2009年7月5日
フリーライターの木野龍逸さんを迎えて、
今週のベイエフエム/ザ・フリントストーンのゲストは、木野龍逸さんです。 |
自動車の環境問題などを取材しているフリーライター、木野龍逸(きの・りゅういち)さんをゲストに、ハイブリッド・カー、プリウスの開発秘話などうかがいます。
●はじめまして、今日はよろしくお願いします。木野さんは主に自動車の環境問題などを取材されていて、先頃、文藝春秋から「ハイブリッド」という新書を出されました。この本は今やハイブリッド・カーの代名詞となっているトヨタのプリウスの開発ドキュメンタリーということなんですが、木野さん、実は私、車には本当に疎いんですよ(苦笑)。
「大丈夫です(笑)」
●全く分からない私にも分かるようにご説明いただければと思います(笑)。
「できるだけ、車の分からない人向けに書いてくれといわれていたので大丈夫ですよ(笑)。」
●タイトルがズバリ「ハイブリッド」。やっぱりハイブリッドってそんなにすごいんですか?
「そうですね。車が出来て今まで100年くらいはエンジンがついていて、ガソリンとか軽油を燃やして走るものが主流で、そればっかりをずっとやってきたんですね。で、そこに電気っていう、全然別のものを合わせてやるっていう発想自体が新しいものじゃないかなって思うんですね。実は、ハイブリッド自体は100年くらい前に、スポーツ・カーのポルシェを作ったポルシェ博士という方が、100年前にハイブリッドの車を作っていたんですよ。」
●そういう意味ではハイブリッド・カーって結構歴史が古いんですね。
「そうですね。実際に何台か販売もしていたらしいんですけど、それが100年経って、ガソリン代が上がったりする中で、もう1回見直してみようというところで出てきたのかなという部分はありますね。」
●100年前にポルシェが出していたハイブリッドっていうのは、出てはいたけど性能的にはそんなに・・・。
「結局、電池が全然よくなかったんですね。携帯電話の電池もそうですけど、昔の携帯とかって、すぐ電池がなくなったし、今の小型のものとは違って大きかったですよね。あれと一緒で100年前の電池っていうのは、車を動かすには非力だったんですね。距離がそんなに走れなかったりとか、それがあったのでポルシェさんは電池に後付けでエンジンをくっつけて、発電しながら走ると長く走れるってことで、ハイブリッドを作ったみたいですけどね。」
●発想はよかったんだけど・・・。
「発想はよかったんだけど、物がついてこなかった感じですね。当時にはちょっと早すぎたんですね。」
●そういう意味では、トヨタさんがハイブリッドに着目したのはいつ頃なんですか?
「1960年代の後半くらいに、オイル・ショックのちょっと前で、これからガソリン以外のものも燃料にしないといけないなっていうことで、電気を組み合わせたハイブリッド車を60年代後半に作った方がいらっしゃったんですね。その後、1975年、1977年の東京モーターショーにそれを出品しているんですけど、トヨタの一番最初の元を辿るとそこまで戻る感じですね。もう30年位前ですね。」
●その時代に一旦は作られて、モーターショーにまで出品されたにも関わらず、その後はハイブリッド・カーのことって、全く聞こえてこなかったじゃないですか。
「そうなんです。結局、そのあとオイル・ショックが終わった後に、またガソリンが安くなってしまって、しかも、オイル・ショック前よりも安くなってしまって、車も性能がよくなってきて、値段もそんなに高くなくて、『じゃあ、ガソリンでいいじゃん』、『他のものは面倒くさいからやらなくていいじゃん』、『これ売れるし、やっておけば』ってなっちゃったんですよね。」
●完全にバブルな時代ですね(笑)。
「バブルですね(笑)。」
●でも、そんな中でトヨタさんが初代のプリウスを1997年の12月に完成させたわけですが、今ほど環境のことが言われていなかった1993年ごろからハイブリッドの開発をしているってうかがったんですね。「まだそんなこと考えなくたっていいじゃない」って頃から始めているわけですよね。
「そうなんですよ。1989年に温暖化っていう意味では、NASAの科学者の方が公聴会で発表して、それをトヨタの中でも聴いていた人がいて、それを聴いていた人っていうのが、60年代のハイブリッドの開発に若い頃に関わっていた方で、頭の中にはずっとあったみたいなんですけど、それがアメリカで実際に発表されたことで『これはまずい。やらなきゃいけないな』ということで、ちょうど90年代にその人が偉くなって取締役になったんですね。それで、『俺のお金でやるか』と(笑)。」
