2011年6月11日
今週のベイエフエム「NEC presents ザ・フリントストーン」は、先月、東京・青山で開催された緊急提言シンポジウム「森と海をつなぐ日本の再出発」の取材リポート第2弾をお送りします。
東日本大震災を乗り越え、これを機会に日本が生まれ変わるためにはどうすればいいのかを考え、議論し、その思いを広く発信したいという趣旨で、オークヴィレッジの稲本正さんが中心となって開催されたこのシンポジウムは、稲本さんほか、作家のC.W.ニコルさん、そして「森は海の恋人」運動で知られ、今回の大震災で被災された気仙沼の漁師さん、畠山重篤さん他が出席され、講演やパネル・ディスカッションがおよそ2時間半にわたって熱く繰り広げられました。
今回は第2部の、森や川の専門家を加えたパネル・ディスカッションの模様をお届けします。
※今回のシンポジウム第2部のパネル・ディスカッションでは、東京農業大学・教授で、「美しい森林づくり全国推進会議」事務局長・宮林茂幸さんが進行役を務められました。
まず冒頭で宮林さんが「今回の大震災を機に、今の社会やライフスタイルを見直し、100年先の社会をどう作り上げていくのかを考えなくてはいけない」という問題提起のあと、河川工学の専門家、新潟大学名誉教授の大熊孝さんが大震災で壊されてしまった防波堤や防潮堤などの説明をした上で、こんな話をしてくださいました。
「私は今回の状況を見て、『明治以降の近代化というのを、もう一度総決算しなきゃならないんじゃないか』というふうに感じました。我々は第二次世界大戦の敗戦で、その近代化が悪かったということで、一度、総決算したはずなんですね。その一つが“戦争放棄”という覚悟を決めて、我々は戦後、再出発をしているわけですが、私はもう一度ここで、『覚悟が必要なんじゃないのかな?』という気がしております。その一つがやはり“原発放棄”ということではないのかなと思います。
もう一つは“自然とどう共生していくのか”ということを考える必要があるのではないかと思います。明治以降の近代化というのは、自然から恵みを収奪できるだけ収奪し、災害に遭わないように克服するという形をとって参りました。」
※このあと、大熊先生は新潟県や長野県を流れる、ダムだらけの阿賀野川や信濃川の現状を説明されたあと、こんな指摘をされました。
「今回、原子力発電などがないので、『水力発電やろうよ』という話になるんですが、今のように、川が死んでいる状態で、水力発電をやるのかどうか、そのあたりを改めて考えて欲しいと思います。特に東京の人に“決して、水力発電はクリーンエネルギーではない”ということを知ってもらいたいです。新潟の信濃川が死んでいる状況で東京の電車が動いているんだという事を、よく理解しておいてほしいという風に思っています。」
※そんな川を復活させるためにはどうしたらいいのでしょうか。
「信濃川を復活させるには、ダムを撤去しなくても可能だと思っています。下流に水をたくさん流して、ダムに魚が昇り降りする魚道を作れば、川はかなり戻ると思います。しかし、今は川のほとんどを使っている状況なので、夏になると、ダムの下流に水がなくて、水温が30度を超えるんです。まさに、お風呂のような状態になってしまうんですが、そういう事を東京の人は全く知らないんですよね。
これまで福島原発の電気が東京に来ていたり、新潟の柏崎から電気が来ていたりして暮らしていたんです。電気だけじゃなくて、水も利根川から来ているんですが、そういった事を全く気にしないで生活をしているという所に問題があって、それを皆さんが気づく必要があると思います。」
※そして、災害対策について、大熊先生はこう話しています。
「今後、この災害対策において、自然と共生していくというのはどういう事なのかというと、基本的には“景観を壊さない”ということだと思います。景観を壊さないというのはどういう事かというと、投げたり、飛んだり、走ったりという、我々が持っている距離感やスケール感というものをあまりに超える物は造らないほうがいいだろうという風に思っています。
我々が日常的に暮らしているところにある様々な構造物が、今ではあまりに大きくなりすぎていて、それを、今後どう考えていったらいいでしょうか。東京にたくさんの大きなビルがありますよね? これがもし電気が止まったら、屋上まで毎日登山をするという事になりますよね。それは大変だと思います。」
※続いては、今回のシンポジウムの仕掛人である、オークヴィレッジの代表・稲本正さんのお話です。NPO法人「ドングリの会」で、木を植える活動もされている稲本さんは、こんな思いを持ってらっしゃいます。
