2011年6月4日
今週のベイエフエム「NEC presents ザ・フリントストーン」は、先月、東京・青山で開催された緊急提言シンポジウム「森と海をつなぐ日本の再出発」の取材リポート第1弾をお送りします。
このシンポジウムは、今回の大震災を乗り越え、これを機会に日本が生まれ変わるためにはどうすればいいのかを考え、議論し、その思いを広く発信したいという趣旨で、オークヴィレッジの稲本正さんが中心となり、開催されました。
今回のシンポジウム、第1部では稲本さんほか、作家のC.W.ニコルさん、そして「森は海の恋人」運動で知られ、今回の大震災で被災された気仙沼の漁師さん、畠山重篤さんによる講演を、第2部ではそのお三方に、森や川の専門家を加えたパネル・ディスカッションが行なわれましたが、今回は第1部の講演から稲本さん、ニコルさん、そして畠山さんの緊急メッセージをお届けします。
※まず、今回のシンポジウムの仕掛人である稲本正さんのお話です。現在、NPO法人「ドングリの会」の代表として植林活動も行なってらっしゃる稲本さんは、国際森林年の今年、ニコルさん他と色々な活動を行なっていこうと話していた矢先、大震災を経験し、緊急シンポジウムの開催を決めました。その思いやイベントの趣旨をこう話してらっしゃいます。
「我々人類は、新しい目覚めをしないといけないんじゃないかと思っています。私が岐阜の飛騨高山に移り住むときに、読んでいてすごく感銘を受けた本があります。それは、ヘンリー・デイヴィッド・ソローという方が書いた“森の生活”という本です。その本の最後に『僕らの目を眩ませる光は僕らにとっては闇だ。僕らが目覚めるときにこそ、夜明けが訪れる。まだまだたくさんの日が眠ったままで、夜明けを待っている』という一節があります。
まさに人類が、この21世紀の中で、もう一度目覚めなおさないといけないんじゃないかと思っていて、今回がそのヒントになるような会になればと思っています。今回、私たちが一方的に話すのではなくて、これを期に、国も色々と考えているみたいですが、国だけに任せていてもダメなので、みんなも一緒になって議論に加わって、自分たちで動けるようなことをやりたいと思います。」
※続いては、気仙沼の漁師さんで、NPO法人「森は海の恋人」の代表・畠山重篤さんのお話です。畠山さんは、20数年前から気仙沼に注ぐ川の上流に木を植え続けていらっしゃいますが、今回の大震災で大津波に襲われ、九死に一生を得ましたが、今なお、電気や水道のない生活を強いられています。今回、大津波からなんとか助かった生々しい体験談のあと、こんな話をしてくださいました。
「私は牡蠣の養殖をしている漁師なんですが、平成元年から『いい牡蠣を作るには、森から流れてくる養分が川を伝って、海に流れてくることが大事だ』という事に気づき、山に木を植える運動をしてきました。その運動を“森は海の恋人運動”と名づけております。
今年の6月5日に、23回目の植樹祭をする予定でした。特に今年は、“森は海の恋人植樹祭”の記念すべき年になっていたんです。なぜなら、沿岸の海が森の養分で“いい牡蠣がとれる”とか“アサリがとれる”とか“海苔がとれる”というのはだんだん分かっていたんですね。それらが取れる三陸沖は世界三大漁場のひとつなんですが、みなさんはどう思いますか?
