2010年12月12日
「空白の五マイル」 ノンフィクション・ライター、角幡唯介さんが魅せられた ツアンポー峡谷の世界
今週のベイエフエム/ザ・フリントストーンのゲストは、角幡唯介さんです。
ノンフィクション・ライターの「角幡唯介(かくはた・ゆうすけ)」さんは、チベットに残された最後の秘境といわれるツアンポー峡谷を探検。その記録を「空白の五マイル~チベット、世界最大のツアンポー峡谷に挑む」という作品にまとめました。その作品が「第8回開高健(かいこう・たけし)ノンフィクション賞」を受賞。現在大変注目されている、ノンフィクション・ライターのおひとりです。
今夜はそんな「角幡唯介」さんにツアンポー峡谷の探検についてうかがいます。
“世界一”の峡谷、ツアンポー峡谷
●今回のゲストは、ノンフィクション・ライターの角幡唯介さんです。よろしくお願いします。
「よろしくお願いします。」
●角幡さんは、「空白の五マイル~チベット、世界最大のツアンポー峡谷に挑む」という作品を集英社から刊行され、それが「第8回開高健ノンフィクション賞」を受賞しました。おめでとうございます。
「ありがとうございます。」
●まず、ツアンポー峡谷ってどういうところなのか、簡単に説明していただけますか?
「チベットという、仏教が根付いている、東南アジアにある地域がありまして、その中心街のラサから東に500キロぐらい行ったところに、ヒマラヤ山脈を切り裂くようにして、大峡谷地帯があります。それがツアンポー峡谷です。そこが昔から地理的な謎として、探検家の探検の対象になってきました。」
●どうして謎なんですか?
「そこにはツアンポー川という、チベットで一番大きな川があるんですけど、その川が東に向かって、インドに流れるように曲がっているんですね。その屈曲している部分って、今みたいに地図がないので、ふかんで見ることができないんですよ。その屈曲している部分っていうのがヒマラヤの山の中に消えるように曲がっているので、ずっと分からなかったんです。」
●入り口は見えるけど、ゴールが見えない状態だったんですね。
「ゴールの方では、インドのアッサムやビルマなどに川がたくさんあるんですよ。どの川が繋がっているのか、それも分からなかったんですよね。」
●峡谷といわれると、アメリカのグランドキャニオンが有名ですけど、ツアンポー峡谷ってそれよりも大きいんですよね。どのぐらいの大きさなんですか?
「“世界一の大きさ”ということを発表したのは中国なんです。峡谷のすぐそばにナムチャバルワ山という8,000メートルぐらいの山があるんですが、その山の頂上と川の底との標高さや、峡谷の全長や水量など、色々な要因を総合して世界一だと中国が言っているんですね。ですが、グランドキャニオンとは谷の作りが違うんですよ。ツアンポー峡谷って、ヒマラヤの真ん中に川が流れているんです。グランドキャニオンって平らなところを侵食して作られているので、全然違うんですよね。
ツアンポー峡谷って、黒部峡谷みたいな、緑があって、大きな山の中を激流が流れているというような感じに近いですね。ツアンポー峡谷の場合は、周りがヒマラヤに囲まれているので、そういう意味ではスケールが大きいと思いますね。」
探検家にとって“謎”・“幻”は魅惑的な言葉
●誰も行くことができなかった、ツアンポー峡谷。角幡さんが行くまで、トライした冒険家っていたんですか?
「そうですね。主に、1800年代後半から戦前までは、イギリスが探検を盛んに行なっていたこともあったので、イギリスの探検家が数多く挑戦しましたが、その後、中国共産党によって、チベットが封鎖されてしまったんです。特に峡谷はインドとの国境が近かったので、国境紛争が発生したりしていたので、全然入れなかったんです。それ以降、政治的な理由で、1990年代まで探検が行なわれなかったんですよね。」
●その探検には、どういう人が行っていたんですか?
「1800年代にはインドの少数民族が、チベット人や中国人のフリをして峡谷に入っていたりしていました。その内の一人であるキントゥプや、イギリスの軍人のベイリー、プラント・ハンターのキングドン・ウォードという人が1924年に入ったんです。ちなみに、キングドン・ウォードが一番奥まで入ったんですね。それより奥は、行けないままになっていました。」
●そういう方たちは、ツアンポー峡谷のことを、どういう風にして記録を残してきたんですか?
