2011年2月13日
豊田剛さんが家族と共に挑んだ自転車での旅、 それから得た経験と絆
今週のベイエフエム/ザ・フリントストーンのゲストは、豊田剛さんです。
冒険サイクリストの豊田剛さんは、ご家族3人で2001年に、1年6ヶ月かけて自転車でオーストラリア、ニュージーランド、そして北米と3万キロを走破。そして2008年には南米大陸を8ヶ月かけて縦断と、冒険的な自転車の旅をされています。
今回はそんな豊田剛さんに、家族で挑んだ自転車の旅のお話をうかがいます。
家族と一緒に大きなことをしたいと思って始めた、 家族での自転車旅
●今回のゲストは、冒険サイクリストの豊田剛さんです。よろしくお願いします。
「よろしくお願いします。」
●豊田さんは家族3人で2001年に、1年6ヶ月かけて自転車でオーストラリア、ニュージーランド、メキシコ、アメリカ、カナダ、アラスカの、計3万キロを自転車で走破されました。2008年にも、南米大陸の1万1300キロを8ヶ月かけて縦断し、まさに“冒険”と呼ぶにふさわしい自転車の旅をこれまでされていますが、豊田さんはお一人で旅をされていたときも自転車で旅をしていたんですか?
「一人のときは、主にオートバイで旅をしていました。オーストラリアとか、結婚して間もない頃は、北米をオートバイで二人で旅をしていました。」
●奥様とは、オートバイでも旅をしていたんですね。
「そうですね。妻と知り合ったのは、冬の北海道をオートバイで旅していたんです。オートバイで冬の北海道を旅する人なんてなかなかいないんですけど、旅している人の中に、僕と同じように、オートバイで旅している女の人がいたんですね。しかも、雪の中で野宿をしていたんですよ。そこから知り合いになりまして、付き合い始めて、結婚という形になりました。」
●それからお子さんが生まれたわけですけど、お子さんが生まれてからも、しばらくはオートバイで旅をしていたんですか?
「子供が生まれる前までが主にオートバイでした。子供が生まれる前に、オートバイで二人で北米を一年ぐらいかけて旅しました。夏ぐらいにアラスカを走ったんですけど、アラスカって、すごく景色がキレイなんですね。『やっぱり、冬も見たい!』ということで、冬のアラスカも、二人でオートバイで旅しましたね。」
●いつごろから、自転車の旅を始めたんですか?
「子供が生まれて、最初はオートバイに乗せようと、おんぶをしたりして、色々と試したんですが、子供が寝たりすると危ないので、自転車の旅を始めたんです。すると、これが非常に面白くて、そこからすっかり自転車の旅が中心になりました。」
●お子さんが自分で自転車を漕いで旅することができる前は、両親のどちらかが背負って旅をしていたんですね。
「そうなんです(笑)」
●それはあまり見ない光景ですね(笑)。そして、2001年には、お子さんも自転車に乗って旅をしたということですが、このときのお子さんは、まだ5歳だったんですが、なぜ親子3人で自転車の旅をしようと思ったんですか?
「娘が幼稚園の年中さんだったんですけど、僕が仕事をしていると、子供と接する機会が非常に少なかったんです。家に帰ってくると、子供がもう寝ていたり、朝も子供が寝ている間に出発したりという生活が続いたんですね。そこで、『家族と一緒に大きなことをしたい』という気持ちが強くなってきました。そこで、娘には幼稚園を中退してもらって、家族3人で大きな旅にでました。」
●お父さんがそういう風に決意をしました。そのときお母さんとお嬢さんは、その提案を素直に受け入れてくれたんですか?
「元々妻は旅人なので、その辺りの価値観はほぼ共通ですから『行こうよ!』という感じでした。そのときの娘の茜は、まだ幼稚園でしたから、それほど反対はしなかったですね。素直についてきてくれました。今は、なかなか自転車にのってくれませんね(笑)」
●(笑)。親子3人で実際に旅をするとなると、大人たちだけで旅をするときよりも、大変なことがあると思うんですが、どうでしたか?
