2010年3月21日
無酸素登頂で実感した、生きていることへの幸せと、感謝する心 ~登山家・栗城史多をゲストに迎えて~
今週のベイエフエム/ザ・フリントストーンのゲストは、栗城史多(くりき・のぶかず)さんです。
登山家の栗城史多さんは、世界7大陸最高峰の単独無酸素登頂にチャレンジ中。既に6大陸最高峰の登頂に成功しています。昨年、世界最高峰のエベレストを、インターネットで生放送しながら登るという試みを行なったのですが、残念ながら、あと一歩というところで断念してしまいました。そのときの思いなども含め、栗城さんの登山人生を綴った「一歩を越える勇気」という本を昨年12月に出版されました。今回はそんな栗城さんから、単独無酸素登山にこだわる理由や、極限の苦しさを克服する方法などうかがいます。
無酸素登山にこだわる理由とは?
●今回のゲストは、昨年12月に、サンマーク出版から「一歩を越える勇気」を出版された、登山家の栗城史多さんです。よろしくお願いします。
「よろしくお願いします。」
●本を読ませていただきましたんですが、栗城さんは、大学生のときに登山を始めたということですが、きっかけはなんだったんですか?
「きっかけは、ストレートに言うと、失恋ですね。」
●(笑)。分かりやすいですね(笑)。
「山が好きな彼女がいたんですね。僕は東京で1年間、フリーター生活をしていたんですが、彼女のことが好きで、その子がいる北海道に戻ったんですね。でも、フラれてしまったんです。そこで、彼女が登山をやっていたこともあって、『山って、どういうものなのかな』って思って、大学の山岳部に入ったんです。」
●そんな栗城さんの登山スタイルというのが、無酸素での登山ということですが、この方法で登る理由とかこだわりってあるんですか?
「人間が登ることができる限界高度は7500メートルと言われているんですね。そこから先は『デスゾーン(死の地帯)』と言われていまして、酸素ボンベがないと苦しい世界なんですけど、そこを僕はあえて、酸素ボンベを使わずに登っていくんですね。僕は使ったことがないので、よく分からないんですけど、酸素ボンベがあると、体は楽なはずなんですよ。だけど、酸素ボンベがあると、標高の半分ぐらいまでしか行けないんですね。8000メートルの山だと、4000メートルまでしか行けないということですよね。それだと、ちょっとつまらないんじゃないかなって思うんです。僕はやっぱり、8000メートルの標高を感じてみたいんですよね。寒さや苦しさなど、8000メートルの世界を受け止めて、山を登ってみたいと思って、無酸素にこだわっているんです。」
●デスゾーンと言われている、7500メートルまでだったら、普通の登山家も酸素ボンベなしで行けるということですか?
「頑張れば、酸素ボンベなしで行けると思いますね。」
●7000メートルぐらいまでなら、もうちょっと楽に行けるんですか?
「7000メートルぐらいなら、問題なく行けると思いますね。でも、中には体質的に高所に弱い方もいて、4000メートルでダメになる人もいるし、6000メートルぐらいまで行ったけど、そこから先は1歩も上に登れないという人もいますので、行ってみないと、どこまで行けるか分からないんですね。」
●栗城さんは、すんなり行けたんですか?
「実は僕、高所はダメなんですよ。」
●え!? ダメなんですか!?
「はい(笑)。肺水腫(はいすいしゅ)といいまして、肺に水が溜まっていって、最後には窒息死という、高山病で1番恐い病気がありまして、僕はそれに何回もなるんですね。3700メートルぐらいから、なり始めたこともありましたね。普通はそんな標高ではならないんですけど、僕は昔、ぜん息で、肺があまり強くないんですよ。肺活量を測ってもらったら、平均以下だということが分かって、全然すごくないんですよね。」
●そんな栗城さんが、初めて海外での単独無酸素登山にチャレンジした山が、マッキンリー(6194メートル)。高いですよねぇ(笑)。
「高いですね(笑)。この山は、酸素ボンベがなくても、問題なく行ける山なんですね。」
●どうしてマッキンリーを選んだんですか?
「これはですね、値段が安かったからなんです(笑)。海外の山に入るには、入山料がかかるんですよ。ヒマラヤだと値段が高いんですね。あと、先輩方は皆さん、ヒマラヤに行っていたので、僕はちょっと違うところに行ってみたいなと思っていたんですよね。しかも入山料が安くて、ヒマラヤだと普通、シェルパーという人たちを使わないといけないんですけど、そういうことも全くなく、自分1人で登れるところがないかなって探していたら、マッキンリーが入山料が18000円で、2400メートルのところにあるベース・キャンプにセスナで入るんですよ。そこに下ろしてもらったら『3週間後に迎えに来るね』っていって、帰っていくんですね。そういうところだったので、『これは自分にピッタリだ』と思って、それで選びました。」
●(笑)。このとき実は、栗城さんにとって、海外に行くのも初めてだったんですよね?
