2009年8月16日
地球元気村20周年記念イベント・取材レポート今週のベイエフエム/ザ・フリントストーンは、地球元気村20周年記念イベントの取材レポートです。 |
1988年、山梨県・早川町でその産声をあげた地球元気村。自然に触れて元気になる、自然を軸に地域をつくり、人をつくる。そんなテーマをもとに活動を続け、20年が経ちました。 前夜祭のトークショー。左から司会の西沢依里子さん、風間深志さん、 佐藤秀明さん、西澤ヨシノリさん、シェルパ斉藤さん。 風間さん「僕はバイク乗りでバイクで冒険していますけど、自然の用い方っていうか、色々な形で色々な体験をなさっている方が、色々な角度から自然を話すほうが説得力があるっていうわけで、こういった方々に集まっていただきました。シェルパ斉藤さんは旅人ですよね。で、佐藤秀明さんは写真家/カメラマンですね。」 西沢依里子さん「佐藤さん、お言葉いただけますか?。」 佐藤さん「今、住んでいるところは東京なんですけど、こっちが好きでよく来るんですね。なぜ、この辺に来るかというと、自然風景が素晴らしいから。こっちに住んでいる色々な方とお話をするんですが、この辺の自然の良さに気がついていらっしゃらない方が多い。だから、これから地球元気村がこちらで活動されるそうですから、私たちと一緒にこの辺の自然を再発見していけたらいいなと思っています。」 西沢依里子さん「ありがとうございます。先ほどから虹があがったり、子供が水たまりで遊んでいたりするのを、すかさず写真を撮っていらっしゃったりして、全てフレームに収めていらっしゃって、素晴らしいですね!。」 風間さん「さっき外で雨が降って虹がバッと出たんだけど、そのときにふと僕の気持ちから出てきた言葉は、この辺に住んでいるおじさんたちを見て、『こんなところに住んでいるなんて、いいですね~』って言葉が自然と出たわけさ。こんなところに住んでいるって、望んでもなかなかできないってことを、ここに住んでいらっしゃる方たちは住んでいるわけだよね。で、住んでいるからこそ、この地域の良さっていうのを案外手に取るように分からないというか、日常の中に化けてしまっているから新鮮味がないというかね。しかし、外から来る方たちは大概感動しているし、『おやっ!?』っと思うところに感動して喜んでいるわけだよね。」 西沢依里子さん「西澤ヨシノリさんはお隣、長野県の上田市の出身でいらっしゃって、今の現役のプロボクサーでいらっしゃいます。」 西澤ヨシノリさん「長野県の上田市で生まれ育ちまして、自然の中で育ちまして、小さい自分からテレビの中のスポーツマンであり、芸能人であり、ヒーローというものにすごく憧れを持ったんですよ。ただ、友達なんかは『所詮テレビの中で、俺達には無理だ』っていう雰囲気があったんですけど、僕はスポーツ選手になって、田舎で育っても、努力をして目標をしっかり持てば結果を出せるんだ、挑戦すれば必ず結果がつかめるんだってことを自分自身に証明したいという気持ちがすごくありまして、今、43歳という年齢で現役のプロボクサーにこだわっています。」 風間さん「西澤さんの試合を見ていると、時々リング・サイドにゆかちゃんっていう小学校6年生の娘さんが『パパー! パパー!』って応援するわけだ。そうすると、西澤さんがブワーッとファイトするんだよね。」 西澤ヨシノリさん「そうですねー。」 風間さん「西澤さんの肥やしも家族。それから、家庭。日常の中にパワーの源があるんだなって思いますよね。僕なんかも、やっぱり帰るところがあるから頑張れるっていうところがあるわけだけどね。旅人のシェルパさんはどう?。」 シェルパさん「家庭の話なんですけど、僕こっちへ住んで14年目で、東京にいた頃より今のほうが旅が楽しいんですね。世の中には若いうちしか旅ができないみたいな風潮があるんですけど、逆に年を重ねているほうが色々なものが見えてくるというのがあって、深みも出ますし、ここに家を作って家族を持ってから、家に帰るのが楽しいんですよ。だから、昔は旅に行っちゃうと、旅が終わるのがすごく寂しかったんですけど、今は旅が終わったら家に帰るって感覚がいいんですよね。旅に出ないと家に帰れないわけですから。」 風間さん「ここを聞いて欲しいね。やっぱり、この場所が光っていなかったらいい旅もできないし、旅の目的も見失っちゃう。普段、自分が住んでいるところをよりよくするためには、地域を磨きこんでいかないとね。こじつけかね?(笑)」 シェルパさん「そんなことないですよ(笑)。