“世界三大漁場はなぜ、世界三大漁場になるのか”ということを、小学校か中学校の社会の時間で『親潮と黒潮がぶつかるから』と教わっているかと思いますが、専門家の方も、それ以上突っ込まれるとなかなか説明がつかなかったんです。ところが、その陸から2000km離れた三陸沖の世界三大漁場も実は“森は海の恋人の世界”だということが、科学的に証明されたわけですよ。実は、“そのことをテーマにした大講演会”を、6月23日に開く段取りをしていたんですが、大津波の被害に遭いまして、会場もめちゃくちゃになってしまいましたので、そういう事が出来なくなりましたけれども、植樹祭は続けることにしました。なぜかといいますと、この大津波によって、特に海辺の町はどうしたらいいかわからないということで右往左往しているんですが、ここから復活をするためには、やはり、森と川と海との関係をちゃんとすることしか、この海に生きる町の復活する指針がないと思うんですね。
不思議な感覚なのですが、これだけ海に蹂躙されていながらも“誰も海を恨んでいない”んですよ。『そんな危ない所に住むのは止めろ』とか『私ならもう住まない』という人もいらっしゃるかもしれませんが、家の9割が流された人たちも「海の見える高台に戻りたい」と言っているんですよ。私もそうなんですけど、海を恨むとか津波を恨むという意識は全くないんですね。海でしか生きられないという諦めもあるのかもしれません。『じゃあ海で生きるにはどうしたらいいのか』ということなんですけれども、それは豊かな海から海の恵みを得るしかないんですね。でも、塩水だけでは海の恵みは得られません。森から流れてくる鉄分がこないと、海は生きられないし、海の豊穣さは得られないんです。
実際、この津波のあとの海はどうなっているのかという調査に来てくれた大学の先生方がいらっしゃいます。実際、海の底にも潜ってもらいました。すると、海底が思ったよりも綺麗だということが分かったんです! あれだけの波ですから、岩場に生えている海藻とかそういうものが全部引きちぎられていると思ったら、ワカメやカジメなど、沿岸域に生えている海藻も健在でした。ウニやアワビも這っているんですよ! 陸から流れていった瓦をひっくり返してみたら、瓦に付いたケイソウ類をアワビがちゃんと食べているんですよ。それから、海の中の酸素量も調べてもらったんですが、表面は100パーセントを超えていて、海底でも90パーセントを超えていたんです。生物が生きる上で、なにも心配はないということも、その調査で分かりました。 なので、津波という大きな衝撃はあったんですけど、“海は何も変わっていない”ということなんですよ。これは本当に希望ですね。だから、2万数千人の方々が亡くなるという大変な出来事で、それが落ち着くまではなにも始まりませんが、私は、息子達3人と一緒にこの仕事を続けているんですけれども、もう少ししたら牡蠣の養殖のイカダを作る決心をしました。これからみんなと話し合いながら、共同で海の仕事を立ち上げようと思っています。既に皆様のご支援をなにかと頂いておりますけれども、もう少し、末永く見ていただければと思っております。」
※今回のシンポジウムでは、日本が生まれ変わるためのヒントがたくさんちりばめられていたと思いますが、その中から、まずC.W.ニコルさんのこんなお話をご紹介しましょう。
「人間の遺伝子の半分は海からきています。人がこの形になって、走ったり、踊ったり、歌ったり、物を投げたり、ジャンプが出来たりするのは、全部森からの遺伝子です。僕は心の故郷は“海”と“森”の二つがあってもいいと思うんです。
私が初めて黒姫に行ったとき、私の友人である谷川雁という詩人を訪ねていって、黒姫を見ました。そのとき『日本に住みたい。やっぱり日本が一番いい。僕は作家として、これまでとは違うものを書いていきたい。海の男・山の男の日本の文学を書きたい』と思いました。『どこがいいのか』と聞かれても、街じゃなければ、どこでもよかったんです。そのとき雁さんは、『どうして黒姫に来ないのか?』と聞いてきたので『雁さん、私は海が恋しくなるのよ』といったら、『日本は島国である! どこにでも海はある!』と怒りました。考えてみたら、確かに私たちの小さな森から綺麗な小川が流れていて、千曲川に入っていく。そして、千曲川から信濃川に入り、日本海に出て行く。やはり森と海と人間の心は全部繋がっているんですよね。I'm very proud to be Japanese.」
※そんなニコルさんは、このようなこともお話していました。
「ドイツの森の面積は、日本とほぼ同じだそうです。ドイツで林業をしている人は100万人いるので、材木は自給自足です。しかし、日本で林業をしている人達は5万人しかいません。しかも、その半分以上は65歳以上の人です。なので、僕は数十年の間に、材木の自給自足を50%以上にしてほしいと思っています。少なくとも、50年くらいの間に90パーセント以上にして欲しいです。日本の林業を復活してほしいです。森から材木を切りだして使ってください。僕は“雑木”という言葉を捨てたいです。そして、森からいろんな恵みをいただいていきます。それは“人は森の中で生活をする”ということなんです。日本の田舎の町は枯れてきています。だから、出来るだけ田舎で生活ができて、住めるような状態にしたいです。して欲しいですし、可能です。