「そうなんです。初めての海外旅行だったんですよ。それまで、パスポートの取り方も分からなくて、周りは『何を言っているんだ!』って猛反対されました。」
●(笑)。しかもマッキンリーって6000メートル級の山ではあるけれど、北米の中でも、緯度が高い方なので、ヒマラヤみたいな、同じぐらいの標高の山と比べても、気圧が高いですよね?
「大体、700~800メートルぐらい高くて、7000メートル級の山と言われています。しかも、風も強いんですよね。それと、これは冒険魂なのか分からないんですけど、反対されたり、無理と言われたり、不可能だと言われると、どこかにもう1人の自分がいて、燃えてくるんですよね。ちょっと危険な考え方かもしれないんですが、触れちゃいけないものに触れてみたいんですよね。現実的なこともあるんですけど、なんで『お前はできない』とか『不可能だ』とか言われなきゃいけないのかなって思っていて、『行ってみないと分からない』と思うんですね。もし『不可能だ』とか『できない』と言われて、僕が『そうですね』ということで、諦めて止めていたら、この先、一生そういう風に言われたら、同じように止めるんだろうなって思っていたんですよ。それがすごく恐いなって思ったんですね。自分の中で、人間が勝手に作っている“不可能”という壁で、自分の可能性を押し殺すのが嫌だったんですね。登れなくてもいいから、一歩を踏みだしてみたいという思いがすごくあって、それでマッキンリーに行っちゃったっていう感じですね。」
苦しみに対して「ありがとう。」
●栗城さんの体格って、それほど大きいわけでなく、その辺りの街を歩いていると「あの人、ちょっとカッコいいな」っていう思うような感じですよね。
「いやいや、そんなこと言われたことがないです。」
●(笑)。実は先日、「栗城の体を調べてみよう」というテレビの企画で、色々検査をしたら、面白い結果が出たんですよね?
「そうなんですよ。驚愕な結果が分かりました。『無酸素登山をする人の体って、どういう体をしているんだろう』ということで、北海道で、大学の先生方が集まって、僕の体を調べたんですね。体に見たことのない装置を付けて、ベルト・コンベアーの上を長時間走らされましたし、血液を40回も採られたんですよ。走りながら採取するんですけど、針がうまく刺さらなくて、手が血だらけになりまして、それを見ただけで、脈の動きが激しくなりましたね(笑)。その検査で分かったことは、上半身・下半身の筋量、そして、登山家にとって1番大事な肺活量が、全て成人男性の平均以下だったんです。つまり、力が全然ないということが分かったんです。」
●でも、その中でも、“栗城の特別な能力”というのも分かったんですよね?
「そうですね。この検査をやっている中で分かったのは、重たい物を持ったりするような、瞬発系の筋力はないんですけど、分かりやすく言いますと、苦しみに適している体なんですね(笑)。どういうことかというと、例えば、疲れてくると、ハアハアと息があがってきたりとか、疲労物質が体に溜まってくるんですけど、それに対する適応能力が高いんです。乳酸ってありますよね?普通、乳酸って溜まってくると、筋肉痛を起こしたりするんですけど、僕の場合、乳酸値が高くても、ずっと動いていられたりとか、普通、アスリートって、体に負荷がかかってくると、呼吸数と心拍数が上がってくるんですけど、僕はそれを平均に保とうとする力があるんですよね。それは一体、なんなのかっていう疑問はありましたね。」
●なんだったんですか? 分からなかったんですか?