「僕は批判するより、まず山に入って、見える範囲で文明を作る方が大事だと思います。日本の文明をよく調べてみると分かるんですが、縄文時代から1万年以上、木の文化だったんですよ。木でも一生懸命研究すれば、まだまだやれる方法はいっぱいあるんです。木って“目が届く資源”なので、植えて100年くらいかけて育てたら、100年使えるものになるんですよ。
木は炭化水素で、石油、石炭と同じなんです。そういうものでできる可能性を、もっともっと研究した方がいいんですよ。そんな私も、原子物理を研究しているときは、研究費がたくさんきて、ついつい何かを発見したくなってしまうんですよ。だけど、やっぱり予想もつかないようなエネルギー、予想もつかないような時間じゃなくて、予想がつくもので、なんとか出来ないかと37年ずっと頑張ってきました。それでも最近『想像がつかないようなことの可能性もあるな』というふうに思いつつあります。ただ、これに関して、皆さんが変わるというのはなかなか大変だと思います。なので、実践してモデルを作って、『それは確かに生きるのにいいな』というやり方を見つけないといけないと思います。」
※続いては、作家のC.W.ニコルさんです。長野県・信濃町のアファンの森で森の再生活動を行なっていらっしゃるニコルさんは、エネルギーの面から森の効能について、こんな話をしてくださいました。
「エネルギーの事ですが、私たちの森には、温度と光と湿度を24時間ずっと計っているセンサーを置いています。夏になると、森の中は森がない所と比べたら平均2度涼しいんですが、それがすごく暑い日だったら、16度以上の差が出てくるんです。葉っぱは、一枚一枚水分を蒸発させ、クーラーの役割を果たしてくれますし、光合成を行なうことで酸素を作ってくれるんです。だから森は涼しいんです。これはこれからのエネルギーにとって、プラスになると思います。だから、町に木をもっと増やしていくといいんじゃないかと思いますね。」
※続いては、元衆議院議員の高見裕一さんの、エネルギー事情に関するお話です。気候変動に関して科学的な調査・研究を行なっている国連の機関IPCC(気候変動に関する政府間パネル)のリポートからです。
「IPCCは政策担当者向けのレポートです。それによると、今後40年間で、風力やソーラーなどの再生可能エネルギーは20倍に成長し、これにより、世界のエネルギー需要をまかなう事ができるだろうと言っています。これに伴う世界の投資は、あと20年間のうちに12.3兆ドル×100ぐらいの、非常に天文学的な巨額なものになるだろうとも言っております。
今の日本の再生可能エネルギーの割合はわずか1%少々で、世界の再生可能エネルギーは1割を超えています。『これは少ない』とIPCCでは言っているわけです。今、世界中で大変なスピードで再生可能エネルギーは増加しているんですが、日本だけが増加していないんです。これを機会に、“ここは非常に変わった国なんだ”という事を是非知っていただきたいと思っています。」
※高見さんは、日本の電力量は2009年の段階で原子力が29パーセントを占めていたという指摘をされたあとに、今、原子力発電がまかなっている電力がなくなった場合、いつの時代にもどってしまうのかというお話をしてくれました。
「1989年の消費電力全く同じなんです。その頃はバブル真っ盛りで、どこかのディスコで踊っておられる方も多かったのではないかと思いますけれど、何か不自由があったでしょうか? 私には特段の不自由があったという記憶がございません。ということは、そこから今までの間に、私たちは“資源・電力浪費型社会”というものを作ってきてしまったんです。
私はハッキリと信念を持って、明確に、オルタナティブなエネルギーを作る社会を招き寄せるという意思表示を、多くの人々が恥ずかしげもなくやる事が大事なんだろうという確信をしております。1989年に、少し思いを馳せていただいて、私たちの暮らしのあり方というものを考えていただければと思います。」
※大震災に見舞われた気仙沼の漁師さんで、NPO法人「森は海の恋人」の代表・畠山重篤さんは、今回被災して、改めてこんなことを感じたそうです。
「3月11日で電気や水道、電話などが、全部消えてしまいました。それで、田舎に住んでいながら、台所はプロパンガスを止めて、IHにしました。それで電気が止まるということはどういう事かを考えたときに、コタツはつかないし、ストーブも台所もつかないんですよね。結局、生きていく上でもっとも重要なものはやはり“火”と“水”ということなんですね。だから、田舎にいながら、電気という、人様のものをアテにしながら生活していたことを反省しないといけないですね。近くにいい水が出る井戸がありますし、周りは木だらけですよ。それを使わないでいたというのは反省ですね。今回分かったことは、薪ストーブ一つ使っただけでも色んなことが随分変わるということですね。東京の方にこんな事言っても仕方ないとは思いますけれども、少なくとも、地方で暮らす人はやっぱり、木材をエネルギーとした暖房を使ってみるということが大事だと、つくづく思いました。
