2011年4月2日
今週のベイエフエム「NEC プレゼンツ ザ・フリントストーン」のゲストは、風間深志さんです。
4月から毎週土曜日の夕方6時の放送となった『NEC プレゼンツ ザ・フリントストーン』。
放送開始から20年目に突入しました!
そして今回のゲストは、この番組ではおなじみ、冒険ライダー、そしてNPO法人
「地球元気村」の大村長の風間深志さんです。
風間さんの楽しくて元気になるトークをお送りします。
※風間さんが大村長を務める地球元気村は毎年、全国十ヶ所ほどで体験型イベントを行ない、都会の人たちに自然体験を勧めています。その地球元気村のことなどを含め、これまでのことを振り返っていただきました。
●今回の放送で、この番組が20年目に突入しました!
「本当に!? おめでとうございます! 20年ですか。すごいですねぇ~!」
●この番組がスタートしたのが、1992年の4月で、記念すべき第一回目のゲストも風間さんでした。
「そうだったの? そういう意味じゃあ、切っても切れない縁だね。」
●そして、毎年4月の第一週目には登場していただいています。この番組にとって、風間さんはなくてはならない存在です!
「ご迷惑になってないかどうかわからないけど、元気でいるということはなりよりですね。」
●20年という節目の年を迎えたので、この20年間をざっくりと振り返っていただけませんか?
「僕が振り返るの!? それはもう、紆余曲折の20年でしたね、ガハハハ(笑)。1992年から振り返るの? 僕が南極に行った年かな。そこから数えて、年齢はピッタリになりましたねぇ。」
●今おいくつなんですか?
「え? それは聞かない、ガハハハ(笑)。」
●それは失礼しました(笑)。
「でも、そこから20年は経ったってことですよね。」
●そうですね。ちなみに、地球元気村は設立から23年になるんですよね?
「今年で23年になりますね。でも、地球元気村はそれほど大きくなってないですね。それでも、地球元気村がやっているようなことをしている人たちが、NPOの中でもすごく多いので、地球元気村じゃないところがどんどん大きくなってきていますね(笑)。それだけ、そういったものが社会の中で必要になってきたというのは、いいことなんです。自然を大切にする人たちや自然のことを認識してくる人たちが増えてくるというのは、とてもいいことですね。そういう意味では嬉しいです。」
●それって、もしかしたら、環境に対するアプローチの選択肢が増えたからじゃないでしょうか?
「そうかもしれないですね。大体は“自然を知ろう”というところからスタートするんだけど、そのキッカケになるのが、様々なアウトドア・スポーツなんですよね。色々な形で自然を好きになり、体験し、感動しますよね。その中で、僕たちとしては、もう少し生活のスタイルを変えてもらいたいですね。もっと自然を生かした生活をしてほしいです。
例えば、今回の震災のようなときに、野外で自立できて生活ができるというような、たくましさまでは求めてないけど、自然を理解して自然に寄り添った生活を築いてもらいたいなと、おこがましくも思いましたね。でも、まだそこまでいってないですね。相変わらずの商品文化なので、ものすごく“物”に溢れてますよね? そんな環境の中で、やっぱり“物”が頼りだし、色々なシステムが頼りなので、“個”の人間としてのあり方というのは、あまりにもひ弱ですよね。少しでも条件が揃わないと、すごく閉鎖的な気持ちになるから、たくましいとは言えないですね。だから、まだまだ地球元気村の役目はあるかなと思ってますよ。」
●確かに、今回の震災で分かったのは、物が少しでもないだけで、私たちってこんなにも不安になることや、自分の弱さを実感しました。
「それに加えて、原発の放射能という、目に見えないものが、みんなに恐怖心を与えて、みんな怖がっているでしょ? 今回はみんな、そういう経験をしたから、何気ない青空や気持ちのいいそよ風とか、何の問題もない雑木林のありがたみが、すごく伝わってきましたよね? そういう意味では、僕たち人間が教訓の一つとして、他愛もない自然のありがたみを、僕たちが生きる上で、どれだけ密接でイコールの関係なのかがよく分かりました。これがキッカケで、みんながもっと自然を見つめてくれればと思いましたね。被災者のみなさんにとっては、言葉がでないぐらい、辛い経験なので、みんなで力を合わせて乗り越えていきたいですね。」
※風間さんは、2004年に出場した“パリ・ダカール・ラリー”で不慮の事故に遭い、左足に大怪我を負ってしまいました。現在も膝が曲がらないなどの後遺症が残っています。そんな風間さんは、WHO(世界保健機関)が行なっていた「運動器の10年・世界運動キャンペーン」の親善大使として、バイクや車、そして自転車で世界中を回ってきました。
●風間さんといえば、昨年まで「運動器の10年・世界運動キャンペーン」の親善大使として、色々と世界を回っていましたが、それがとうとうゴールを迎えましたね!