「やっぱり子供がいると、色々な面で大変な面がありますが、やっぱり三人でいるとケンカをしたりして、色々なことがあります。
昔は、カミナリ親父なんていわれた父親もいましたけど、最近の日本の父親って、あまり怒らず、“優しいお父さん”って感じになってきていますよね。私もそうだったんですけど、怒れないんですね。普段、なかなか接する機会がなくて、休みの日とかに子供と一緒にどこかに行くとしても、久しぶりに会った友達のような感じになるんですよね。久しぶりに会った友達といきなりケンカをしないのと同じで、なかなか本質に迫った付き合い方ができないんですね。だけど、ずっと一緒に旅をしていると、私もカミナリ親父ですよ(笑)。
でも、そういう心の奥深い部分で、人と人との付き合いができたのが、一人ではなかなかできないことなので、非常によかった点ですね。」
子供が頑張っていると、親も頑張らざるを得なくなる
●2001年にオーストラリア、ニュージーランド、メキシコ、アメリカ、カナダ、アラスカを走破する旅にでて、その後、2008年にも南米縦断の旅にでましたが、なぜ2008年に「また旅にでよう」と思ったんですか?
「元々、2001年に旅をしたときにも、南米も走ろうと思っていたんですね。ただ、そのときのアルゼンチンなどの情勢がよくなかったので、走るのを諦めたという経緯があったので、“南米に行きたい”という気持ちがすごく強かったんです。そこで、2008年のときに『まず、南米に行こう! 絶対に行こう!』ということで、南米からスタートしました。」
●どのようなルートを行ったんですか?
「アルゼンチンの最南端にフエゴ島という島がありまして、その島の最南端にウシュアイアという、南極まで1000キロぐらいの位置にある街があるんです。そこからスタートして、赤道を目指して北上していきました。」
●南米大陸縦断って、ただ上がるだけではなく、ところどころで難所があるんですよね?
「そうですね。難所だらけでしたね。最初の難所は、パタゴニアというところがあるんですけど、風がものすごく強いんですね。立っているのもつらくて、自転車なんてとても乗れないぐらい、すごく強い風が吹いていたんです。ですが、風にもリズムがあるので、風が強いときは、風があまり吹いていない道路の陰に隠れて、小学6年の子供の勉強を教えたりして、風が止んできたら、走り始めてという感じで、パタゴニアを北上していきました。ただ、出発したのが4月だったので、冬が迫ってきていたんです。雪が降ってくる日が段々増えてきて、その雪との厳しい闘いもありましたね。」
●どうやって、雪の上を自転車で走ったんですか?
「車が走ってくれれば、雪がそこまで積もらないので、自転車でも十分に走れるんです。ただ、どうしようもないのは、強い吹雪などで一気に雪が積もって、車も通れない状況になると、非常に厳しくなります。実際に、吹雪によって、走行するのに厳しい状況になりました。」
●どのようにして乗り越えたんですか?
「そのときの吹雪はものすごく強いものだったんですが、私たちがいたところを工事していた関係者が、工事車両を管理するために一人残っていまして、その人も吹雪に巻き込まれたんですね。そのおじさんと仲良くなりまして、『ここに一緒にいようじゃないか』ということで、そのおじさんと三日間ぐらい一緒にいました。そのおじさんは『僕がここにいることを、街の人は知っているから、そのうち誰か来るよ』という感じで、のんきに構えていたんですね(笑)。
三日間の間に、雪や氷を溶かして水を作ったり、おじさんが動物の肉を持っていたので、みんなで料理を作ったりして、それなりに楽しい生活を過ごしていました。そして、三日後に街の人が来くれて、一度街まで戻って、その街から再スタートしました。」
●2008年の旅では、そういった人との出会いもたくさんあったんですね。
「たくさんありました。色々なところで助けてもらったことが多かったですね。自然が厳しいところに住んでいる人たちや、厳しい自然の中を旅している私たちのような人たちって、厳しい自然と闘っている同士のような感じになるんですね。だから、泊めてもらったり、色々な話をしたりして、非常に楽しい思い出がたくさんあります。」
●また、途中で厳しい山があって、そこでもすごく大変な思いをされたそうですね。
「ずっと、アンデス山脈に沿って北上していたんですが、アンデス山脈って標高3000~4000メートルぐらいの高さの山がずっと続くんですね。4000メートルから2000メートルのところまで下りたら、次はまた4000メートルのところまで上がったりと、ひたすら坂を上ったり降りたりするんです。一番高いところで5000メートルの峠を越えたんですけど、一週間上りっぱなし、そこから二日間下ってというような感じでしたね。道中、高山病との闘いや、水・食料を制限しないといけなかったりしたんですね。自転車を100メートル押しては休んで、押しては休んでというような感じで、ゆっくり進んでいきました。」
●そういった旅って大人でも大変じゃないですか。それを、お嬢さんも一緒だったじゃないですか。大丈夫だったんですか?
