2012年4月7日
今週のベイエフエム/NEC presents ザ・フリントストーンのゲストは、風間深志さんです。
「自然」や「環境」をテーマに92年4月から放送している「ザ・フリントストーン」が今回の放送で20周年を迎えました! これも偏にこれまで出てくださったゲストの方、そして聴いてくださったリスナーの方たちがいてくれてこそ。
そんな今回は、20周年記念スペシャルということで、第一回目の記念すべきゲスト、冒険ライダーそしてNPO法人「地球元気村」の大村長「風間深志」さんをお迎えし、この20年を振り返りつつ、この先、わたしたちはどうあるべきかを考えます。
●20周年記念スペシャル! ということで、今回のゲストは、冒険ライダー、そして地球元気村の大村長、風間深志さんです。私にとっては、風間パパですね!
「久しぶりだね! 一年ぶり?」
●そうですね。毎年お会いしていますよ。
「そうか(笑)。えーっと、何て名前だっけ?(笑)」
●長澤です!(笑)
「これは失礼(笑)。長澤ちゃんはかなり大人っぽくなったね!」
●本当ですか!? 老けてないですか?(笑)
「そんなことないよ! かなり大人っぽくなってるよ。一年目は初々しい感じで、僕のことをパパって呼んで、すごくくすぐったい思いをしました(笑)」
●(笑)。実は、風間さんは番組のシンボル的な存在でして、第一回目のゲストが風間さんで、最多出演も風間さんなんです。
「それは偶然だと思うけどね(笑)。それにしても20年ですか? すごいねぇ。」
●実は、ある方から、風間パパにメッセージをいただいています。それをお聴きください。
エイミーさん「ザ・フリントストーンのリスナーのみなさん、風間さん、ゆきちゃん、ご無沙汰しています。エイミーです。この番組は、喋り手人生において一番の誇りでした。そんな番組が20周年を迎えたことが本当に嬉しいし、毎週いい番組にするために作っているスタッフのみんなに“おめでとう”と心から言いたいと思います。
ご存知のように、フリントストーンは“火打石”という意味なんですが、92年の放送開始から18年間、たくさんのゲストの方々から様々な“学び”や“気付き”という火種をいただき、それらは私の中に今でも立派な炎となって存在しています。ちなみに、“炎”がシンボルマークの地球元気村の大村長、風間さんから一番思い出させてもらったことは“元気な笑顔は人々の心に飛び火する大切な火種だ”ということです。ザ・フリントストーンには、これからも人々の心に穏やかで思いやりに満ちた火が灯るように、火打石を打ち続けてほしいと思います。ゆきちゃん、よろしくね!」
「出たー!」
●ということなんですが、風間パパから「出たー!」という言葉が出ました(笑)。
「出たかー!! 美人がね。決して妖怪なんて言わないよ、ガハハハ(笑)」
●(笑)。エイミーさんからメッセージをいただきましたが、どうですか?
「懐かしいね。今すごく深いこと言ったね! この原稿を書くのに相当時間がかかったんじゃない?(笑) あの人のことだから、書いてないか(笑)」
●多分、思ったままを話していると思います(笑)。エイミーさん、素敵なコメントありがとうございました!
※風間さんはこの番組がスタートした92年、つまり20年前にバイクで南極点に到達。その年にこの番組に出演してくださったんですが、20年前の南極はどんなところだったのでしょうか?
「今も同じだと思うけど、白い大陸でキレイでしたよ。」
●一時期、ドラマにもなりましたけど、あんな感じだったんですか?
「そうだね。そのドラマの影響で、南極がブームになったよね。それにしては、僕のところにオファーがなかったね(笑)」
●(笑)。実は、南極点と北極点の両方にバイクで行ったのは風間さんだけなんですよね!
「そもそもバイクで行こうと思う人なんていないよね(笑)」
●(笑)。すごく果敢なチャレンジでしたよね。
「僕はそれだけバイクにのめりこんでたね。」
●その南極や北極に行こうと思ったキッカケは何だったんですか?
