2011年4月9日
今週のベイエフエム「NEC presents ザ・フリントストーン」のゲストは、広瀬敏通さんです。
NPO法人「日本エコツーリズムセンター」の代表理事・広瀬敏通さんは、東日本大震災の被災者救援のために、任意団体「RQ市民災害救援センター」を、趣旨に賛同する自然野外活動団体や市民有志とともに立ち上げ、モンベルの「アウトドア義援隊」と連携を取りながら、救援活動を行なってらっしゃいます。
きょうはそんな広瀬さんに、宮城県登米市を拠点に行なっている活動と今後の課題などについてうかがっていきます。
※阪神淡路大震災や新潟中越沖地震の救援活動など、豊富な経験を持っている広瀬さんは、大震災が起こった2日後には被災地に駆けつけたそうです。
「最初は3月13日に行ったんですが、福島までしか行けなかったんです。なので、私たちはとりあえず、福島で救援活動を行なうつもりだったんですが、ご存知のように、福島は原発の問題が一気にクローズアップされてきました。それで『このままここでボランティアの人と一緒に救援活動をするわけにはいかない』ということになって、仕切りなおしとして、仙台に移動をして、そこに本部を置いて、活動を再開しました。
仙台の中心街は、被災をしたとは思えないほど、大丈夫だったんですが、物不足が深刻で、コンビニのオープン前に何百メートルもの行列ができるんです。そのような状態のところから、沿岸の地域に行くと、この世のものと思えないような景色がそこにありました。全ての物が“消えている”んです。“壊れている”という状況は、これまでの災害で何度も見てきましたが、“消えている”というのは初めてでした。」
●地震が発生してから一ヶ月が経って、最初の頃から状況が変わってきていると思いますが、今の状況はどうなんですか?
「被災地の時間は、私たちが日頃過ごしている時間とは全く違う流れ方をするので、一日経っただけで、状況がすごく変わります。なので、『今、これが現地で必要とされている』という情報を私たちが共有しても、その需要は既に終わっていたりして、私たちが昨日得た情報が、現地では既に古くなってしまっていたりするんです。 約一ヶ月経った今、緊急支援の段階がほぼ終わって、これからは次の段階に移っていきます。最初の段階は、生き延びようと頑張っている人をとにかく救出するという状態なんですが、今回はそれを、自衛隊が中心になって、消防団などと共に行ないました。私たちは、避難した人たちに対して、物資を送るという活動を中心にしてきました。これまでおよそ百数十トンの物資を、仙台の少し北の方にある女川町から、岩手県の南にある大船渡市まで、120キロぐらいあるんですけど、その地域に60ヶ所ほどある避難場所に毎日物資を配っていました。」
●報道などを見ていると、大きな避難所にはある程度の物資が集まっていますけど、気になるのは、小さな避難所の状況なんですけど、それはどうなんですか?
「他の災害でもそうなんですが、避難所って、災害が起きる前にあらかじめ指定されている場所があるんですね。ですが、そこにたどり着けない人がたくさんいるんです。特に今回の場合は、地縁・血縁で集まって、津波などで壊れなかった家に避難をしていることが多いんですけど、その場所が外からでは分からないので、全然見つからないんですね。
なので、車が数台置いてあるとか、洗濯物がたくさんあるとか、口コミを聞いたりして、探し当てないといけないんです。見つけると、既に食料を食べつくした状態がほとんどなんですね。それでいて、周辺のお店はもちろん開いていないし、ガソリンも売っていないので、車はあるんだけど、ガス欠で全く動かないから買い物に行けないから、食料を買い足せないという状態なんです。」
●そういったところに物資を届けたとき、被災者たちの反応はどうだったんですか?
