2009年6月14日
坂本達さんの恩返しプロジェクト・近況報告
今週のベイエフエム/ザ・フリントストーンのゲストは、坂本達さんです。 |
今週のゲストは、自転車の旅人、ミキハウス社員の坂本達さんです。坂本さんは1995年9月から99年12月まで、4年3ヵ月も会社から有給休暇をもらって、世界一周5万5千キロを自転車で走ってきちゃった方で、その後、2002年には自転車で日本を縦断する夢の掛け橋プロジェクトを行なうなど、精力的に活動されています。
また、世界一周の旅のときに、大変お世話になった方々に恩返しをしようと、国際的な恩返しプロジェクトにも取り組んでいるんですが、今夜はそんな坂本達さんに西アフリカ・ギニアの診療所建設、そしてヒマラヤの国、ブータンの幼稚園・小学校支援プロジェクトのお話をうかがいます。
●お久しぶりです。今日がお誕生日だそうで、HAPPY BIRTHDAY!
「ありがとうございます。今日6月14日で41歳になりました。」
●男はこれからです!(笑)
「(笑)。」
●そんなめでたい41歳の誕生日にご出演ということなんですけど、達さんが世界一周の旅をして、ちょうど10年になるそうですね。
「そうなんです。自転車で4年3ヵ月かけて世界一周をして、帰国してから10年目ですね。」
●1995年の9月にロンドンから出発して、1999年の12月28日に帰国ということなので、今年の終わりで丸10年になるんですね。そのあと、旅で出会った人たちのこととか、そのときに自分で感じたことを振り返りながら、子供たちに夢をかなえる素晴らしさ、夢を持つことの素晴らしさを伝えたいっていうので、夢の架け橋プロジェクトっていうのを2002年に、北は北海道から南は沖縄まで小学校を回りながら、同時に世界一周の旅の途中でお世話になった方、特にアフリカで達さんはマラリアにかかって、今、無事41歳の誕生日を迎え、ザ・フリントストーンに出演していただけるのも、アフリカの・・・。
「命の恩人達のおかげですね。」
●というわけで、そんな恩人達への恩返しプロジェクトということで、井戸を掘りました。まず、その世界一周の旅の模様は「やった。」という本になっています。
「もう14回目の増刷になりました。」
●すごい! そして、その井戸掘りプロジェクトに関しては『ほった。』という本が出ていますので、それを読んでいただければ、写真もふんだんに載っていますし・・・。
「ミキハウスのほうから出ています。」
●そして、さらにその時点で、『やった。』、『ほった。』って続いて、もう1冊書くんだとおっしゃっていました。井戸掘り以外にも恩返しプロジェクトのひとつとして、本当の意味での命の恩人、ギニアでお世話になったお医者さんのための診療所を作りたいっておっしゃっていて、それがついに「たった。」! おめでとうございます!
「ありがとうございます。4月に完成したということで、これも現地の命の恩人、ドクターのシェリフさんが地域の人達のために設備を作りたいっていうのが彼の夢だったので、それを応援させてもらって、実はまだ完成したのを見れていなくて、写真だけ向こうから送られてきたんですね。まず、デジカメを持っている人がいるっていうことにビックリしたんですけど(笑)、誰かに頼んで送ってもらったみたいで、それがやっと届いたところなので、今日はご報告ができたらと。」
●私たちもその写真だけは拝見しているんですけど、素敵な診療所ができましたね。
「はい。平屋の一階建てなんですけど、部屋が6個あって、ちゃんと診察室から、治療室から、薬局とか全部あって、色は白で屋根が緑に塗ってあって、とても素敵なところで、もちろん診療所ですので、トイレをちゃんと作って、水場も新しくちゃんと作ってというようなものが、やっと完成したという感じです。」
●でも、恩返しプロジェクトという意味では、マラリアで倒れて、下手したら命が危ないって状況のときに、現地の人たちですら行き渡らないお薬を、見ず知らずの旅人のために使ってくれて、確か、近所のおばさんがおにぎりか何かを作ってくれたんですよね?
「お粥を作ってくれたんですよね。」
●あ、お粥だ! しかも、達さんの「お粥が食いてぇー」っていうワガママに応えてくれてのことですもんね(笑)。
「はい(笑)。本当に作ってきてくれて、声出して泣きながら食べましたね。母ちゃんの梅干と一緒に(笑)。」
●(笑)。そういうことを考えると、薬を分けてもらって、命を助けてもらって、そのときに診療所があったら、他の旅人も今後は寄れるかもしれない場所ができたわけですから、気持ち的には井戸ができたときの「ほった。」よりも「たった。」のほうが一際嬉しかったんじゃないですか?