●そう言える立場にいたんですね(笑)。また同時に1992年にはリオで地球サミットも行なわれましたよね。
「はい。1992年のリオ・サミットにも、トヨタの研究所の人たちがプロジェクト・チームを作って、そのサミットで何をやっているかっていうのをきちっとチェックをしに行っているんですね。で、実際にプロジェクトに関わっていた人っていうのも、最初のプリウスの開発にリーダー的存在だったので、表の部分と裏の部分で繋がってはいるんですね。」
●先見の明があったトヨタのハイブリッド開発なんですけど、開発のテーマっていうのもあったそうで、それが「安全と環境」だそうですね。
「そうですね。安全自体は、実際に交通事故が増えていたのもあって、ひとつは安全をやらなければいけないだろうと。それはエアバッグを含めて、色々な機能をこれからもちゃんとやっていかなければいけないと。もう1つは環境ですね。これは先ほど話したリオのサミット関係を含めて、温暖化と、石油がこれからどうなるかっていうのを含めてやらなければいけないので、この2つは二本柱だねというふうにやっていたみたいですね。」
●60年代もそうですし、100年前のポルシェさんもそうですけど、電池だったりっていうソフトの部分がついてこず、うまくいかなかったハイブリッド車なわけじゃないですか。当然、車屋さんにとって電気関係のものを作ること自体って分野的には違いますよね?
「全く違いますね。だから、トヨタも60年代にやっていたころは、モーターは外部の電気メーカーに頼んでいたみたいですね。ただ、プリウスに関しては自分でやろうと。結局、外に頼むと高し、中身がわからないので、向こうの言い値で買うしかないじゃないですか。なので、極端な話ですけど、それこそスーパーで売っているものから『どれが安いかな?』って選んでくるしかなくて、それ以上は下げられないんですね。中身も分からないし。それではまずいので、今回は自分たちでやらなければいけないと偉い人が思ったみたいですね(笑)。現場はえらい迷惑だったと思いますけど(笑)。」
●(笑)。車メーカーに就職したつもりだったのに、モーターを作ったりとか電気を作ることになった人なんかも・・・。
「今までエンジンしかやっていないですから、当然エンジンを造る人はいっぱいいるんですけど、その人達がモーターをやらなきゃいけないわけですよ。『なんで、そんなラジコンじゃないけど、わけの分からない電気なんてやらなきゃいけないんだ』って思った人もいなくはなかったと思うんですけどね。」
●絶対いたと思いますよ。特に現場のレベルの人たちは。
「大混乱だったと思いますね。実際に担当を任された人は頭の中がグルグルしていたと思います。結局、それをダメだと思うんじゃなくて、その中に面白さを見つけて、次にこれをやればもしかしたらその次も何かあるっていう、別のものを作る人たちが見つけられたのかなぁと思いますね。」
●初代のプリウスって2年で発売にこぎつけたんですもんね。
「はい。2年のうちの1年っていうのは、車を作るための機械を調整しなきゃいけない期間なので、当事者に言わせると『実質、あれは1年か1年半だったんだ』って言い方していますけどね(笑)。」
●普通じゃないですよね(笑)。
「普通じゃないですね(笑)。普通の車の開発っていうのは、最近はモデル・チェンジが4年から5年だし、例えば、ヨーロッパの車なんかだと、もっと長くて6年から7年。要するに、その間に開発をやっているわけですよ。そう考えると、通常、ガソリン車でも4年から5年でやっているものを、なんで2年でやらなきゃいけないんだって、やらなきゃいけないようになってしまっただけで、現場は誰も2年でやろうと思っていなかったんですね。」
●できるとも思っていなかったんじゃないですか?
「思っていなかったみたいですね。」
●確か「クレイジー・プロジェクト」とかって名前も・・・。
「そうなんです。ハイブリッドのシステムの制御っていうんですけど、要するに、ハイブリッドってモーターとエンジンをいかにうまく、バランスよく動かすかっていうのがポイントなんですけど、そのまとめをやった人が自分で、『最近思い返すと、あれはみんなに不可能を可能にしたって言い方をされるけど、よく考えるとそんなものじゃなかったかな。私はあれはクレイジーだと思います(笑)』って自分で言っていらっしゃいましたね(笑)。」
●でも、やってのけちゃったんですよね。
「やっちゃいましたね。」
●プリウスを造っている間、他のメーカーさんってどういうふうに見ていたんでしょうか?