「やりましたねぇ。2004年にアフリカで怪我をして、自分にとってそのときは『これで人生が終わったな』って思うぐらい、暗い気持ちになりました。でも、人生にはどういう出会いがあるか分からないけど、そのときに出会ったお医者さんから、『運動器の10年・世界運動キャンペーン』のことを教えてもらって『これならできそうだな』と思って、2007年から参加しました。
これは、運動器という膝関節とか靭帯や筋肉など、自分の運動機能を健康に保てるというのは大切だし、それを医療の側面から維持していくことが大事だということを言っているキャンペーンなんです。ユーラシア大陸横断から始まって、合計66300キロを走って、去年の9月にスウェーデンのルンドという街でゴールしました。そして、表彰状までもらっちゃった!」
●なんの表彰状ですか!?
「“NATIONAL AWARD OF ACHIEVEMENT”という特別功労賞をいただきました。重い盾と金一封をもらって『これでパーティーをやってください』って言われたから『50万ぐらい入ってるのかな?』って思っていたら、5万だったんですよね(笑)。でも、そういうものをいただけて嬉しかったね。怪我をして、涙の13ヶ月だったんだけど、その自分が持っていた、身体機能を失って涙したことに関係するキャンペーンに救われました。そこから、僕はそれをアグレッシブに動いて、みんなに広めることによって、怪我したことの心の凹みを克服しようとしましたね。
ゴールしたときに、僕にキャンペーンに参加することを勧めてくれたルンド大学の先生がいて、その先生がゴールテープを持ってもらって、そこでゴールすることができたんですよ。それは嬉しかったですね! ゴールしたときに『あなたの素晴らしい罠にハマって、素晴らしい4年間が過ごせました』と先生にお礼を言いました。おまけに表彰までしてくれて、すごく素晴らしい4年間でしたね。」
※「運動器の10年・世界運動キャンペーン」は去年日本でも行なわれ、「障害者100人による日本縦断駅伝」として、沖縄から北海道まで、障害者の方が自転車や車椅子に乗ってタスキをつなぎ、2300キロを走破しました。そのキャンペーンに参加した風間さんはこんなことを感じたそうです。
「あれは去年やりましたね。沖縄の那覇にある守礼門から出発して、自転車や車椅子に乗ってタスキを繋いでいって、北海道の札幌にあるテレビ塔まで行ったんですけど、それをサポートするお医者さんも150人ぐらいいるという一大キャンペーンを、障害者の立場から、みんなにメッセージを送るということを国内でやりました。
今回は持ってこなかったんですけど、ついこの前にそのキャンペーンの様子を撮った写真集ができたんです。参加している皆さんは、僕よりも障害を持っている方たちだったのに、みんな僕より元気だったんだよね! その人たちが頑張って、タスキを繋いでくれたんだけど、そのときに教わったことがあったんです。それは、障害者だから、運動機能のどこかに障害を持っているから、五体不満足なんだけど、その人たちは僕より元気だったんですよ。
そうなると『元気ってなんだろう?』って思うんですよね。例えば、健常者と障害者、どこが違うんだろうって考えた。そうすると『健常者って心が元気の人のことなんだ』って思いましたね。人間って、元気・健康って、気持ちが大事なんだって、みんなから教わりました。それが約2,300キロ走った中で得た、僕にとっての宝物になりましたね。いいことばかり言ってるけど、それは本当なんですよ! だから、このキャンペーンをやってよかったですね。」
※活動的な風間さんは、最近、南米に行ったそうです。
●風間さんは最近、ペルーのマチュピチュに行ったと、ブログを見て知りました。
「これね、本当は秘密だったんです(笑)。」
●あ、そうだったんですね! 言ってしまって、すみませんでした。
「でも、ブログに出ちゃったんですよね。見た光景が『すげー!』と思って、思わず写真を撮って、ブログのサイトに写真をアップしたら、すぐブログに載っちゃうんですよ。そういう風にしてあるから、簡単に載っちゃいました。
それにしても、あそこはすごいですね。一大観光地で、色々な方が行くんですけど、マチュピチュのって、写真などでしか見たことがなかったけど、すごいですね! とにかく、観光地の中では、パリのシャンゼリゼと同じぐらいのすごさがあって、『ここは不滅の観光地だな』って思いました。1400年代の人たちが作った石の集落の後があるんだけど、すばらしい遺産なんですよ。これは、1000年経った人たちも見にくるだろうと思いましたね。なぜなら『この石の隙間はなんだ?』って思うからなんですね。ナスカの地上絵、クスコの城壁など、現代の人たちでは造ることができないものばかりだし、180トンという石を30キロ以上離れている低地から運んだりしているんですよ!? 180トンの石をどうやって運びます?」
●当時だと、ダンプカーなんてないですよね?
