2010年12月5日
「東京湾に打瀬舟を復活させる」 金萬智男さんの東京湾に対する想いと夢
今週のベイエフエム/ザ・フリントストーンのゲストは、金萬智男さんです。
木更津の漁師さんで、「東京湾に打瀬舟を復活させる協議会」の発起人代表「金萬智男」さんは、その昔は東京湾でもたくさん見られた、木造の帆掛け船、打瀬舟(うたせぶね)を復活させようとしています。そんな「金萬」さんに、復活プロジェクトの近況や、漁師さんのネットワークのことなどうかがいます。
昔は、私たちの身近にあった打瀬舟
●今回のゲストは、木更津の漁師さんで、「東京湾に打瀬舟を復活させる協議会」の発起人代表、金萬智男さんです。よろしくお願いします。
「よろしくお願いします。」
●まずは、打瀬舟についてお聞きしたいんですが、打瀬舟ってどのような舟なんですか?
「今の舟ってプラスチックみたいなものでできているんですけど、昭和40年ぐらいまでは、木造だったんですね。現存する打瀬舟は、北海道と熊本にあるんですけど、昔は東京湾にも1,700隻あったんですよ。」
●結構たくさんあったんですね。
「そうですね。千葉に打瀬という地名があると思うんですけど、その名前の由来って、打瀬舟からきているんです。地方によって大きさ・形は様々なんですが、東京湾には帆柱が2・3本立っていて、それに帆を張って、風を受けて、網を引くという舟が打瀬舟です。」
●昔は、身近にあった舟だったんですか?
「そうですね。かなり身近な舟でしたね。」
●形は、ヨットのような感じですか?
「ヨットは前に向かって走りますけど、打瀬舟は横に向かって走るんですね。横から風を受けて、網でバランスを取りながら走るんです。」
●打瀬舟は、どういった漁に適しているんですか?
「今でいう、底引き船ができるような漁や、エビ漁などに適しています。今、東京湾から失われつつあるアマモの上にエビがいっぱいいたんですね。その上に網を敷いて、エビを獲るという舟もいましたね。」
●今使われている漁船と打瀬舟を比較すると、海に与える影響ってどのぐらい違うんですか?
「今の船ってすばらしい船ですよね。魚群探知機などの装備が全て機械化されていて、魚がいれば、一網打尽のように魚を獲っていくんですけど、打瀬舟があった時代は、風がなければ漁にでなかったり、漁をしているときも、漁師さんの勘で、魚がいそうなところに網を張るというやり方だったんです。なので、漁師の生活としては大変ですけど、自然管理的な面で見ると、非常に優れた舟だったと思います。」
●打瀬舟は、海にいるお魚たちを根こそぎ獲らず、必要な分だけを取ろうということなんですね。金萬さんは、なぜ打瀬舟を復活させようと思ったんですか?
「私は木更津で漁業をしていますけど、子供のころと比べると、エビやカレイなどの量が減っているんですね。『なぜ減ったんだろう』という疑問と、私はもう50歳を過ぎているんですけど、漁業を継ぐ後継者がいないんです。私の身の回りの人たちを見ていても、後継者が少ないんですね。そこで『もっと漁業が盛んだった東京湾に戻したい』と思ったんです。そのときに『何からやろうか』と思って、干潟の観察会をやったり、海苔の見学会とか色々やってきたんですけど、『みんなが、もっと東京湾に来て、見てみたい』と思わせるものはないかと考えたときに、『昔1700隻もあった打瀬舟があったら見にくるかな』と思って、そのことを東京湾の再生をしている人たちに話したら、作ることになり、その方たちに協力をいただいて始めたのが、きっかけでしたね。」
打瀬舟は“自然との一体感”を感じることができる
●実際に、打瀬舟を再現するのは大変じゃないんですか?
「このプロジェクトを始めて数年が経ちますけど、私たちはお金がないので、皆さんのご協力をいただきながら作るということで、“一口船主”というものを募集しています。だけど、今のところ、180万円程度しか集まっていないんですね。」
●どのぐらいの金額が必要なんですか?
「船大工さんと相談したところ、4,000万円かかると言われました(笑)」
●(笑)。結構いいマンションや車が買えますね。
「『そんな立派な外車1つ買うぐらいなら、打瀬舟が1つぐらい、東京湾にあってもいいんじゃない?』という粋な人がいてもいいんじゃないかなって思っているんですけどね(笑)」
●作る方はどうなんですか? 簡単にできるものなんですか?
「簡単ではないですね。打瀬舟を作れる船大工さんは、お年寄りが多いんですよ。東京・千葉・神奈川あたりで船大工さんを探したんですね。すると、親子でやっている船大工さんがいたんです。子供の方が40代の方だったので、その人に協力していただいて、その人を中心に作っていただこうということになりました。あとは資金さえ集まれば、なんとかなると思いますね。」
●ということは、現状ではもう少しというところまできているんですね。
「どうでしょうか。まだまだ広報が足らないと思っています。いくらこういう風にお話をしても分からないと思うので、打瀬舟ってどういうものなのか、実物を見てもらおうということで、九州の方が2週間ぐらいかけて運転しながら、1隻持ってきてもらいました。だけど、舟の形が東京湾にあったものとは違うんですよね。」
●ということは、実際に乗って、海を渡ってきたということですか?