「さすがに業界の中では、ハイブリッドを開発しているっていう噂はあったみたいなんですけど、誰も1997年に出すとは思っていなかったみたいで、他社さんでハイブリッドや電気自動車を担当していた方に聞くと、『さすがに驚いた』と。で、その2年後くらいにホンダさんがハイブリッド車を出して、日産も同じくらいの時期に出しているんですけど、彼らはプリウスが発売される10ヶ月くらい前にハイブリッドのシステムの発表をしているので、その時点で『何でここまで出来ているんだ』って衝撃を受けて、これはヤバイって思ったみたいですけどね。その前はあまり本気で取り掛かっていなかったんですよ。」
●トヨタのプリウスの初代が1997年に発売されなければ・・・。
「(他社は)動いていないでしょうね。ハイブリッド車自体もなかったかもしれないですね。無理して作るものだと誰も思っていなかったので。プリウスが売れたので、みんなハイブリッド車、ハイブリッド車って言っていますけど、発売したころはそんなに売れなかったし、車自体もそんなに完成されていたものではないので、横目でチラチラ見ながらも、『うちらには関係ないかな』って思っていた方が大半だと思うんですね。正直に言っちゃうと、僕自身もそういうところがあって、確かにすごいなとは思ったんですけど、ここまで売れるとは思っていなかったですからね。」
●当初、トヨタさんが考えていた売り上げの見込みみたいなものには見合っていたんですか?
「トヨタさんの中でも意見は分かれるところなんですけど、プリウスを作った人は『ひと月に1000台くらいは売れるだろう』と。といっても、たかだか1000台なんですけど、別の部署の人たちは『そんなものは高いし、500台しか売れん』という話はあったみたいですけどね。ただ、500台だとあまりにも話にならない数なので、とりあえず1000台作らせてもらったっていう感じみたいなんですけど、ただプリウスの開発の責任者みたいな人は『私は自信があった』と。その方は今、トヨタの副社長なんですけど、『私は自信がありました』っておっしゃっていましたね。」
●自信がなきゃここまで斬新なものは作れませんもんね。
「そうですね。実際、どこまで自信があったかというのは分からないんですけど、作っていく過程で、自分で開発しているだけに、車のポテンシャルっていうのは、すごくよく分かったんだと思いますね。よそから見たりとか、他社がバラしたりっていうのではない部分で、色々なポテンシャルが見えたのかなという感じがしますね。」
●ご本の中で、ある方が実際にプリウスを購入して、バラバラにしてみたんだけど、どうすればこうなるのかっていうのが全然分からなかったってエピソードが書いてありましたね。
「全メーカーさんが買ってきてバラしたり、自動車関係の仕事をしている方っていうのは、1回はバラしているんじゃないかなって思うんですけど、もちろん、部品を組み立てるのは出来るんですけど、どうしてそれがちゃんと動くのかっていうのが分からなかったみたいですね。」
●そんなに入り組んでいるんですか?
「実は機械の構造自体は極めてシンプルな構造なんですね。これは開発の方もみんな言っているんですけど、作るだけなら難しくないそうなんですね。ただ、エンジンとモーターっていうのをうまく回していかないと、例えば、エンジンだけが動いていて、そのあとモーターで補助をしましょうっていうときに、くっつけますよね。で、それでタイヤを回すんですけど、回転数の違う2つのもの、違う動力のものを2つガシャンってくっつけると、当然、ものすごくショックが大きいわけで、どうやってそのショックを和らげたらいいのかって部分は、それこそ、ものすごい数のジグソーパズルをくっつけるみたいな作業を、一つ一つ詰めてやっていかないといけないので、結局、ただ単にバラしただけだと、それが何が何だか分からなかったみたいですね。」
●ここまで斬新なプリウスを作って、リーダー的存在になったトヨタさんなんですが、他社も後追いみたいな形では、いつまでもやっていられないと思うんですね。だとすると、今後もそれぞれ特徴的な車が出てくる可能性もあるんじゃないですか?