「バイクに乗っていると、色々なところに行きたくなるんだよね。今回初めて聴いたという人もいるかもしれないから話しますけど、僕はバイクがものすごく好きなのよ。ずっと『なんでこんなにバイクが好きなんだろう?』って考えたんだけど、やっぱり“自然の魅力”なんだよね。自然って、すごく深くて広くて神秘的だから、そそられるんだよね。その自然一つ一つの表情を見てみたいし、その自然に向かっていきたいと思うんだよね。そうなると、“バイクが好き=自然が好き”って言えるようになったんだよ。
そのうちに『一体、自然の中のどこに向かってバイクを走らせているんだろう? 人に説明するには、どう言えばいいんだろう?』と思うようになったんだよね。そこで思ったのは“夢への空間”っていう言葉だったんだよ。まだ明けきらない地平線に向かっていくのが好きなんだよね。そこで『“地平線”っていう言葉が自分にピッタリな言葉だな。僕は地平線を目指すライダーでいたい』って思ったのよ。そのときは、サインに「SHOOTS FOR THE HORIZON(地平線を目指せ!)」なんて書いたりしてたね(笑)。その“地平線”っていう言葉が自分ですごくピッタリだと思ったから、地平線を目指したのね。そこで選んだのが、パリ・ダカールラリーの出場だったんだよ。 レースに出場したんじゃないんだけど、サハラ砂漠の真ん中に行けば地平線に出会えると思って、行ったのよ。すると、すごく怖いところだったね。確かに、どこに行ったって地平線はあるけど、そこは文字通り、何もない褐色の大地と青い空のところに立ったら、すごく怖い。そこでは、ゆったりと座って、景色を楽しんだり、写真を撮ってる時間なんてないよね。そういうところだと毎日が『どこに行けば、水が得られるのか、生きて帰られるか』という思いになってくるのよ。だから、僕は、いつもその日のキャンプができるような、水がある場所を目指していたんだ。そういう風にしながら、ついにゴールである、セネガルの海岸に到着したのね。そこで鏡で自分の顔を見たら、目が狼みたいな目になってたんだよ。なぜなら、毎日自然を見てたから、サバイバルを潜り抜けてきた目になってたんだよね。
その旅を終えて『次は、どこに行くんだろうな? 本当の地平線に出会ったけど、本当のユートピアじゃなかったな。自分が目指していたところがこんなところだったとは知らなかったな』と思ったのね。そこで次は、地平線が一点に交わる場所、それが極点だったんだ。極点には、北極点と南極点があるけど、そこに行くことが、地平線を目指す旅の最終地点だと思って『極点に行かないと、ライダーとして、中途半端なライダーになってしまうから、極点に行くぞ!』と思ったのね。なので、最初は北極点に行って、その五年後に南極点に行ったんだ。でも、バイクに乗れないから、ほとんど押していったね。乗れないバイクほど辛いものはないね(笑)。その辛さが感じないぐらい、バイクが好きだったね。」
●途中でバイクを置いていこうという気持ちにならなかったんですか?
「何回もあるよ! あんな重いものなかなかないじゃん。だから、あれを押してるときの僕は怪力だったね、ガハハハ(笑)。ちょっと真面目な話をしすぎたかな?(笑)」
●いやいや、いい感じですよ!(笑) そんな大変な思いをした中、ゴールしたときには、風間さんの冒険のターニング・ポイントになったんですか?
「僕のバイクでの冒険の終着駅だったはずなんだけど、違ったんだよねぇ。またそこに行くと、新しい環境が自分を取り巻いてるのね。こういうことって、極点に行ってる冒険家は言わないんだけど、僕は言うよ! あそこは、地球上で最も珍しい場所なんだよ。地平線が一点に交わるということは、緯度・経度が合流するのね。そうなると、地球上にある、あらゆる時間がなくなるんだよ。 白夜ってあるけど、あれって、太陽が空を周り始めるんだよね。だから、我々の日中だと思っているものが向こうでは一日中続いて、終わらないんだよね。沈み始めたら、どんどん暗くなって、最終的には真っ暗になってしまうんだよ。そういうのが一年に一回起こるんだよね。時間も、日常過ごしていると、時間から離れられなかったでしょ? そこだと、時間から離れられるんですよ! もうちょっと分かりやすくいうと、一日24時間という時間軸が一度にあるんだよ。つまり、普通の時間の概念がそこにはないんだよ。
そして、南極点から見る景色は、西も東もなく、全て北の方角にあるんだよね。北極点に行けば、全て南になるんだよ。そういう風に、方角という概念もなくなるんだ。地球上にいる人は全員、時間や方角といった中にいるんだけど、唯一外れる場所が極点なんだよ。そこから宇宙が始まるんだよね。」
●極点って、宇宙の始まりの場所なんですね!
