今週のベイエフエム/NEC presents ザ・フリントストーンのゲストは、大野哲也さんです。
バックパッカーを研究されている元冒険家の大野哲也さんは現在、桐蔭横浜大学の准教授として、教鞭をとってらっしゃいますが、そんな大野さんが先頃、世界思想社から“旅を生きる人びと~バックパッカーの人類学~”という本を出されました。これまで番組には、著名なバックパッカーや、世界を自転車で旅されてきた方に、多くご出演いただいていますが、バックパッカーの研究者は初めてのご出演になります。そんな大野さんから、バックパッカーを研究しようと思ったキッカケなどうかがいます。
※なぜ、バックパッカーを研究しようと思ったのでしょうか?
「私は1988年から90年まで青年海外協力隊に参加して、パプアニューギニアに二年間生活をしていたことがあるんですね。パプアニューギニアというのは、オーストラリアのすぐ北にある島なんですが、私が滞在した80年代終わりから90年代の始めって、まだ貝殻がお金として流通していた時代なんですよね。
海辺に行くと、桜の花びらのような小さいピンク色の貝殻があるんですけど、それを拾って、真ん中に糸を通すことで、十五センチメートル~二十センチメートルぐらいの数珠繋ぎにします。そうすると、銀行に持っていっても預金はできませんが、市場に行くと、それで野菜が買えたりするんですよね。そのことにビックリして、『自分の知らない世界がまだまだある!』と思って、青年海外協力隊から帰ってきてから、『もっと知らない世界があるに違いない』と思い、五年一ヶ月かけて、自転車をベースにしながら、世界中を旅してきました。
そのパプアニューギニアでの経験と五年間一ヶ月の自転車旅での経験から、『なんて、色々な人が色々なところで色々な生活をしているんだろう。これは本格的に勉強しないといけないな』と思い、大学院に入ったんですが、何を研究テーマにするかを決めるときに、“自分と同じように、移動しながら生活をしたことがある人・している人”ということで、バックパッカーを研究し始めました。」
●そうだったんですね。バックパッカーの研究って、どのようにして行なうのですか?
「調査をするフィールドを決めていて、そこに行って、日本人バックパッカーを中心に色々な話を聞いたり、現地の人たちに色々と話を聞いたりする調査をしています。私が主に調査をしているのは、東南アジアと南アジアなんですが、具体的に言うと、タイ・ネパール・カンボジア・ラオス・ベトナム・中国です。」
●なぜそこにしたんですか?
「日本人バックパッカーの多くは、最初に東南アジアを旅するんですよね。だから、東南アジアに行けば、たくさんの日本人バックパッカーに会えるので、その地域を選びました。」
●今まで、どのぐらいの方にインタビューをしてきたんですか?
「日本人バックパッカーに限定すれば、百人以上はインタビューしているんですが、今回の本には、その中の一部を入れています。」
●それだけたくさんの方にインタビューしたとなると、色々なタイプのバックパッカーがいたと思いますが、どんなタイプがいるんですか?
「バックパッカーって、色々なタイプがあるんですが、大きく分けると、四つのタイプに分かれると思っています。まず一つ目は“移動型”。これは“色々な国・街・場所に行きたい”ということで、旅している人で、多くの方がイメージしているバックパッカーのタイプだと思います。二つ目は“沈潜型”。これは、一つの街にじっくり腰を据えて、その街を深く知ろうとするタイプですね。なので、“移動型”は“広く・浅く”をモットーにしているのであれば、“沈潜型”は“深く・狭く”をモットーにしている感じですね。
それがバックパッカーの多くを占めるんですが、そこから派生して、三つ目の“移住型”があります。これは、その場所が気に入って、そこに住み着いてしまうタイプです。例えば、現地の人と結婚したり、そこでビジネスを立ち上げたりしますね。四つ目は“生活型”といって、延々と旅をし続ける人のことを言います。今回の本では、40年以上旅をしている人が出てきます。」
●その“生活型”の人は日本には帰ってこないんですか?
「帰ってきていますが、旅の通過点として日本があるといった感じなんですよね。」
●それはすごいですね! バックパッカーというと、“移動型”のイメージがあったので、現地に住み着いてしまったり、ずっと旅をしている人など、色々なタイプのバックパッカーがいるんですね!
「大きく四つのタイプに分けましたが、実際はその中でも多種多様なタイプがあるんですよね。バックパッカーというのは、自由に旅ができるので、みんな自由にしていますね。あるときは激しく移動したり、あるときは沈潜したりしてますね。」
●バックパッカーって、一種の固定観念があったんですが、本来は、どんなタイプでもバックパッカーなんですね。大野さんがお話をうかがっていて、一番興味がひかれたタイプって、どれでしたか?
