と、負けても向かう、波に巻かれても、倒されても、飛ばされても、それでもまた立ち向かうという自立するっていうことを、子供たちに学んでもらいたいんですよね。」
●本当にお疲れ様でした。
中里さん「ありがとうございました。本当に疲れました。」
●次回は是非、私たちも子供たちの教室をのぞきに行かせていただきたいなと思います。大人の教室ってやっていないですもんね?
中里さん「大人の教室はやっていないですけど、親子はやろうかなと思いますね。」
●じゃあ、愛犬すずとの親子で・・・(笑)。
中里さん「それはいいかもしれない(笑)。」
●今度、是非うかがわせていただきたいと思います。今日はどうもありがとうございました。
中里さん「ありがとうございました。」
AMY'S MONOLOGUE~エイミーのひと言~
KAI PALAOAはハワイ語で「クジラの海」という意味だとダニエルさんはおっしゃっていましたが、クジラたちが健やかに暮らす海が運んでくれる夢は、きっと希望に満ちたもののはずです。 |
グラミー賞受賞プロデューサー「ダニエル・ホー」さん情報チャリティ・コンピレーション・アルバム グラミー賞受賞プロデューサー「ダニエル・ホー」が、ハワイアン・アイランド・ハンプバックホエール・ナショナル・マリーン・サンクチュアリーの教育プログラムのためにプロデュースしたチャリティ・アルバム。
プロ・ウィンドサーファー/海洋冒険家「中里尚雄」さん情報 この春、「黒潮海洋横断~命のバトンタッチリレー」と題した、鹿児島の桜島から沖縄本島の辺戸岬までのおよそ650キロを、ウィンドサーフィンで28日間かけて横断する冒険を、見事成功させた「中里」さん。
写真絵本『地球のたからもの』
中里尚雄さんのホームページ:http://nakazatohisao.com/ |
オープニング・テーマ曲
「ACOUSTIC HIGHWAY / CRAIG CHAQUICO」
M1. BETTER TOGETHER / JACK JOHNSON
M2. KAI PALAOA / DANIEL HO
M3. WELO / TIA CARRERE & DANIEL HO
M4. WAIT FOR ME / DARYL HALL & JOHN OATES
ザ・フリントストーン・インフォメーション・テーマ曲
「THE CARRIAGE ROAD / JIM CHAPPELL」
M5. PLEASE MR.POSTMAN / CARPENTERS
M6. NEVER GIVE UP ON A DREAM / ROD STEWART
M7. DON'T STOP BELIEVIN' / JOURNEY
エンディング・テーマ曲
「THE WHALE / ELECTRIC LIGHT ORCHESTRA」
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