「当時は、イギリスに自分がやった探検を、今でもある、英国王立地理学会という組織で発表ができたんです。それを記録して、本にまとめたりしていました。」
●その記録では、ツアンポー峡谷のことを、どのように表現しているんですか?
「“謎の峡谷”といった感じですね。彼らは峡谷の中に滝を探しにいったんです。キントゥプという人が『ツアンポー峡谷の奥に巨大な滝がある』という報告をしたことで、それを発見することが探検家の目標になっていったんです。峡谷はすごく高度差があるので、『一番険しくて、なかなか行けないところに滝があるんじゃないか』ということで、みんな行くんですね。」
●すごくミステリアスな場所だったんですね。角幡さんが、ツアンポー峡谷を知ったのはいつ頃で、どんなきっかけだったんですか?
「大学3年生の冬だったと思うんですけど、大学生の頃は探検部に所属をしていて、どこか探検のし甲斐があるところを探しているうちに、池袋にジュンク堂書店ってあるじゃないですか。あそこは本の種類がたくさんあるので、冒険系の本も充実しているんですね。そこで、かなりマニアックな本なんですが、金子民雄さんの『東ヒマラヤ探検史』という本があったんですね。
その本に『ナムチャバルワの麓『幻の滝』を目指して』というサブタイトルが付いていて、それをたまたま見たんです。僕たち探検部員って“幻”とか“謎”っていう言葉に弱いんですよね(笑)。とりあえず、手にとって読んで、そこでツアンポー峡谷のことを知って、それから調べました。
それが1998年ぐらいのころだったんですけど、その段階では、まだキングドン・ウォードよりも奥に行った人がいなかったんですね。すると『滝ってまだ奥にあるんじゃないか』って思うじゃないですか(笑)」
●そうですよね(笑)。本に書いてありますからね。
「それはまだ誰も知らないんですよ。『じゃあ僕が行こう』という風に思って、行き始めました。」
探検は同じ作業の繰り返し。だけど、それが大事
●2002年~2003年にかけて行ったときには、それまで謎だった“空白の5マイル”には行けたんですか?
「このときには、ほぼ行きました。」
●そのときに、今まで謎だった部分は、角幡さんが解明したんですか?
「そうです、と言いたいところなんですけど、僕が行ったのは2002年で、1998年に探検部の友達と偵察的な感じで行ったんですが、その年にアメリカの探検隊と中国の探検隊が、その空白の部分に入ったんですね。」
●先を越されたんですか!?
「そうなんです。最も興味があった滝の存在は、アメリカの探検隊が発見したんです。僕はそれを聞いてショックを受けました。」
●そうですよね。1番のモチベーションだったんですよね。
「そうなんですよ。だけど、彼らは残されていた空白の部分を全て行ったわけではなくて、まだ空白の部分が残っていたんです。『滝の発見は先にされたけど、残りの空白部分に何かあるかもしれない』と思って、それを目標に2002年に行きました。そのときに、残された空白部分を一人で全部探検をしてきました。」
●その空白部分はどうでしたか?
「発見というほどのものじゃないかもしれないですけど、その地域には“桃源郷伝説”みたいな、そこに行けば食べ物があるし、年も取らないといったような言い伝えがチベットにあって、“ツアンポー峡谷のどこかに聖地がある”という伝説があるんですね。」
●ということは、“滝の伝説”とその“聖地の伝説”があったんですね。
「滝は地理学的な謎で、伝説の聖地の部分は、チベットの文化的な謎だったんですね。そのことは僕も知っていたんですが、それを探しにいくほど信じてはいなかったんですね。空白部のど真ん中を探検しているうちに、対岸に洞穴が現れたんですよ。それまで険しい道を木に掴まったり、ロープを張ったりして通ってきたんですね。すると、目の前に広がった大地が出てきて、そこに洞穴があったんです。それまでとはあまりに違う風景だったので、『ここでもしかしたら、理想郷伝説の元となった場所じゃないのか』と思い、興奮してしまいました(笑)」
●それは興奮すると思います!(笑) それまでとは景色が全然違うんですから。そこは実際に、理想郷だったんですか?