今月の頭もアメリカとか歩いてきたんですけど、色々なところに行くと、自分で言うとうぬぼれになっちゃうんですけど、家が一番かなぁって思うんですね。だから余計、帰りたくなるんですね。我が家ってやっぱりいいなぁっていうのを再確認するためにずっと旅しているんじゃないかなって部分もありますね。」 風間さん「外国と比べてこの高根町はどんな部分がいいんでしょうかね?。」 シェルパさん「そこそこの自然と、そこそこの便利さ。それから人々が受け入れてくれるんですよ。」 風間さん「いい地域っていうのは必ずよその家の子供のことをおじさんがどんどん怒るね。よその子でも関心を持っているし、子供たちは大人って社会に対して、いつも目線を注がれているんだって、厳しさの向こうに暖かさを感じるっていうかね。それゆえに愛着を持つっていうか、そういう家族間、大人と子供のコミュニケーション、そういう暖かさというものが自然が濃いところにはあるような気がするんだよね。」 ★ ★ ★
前夜祭では地球元気村らしく、ライヴも行なわれました。地球元気村の講師陣には、ミュージシャンの方も多く名前を連ねてらっしゃいますが、前夜祭では、3組のミュージシャンの方が登場。まずはフリューゲルホーン奏者の神代充史(じんだい・みつし)さんのパートからどうぞ。
神代さん「今日、僕が用意したのは元気村の早川町の元中学校の校庭か何かでやりましたよね。そのときにわけの分からない人たちがテントを張っているわけじゃないですか。」 西沢依里子さん「『わけの分からない人たち』って!(笑)」 風間さん「いや、本当にわけの分からない連中がいっぱいテントを張っているわけだよね(笑)」 神代さん「『何しに来ているんだろう?』っていう人達がいっぱいいるわけですよ。それで、『夜も遅いから、いい加減に早く寝なさい!』とこの曲を演奏したんです。目の前に聴いている人は誰もいないですよ。みんなテントの中に入って寝ているんですよ。」 (放送ではここで神代充史さんのトランペット演奏による曲「夜空のトランペット」が流れました) 続いて、ケーナ奏者の長岡竜介さんと奥さまの、のりこさんの演奏です。お送りする曲は、オリジナルの“光あふれて”。この曲について長岡さんはこう解説してくださいました。 長岡竜介さん「私が一番数多く呼んでいただいている元気村が清水の地球元気村なんですね。そこもなかなかいいキャンプ・サイトで、山もあり、とてもキレイな川もあり、そこのさわやかな春の朝をイメージして曲を作らせていただきました。清水の暖かい光とか、光あふれている谷間とか、光を映す水面とか、そんなのをイメージしてなんとなくすんなり自然にできました。」 (放送ではここで長岡竜介さん、のりこさんご夫妻による「光あふれて」が流れました) ★ ★ ★
2日目の本祭りでは、北杜市長の地球元気村・開村宣言と発足式に続いて、風間さん、地球元気村の発起人のひとり、宇崎竜童さん、そして名付け親、阿木耀子さんのトークショーが行なわれました。 風間さん、阿木さん、宇崎さんによるトークショー。 風間さん「地球元気村という名前を、1988年だったと思いますけど、どういう気分で考えてくれたんでしょうか?」 阿木さん「やっぱり風間さん全体のイメージかな。自然派で素朴で温かい感じっていう。やっぱり、地球もひとつの生命体っていうか、地球自体が生きているって思うんですね。それが元気でいるといいなぁって祈りを込めてつけました。」 風間さん「なるほどね。そういう考え方自体がとても早かったと思うんですね。そういうふうに考えないうちに戦後復興、前へ進め、発展、豊かになるんだというわけで、そういったもののバックボーンを工業化とか、そういった中で技術革新とか、人々はとにかく前へ進むことの中で、どんどん忘れてしまったものが、地域の伝統とか、家族の絆とか。あるいはお隣さん同士の親切とかね。そういった中で人間性が薄れていく。そういったもののベースになるのが豊かな自然だし、地球の営みってものに寄りかかって僕たちはゆりかごのように生きているみたいな。今だから僕はこういうこと言うんですけど、あの当時、阿木さんはよくそういうことを考えていらっしゃったなぁって感心しているんです。」 阿木さん「私は(地球元気村のテーマ・ソング『地球は元気』の)歌詞を書かせていただいたので、そういうものを盛り込みましたけど、でも、もともと風間さんからの発案があったから・・・。」 宇崎さん「そうそう! アメリカにそういう運動じゃないけど、野外のスクールみたいなものを風間が見てきたじゃない? で、こういうものを日本でもできないかなぁというようなことを言っていたんだよね。」 