「そうなんだよ。宇宙に飛び出した瞬間から、天地の概念もなくなるんだよ。地球にいるから上下があるのであって、宇宙空間に出たら、全てが宇宙なんだよ。だから、南極・北極と一言で言っても、もっと違う部分があるって、いつも思うんだよね。」
※ここからは、この20年間を、アウトドアの変遷という切り口で振り返っていきます。
●アウトドアの歴史も色々と変わってきていると思いますが、風間さんは、これまでの変化について、どう感じていますか?
「ものすごく変わったよ。最初は、自然のありがたみや喜びを感じてなかったよね。あるのが当たり前だと思われていたからね。それを僕は『あえてちゃんと見ようよ。感じようよ。自然は永遠じゃないんだから、その大切さに気づかないと!』って言い続けてたんだ。
そんな中で、アウトドアが一気に注目を集めたのが95年ぐらいなんだよ。何があったかというと、みんなキャンプをやり始めたんだよね。そのときに“有限ある資源を大切に”とか、“大気汚染”といったフレーズが出るようになって、企業も環境準備室を設けたり、対策や製品を作ったりするようになっていったのね。それが90年代のことで、2000年代になると、それをフィードバックしたサービスやソフトウェア、市場がすごく開花して、相当成熟してきたと思うね。だけど、人間は本当の意味で分かっていなかったんだよね。だから、最後のどデカイ怒りが、福島の一件として爆発した感じになったよね。あれで、人間の英知の底を知れたり、『このままじゃいけない。自然をないがしろにしちゃいけない。これからますます自然を理解しながら、自然との調和を保たないといけない』と目を覚ましたと思うんだよね。
“サステナビリティ(持続社会)”っていう言葉があるじゃないですか。それがどういうものなのかということを、本気で考えていかないといけないよね。確かに今でも、その意識によって、ハードウェアやソフトウェアの面でポピュラーになったよね。でも、本当の意味での第一歩はこれからな気がするね。そういったことが自分たちの生活の心情にして、選択肢の一番に考えるようにならないとダメだと思うんだよね。人間って、辛いより楽な方がいいじゃない。我慢するより、しない方がいいじゃない。でも、そういったことをした先に調和といったことが見えてくることが多いんだよね。今までは、その調和をうまく繋いでいたのが科学だったりしたんだよね。例えば、物質文明ってこのままじゃいけないよね。
人間ってこれまでは、税収が増えたり、人口が増えたり、社員が増えたり、物の生産高が増えたりして、増えることで繁栄してきたけど、それとは逆で、減ることで繁栄できないかって考えられないのかな? って思うんだよね。だから、これからは、その繁栄への壁がくると思う。それを越えていかないといけないよね。そのためには、『これよりこっちの方が豊かだよ』、『前まではこっちだったけど、これからはこっちの方がいいんだよ』と、みんなが切り替えていかないといけないよね。例えば、みんな自転車に乗り始めたよね。エネルギーもソーラーや風力といった自然エネルギーが、これからどんどん採用されると思うけど、そういう風に、一つ一つのことが変わっていくと思うのね。でも、これって綺麗事じゃなくて、現実として厳しい部分があると思う。それはみんなも分かっていながら、少し我慢することで、5~10年後には、それを成立させる社会になるはずだから、今は我慢することが必要だと思うのね。」
●風間さんが大村長を務める地球元気村は、当初から“自然と調和する社会”や“人々が本当の元気を取り戻すこと”を目標に掲げていますが、この20年間はその部分は変わっていないですか?
「ずっと変わんないよ。正直いって、地球元気村で取り組んだことに対して、達成感が全然ないね。『人間のやることって限界があるのかな? 人間って賢そうでそうでもない』ということを、この歳になって分かったね。だから、過信しちゃいけないね。だからこそ、そういうことに対しても謙虚に取り組んでいかないといけないね。近道しないで、一歩一歩少しずつ幸せになっていくことが大事じゃないかなと思うね。それって難しいんだよね。これって、僕が死んでも終わってないんじゃないかな? ガハハハ(笑)。その夢は、次の世代に引き継いでいってもらえればいいと思ってるんだ。」
※ここまでは、これまでの20年を振り返ってきましたが、ここからは、この先私たちはどういう方向にいけばいいのか、そんなお話にうつっていきたいと思います。
●先ほど、サステナビリティに関するお話がありましたが、これは今後のキーワードになってくるのでしょうか?