「そうですね。井戸を掘ったときは『できるかなぁ』って不安しかなかったから、単純に一緒に形になったっていうんですけど、今度はやっぱり広い地域の多くの人が、実際、僕、理屈じゃなくて本当に薬一つで生かされているので、マラリアも処置が遅かったんですよ。最後の村の薬を注射してもらわなければ、治らなかったっていう状況で、それで助けられていますので、実際、去年行ったときも、2日かけて村のほうから運ばれてくるんですよね。その1歳の子供がお母さんの目の前で亡くなっちゃったりとかね。そういうのを目の前で見ていると、生きていることの責任って言うと重たいんですけど、何か出来ることがあるんじゃないかっていうね。それがひとつ形になったので、多分、現地の人たちも会うと『いつ出来るんだ?』って声をかけてくれたりしていましたので、僕も恩返しプロジェクトとは言っているんですけど、今は現地の人の夢をお手伝いさせてもらえればっていう感じになっていて、井戸掘りのときは恩返ししたいなぁって思っていたんですけど、今はそういう人たちと一緒に何かやっていきたいなぁっていう気持ちですね。」
●井戸掘りもそうですし、今回の診療所もそうなんですけど、達さんの活動費っていうのは、『やった。』、『ほった。』等の印税をメインに使っていらっしゃるじゃないですか。で、井戸掘りのときもメンテが大変だからっていうので、現地の人たちが一緒になって作って、現地の人たちがこのあとも直せるようにっていうのはすごく考えて作られたじゃないですか。今回の診療所っていうのはどうなんですか? 建って、今後も進化していくと思うんですけど、今後は達さんがアシストする形になっていくんですか?
「そうですね。今、とりあえずハコができて、昔、彼の家で使っていた仮のベッドとか棚とかを運び込んで、一応、形にはなっているというところで、今年の秋にまた行く予定なんですが、今度は向こうに電気がないので、ソーラー・パネルを一緒につけて、あとは簡単な設備を一緒に作っていきたいなぁと思っています。こういう活動をしていると色々な方が本を買ってくださったりとか、協力してくださって、形にしたいという方が結構現れてくださって、それを当面やっていくと。個人的にはお医者さんを育てていくための奨学金制度を設立しようと思っていて、援助っていうと上からなんですけど、いずれ僕がそういうことをしなくても、現地の人たちだけでできるのが理想ですから、お医者さんを育てて、自分たちの力で設備をどんどん良くしていったりして欲しいなぁという思いがあります。で、今度は候補者が決まっているんですけど、その子達の学費を出してあげて、今他に2人インターンとして働いている医学生がドクターのところにいますので、彼らが一緒に新しい診療所で今年から医者として働いているはずです。」
●実際、現地に行って建った診療所を見るのは楽しみでしょ?
「楽しみですねー。」
●実物はまだ見ていないんですもんね。
「イメージの中では、朝暗いうちから患者さんが現れるんですよ。で、明るくなると、『あれはやっぱり人だったんだ』ってみんな朝早くに遠くから来て、診療所が開くのを待っているんですよね。キレイな水場がなくて、手を洗うところがなかったので、使ってもらっているんだろうなぁとか、実は今度、別棟で女の人がお産をする部屋と待合室を作りたいという話もあるので、それもできたら進めていきたいなぁと思っています。」
●産婦人科!