「うーん。要は、苦しみに強かったということだと思います。」
●(笑)。無酸素登山に向いていたということですね?(笑)
「そうですね(笑)。でも、僕は特別なことって、何もしていなくて、先生方も『筋肉の質がいいとか、そういうことではない』って言っていたんですよね。『もしかしたら、脳に原因があるんじゃないのか』って言われていて、どういうことかというと、脳をリラックスさせることがうまいのかもしれないんですね。普通、アスリートというのは、『少しでもいい結果を出そう』とか『あいつに勝ってやろう』として、自分をどんどん興奮させていくので、無駄な酸素を使ってしまうんですね。でも、僕の場合は8000メートルの山を登ってきているので、“いかに自分の体を楽にさせるか”ということを考えるんですね。登っているときは、息苦しいし、寒いということで『どうしたら、楽に登れるのか』ということを考えていまして、その実験のときも同じようにしていたいんです。そのとき、どうしていたかというと“苦しみに対して、感謝をする”ということをしたんですね。寒いですし、息苦しいし、苦しくてやっていられないんですけど(笑)、それを『なんて幸せなところにいるんだ』という風に考えるんですよ。その苦しみに対して『ありがとう』と思ったり、苦しみと仲良くしようとするんです。実験のときも一緒で、色々な装置を付けて、あえて呼吸がしづらくされて、すごく苦しかったんですけど、『これは、なんてありがたいことなんだ』と思っていたら、体や脳がリラックスしようとしたんだと思いますね。」
失敗しても、「これでいいのだ。」
●栗城さんが、山に入る前に必ずすることってありますか?
「登る前はプジャ塔という、石で祭壇を作るんですね。山の神様にお祈りをしてから、山に入るんです。個人的には、遠征の行く前と行った後に必ずすることがありまして、それは、自分の先祖のお墓参りと、母が17歳のときに亡くなっているんですけど、母の墓参りに行きますね。」
●「一歩を越える勇気」という本の中では、「山に登るときにお祈りするのは、『どんな困難でも受け入れます。ただ、自分の帰りを待っていてくれる人たちがいるから、無事に帰らせてください。それだけが望みです』という風にお祈りをした」と書かれていて、それ以外にも「『○○をしてください』みたいに、お願い事ばかりするのではなく、感謝することが大事だ。そのときの状況を受けいれることが大切だ」と書かれていたんですけど、山に入るときって、そういう謙虚さというか、酸素も何もなく、自分の体1つで、その自然の全てを受け入れるということですか?
「8000メートル級の山に、無酸素で1人で何回か行っていて、登頂したとか登頂していないということも大切ですけど、1番感じることは『生きていることだけでも幸せなことなんだな』っていうことなんですよね。例えば、下界だと当たり前のようにご飯が食べられたり、友達に会えたりすることができますけど、山に行っていると、1ヶ月以上は、そういうことができないんですよ。呼吸をすることだけでも大変だという世界にずっといると、『自分は、なんて色々なものに生かせてもらっていたんだ』とか『色々な人に支えられて生きているんだ』って思って、感謝の気持ちがでてくるんですよね。なので、登頂した・登頂しないとかじゃなくて、生きていることに感謝といいますか、自分はすごく幸せだなって思うと、事がいい方向に進んでいったりするし、自分が力まなくていいんですね。」
●本でも「山で大切なことの1つとして、“執着を捨てること”」と書かれていましたけど、これはどういうことなんですか?
「これはですね、山に行ったときに、どれだけ人間が頑張っても、限界があるんですよね。科学は、その不可能を可能にするんですけど、僕は、不可能はあってもいいんじゃないかって思っているんですね。無酸素で1人で登っていくと、山にコテンパンにされるんですよね。僕は、本当にダメだと思ったときは、引き返すんですけど、そのときに負けないで行こうとすると、登れなかったりとか苦しみが増幅したりするので、執着しないことが、生きて帰るためには、すごく大切かなって思います。」
●あと、先ほども言っていましたけど、「無理だよ」と言われると、燃えてくる自分がいる部分もあって、プレッシャーだったり困難なときに、それをバネにする、心のスイッチを入れるための呪文があると、本に書いていましたけど・・・。
「本当ですか。」
●あなたが書いたんじゃないですか(笑)。
「(笑)。自分で書いたんですけど、かなり忘れちゃっているんですよね。」
●その呪文が「これでいいのだ」ということですが、なぜ、この言葉なんですか?
「極端なことを言うと、失敗=ダメということじゃないと思っているんですね。何もしないことが、1番のダメなことだと思っていて、やってみて、失敗して引き返しても、生きていれば、またチャンスがあると思うんですね。だから、失敗も『これでいいのだ』と思って、言い方は悪いですけど、1つの失敗もネタだと思って、そういうことが溜まって、最後には成功に繋がると思うんですよね。なので、失敗してもいいんだと思って、やってみることが大切かなって思うので、それで『これでいいのだ』っていう風に考えています。バカボンさんの『これでいいのだ』みたいな感じですけど、こういうのが1つの理想系かなって思っていますね。」
●今回お話をうかがっていると、“感謝”という言葉がでていますけれど、山を登っていて苦しいときに、栗城さんが口にする言葉は、「くそっ! 行くぞ!」じゃなくて「ありがとう」という言葉だということですが、これはどういう意味があるんですか?