「そうですね。」
●打瀬舟って、そういう移動にも適している舟なんですか?
「いや、漁をする舟なので、移動には適していません。」
●それを、一生懸命持ってきたんですね。
「そうですね。昭和40年に作られた古い舟なので、エンジンを出発前にきっちり見ていただいて、玄界灘から瀬戸内海を渡って、遠州灘を通って、なんとか東京湾に持ってきてくれたという感じです。」
●実際に目の当たりにした、周りの方の感想はどんな感じだったんですか?
「見たときの感想より、乗ったときの感想の方が素晴らしかったですね。『やっぱり打瀬舟っていいな』って思いました。そもそも、木造船というのがすごいんですよ! 波が強くても、今の舟みたいに暴れずに、非常に安定感があるんです。乗っていて、非常に気持ちがいいですね。」
●風を感じながら、乗ってみると、どうですか?
「実際に、熊本で何回か乗せていただいたことがあったんですけど、実際にエンジンを切って、帆を上げて、網を引くときって、一切音がしないんですよ。すると、風を受けた帆のバタバタという音だけがするんですよ。そこでタチウオ釣りをさせていただいたんですけど、非常に気持ちよかったですね。それを一度東京湾で体験してもらいたいと思って、持ってきてもらったんですけどね(笑)」
●それって、自然との一体感を感じることができそうですね。
「そうですね。それは一番感じますね。」
漁師の次の姿は、海の企業家
●金萬さんは打瀬舟以外にも、全国の漁師さんのネットワーク「ザ・漁師'S」、そして、その母体となっている「(株)エンジョイ・フィッシャーマン」の代表取締役としても活動されているんですよね。「(株)エンジョイ・フィッシャーマン」ってどんな会社なんですか?
「この会社は、全国の漁師が中心となって作られた会社です。会社の趣旨は、『漁業はもっと儲かる職業で、もっと楽しいものだ』ということを広めています。また『漁師の次の姿は、海の企業家』とも言っているんですけど、単に魚を獲るだけじゃなくて、先のことも考えていかないとダメなので、先のことも考えられる漁師を育てたり、周りに『こういう漁師もいる』、『こんなおいしいものもある』ということを広めていく活動もしています。そういうことをしている会社です。」
●今って農業は見直されてきていて、戦略的に儲かるようにやっていこうとしていますけど、漁業もそういう活動をしているとは知らなかったです。
「農業でそういう活動をしているということを知っていたので、『私たちもやるんじゃないか』ということで、その会社を作りました。」
●そして、漁業のネットワーク「ザ・漁師'S」は、どのようなネットワークなんですか?
「元々、国が作ったネットワークだったんです。そのメンバーには元々、会社員やプランナー、デザイナー、広告代理店の社員だった人たちなどがいたんですね。地元の町を出た若者が『漁師になりたい』ということで、Iターンで戻ってきて、漁師になるにはどうしたらいいのかということを知らせる、広報的な役割を持った団体なんです。それを、私たちの会社が引き受けて、元々いたメンバーと連携を取りながらやっているという状況です。」
●それは、跡継ぎがいない漁師さんのところに、外から若い人が来るという感じなんですか?
「単に、『漁師ってカッコいいよ』と思っている連中を集めているんですよ(笑)。そこには、俳優をやりながら漁師をやっている人もいますからね。」
●へぇー! そういう繋がりって面白いですね!
「今までの漁師の既成概念を変えるようなメンバーが多いんですね。親が漁師をやっていて、都会に行っていた子供が戻ってきて、漁師をやるっていう人もいるんですけど、サーファーなどの、漁業と全然関係ない人が漁師と仲良くなって、そのあと、漁師として受け入れてもらって、漁業を営んでいる人もいるんですよ。」
●でも、それまで全然関係のない仕事をしていたのに、漁業に飛び込むっていうのは、大変じゃないんですか?
「そういう人たちって、海が好きな人が多いんですよ。意外と『漁業で生活をしたい』という人って多いんですよね。でも、今は、地域特有のルールがあったりと、漁業も厳しい状況なので、なかなか漁師にはなれないんですよ。それをクリアした人たちが漁師になれるんです。」
●そういう手助けをしているのが、「ザ・漁師'S」なんですね。
「元々はそうだったんですけど、今は、私たちの会社とは違った形で活動をしているんですね。各地域の漁村って、魚が獲れなかったり、売れなかったり、魚の単価が安くなったりして、今かなり大変な状況なんです。そういうことがあるので、今は漁村を活性化させようと頑張っている人たちや、魚を1円でも高く売りたいという人たちが集まっています。『ザ・漁師'S』って最初は8人ぐらいしかいなかったんですけど、今は北海道から沖縄まで、全国で40人ぐらいいます。その人たちが『もっと元気な漁村を作ろう!』ということで、これから活動をしていこうとしているところですね。」
●外部から来たからこそ、分かることってあるんでしょうか。
「それはあるかもしれないですね。私も生まれてからずっと木更津に住んでいて、家業である漁業の3代目となることになっていたので、そのまま海にでたんですけど、1回社会にでて、違う仕事をして、海に戻ってくると、『常識的に考えて、それっておかしいよね』って思うことが多いらしいんです。それは、外部から来た人の方が分かるので、私たちにとって、刺激になりますね。」
●それって、お互いにいい関係になりますよね。
「そうですね。」
“キレイな海”と“豊かな海”は別物
●先ほど、漁師さんは今厳しい状況におかれていると話していましたけど、具体的には、どういう状況なんですか?