「ないですよねぇ。さらに、石と石組の間に隙間が全くないんですよ。これをどうやって説明するのかとなると、今は誰もできないんです。誰も説明できないというところが、永遠不滅の謎の一つであり、魅力なんですよね。その集落は一万人の人たちが造ったと言われているけど、確かに一万人の人が造るには、それぐらいの広さが必要なんだけど、そのぐらいあるんですよね。『それを造ったのは宇宙人だよ』と言ってしまったらそれまでなんだけど、石の底にエクボみたいな凹みが必ずあるんですよ!」
●取っ手のようなものですか?
「そうそう! そこを掴んで運んだっていう痕跡があるから、逆に不思議なんですよね。『どうやって運んだんだろう』って思っちゃうんですよ。僕より詳しい方がこれを聞いて『何言ってるんだ!』って思うかもしれないですけど、素人の僕が見て、すごく感動しましたね。」
●イマジネーションが膨らみますね。
「本当に宇宙人が造ったとしか考えられないんですよ。たまに日本に“気”を使う人がいますよね。20人を一度に倒したりする人もいたりするけれど、そういう、僕たちが日常に使っている力学とかじゃない、異次元の力学を使っていますよね。そうじゃないと、そんな重い石は運べないじゃないですか。」
●私たちには、知らないことがまだたくさんあるんですね。
「そうですよ! 先進国ではないけれど、それをすごく超えた、すごい過去の技術の遺産が残っているんですよね。地球には、まだまだ魅力的なところがたくさんありますね。」
●風間さんの今後の冒険の予定ってありますか?
「今年は地球元気村に打ち込みます! 今までは冒険と両立してきたんですけど、今は地球元気村のゴールを踏みたいと思っています。これから5年は本気になってやっていこうと思っていながらも、地球元気村の大村長として、自然と付き合うことに手を緩めちゃいけないから、今年は一つだけ冒険をします。秋にチベットに行って、荒行をやります! やってきたら、来年報告しますよ!」
●それは楽しみですね!
「誰もしたことがない行をやってきますよ!」
●ちなみに、その荒行の内容は、もう決まっているんですか?
「それは内緒です。」
●内緒ですか!?
「それはもう内緒ですよ。ガハハハ(笑)。」
●それは気になります!
「内容は内緒ですけど、成長して帰ってきます。」
●山には登りますか?
「登りますね。」
●その辺りから推測していきます(笑)。
「(笑)。とにかく、お楽しみにということで、またお話をしたいと思います。」
●そうですね。では、楽しみにしています!
(このほかの風間深志さんのインタビューもご覧ください。)
風間パパには一年ぶりにお逢いしましたが、なんだか昨年よりも笑顔がパワーアップしているようで、本当に元気をたくさん貰いました。また、風間さんは地球元気村、そしてバイクの仲間達と被災者支援も行なっていくというお話もされていました。そちらの活動も、今後応援したいと思います。
地球元気村の活動についてはぜひ公式ホームページを見てください。様々な体験イベントが用意されている他、これまで行なってきたイベントの様子が写真で見ることができたり、風間さんのブログ「村長のブログ」も楽しめますので、是非ご覧ください。
そんな地球元気村では随時、村民を募集しています。村民になると年4回、会報誌が送られてくるほか、特典も用意されています。登録料は、家族村民6人までで年間3,000円です。
また、地球元気村では現在、東日本大震災の被災者のための義援金を受付中。詳しくは、地球元気村のホームページをご覧ください。