「娘の茜は喘息がありまして、日本にいるときは、入院したりしていたんですが、自然の中では意外と元気なんですね。やっぱり子供特有なのか、自然に対する順応力が高いと思いました。むしろ、親である私たちの方が苦しんでいましたね(笑)」
●(笑)。逆にお嬢さんに「ガンバレ!」って励まされちゃったんですか?
「子供から『がんばって!』って言われなくても、子供が頑張っていると、大人としては頑張らざるを得ないですよね(笑)」
旅を通じてできた家族の絆は絶対的
●旅の途中の生活についてもうかがっていきたいんですが、一日の過ごし方はどのようなスケジュールで過ごしていたんですか?
「旅をしているときは、全てテントに泊まっていましたね。道路から少し離れて、あまり周りから見られないところにテントを張っていました。朝起きると、まずは娘の勉強の時間なんですね。」
●茜ちゃんは、旅の間、学校を休んでいたんですか?
「そうなんです。親が勉強を教えて、日本人学校があるところでは、そこで補習をするという条件で、お休みをもらっていましたので、朝は勉強をしました。サボテンの下とか、色々なところで勉強をしました。勉強を一通りしてから、出発するという感じですね。そして、お昼ご飯を食べたら、道端でまた勉強をしたり、絵を描いたりしました。夕方になると、景色がよくて、周りから見られないところにテントを張ります。ご飯は、父親の担当なんです。お父さんは家事全般をやりますね(笑)」
●日本でもそうなんですか?
「日本では違うんですけど、“旅に行ったら、お父さんが作る”ということを決めておくと、妻の理解も得やすいかなと思いますね(笑)。お父さんが夕飯を一生懸命作っているときに、妻が子供に勉強を教えたりして、ご飯を食べて寝るというような生活でした。」
●お風呂やトイレはどうしていたんですか?
「お風呂は、ごくたまに大きな街に行ったときにシャワーを浴びることができる程度です。長いときだと3週間ぐらいシャワーに浴びないこともよくありますね。最初の1~2日は浴びないと気持ち悪いんですよ。だけど、3日過ぎれば慣れますね(笑)。
トイレは、そこら辺でという感じですね。海外のトイレって、汚いところも多いので、茜も『汚いところより、青空の下の方がはるかにいい』というような子に育ってしまいました(笑)」
●(笑)。一日の中で一番楽しい時間って、どんなときですか?
「一日中楽しいといえば楽しいですね。一日のスタートは朝焼けから始まるんですけど、すごくキレイな朝焼けが多いので、それも楽しみですし、ご飯も楽しみですね。標高が高いところに行くと、ご飯を炊いても、まだ芯が残っていて、ビチャビチャのまずいご飯になっちゃうんですけど、それでもご飯は最大の楽しみでしたね。他にも、走っているときも楽しいし、お昼ご飯も、景色がいいところで食べるので、それも楽しいです。本当に楽しいことばかりでしたね。」
●一日中、家族と一緒にいるじゃないですか。そうすると、絆も深まってくるんですか?
「そうですね。目に見えて変化するというわけではないですけど、共に苦しい状況を助け合って乗り越えてきたという経験は、心の奥底の部分で、絶対的な信頼関係ができてくると思うんですね。茜は今反抗期で、妻とケンカをしょっちゅうしていますけど、心の奥底では絶対的な信頼関係ができていると思います。それは旅を通じてできたものだと思います。」
自転車で旅をすると、今までにない価値観を得られる
●旅を通じて見てきた自然の中で、一番キレイだなと思った場所や瞬間ってありますか?