「今後も出てくると思います。全体の話をしてしまうと自動車業界が、アメリカのビッグ3がコケたりっていう状況の中で、次に何が必要かっていうのが、もう分かっているはずなんですよね。そこに何があるかっていったら、環境をやらなければいけないし、その中で、今はトヨタさんに遅れをとってはいますけど、他社さんもどんどんやって、特にホンダさん、日産さんっていうのは、日産はEV、電気自動車を発売するっては発表していますし、ホンダはこれからハイブリッド車を増やしていくっていうことをいっていますし、彼らもメンツにかけてやってくる部分っていうのはあるんじゃないかなと思います。逆にそれをやらないと彼らもビッグ3の状況が、いつこっちに降りかかってくるか分からないですからね。」
●またアメリカもオバマさんが大統領に就任してからも、色々動き始めているじゃないですか。そうすると、向こうのビッグ3もアメ車の新たな時代がもしかしたらくるかもしれませんよね。
「ただ、日本のメーカーさん、現状でハイブリッド・カーを作った経験があるホンダ、日産は、90年代にハイブリッドなり、EVっていうのを真剣にやっていて、たくさん売るまではいっていないですけど、当時の経験っていうのは少しあるんですね。その時期アメリカのビッグ3っていうのは、GMは90年代に1000台以上の電気自動車をリース販売していて、かなり性能のいいものだったんですけど、それを21世紀に入って、お金にならないということで捨ててしまったんですね。その差は大きいかなって思うんですね。今GMも一生懸命やっていますけど、1回やめてしまったものをもう1回もってくるのは、なかなか1年、2年じゃ難しいですよね。ただ、それができないと、影響があまりにも大きいので、何とかして欲しいなとは思うんですけど、かなり道は険しいかなって気がしますね。」
●そういう意味でエコ・カーの世界では今、日本がトップを走っているんでしょうか?
「圧倒的にトップを走っていると思います。かなり差がついていますね。ギリギリで追いかけてきているのが、ベンツなりっていうヨーロッパのメーカーかなぁという感じですね。電気やモーターを使う車は特になんですけど、日本の電池メーカーが凄く優秀なのもありますし、そういうのも含めて、そう簡単に追いつく差ではない感じですね。」
●このまま今後も環境のことを考えるリーダー国としてがんばっていって欲しいですね。
「そうですね。個人的には電気で動くんだったら、早く電気自動車を出してよっていう感じもあります(笑)。」
●(笑)。また、その電気自体も今では発電させる方法が色々あるじゃないですか。だから、間口がさらに広がりそうですね。
「そうですね。日本はソーラー・パネルとか、風車とかなかなか増えなくて、逆にそういう発電に関してはヨーロッパのほうが進んでいますけど、結局、電気ってエネルギーのソースがひとつではないので、そういう意味ではハイブリッドじゃないですけど、色々なものを組み合わせて、うまくバランスをとって使っていくようなやり方っていうのが必要だし、逆にやらないと状況がどんどん悪くなってしまうかなって感じはありますね。」
●今日、大分おりこうになった気分になっているので、また教えてください!(笑)
「(笑)。お手伝いできることがあったら呼んでください。」
●ありがとうございます。今日はどうもありがとうございました。
AMY'S MONOLOGUE~エイミーのひと言~
ハイブリッドカーの発想が100年も前からあったなんて驚きですよね! またトヨタが60年代にもハイブリッドカーの開発を試みていたことにも驚かせられました。
もしその頃ハイブリッドカーが出回っていたら環境問題も変わっていたかもしれませんね。でも悲しいかな人間という生きものは、危険が目の前に迫らないと行動しないから、この“もし”話はあり得ないのかも・・・(苦笑)。 |
木野さんの新刊『ハイブリッド』 |
オープニング・テーマ曲
「ACOUSTIC HIGHWAY / CRAIG CHAQUICO」
M1. TWO HEARTS / PHIL COLLINS
M2. JUST SINGING A SONG / NEIL YOUNG
M3. CRAZY FOR YOU / MADONNA
ザ・フリントストーン・インフォメーション・テーマ曲
「THE CARRIAGE ROAD / JIM CHAPPELL」
M4. DRIVE / THE CARS
M5. COMPLICATED / AVRIL LAVIGNE
M6. BEFORE THE WORST / THE SCRIPT
エンディング・テーマ曲
「THE WHALE / ELECTRIC LIGHT ORCHESTRA」
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