風間さん「よく覚えていていただいて、ありがとうございます。あの頃、世界でやっていたのがアウトワーズ・バウンドとかあったのね。あと、アメリカにシェラ・クラブっていうのがあって、自然っていうものをもうちょっと大切にするクラブとか、モーションがあったのね。当時、日本ではそういうことに全く気がついていないし、むしろ違う方向に行って、今はひどいですよね。 僕は思うんだけど、あの頃そういう先見の明があるということは、自画自賛になるけども、未だにみなさんにとっても大切だと思うんだけど、世の中が変わったかというと、僕はむしろひどくなったような気がする。」 阿木さん「一方ではそれをすごく声高に叫ぶ人がいる中で、もう一方では全くな人達もいて・・・。」 風間さん「そうなんですよ。それが、今日は元気村でマイはし運動もやっていますけど、そういうエコの感覚とか認識とか高くなって日常的になってはいるんですけど、じゃあ、今の子供たちがどれだけ自然のことを知っているかとか、人間としての本当の強さを見につけているかってうと、とても疑問ですね。」 宇崎さん「多分、ここ何十年かで日本っていうのは、さっき風間が言ったみたいに戦争が終わったあと、頑張って経済大国になってきたんだけど、置き忘れたものがいっぱいあるなぁと思うんですよ。例えば、最近すごくつくづく思うのは親子関係とか、兄弟、上のお兄さんと下の子の関係、それから親戚関係、それから会社の上司と部下の関係、それから学校の生徒と先生の関係、これがちゃんとした段階がないというか、国として発展しなきゃってことに奔走した挙句、忘れたものがいっぱいあるんじゃないかなって思うんですね。」 風間さん「例えば、僕もヨーロッパに行ったら、本当にこの人たちは伝統を重んじているなって痛感させられる部分がいっぱいある。家は200~300年続いているし、隣に国境があって向こうの町に教会の塔があるんだけど、すぐ隣の国が見えるのね。そういった状況の中では、『隣の国はどうなんだい?』って意識で自分の国を見つめるって意識がずっと高いわけですね。僕らは太平洋と日本海に囲まれていて、本当に島国。本当に今、世界がどんな感覚でみなさんが生きているかってことを、悪いですけど知らないです。これはアメリカに行っても痛感する部分があるしね。だから、そういうものを見てきた大人や旅行者っていうのは、子供たちにいいことを伝えていかなきゃいけないって本当に思うんですね。その伝えたいことのいくつかは、元気村のテーマにもしていることがすごく多いんですよ。僕はこのやり方を地球元気村と呼ばせていただいているけど、他の名前でそのようなことをやっている方々もいっぱいいらっしゃると思います。そういう意味では、北杜市に是非応援をしてもらいたいというわけで、今日は忙しいのに名付け親と育ての親に来ていただきまして、本当にありがとうございます。」
ここで、風間深志さんに、この20年を振り返ったコメントを求めると、こんな答えが返ってきました。 風間さん「長かったっていうか、思い返せば短くも長くもあるんだけど、手ごたえはあったけど、成果というものは今ひとつ、自分でつかめていないっていうね。世の中を少しでも思う方向に行ってもらえばなんて大それたことを思うけど、なかなかうまくいかないね。うまくいかないし、早々たやすいものではない。でも、自分たちの世の中じゃないですか。で、僕の大好きな自然じゃないですか。そういったものを、うまくいかなくてもいいものだから薦めていきたいって気持ちでいっぱいなんだけどね。これからも頑張っていきたいと思う。がんばっていってもいいのかな? ガハハハ(笑)。そういうつもりでやっています。」 宇崎竜童さん、そして、阿木耀子さんにも、地球元気村20周年によせるコメントをいただきました。 宇崎さん「始めたころは、風間に縁のある山梨県の早川って場所で、過疎になっちゃって、小学校だか、中学校だかが廃校になった場所を使って、家族たちが都会からやってきて、自然の中で1泊2日、カヌーに乗るとか、山菜採ったりってことでもって癒されていったり、家族の団欒ができたらいいよねってことからスタートしたんだよね。で、今聞いたら、60村もできたっていうから、それはすごいことだなって思ったね。それだけ広がったことがね。僕自身はその60村のうちの5ヵ所くらいしか付き合っていないと思うんですよ。早川町と富山と静岡、あと埼玉にも行ったかな。引きずりまわされましたよ(笑)。 