「見つけたときは川の対岸にいて、川が激流で渡れなかったので、一度村に戻って、その村から対岸側をずっと歩いていきました。足元の岸壁をくりぬくように洞穴があるので、入り口は見えないんですけど、場所は覚えていたので、ロープで降りて洞穴の入り口まで行きました。『巻物とか出てきたらどうしよう』と思いながら中に入りました(笑)」
●それって、まさにインディ・ジョーンズの世界ですよね(笑)。
「出てこなかったんですけどね(笑)」
●(笑)。その後、2009年にもツアンポー峡谷に行きましたけど、前回に行ったときと比べて、どうでしたか?大変でしたか?
「大変といえば大変だったんですけど、こういうのって意外と単調なんですよね。毎日波乱万丈なことが起こるわけではなくて、同じ作業の繰り返しなので、単調なんです。険しいところが出てきたらロープを出して降りたり上ったりして、同じ作業をずっと繰り返すんですね。」
●それは意外でした。もっとドラマチックなことが多いのかと思いました。
「そんなに毎日ドラマチックなことが起きていたら、命がいくつあっても足りないです(笑)。単調なんですけど、一人で、レスキューを呼べないような環境で探検しているので、何かあったら終わりなんですよ。足を滑らせて落ちるっていうことはいつあってもおかしくないので、そういうことが起きないように、無理しないように注意するといったコントロールをしないといけないんですよね。なので、単調なんですけど、気を張っていないといけないですね。」
探検の本質は“ゴール”ではなく、“その過程”
●今の時代、ハイテク機器が色々とあって本の中でも書いていますけど、峡谷も、グーグルアースで見ようと思ったら見れちゃうじゃないですか。そういう中で、あえて探検をする意味って、角幡さんはどのように見出しているんですか?
「昔は、北極点や南極点やエベレストなどって、誰もまだ行ったことがない時代のときって、目的は明確じゃないですか。ですが、今はそういう目標はないですよね。だけど、やっていることって、基本的には同じなんですよ。昔の、まだ目標があった時代の探検家たちって、『誰も登ったことのないエベレストを登る』ということが目的ではあるんですが、探検の本質って、実はゴールにあるんじゃなくて、やっている行為にあると思うんです。
ゴールはあくまで区切りであって、例えば、毎日死ぬかもしれない環境に身を置くことのように、行為の中に意味があると思うんですね。ゴールって、今の時代は見えにくくなっているんですが、ゴールが見えにくくなった分、行為の意味っていうのを突き詰められるようになったと思うんですよね。僕は探検をする行為の意味を考えていきたいと思っています。」
●危険な環境に身を置くことの意味って、もう見出しているんですか?
「それについてはすごく考えています。できれば、それを文章にして表現したいと思っているので、考えているんですけど、これは簡単に答えがでるようなことではないんですよね。やっぱり、誰もが死ぬことを避けて生きているじゃないですか。死って人間の最大のリスクですよね? それを承知でわざわざ危険なところに行くというのが探検であり、冒険なんですよ。そういう風に考えると、みんなが避けたいものを、あえて避けないでやるという行為は、生きることを含めた象徴的な行為のような気がしているんですね。だから、そういう行為をすることで、生きることの意味を見出せるような気がします。
ただ、何が充足感をもたらすのかというのは、ちょっと分からないですね。」
●探検の中で、自然との対峙があると思うんですけど、それに対しても、探検の意味ってあるんですか?
「自然って、リスクをもたらす要因だと思うんですね。」
●そうなんですか。私が持っているイメージだと、自然ってむしろ癒してくれる、「自然の中にいるとリフレッシュできるなぁ」って思うんですよね。
「それが、あまりにも中に入り込むと、リスクをもたらす要因になるんですよね。だから、自然はあまり入り込まない方がいいですね。」
●そういう一面も、自然の中にはあるということですよね。
「僕は、それが本質だと思いますね。」
●ちょっと離れたところから見ていると「自然ってキレイだな」とか思うんですけど、実際に、探検とかすると、もっと厳しいものになるのかもしれないですね。
「自然を敵対視するということではなくて、そこに身を置いたときに、自分の存在がちっぽけだということを知るんですよね。そういうことって、大事なことのような気がします。」
●なるほど。ということで、今回のゲストは、ノンフィクション・ライターの角幡唯介さんでした。ありがとうございました。
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