「もちろん、とても喜んでいただけるんですが、一方で『東北の方たちらしいな』と思うことが何度もありました。それは、箱ごと持っていかずに、箱の中にあるものから数個だけ取っていくという人が多いんですね。東北の人たちは本当に遠慮深いんですよね。
それと、もう一つありまして、物資を持っていった人が、お返しに魚をもらってくるとか、お新香をもらってきたりするんですね。これも、とても災害地とは思えないような光景で、自分が食べられるものはわずかしかないというのは分かっているのに、お返しをする習慣があるから、自然とするんです。また、物資が本当に必要なのはわかっているんだけど、『結構です』と言って、受け取らない方とかいて、これは他の災害のときには見られなかった光景でした。」
※日本の自然学校の草分け「ホールアース自然学校」の創立者でもいらっしゃる広瀬さんは、今回の震災を経験して、こんな思いを持ってらっしゃいます。
「都会の暮らしって、災害時には全く役に立たないですよね。まず最初に、ライフラインである水・電気・ガスが止められますよね。水が出なくなるから、トイレも使えなくなります。そうなると、冷蔵庫に野菜とかお米とかあっても調理をすることができないですよね。そういうときに、野外技術を持っていると、家にあるものだけで、火事の心配をすることなく、調理をすることができるんです。水も様々な形で、浄化して使うことができます。そういう野外技術を知っていると、精神的にもすごくいいですよね。」
●そうですよね。今回の地震のとき、枕元に登山用のグッズを置いておいたんですが、安心感が違いました!
「今回の地震って、余震が多かったですよね。余震も、震度2ぐらいならともかく、震度4以上の余震も多かったので、何かあるといけないので、貴重品はいつも身に付けておくことは大事です。それから、今自分がいる建物からいつでも飛び出させるように、そのときに必要だと思う物を常に携帯しておくことも大事です。それって、気がついたら、登山やキャンプに行くときの準備と同じになるんですよね。」
●確かにそうですね。防災グッズって、色々なところに行っても売り切れていたりするので、キャンプのときに使ったグッズや道具があるとないとでは精神的に随分違いましたね。
「食べ物を一つ手に入れるにしても難しい状況の中で、普段食べないようなものでも、食べられるものがあるということって、野外技術を持っている人やキャンプをしている人なら知っていますよね。例えば、東北はまだ寒いですが、今頃になると、野草が出てきます。草だから、都会に住んでいる人たちは食べられないと思うんですが、東北の人たちにとってはご馳走の一つなんですね。そういうことを知っているだけでも、精神的にも全然違ってきますね。」
※任意団体「RQ市民災害救援センター」を立ち上げ、東日本大震災の被災者救援活動を行なっている広瀬さんに、今後の救援活動のことについてうかがいました。
「この震災はものすごく甚大で、広域なので、至るところの地域が消えてしまっているんですね。なので、この復興にはものすごく時間がかかることは、多くの方が仰っている通りなんですが、私たち市民レベルでお手伝いができることは何かないかというと、“復興に対して、様々な形で応援していくこと”だと思うんですね。例えば、東北地方で作られたものを積極的に買って、使うようにする。これだけでも、すごく元気付けられます。
それから、できることなら、“被災地に行ってみる”のもいいと思います。もちろん、大変甚大な被害を受けて、重機が入って、片付け作業をしているところに大勢で行くわけにはいかないですけど、現地は全てそういう状況というわけではなくて、色々な場所があるので、子供でも安心して行ける場所がいくつもあるんですね。そういう場所でもいいので、なるべくたくさんの人が出かけていって、被災者の方から、震災の体験を語っていただいて、また、ボランティアの方からも、ボランティア活動をやっている理由とか、活動がどのぐらい役に立っているのかなどを聞くということも復興への手助けになると思います。私たちはその活動を“震災復興エコツアー”と称して行なっているんですが、“現地に行く”という発想を持つだけでも、とても大きな復興支援になるんです。」
●確かに、今も原発の問題などもありますので、すぐにというのは難しいかもしれないですが、元々は素晴らしい景色が多いですし、エコツアーとして行く場所が多いですよね。
「場所によっても、原発の今後の状況など、条件がどんどん変わってきますので、どこでも行けるというわけにはいかないですが、現段階で『○○というルートを使って、○○というところに行くのであれば、大丈夫だ』というところもたくさんあるので、詳しいことを知りたい方は、「RQ市民災害救援センター」の東京本部に問い合わせてみてください。ただ、今のところはボランティア活動を希望する方が優先です。でも、あと一ヶ月から一ヶ月半後には『ボランティアはできないけれど、被災状況を自分の目で見ておきたい』という人たちのための機会を作っていきたいと思っています。」
●被災者の中で、弱者となってしまう、お年寄りやお子さんに対しての活動って、どのようなことをされているんですか?