阿木さん「やっぱり継続は力なりっていうことだと思うんですけど、何でも20年続けること自体すごいなぁって思います。飽きないでいなきゃいけないし、いつもそこにエネルギーを注がなきゃいけないし、そういう意味で風間さんは粘り強い人なんだなって今日改めて思いましたね。 私たちは東京に住んでいるんですけど、こういうイベントでもないと、なかなか緑や風や海や山を感じられることは少ないので、時々、魂の洗濯に来たらいいんじゃないかなぁって思います。で、そのときに地球元気村っていうのがあるんだってことで来やすくもあるし、そこで色々なことが学習できるんじゃないかなぁって思います。」 宇崎さん「いつも元気村に誘われて、その日が近づくとだんだんストレスが溜まってくるんですよね(笑)。『行きたくねぇなぁ』って。俺はシティ・ボーイだから、『なんで森に行かなきゃいけないの? 何で山に行かなきゃいけないの? 何で川べりでテントを張らなきゃいけないの?』なんてことを思いながら行くんだけど、行って何だかんだ元気村で一晩みんなと触れ合ったり、自然と触れ合って帰ってくると、都会の垢が抜けているのね。そういう意味では、都会の垢を流しに元気村に来るのはいいことかなぁと思っているから、そういう気持ちがあったら、みなさん元気村にやってきてください。」
最後に風間深志さんに地球元気村の魅力について聞いてみました。 風間さん「それぞれの地域の良さがあるので、一言では言えないんだよね。ただ、自然を大切にしているところが一番、外から行っても気分がいいよね。というのはなぜかっていうと、外から行った外来者にとっても、自然っていうものは絶対に自分の味方なんだよね。偏見を持って見ないし、受け入れてくれるのが自然でしょ。それが多ければ多いほど、自分はその村に町に歓迎されているっていう意識を持つからね。自然があるところが僕にとっては一番いい元気村かな。」 |
このほかの地球元気村レポートもご覧ください。
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AMY'S MONOLOGUE~エイミーのひと言~
風間大村長は地球元気村の魅力はひと言で言えないとおっしゃっていましたが、いくつかのつどいに参加させていただいたことのある私個人の意見では、地球元気村の魅力は参加者を元気にしてくれるところだと思います。日本全国あちこちで開催されているつどいは確かにその場所によって違った魅力がありますが、例えどこのつどいに参加したとしても共通していえるのは、様々な自然や人々と触れ合い元気をもらえること。まぁ、私の場合、風間大村長の笑顔と触れただけで元気になってしまうのですが・・・(笑)。 |
地球元気村・情報 冒険ライダー/大村長の風間深志さん、ミュージシャンの宇崎竜童さん、俳優の根津甚八さんが発起人を務める地球元気村は1988年、山梨県早川町の廃校で最初のつどいを開催して以来、徐々に活動範囲は広がり、各市町村との連携も深まって、現在までに日本全国の60ヶ所で、キャンプや自然体験プログラムなどを中心にしたつどい地球元気村を開催。そんな地球元気村が20周年を迎え、山梨県北杜市に常設の地球元気村が誕生しました! 地球元気村・村民募集中 地球元気村では常時 会員を募集しています。会員になると地球元気村のつどいに参加する料金や各種施設の利用料などが割引されるほか、年4回発行される冊子『元気村通信』が届きます。
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オープニング・テーマ曲
「ACOUSTIC HIGHWAY / CRAIG CHAQUICO」
M1. 真心おたがい様 / 地球元気村の仲間たち
M2. 夜空のトランペット / 神代充史
M3. 光あふれて / 長岡竜介 & 長岡のりこ
M4. 世界中の子供たち / ハーフムーン
ザ・フリントストーン・インフォメーション・テーマ曲
「THE CARRIAGE ROAD / JIM CHAPPELL」
M5. SONGBIRD / OASIS
M6. 鳥の目で / ひふみレインボー
M7. 地球は元気 / ひふみレインボー & 小泉小学校の生徒 & 地球元気村の仲間たち
エンディング・テーマ曲
「THE WHALE / ELECTRIC LIGHT ORCHESTRA」
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