「きっと、苦しみに感謝をしていかないと、生きていけないんでしょうね。そういう思いは自然と出てきたんですね。『どうしたら、もっと楽に登れるのかな』って思って、色々試したことがあるんですけど、そういう苦しみって、逃げようとすればするほど、追いかけてくるし、立ち向かえば立ち向かうほど、増幅していくので、『もうどうしたらいいんだ』っていう感じになって、『もう受け入れるしかないな』って思って、受け入れるといったら、感謝するしかないなと思ったんですね。そうすると、進まなかった1歩が、前に出たりするんですよね。あと、山って恐いんですね。最後のハイ・キャンプは、真夜中にアタックしていくんですけど、『恐いな』と思って、山に行くのはダメなんですよ。なので『山って、自分を成長させてくれる、いいところなんだ』とか『なんて、自分は幸せ者なんだ』って思うことが、すごく大切だなって思いますね。」
夢を叶えるには、1日10回、人に語る
●栗城さんは昨年9月に、日本人初となる、単独無酸素でのエベレスト登頂にチャレンジしましたが、残念ながら、7950メートルの地点で断念せざるを得なかったわけですけど、このとき、インターネットで生放送されていましたが、なぜ、これをやろうとしたんですか?
「とあるテレビ局から『現地で動画配信をしないか?』っていう話が2年ぐらい前にあったんですよ。そのときは、チョ・オユーという8201メートルの山を登るときで、その番組のタイトルが『ニートのアルピニスト、初めてのヒマラヤ』だったんですね。確かに、卒業してからも就職しないで、山ばっかり登っていましたので、ニートですよね。それで、日本全国のニートとか引きこもりの方からメッセージが来たんですけど、最初、彼らからのメッセージってあまりよくなかったんですよ。『栗城は登れない』とか『夢なんて叶わない』とか、中には『死んじゃえ!』とか、色々なことを書かれたんですけど、最後、頂上に着いたときに、彼らのメッセージがガラリと変わって、『ありがとう』みたいなことが書いてあったんですよ。それはすごく嬉しかったですね。やっぱり、1人で山に登っていったとしても、登頂した感動って自分のものだけなんですよね。それはそれでいいかなって思うんですけど、それって限界があると思うんですね。すばらしい経験をしてきて、たくさんいいものを見てきたことを、どうにかして人と共有したり、伝えられないかなって思いまして、引きこもりの方たちからたくさんメッセージをくれますので、彼らと一緒に山を登って、夢は実現することを伝えたいということで、行なったんです。」
●登頂まで至らなかったんですけど、夢に向かって進んでいる栗城さんを見た方たちは、すごく励まされたと思いますし、「自分も頑張ろう。夢を持とう」と思ったんじゃないでしょうか。
「今回で、夢っていうのは、自分1人で叶えられないっていうのが分かったんですね。自分がどんなに頑張っても、どこかで支えてくれる人がいたり、共感してくれる人がいたりして、色々な人がいなきゃダメだなって思ったんです。あと、夢っていうのは、人に元気を伝えられますし、人と繋がることができるんですね。例えば、僕はインターネットで生中継をしたいという夢を持ってから、全然違う業種の方とご縁ができたりとか、自分の夢が人の夢になったり、元気を与えられたりできるので、いいこと尽くしですよね。やっていることは大変なんですけど、叶う・叶わないっていうのは関係なく、チャレンジすることが大切なんじゃないかなって思って、今年もやりたいなって思いますね。」
●そんな、夢を叶えるためには、1日10回、夢や目標を人に語ること。「叶う」という字は「口」に「十」と書きますから。ただし、11回言うと、夢を「吐く」ことになるからダメなんですよね?
「そうです! 11回はダメです。あと、『叶う』って、『十』と書いて、プラスじゃないですか。なので、プラスの言葉を言うという意味もあるんですけど、そこでマイナスなことを言うと、『吐く』になって、ダメになっちゃうんですね。なので、いいことをたくさん口にしていただければと思いますね。」
●最後に、栗城さんにとって「登山」とは、なんですか?
「『登山』とは、自然との繋がりもありますし、人との繋がりでもあると思いますね。山を登ることによって、山を知りますし、そこからたくさんの人との繋がりができますので、僕にとっては、なくてはならないものかなって思いますね。」
●まずは、次のエベレスト登頂、達成することを楽しみにしています。頑張ってください!
「ありがとうございます。」
●今週は、登山家の栗城史多さんをお迎えして、お話をうかがいました。ありがとうございました。
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