「魚を多く獲れば単価は安くなります。少なければ、単価は上がりますけど、それほど高くはならないんですね。例えば、今年サンマが高かったじゃないですか。ああいうときは、高く売っても、獲れないから、お金にならないんですよ。逆に多く取れば、すぐ単価が100円以下になっちゃうじゃないですか。そういう状況はどこの漁村でも起こっていることだし、実際に昔より獲れていないんです。それは打瀬舟に関係してくるんですけど、資源管理をキチっとしていかないといけないですよね。今の漁師はその辺りのことは勉強しているので、魚を増やす・守っていく活動はしています。それでも、まだ足りないのかなと思います。
漁業って、魚がいないと仕事にならないし、実際に、私が木更津で漁業をしていても、アサリが獲れないんですよ。」
●そうなんですか!? 木更津といえばアサリなのに、獲れないんですか?
「そうなんですよ。獲れなくて、漁にならない状況になっているので、そういうことをなんとかしないといけないということも、課題のひとつになっています。」
●金萬さんが漁師として、漁に出ていて、東京湾の変化って感じますか?
「かなり長い期間の話なんですけど、干潟を埋めたことが、東京湾の魚が減った一番の原因ですね。」
●確かに、今東京で干潟って見ないです。
「東京湾の干潟は、9割ぐらい減っているんです。干潟って、魚の稚魚が生まれて、育つ場所なんですね。それが減ったということは、東京湾の状況が悪化していって、魚の育つ場所がなくなっているというのが現状だと思います。」
●水質はどうなんですか?
「場所によってですが、変わっていますね。見た目では、30年前と比べると、透明度は増しています。」
●そうなんですか!?
「それを見て『キレイになった』というんですけど、豊かにはなっていないんですね。」
●キレイと豊かはイコール関係じゃないんですか!?
「多少濁っているのは、プランクトンがいるからなんですね。ということは、魚のエサがたくさんいるということなんです。それが夏場になると増えすぎて、赤潮から非酸素水塊ができる状況になるので、ちょうどいい汚れになるんです。それが豊かな海を作る要因の一つだと思うので、私はキレイな海がいいとはあまり思わないですね。」
●多少、栄養素が多そうな海が理想なんですか?
「そうですね。」
●そして、海苔も減ってきているということなんですけど、なぜ減ってしまったんでしょうか?
「海苔漁師が徐々に辞めていっているのと、気象状況ですね。近年は非常に不安定で、今年も非常に暑かったじゃないですか。そのせいで、海水の水温が下がらなかったんですよ。ここ10年は、通常に比べて2度ぐらい、水温が高いといわれているんですけど、特に今年は異常に高くて、11月15日ぐらいから海苔がようやく少しずつ獲れるようになったんです。私がやっていた10年ぐらい前までは、11月の初旬ぐらいには獲れていたので、そういう意味では、気象との関わりが一番の原因ですね。」
●海苔がこれからよく獲れるようになるための条件ってありますか?
「普通にカレンダー通りに水温がちゃんと下がっていってくれることが一番いいですね。今って、上がったり下がったりしていて、不安定なんですよ。それをどういう風に直したらいいかというと、非常に難しいことなんですよね。」
●水温の変化ってどのぐらい前から始まっているんですか?
「ここ10年ぐらいがおかしいですね。それまで安定して、10月の終わりから11月ぐらいには、海苔は必ず獲れていたんですよ。何年かに一度は、悪い年はありますけど、平均的によかったんです。それが段々悪くなってきて、特に悪いのが、ここ4、5年ですね。」
●なんででしょうかね?
「なんでしょう。今年も台風が変な時期に来ましたよね。昔だと、10月の終わりから11月にかけては、台風ってなかったので、そういうのも非常に困ります。」
●金萬さんがイメージしている“豊かな東京湾”ってどんな感じですか?
「親子三代が東京湾にいるというのが、私の子供の頃の海の姿だったので、それが理想ですね。干潟に行けば、子供が楽しく遊んでいるし、おじいちゃん・お父さんが仕事をしているというのが、私の東京湾だったんです。そういう東京湾になってほしいなと思いますね。」
●ということは、あの頃の東京湾に戻ってほしいという感じですか?
「そうですね。“100年前を知って、100年後を考える”というのが、私のポリシーなので、打瀬舟もそうですし、東京湾もそういう風になってもらいたいなと思います。」
●今回のゲストは、木更津の漁師さんで、「東京湾に打瀬舟を復活させる協議会」の発起人代表、金萬智男さんでした。ありがとうございました。
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