「これもまた困ったことに、キレイなところだらけなんですよね(笑)。星空がすごくキレイなんですよ。地平線がずっと見えているところに、夜テントを張って、ご飯を食べて、寝ようとしたときに、テントから出ると、目線の高さに星がブワーっと広がっているんです。それはものすごくキレイですね。もちろん、朝焼け・夕焼けもキレイですし、標高が高い山や、ものすごく厳しい雪が降るところとか、砂漠など、自然が厳しいところって、どこもキレイですね。」
●厳しいからこそ、キレイなんでしょうね。
「それはあると思います。」
●世界を見てきたからこそ感じる、日本の美しいところってありますか?
「間違いなく、日本はキレイな国だと思いますね。“完成された自然”といった感じがします。こんなにキレイな国はなかなかないと思いますね。」
●豊田さんは、国内でも、サイクリングをしているんですか?
「そうですね。私は自転車に乗るのが大好きなので、休みの日に自転車に乗っていないというのはまずないですね。2010年は、“4分割日本縦断”というのをやりました。まず、正月に茜を無理矢理連れていって、北海道を、函館から宗谷岬まで縦断しました。2010年の正月は、天気が悪くて、毎日吹雪が吹いている感じだったんですけど、無事に北海道を縦断しました。やはり、冬の北海道は厳しいんですけど、キレイなんですよね。吹雪の合間に光が差し込んできて、雪原が光ったりして、非常に素晴らしかった旅でした。夏には、埼玉の自宅から青森まで走りました。
あと、今、学校の講師をしているんですけど、その学校でも、若者を自転車に乗せて、フィールドに引っ張り出そうと頑張っています。サイクリング同好会を立ち上げて、2010年の5月の連休に、埼玉から大阪まで学生のみんなと一緒に走りました。そのときも野宿をして、お風呂にも入らず、ご飯を地面に座って作って、食べて、地面の上で寝るという旅をしたんですが、もちろん学生のみんなは、それらは初の経験だったんですね。そして、2010年の冬休みには、サイクリング同好会の活動として、大阪から鹿児島まで、テントを担いで走りました。」
●サイクリング同好会の生徒たちには、自転車の魅力を、どのように伝えているんですか?
「事ある毎に、私が今まで撮ってきた写真を見てもらったり、自然の美しさや地面に横になって寝るとか、焚き火にあたる感覚などを一生懸命話しています。あと、できるだけ自転車の旅にでたいと思っています。
やはり、自転車の旅をすると、お風呂がないから汚くなって、体が臭くなるし、雨が降ったら濡れるし、電気もないという生活を経験していない人が今は多いので、そういったことを経験しておくと『こういう生活をしても、人間は大丈夫なんだ。楽しんだ』というような、今までにない価値観を得られると思うんですね。そうすると、旅にでると、みんなが生き生きしているような気がしてくるんですよね。そこが今、すごく楽しくて、色々言いながら生徒たちを引っ張り出している最中です(笑)」
●(笑)。今後の豊田さんの海外での旅の予定はどういった感じになっていますか?
「急いではいないんですが、生きている内に、世界五大陸を自転車で走りたいと思っています。これから10年ぐらいかけて、学校の休みや仕事の休みを使って、シルクロードを分割的に走りたいと思っています。さらに10年後には、冬のシベリアを横断したいと思っています。最終的には、アフリカも走って、世界五大陸を一生ずっと走り続けていたいと思っています。」
●そのときはもちろん、家族みんなで、ですよね?
「それが一番嬉しいですね! どうなるかわかりませんが、そのときにできる旅を無理なくしていきたいと思っています。」
●その壮大な旅が終わった後には、この番組で、素晴らしいお話を聞かせてください。
「ありがとうございます。」
●というわけで、今回のゲストは、冒険サイクリストの豊田剛さんでした。ありがとうございました。
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