“電気は必ず止まるもの”だという事を覚悟しなくてはいけない事を、今回のことでよく分かりました。なので、我が家はその事を決心しまして、今、周りには廃材が山ほどあるので、それをどんどん切って、燃料にしています。あと、木もいっぱい倒れたので、ボランティアの方々が来くれて、その木を切る手伝いをしていただいたり、広島大学の先生なんかは3日間木を切る作業をしてくれましたし、北海道大学の先生は3日間薪割りをしてくれました。おかげで、2年分の薪を用意しました。
それから、原発の問題もありますが、宮城県には女川に原発があるんですよ。スレスレだったようですね。もし女川原発が福島原発のような立場になっていたら、もう仙台には人が住めないわけですよ。これは、本当にエネルギー問題に対して真剣に考えなくてはいけないということを、つくづく思い知らされたような、そんな経験でした。」
※続いて、パネル・ディスカッションの進行役を務められた東京農業大学・教授・宮林茂幸さんからのメッセージです。
「私たちはこの震災をどう捉えるかというのが、今後の課題だと思います。実は、この地震は“1000年に一回”とも言われていますけれども、私達の目の周りには私達に教えてくれる多様なもの、例えば“波分神社”や、碑がいっぱい教えてくれているんですね。それは『ここまで波が来るよ。これから下に家を作っちゃいけないよ』という意味らしいのですが、そういうのは結構あるんだそうです。では、それは一体なんなのかといいますと、こういった事実を風化しないで、次の世代にキチッと教えていく仕事を、それぞれの時代の人たちがやってきたんだろうと思います。それを私達もやらなくてはいけない段階にあるのかなというのが、役割の一つとしてあります。それから、エネルギーの転換、価値の転換をしていくこともあると思います。その具体的な策として、今日、様々なものが出てきました。それを踏まえて、一人一人が考えていかなくてはいけないと思います。
実は『国際森林年』のテーマは“森を歩く”なんです。ということは、ニコルさんの言う通り、これから暑くなったら、森の中は涼しいですから、森の中を歩けば、クーラーを使わないで済むので、節電になるわけですよね。そういうところからスタートしていけばいいと思います。そして復興は、“緑豊か”がテーマになると思います。“緑”というのは、“森林”“林業”“農業”“生活環境空間の緑”といった、多様な緑を機能的に配分しながら、そこに営みと暮らしをキチッとはめ込んでいった、まさに“日本のふるさと”と呼べるものを作っていくことだと思います。
僕は“百姓”という言葉が好きなんです。“百”の“姓”があるから、何事にも耐えられるし、多様性を持っているんです。100年前の日本人は殆どが農民です。多様性を持っています。どんな苦しみにも耐えられるものがありました。なので、その知恵を、一人一人が学びながら、東日本の復旧に向けていくことが、これからの私達の使命であり、それが進められたときに、100年先の日本の空間をキチッと次の世代に渡していく足がかりができてくるのではないかと考えています。」
※最後は、今回のシンポジウムの仕掛人である稲本正さんの、締めの言葉です。
「これだけ集まってくれた人がいれば、僕は日本を変えられると思うんですよ。明治維新って、始めはこれくらいの人達がやったわけですからね。だけど、明治はヨーロッパやアメリカのマネみたいな所が多かったんですよね。でも、今度は日本が一つの新しいモデルをちゃんと提示することで、新しい文化・文明ができる時代を迎えているんじゃないかと思います。“ピンチはチャンス”なので、是非ともやりたいと思っています。」
(今回のゲストのみなさんの、この他のインタビューもご覧下さい)
・ 稲本正さん
・ C.W.ニコルさん
・ 畠山重篤さん
二週に渡って緊急提言シンポジウム「森と海をつなぐ日本の再出発」をお送りしましたが、みなさんはどんな事を感じて頂けたでしょうか。エネルギー問題や、稲本さんやニコルさんがおっしゃっていた木や森の可能性など、色々なヒントがあったかと思います。今回の放送が、何かを考えるキッカケにして貰えば嬉しいです。私も、今回のシンポジウムを踏まえて、色々な事を前向きに考えていきたいです。
今回ご登場いただいた稲本正さん、C.W.二コルさん、畠山重篤さん、宮林茂幸さんの活動内容などを知りたい方は、それぞれのホームページとブログをご覧ください。