「一番興味がひかれたのは“生活型”でしたね。どこかの会社に入って仕事をしたり、現地でビジネスを始めたりするということは一切せずに、延々と旅をしている人がいるんですよ。そういう人の話を聞くと、波乱万丈ですごく面白いですね。例えば、日本を出た経緯や、40年間も働かずに旅をするための収入を得てきたのかといった話を聞くと、すさまじい人生だったんだなと思うことが多々ありました(笑)」
※日本では、いつごろにバックパッカーが誕生したのでしょうか?
「アメリカでヒッピー文化が生まれたのは1960年代で、それは当時、ベトナム戦争に反対して自然を謳歌し、抑圧的な社会権力から解放されるということで、“自由”をスローガンに、ヒッピーが世界を放浪し始めるんですね。それと同時期に、戦後の日本が少し豊かになり始めたときに、当時の国鉄を使って放浪旅行をすることが、日本の若者の間で流行ったんですよね。
彼らは皆、大きいリュックサックを背負って、国鉄の狭い通路の中を移動していたんですが、正面を向かって歩けないので、横向きに歩いていたんですね。そのユーモラスな姿から“カニ族”と呼ばれていました。カニ族は当時、国鉄を使って、国内旅行をするのが流行っていたんですが、その理由は1964年まで、日本では海外旅行が禁止されていたんですよ。なので、海外に行こうと思っても、行く手段がなかったんですよね。ところが、1964年に海外旅行が解禁になったんです。それによって、ヒッピー・ムーブメントとその流行が合流して、カニ族が徐々に海外に出始めるんですね。それが、日本の今のバックパッカーの起源だと考えています。」
●今は、当時始まったバックパッカーの形態からは、かなり様変わりしているんじゃないですか?
「そうですね。当時はまだガイドブックといったものもなかったので、口コミで情報を集めたりして、自由に放浪している感じでしたが、徐々にバックパッカー人口が増加するにつれ、色々なガイドブックが出てくるようになるんですね。それによって、同じ放浪の旅でも、ガイドブックに沿った旅になるので、みんな同じようなルートを行くといった形になったと思います。」
●先ほどは、バックパッカーの旅は自由だと話していましたが、自由なバックパッカーとマニュアル化されたバックパッカーがいるということですね。それって、かなりのギャップがありますね。
「そうなんです。ギャップがあって、つじつまが合わないと思うかもしれないですが、ガイドブックには多様な情報が書かれているんですよ。その情報の中から、自由に選択して旅しているので、その旅は、彼らにとっての自由な旅なんですよね。
昔は、“放浪すること自体が楽しかった”んですが、ガイドブックの出現により、“ガイドブックに載っているところを全部行って、ガイドブックを制覇する”という楽しみに変わっていったんですよね。そして、今では、スマホでたくさんある情報の中から、宝探しのように、自分に合ったものを見つける楽しさに変わっているんですよね。つまり、放浪する喜びからガイドブックを制覇する喜びへ、そして、スマホで宝探しをする喜びへと変化しているんですが、これは喜びが変化しているだけで、結局は、本人の自由だと思うんですね。だから、最近のバックパッカーは軟弱になったというわけではなく、旅の面白さが変化しているんだと思っています。」
●今後のバックパッカーの旅は、どのように変化していくと思いますか?
「将来像はなかなかイメージできないかと思いますが、僕は、二極化が進むと思います。簡単になった旅という面で言えば、何も旅って若者の特権ではなく、高齢者でも安全に自由に旅をすることも可能ですよね。つまり、“旅の裾野が広がっていく”という面が一つ。 そして、もう一つは、昔ながらのバックパッカーの気質を受け継いでる人もいて、『商業化の流れに身を置きたくない』というバックパッカーも多いんですよね。そういう人たちは、よりガイドブックに載っていないところ、より人が行ったことがないようなところに行きたがるんですよね。そういう反骨精神がある人と、裾野が広がって、誰でも参加できる人たちの二極化が進むと思います。」
※大野さんは、93年から98年まで、世界を自転車で放浪。普段の生活では得られない体験をたくさんされてきたそうですが、中でも南極での体験は強烈に記憶に残っているそうです。
「合計で二回行っているんですが、一回目は沿岸部を船で旅をして、二回目は飛行機で南極点まで行きました。南極点のときは、南極点から少し離れたところにテントを張って、一ヶ月過ごしました。」
●南極で一ヶ月ですか!? どうでしたか?