私も黒姫に30年住んでいますが、わが町の人口は1万人を切ってしまいました。でも、僕はあの町に住んでいて、幸せです。何も不自由もないし、連絡は世界中でいつでも出来ます。東京の人と状況は全く同じです。日本の美しい自然には多様性があります。多様性があるということは可能性があるんです。だから、できるだけ自然に戻ってきてほしいです。特に若い人とか、お医者さんとか、芸術家とか音楽家などの色々な人には戻ってきてほしいです。社会の多様性が必要なんです。
僕は、この国が本当に頑張れば、“アジアのエデンの園”になると思います。経済大国でなくてもいいじゃないですか。東京、大阪はラスベガスみたいにピカピカ光ってなくてもいいじゃないですか。Everybody's Happy! みんなが幸せになったらいいじゃないかと思います。」
※このシンポジウムの仕掛人であり、オークヴィレッジの代表・稲本正さんは、気仙沼の被災地を訪れ、その被害の大きさに驚き、こんな思いを強くしたそうです。
「今こそ日本が“自然の中でどう生きるか”という一つのモデルを作るべきだと思います。哲学的には“強制進化”と言っているんですが、人間は“付属栄養生物”なんですよ。そのことをよく理解して、いかに生きている植物と一緒に進化するかということを考えるべきだと思います。ニコルさんも“日本人は誇りだ”と言っていましたけど、僕は哲学も含めて、日本がこの災害を乗りこえて、その経験を世界にいい形でプレゼンテーションすると、人類の新しい方向ができて、新しく出直せるんじゃないかと思います。それを僕らだけじゃなくて、みなさんと一緒に考えていきながら、具体的に形にしていくと、いいモデルができる。そうすれば、みんなが『これだったらできる』と思えるので、是非いいモデルを作っていきたいと思っています。」
※最後に、大津波で大きな被害を受けた気仙沼の漁師さん、畠山重篤さんの力強いメッセージです。
「津波によって40数件の家が流されてしまって、『将来どうするんですか?』と聞いたら、みんな『海の見える小高い丘に戻りたい』と言っているんですよ。そうすると、新しく家を建てないといけないですよね。そうなると、木はどこの木を使うのかという問題も出てくるじゃないですか。すると、膨大な量の木が必要になるんですよ。
先程、ニコルさんの森の写真も見ましたけど、実は、ものすごくたくさんの手付かずのスギやヒノキの木がある山が、私たちの近くにいっぱいあるわけですよ。まさに、これを使う絶好のチャンスだと思います。これを逃したら、この国も森も復活しないと思います。私は、山の奥にある“限界集落”といわれている過疎地などを復活させる絶好のチャンスを神様は与えてくれたと思っています。間伐が進めば、森が蘇って、森が蘇れば川が蘇って、最終的には海も蘇るんですよ! これこそ、日本が復活する鍵なんですよ! このことを、政治を司っている人とか、お役人がどれだけ理解してくれるかにかかっていると思うので、なんとか説得しようと思っています。
私たちもずっと木を植え続けてきましたけど、そういう技術的なことも含めて、今求められているのは、“どうやって日本の木を使うか”ということなんですよね。これが動き出せば、雇用も増えますし、海が復活しない間は森で稼がせてもらって、海が復活したときは海に戻るということもできます。こういう仕事が増えることで、森に人の手が入ると、いつの間にか川がよくなっていて、最終的には海がよくなっているんですよ。戻りやすいじゃないですか。」
(今回のゲストのみなさんの、この他のインタビューもご覧下さい)
・ 稲本正さん
・ C.W.ニコルさん
・ 畠山重篤さん
今回のシンポジウムに私もお邪魔したんですが、定員の400名をはるかに超える方が参加されて、当日はすごい熱気でした。また、会場には間伐材を利用した木造仮設住宅が展示されていたんですが、この仮設住宅は、伝統的な木組みの技術が用いられ、クギは一本も使わずに、一日での設置が可能だそうです。さらに、常設の住宅としても利用可能という事で、プレハブで作る仮設住宅は使用後、廃棄物になってしまうものが多いので、再利用出来るこの住宅は優れものですよね。木のぬくもりや香りは、住む人を癒してくれると思うので、この木造住宅が普及したらいいなあと思います。
株式会社オルタナ/定価1,000円
先日開催された緊急シンポジウム「森と海をつなぐ日本の再出発」の仕掛人であり、原子力の研究をやめ、木工と森作りの道を選んだ稲本正さんが考える、日本のあり方、人の生き方などが書かれています。気になった方は是非読んでみてください。
今回のシンポジウムでメッセージを送ってくださった稲本正さん、C.W.二コルさん、畠山重篤さんの近況や活動内容などを知りたい方は、それぞれのホームページとブログをご覧ください。