「そうだろうね。理想的なワードだろうね。地球元気村では、ある大学の先生に『これからそれを地球元気村のキーワードにしなさい』と言われてから、早くから言ってきていたんだよね。僕の柄じゃないけど、そういうことの講演会もやったこともあるよ。そういうことに対する思い入れと執着と、『自然をもっと理解してもらいたい』という気持ちがあるから、講演会という形で伝えていたりするんだよね。僕が世の中の将来を説くことはないんだけど、僕の身の回りの人だけでも、自然に触れていると、自然と豊かな表情になっていくんだよ。だから、自然って大事な部分が多いよね。」
●その持続的な社会にするためには、具体的にはどういったことをすればいいんでしょうか?
「厳しいことなんだけど、僕が最近言ってることがあるのね。20世紀が始まったころ、地球上には16億の人口がいました。それが、20世紀が終わるころには、70数億人にまで増えました。そして、今現在では、100億が間近に迫ってきています。その中で、今日までの繁栄というのは、絶え間ない経済活動があったからなんだよね。その経済活動を支えた基盤は産業だよね。その産業は、全て自然破壊が元となっているんだよ。なぜなら、産業には全て原材料が必要となってきて、その原材料って、全て自然の中からの収奪なんだよ。
それをこのままやり続けたとしたら、人間が増えることっていいだろうか。このまま人間が増えていって、産業が発展することに、本当の発展があるんだろうか。このまま僕たちが何も手をつけないでいたら、50年先はないよね。サステナビリティという言葉を使うなら、そこまで考えないと、綺麗事で使っているだけになっちゃうんだよね。本当は、それを実現するためには、この産業のあり方を考えていかないといけないんですよ。そこで、去年の東日本大震災と原子力発電所問題が起きたから、それをキッカケに、本当にしっかりと考えていかないといけないですよね。それを僕だけじゃなくて、もっと多くの人たちが考えていかないといけないんだよ。地球元気村のように、“自然と共に生きる”というのは、これからもずっと同じテーマだと思うんだよね。でも、その中には、僕が言ったような大きな壁があって、それを一個一個乗り越えていかないといけないんだよ。だから、これからも大変だよね。」
●風間さんの今後の冒険はどんな感じなんですか?
「自分の内面と自分自身と向き合うために、今年秋に、ある方法でチベットに行って修行してきます。だから、来年の4月にゲストで来たときには、ものすごくデカイ人間になって帰ってきます! 生まれ変わってかえってきます。」
●そうなると、その“ある方法”というのがすごく気になるんですが、一体どういうものなのか教えてくれませんか?
「言わない!」
●言わないんですかぁ。気になるなぁー。
「もちろん、去年の震災の被害に受けたご冥福を祈りますし、『自分も含め、世界が平和であるためにはどうすればいいんだろうか? みんな平和になってほしいな』というお祈りも、一生懸命してこようと思っています。そういうことをやりたくなったんだよね。」
(この他の風間深志さんのインタビューもご覧下さい)
今回、私が一番印象に残ったのは、“持続可能社会=サステナビリティ”のお話です。持続可能な社会になっていく為に、風間さんもおしゃっていましたが、“本当に考えなければいけない時代”が今来ているのだと、改めて実感しました。
それから、風間さんをはじめたくさんのゲストの方、今回コメントを下さった前任のDJエイミーさん、今まで携わってこられたスタッフの方々、そしてもちろん聴いてくださっているリスナーのみなさんのお陰で無事20周年を迎えられた事、改めてこの場を借りて御礼申し上げます。ぜひ、これからも「NEC presents THE FLINTSTONE」をよろしくお願いします!
冒険ライダー・風間深志さんが大村長を務める地球元気村では被災地の支援活動も行なっていて、4月14日から15日に岩手県・大船渡市の仮設店舗前で宇崎竜童さんと風間さんによるトーク&ライヴを開催することになっています。
また、地球元気村では、村民を募集しています。村民になると年4回、会報誌が送られてくる他、特典も用意されています。
◎登録料(年間):個人村民2,000年、家族村民(6人まで)3,000円
風間さんの近況はブログをご覧ください。事細かに更新されていますので、風間さんの今を知ることができますよ。