「そもそも、南極で一ヶ月過ごしたのは、帰る日が悪天候になってしまったので、僕を迎えにくる飛行機が来ることができずに、一ヶ月間閉じ込められるというアクシデントによるものだったんですね。でも、それが僕にとっては幸運だったんですよね。なぜなら、五年間一ヶ月の旅の中で、一番よかったところが南極なんです。360度氷の地平線の中に自分がいて、外は真っ白で、上を見たら真っ青で、太陽が一日かけて回るという幻想的な世界に一ヶ月間いられたことはすごく幸せでした。」
●そのときは、どんなことを考えていたんですか?
「『このままずっといてもいいな』と思ってましたね(笑)。食料がないので、帰らないといけなかったですが、『ここで一生過ごしてもいいな』と思えるぐらいの開放感がありましたね。」
●南極といえば、生き物もたくさんいるかと思いますが、どうでしたか?
「沿岸部は生き物の宝庫で、ペンギン・クジラ・アザラシ・アホウドリなどがいて、動物にとっては、この世の楽園といった感じのところですね。」
●そんなに近くまでは行けないと思いますが、実際に見たりしたんですか?
「いや、動物の三十センチメートルぐらいまで近くに行けますよ!」
●全然警戒しないんですか?
「例えば、アザラシは基本的に寝てるので、全然警戒しないですし、ペンギンはテリトリーがあるみたいで、自分が一歩近づくと、ペンギンも一歩後ろに下がるんですよね。なので、二十メートルぐらいまでしか近づけないですね。ちなみに、僕が行ったペンギンコロニーで一番大きかったのは、一万羽のペンギンが生息しているといわれているところで、上陸する前から、見渡す限りのペンギンでした。」
●それはすごい光景ですね!
「その光景は、映像で見るとすごくキレイなんでしょうが、実際にそこに行ってみると、養鶏場の臭いがするんですよね(笑)」
●(笑)。でも、それは実際に行ってみないと分からないですよね。大野さんは、世界を旅していて、どんなことを一番多く感じましたか?
「一番感じたのは、“地球は小さい”っていうことですね。だって、自転車でも周れる距離なんですから。“地球は小さい”とはいえ、“世界は広いな”と感じましたね。それはどういうことかというと、世界には様々な場所で様々人が様々な生活をしているんですよね。例えば、ボリビアの山岳民族のおばあさんだったり、アルゼンチンの田舎で農業を営んでいる日系移民の方たち、そして、ロシアのノバヤゼムリャ島でトナカイを飼って生活をしている牧畜民の方たちなど、色々な人が色々なところで色々な生活をしているなって思って、“世界は広いな”って思いました。そういうことをすごく感じたので、日本に帰ってきたときに、そういう人々を勉強してみたいと思って、大学院に入ったのが、今に繋がっていくんですよね。」
●よく“人生は旅だ”と言われています。今回の本の最初にも少し触れられていますが、大野さんはそうだと思いますか?
「そうですね。特に生活型のバックパッカーの様子を見ていると、旅そのものが人生と重なっているので、つくづくそう思います。もちろん、それだけではなく、日本で定住している人も人生を旅しているんだと思います。」
色々なタイプのバックパッカーの方がいて、バックパッキングの旅も多様化しているというお話は、とても興味深かったです。中でも、裾野が広がって、誰でもバックパッキングの旅を楽しめるようになった事は、私のような女性にもその旅に出られる可能性が多くなったという事ですよね。大野さんがおっしゃっていた“地球は小さく、世界は広い”という言葉を本当の意味で実感するためにも、私もいつか世界を自分の足で旅してみたくなりました。
世界思想社/定価2,415円
バックパッカーを研究されている元冒険家で、現在、桐蔭横浜大学の准教授の大野哲也さんの新刊となるこの本は、大野さんが取材を通して知り合い、聞き込み調査をした日本人バックパッカーが大勢登場する他、バックパッカーを取り巻く環境や歴史、そして、大野さん自身の旅のお話など、興味深い内容が満載です。
特に、バックパッキングな旅に関心のある方にはオススメです!
また、大野さんは、9月29日(土)に講演会を行ないます。
◎日程:9月29日(土)の午後1時から
◎会場:国立オリンピック記念青少年総合センターのセンター棟403号室
(小田急線・参宮橋駅近く)
◎参加費:一般・700円
◎詳しい情報:東京海外旅行研究会のオフィシャルサイト