「ですね。ドクターは同じシェリフさんなんですけど、やっぱり知識がなくて、出産のときに病気に感染したりとか、お母さんが亡くなったりっていうのがすごく多くて、設備が整っていなくて、自分で産んだりしているので、その辺までお手伝いできたらなぁって思っているんです。」
●ギニアでのプロジェクトっていうのは、今後もまだまだ続いていきそうですね。
「どうなんでしょうね(笑)。ひとつ行くと、またその次が見えてくる感じなので、どうなるか分からないんですけど、いずれ僕の夢としてはシェリフさんをギニアから日本に呼んであげて、日本を見てもらいたいなぁと思っているんですね。ただ呼ぶだけではもったいないので、医療の現場とか、勉強とか研修とか受けられるような機会があればいいなぁと思っています。まだ、何の取っ掛かりもないんですけど(笑)。」
●(笑)。この先、徐々に必然的に達さんの活動は進んでいくので、時期が来たら、きっとそうなるんだろうなぁと思います。
●西アフリカのギニアに今年4月、診療所が完成しましたが、もうひとつ、今度はヒマラヤのブータンのほうで幼稚園 & 小学校支援プロジェクトが進んで、ついに学校が完成したそうですね。
「はい。これは、自転車で世界一周していたときに出会った僕の友達と、10年間連絡を取り合いながらやっていたもので、今年は休校しているんですけど、僕、早稲田大学で3年間授業を持っていて、学生をブータンに連れて行って、ホームステイをしたりとか、学校訪問をしたりとか、文化交流をしているんですね。で、その村の人たちに恩返しをしたいというのとか、世界一周中にお世話になって、結局、彼らって1円もお金を使わせてくれないんですね。食べ物も、泊まるところも、お土産も全部、自分たちのところに来たらって、おもてなしをしてくれて、日本に比べたら所得も低い国なのに、もてなしてくれている人たちに、恩返しではないんですけど、形にして感謝を伝えたいと。外国人がほとんど来ないところなのに、学生を家に泊めてくれて、やっぱり外国人を泊めているっていうだけで負担なんですよね。周りの目もあるし、布団も色々なところから借りてきてくれているし、行く度にひとつずつ設備をキレイにしてくれたりしているので、そんな村人達みんなに役に立つような小学校を未来の子供たちにということで。あと、その学区は幼稚園がないので、パイロット校になるように、幼稚園から小学校までというのを支援させてもらっているんです。その中心人物というのが世界一周中の私の『やった。』という本の128ページに出ているソナムちゃんっていうかわいい女の子なんですけど・・・。」
●とってもかわいらしい子で、あれから10年ですので、ずいぶん立派になられているんじゃないですか?
「今は3人目の子供がお腹にいて、もうお母ちゃんですね。そろそろ3人目が生まれているんじゃないですかね。」
●じゃあ、ソナムさんの子供たちはみんなその学校に・・・。
「そういうことですね。で、彼女は当時、学校の先生になるというのが夢だったので、応援したいなぁと思っていて、それが結局、先生としてずっとやっていて、今度は学校に行けない子供たちの先生をやりたいと言っていたので、彼女も夢を実現しているんですね。僕も会社とか色々な人に応援してもらったので、応援したくなる立場に今いるので、実は先月、開校式がありまして、行ってきたんですけど、実は一番ビックリしたのが、『学校が完成して、開校式やるから』って言うから行ってみたら、学校がまだ完成していなかったんですね(笑)。実はよくあることらしく、とにかく早く始めて欲しいという声が多かったので、とりあえず仮設のできているところから始めて、追々作りながら運営していくということが結構あるそうなんですね。とにかく開校式という『式』を日本以上に向こうは重んじているので、ちゃんとお坊さんを呼んでやるというのをしたかったみたいなので、僕も日本を離れられる時期が決まっているので、なんとかすり合わせて行くことができました。
あとはやっぱり、色々な人が周りから記念のお祝いを持ってきてくれたりとか、子供たちが新しくできた校庭とかブランコで遊んだりとか、みんなが喜んでくれたのがよかったですね。」
●子供たちもいつも以上に目が輝いていたんじゃないですか。
「そうですね。やっぱり親が嬉しそうなんですね。教育の機会というものがみんなに行き渡らないので、より良い教育を受ける機会を欲しいと思っている。その人たちに行き渡るようになっているので、お母さんとかお父さんが喜んでくれましたね。あと、新任の先生を3人雇っているんですけど、その人たちも希望に満ちた表情をしていました。」
●どんな子供がそこから育って、どういう教育を受けて、どういう大人になっていくのかっていうのが楽しみですね。
「そうですね。ブータンってよく幸福度が高い国って言われるんですけど、結局、そういう子供たちが国を作っていくことになるので、きちんとしたところで教育を受けられるようになって、自分たちなりのビジョンを持って、国作りをしていってもらえたらなと思うので、すごく楽しみですね。」
●今年、日本でも100年に一度の不況って言われていて、みんなが「苦しい」、「つらい」って言うし、感じているんですが、子供たちも受験を含めて大人っぽく悩んでいる部分があるじゃないですか。でも、ギニアもそうですし、ブータンの子供たち、親御さんたちが嬉しそうな顔をしていたってお話をうかがうだけでも、「私たちって贅沢な悩みなのかなぁ」って気もしてしまうんですけど、達さんはその辺どういうふうに感じていらっしゃいますか?