「ようやく、“物資の支援”から“人への支援”に移行できるようになったので、それに関する活動を始められるようになってきました。お年寄りには、背中を擦るとか、肩を揉むといったような活動から始めています。現地のお年寄りの誰もが、今の段階で、自分の恐ろしい体験を話したがっているんですよね。それはおしゃべりだからというわけではなくて、不安な気持ちを吐き出したいという気持ちからです。ただ、吐き出されたボランティアの方がトラウマを抱えてしまうという危険性があるので、ある程度のガイドラインを作っていきたいと思っていますが、今は、背中を擦るとか肩を揉むといったことをしています。
子供たちに対しては、阪神大震災や新潟中越沖地震のときからずっと行なってきた“子どものびのび隊”という、自然学校のボランティアの人たちが、子供たちを外に出して、半日一緒になって遊ぶということをしています。それによって、子供たちの心のケアになるので、これまでずっと行なってきているんですが、それも少しずつ始まってきています。」
●物資の現状はどうですか?
「物資は、地震発生当初に求められていた毛布や服などは、ほとんど行き渡っています。今のニーズは、下着や調味料など、日常的な消耗品に移り変わってきていて、さらにここ一週間ぐらいで多いニーズが、本や新聞など、気持ちを癒してくれたり、情報が得られる物が求められています。
ただ、物資に関して、これからもずっと配布し続けるのはあまりよろしくないんです。なぜかというと、現地の商店などが、バラックの中からでも復興して再開しようとするお店がこれから出てきますので、そういうお店を支援していくためには、いつまでも物資を配るわけにはいかないですよね。例えば、ガソリンスタンドも大変なダメージを受けているんですが、そこがドラム缶からですが、ようやく営業を再開しているところがあるんですね。そういうところに、たくさんの方が灯油を買いに行っています。そんなときに、私たちが灯油を配っていたら、ようやく営業を再開したガソリンスタンドが潰れてしまいますよね。そういう配慮も大事です。」
●そのことには、気づかなかったです。
※最後に、広瀬さんからリスナーの皆さんにメッセージをいただきました。
「この震災の被害はすごく深刻だし、心が塞がれるような想いになるのは事実なんですが、私はボランティアの人たちに『できるだけ明るく、笑顔で被災者の人たちと接しよう』と言っています。私たちが元気でポジティブでいることが、これからの復興への力になるんですよね。なので、ネガティブの状況はいくらでも見えてしまうんですが、ボランティアの人たちはもちろん、それを取り巻く多くの人たちも、決してネガティブにならずに、ポジティブに、前向きなことを、みんなでどんどん共有しあってほしいと思っています。なので、みなさん是非、笑顔で被災地に来てください!」
(このほかの広瀬敏通さんのインタビューもご覧ください。)
広瀬さんもおしゃっていましたが、被災者支援はこれから長期戦になります。そうなった時に、更に多くの方の協力が必要かと思いますが、例えば、西日暮里にあるエコセンの本部では、地元のお母さん達が、スタッフの方達の為に、おにぎりなどの差し入れをして下さるそうです。
あまり難しく考えず、今自分に出来ることをする、それが大きな支援に繋がるのではないでしょうか。番組で出来る事として、これからも広瀬さんたちの活動を、定期的にお伝えしていきたいと思います。
日本エコツーリズムセンターの代表理事・広瀬敏通さんが立ち上げた任意団体「RQ市民災害救援センター」が行なっている救援活動については、NPO法人「日本エコツーリズムセンター」のホームページ内に「RQ市民災害救援センター」のサイトがあります。これまでの支援活動の内容や、ツイッターによる支援活動の最新情報を見ることができますので、是非ご覧ください。
また、広瀬さんたちの活動を手伝いたい、サポートしたいと思った方は、ホームページに支援活動について詳しく掲載されていますので、そちらを読んでお問い合わせください。