「でもやっぱり、日本は日本でみんな守っていくものも、それぞれ立場もありますので、すごく大変だと思います。でも、同時に色々な世界の中で今おっしゃられたように、学校に行けることとか、健康があって、明日が迎えられたりとか、平和があること自体がすごいことだなって思いますよね。去年、アフリカに行ったときも、ギニアの人たちは電気が限られていますから、大学生が夜、学校で勉強できないんですね。だから、空港とかガソリンスタンドに集まっているんですよ。『何やっているのかなぁ?』って思ったら、別にたむろしているわけではなくて、ノートを持ってきて勉強をしているんですよね。要は、試験勉強をしているんですよ。電気がないから、夜はタダで使える電気を使って勉強をしていると。やっぱり、彼らは勉強できることのありがたさをすごく感じていますし、仲間がそうやって集まってくることに嬉しさも感じていました。
あって当たり前と思うところは、それ自体が自分たちを不幸な見方しているか鳴って思うことはありますよね。今ある環境を感謝しながら、その環境を活かしていくことかなぁと。欲を言ったらキリがありませんし、もちろん世の中もいいときもあれば悪いときも当然ありますからね。自分の力の及ばないものって存在しますから、どうしても日本では万能感を持ちがちですけど、世界を回って自分の力でどうにかできることって本当に少ないっていう、謙虚さというのとはまた違うんですけど、大きいものがあるということをしっかり見つめることによって、100年に一度の危機でも、今ある環境でできることってなんだろうとか、その中でもそれをチャンスと捉えている人たちもいると思いますので、環境のせいにせずに、自分にできることはなんだろうって前向きに捉えていくことって、いつの時代も大事だなって思ったりしますね。」
●自分の夢をかなえ、今では周りの人たちの夢をかなえるお手伝いをしている達さんですけど、達さんにとって夢って何ですか?
「自分が夢がないと、進めないという大きい目標であって、それがあるからどんな大変なことも肥やしになるし、夢とか目標がないと人って共感も助けてもくれないので、やっぱりなくてはならないものだと思うんですね。で、以前は世界一周自転車で回ったときは、自分の個人的な夢だったんですけど、今は人の夢を応援させてもらうのも夢になってきて、人のためっていう言い方は変なんですけど、周りの人たちと一緒にやっていると、より多くの人が協力してくれたり、理解してくれているなぁと思うので、なくてはならないもので、自分にしかないもの。人はそれぞれ違う感性とか個性を持っているので、もちろん人に語れなくてもいいし、決して比べるものではなくて、ワクワクしたり、それがあればなんとかなるというようなものかなぁって思いますね。」
●また是非、学校も診療所も見てきたら、番組にご報告してくださいね。
「是非是非。ギニアのほうは今年の秋に行くと思いますので・・・。」
●また有給休暇ですか?(笑)
「有給休暇で(笑)。」
●気をつけて行ってきて下さいね。
「ありがとうございます。」
●今日はありがとうございました。
AMY'S MONOLOGUE~エイミーのひと言~
達さんのお話をうかがいながら、“夢”というものが持つ大きな力を感じていました。
夢を叶える過程では様々な人と関わることができるし、夢が叶ったとき、関わってくれた人々への感謝の気持ちを抱く謙虚さを与えてくれる。また、人の夢を叶えるお手伝いをしながら自分の新たな夢が見つかることもある・・・。 |
ミキハウス社員、坂本 達さん情報DVD『夢 その先に見えるもの~日本人サラリーマンとギニア人医師の友情』 HP:http://www.ne.jp/asahi/tm-office/yumesaki/
本『やった。』
本『ほった。』
尚、坂本 達さんの近況や情報については坂本さんの公式サイトをご覧ください。 坂本 達さんのホームページ:http://www.mikihouse.co.jp/tatsu/ |
オープニング・テーマ曲
「ACOUSTIC HIGHWAY / CRAIG CHAQUICO」
M1. THANK U / ALANIS MORISETTE
M2. WHAT I CAN DO FOR YOU / SHERYL CROW
M3. MY WISH / RASCAL FLATTS
ザ・フリントストーン・インフォメーション・テーマ曲
「THE CARRIAGE ROAD / JIM CHAPPELL」
M4. ALL OVER THE WORLD / ELECTRIC LIGHT ORCHESTRA
M5. BRIGHT EYES / ART GARFUNKEL
M6. A DREAM GOES ON FOREVER / TODD RUNDGREN
エンディング・テーマ曲
「THE WHALE / ELECTRIC LIGHT ORCHESTRA」
|