今週のベイエフエム/NEC presents ザ・フリントストーンのゲストは、シェルパ斉藤さんです。
この番組に何度もご出演いただいているバックパッカー・紀行家のシェルパ斉藤さんには、これまでに国内外でのバックパッキングの旅や世界のロングトレイルのお話など、色々していただきました。そんな斉藤さんの新刊が「シェルパ斉藤の八ヶ岳生活」。ということで、8ヶ月ぶりに八ヶ岳南麓にあるご自宅を訪ねて、たっぷりとお話をうかがってきました。今回はその時の模様をお届けします。
●今週のゲストは、バックパッカー、そして紀行家のシェルパ斉藤さんです。明けましておめでとうございます! 今年もよろしくお願いします!
「明けましておめでとうございます。こちらこそよろしくお願いします。」
●私たちは今、斉藤さんのご自宅であるログハウスの二階にあるウッドデッキでお話をうかがっています。今日は天気がいいので、奥には南アルプスが見えますし、ここは森の中なので、穏やかな気持ちになりますね。
「僕はここがすごく好きな場所で、春になると隣の森が芽吹いてきますし、家に犬と猫がいるという感じがすごくよくて、今では、ここが僕の仕事部屋になっているんですよね。」
●斉藤さんはここで執筆活動などをされているんですね。
「今日みたいに天気がよくて気持ちがいい日となるとウッドデッキに出て仕事をしたりしますけど、ただ一点だけ難点なのが、気持ちがよすぎると、『まぁいいか、仕事しなくて』ってなっちゃうことですね(笑)」
●気持ちよすぎるのも、時にはマイナスになることもあるんですね(笑)。私も気持ちがいいので、のんびりと話をうかがっちゃいましょうかね(笑)。
「そうですね(笑)。ゆっくりやりましょう。」
●さて、こちらのログハウスに住み始めてから今年で17年になるんですよね?
「そうですね。住み始めたころが三歳だった長男が二十歳になって、家を出ていったし、ここに住んでから生まれた次男が、今年で高校生になるんで、自分たちは変わってないつもりでも、やっぱり色々と変わってるんですね。」
●この場所には、色々な思い出がたくさん刻まれてるんですね。
「そうですね。たまに昔の写真を見ると『え!? こんなに殺風景だったっけ!?』って、ビックリしますね。」
●今回、新刊『シェルパ斉藤の八ヶ岳生活』を出版され、私も読ませていただきましたが、ここには昨年初めてうかがったので、今の状態しか知らないので、斉藤さんの17年間の生活が少し垣間見ることができました。これは、自叙伝を作ろうと思って書かれたんですか?
「それよりも、『僕は今、こんな暮らしをしているんだよ』ということを伝えたいと思って、書いた本ですね。実際は、連載をまとめた本なんですけど、毎回書いてるときに、今思っていることをそのまま出せた本で、それまで出してきた本は旅をしてきたのをまとめた本だったのに対して、今回はプライベートな部分のある話なので、“名刺代わりに出せる本”と思っているぐらい、気に入ってますね。」
※斎藤さんのご自宅は中央道の長坂インターからすぐの開けた里山にありますが、なぜその場所に家を建てることにしたのでしょうか?
「最初は、八ヶ岳にどうしても住みたかったというわけではなくて、どこでもよかったんですよ。実は、最初に『田舎暮らしをしたい』と言い始めたのは、妻なんですよ。今の生活を始める前は東京で一緒に暮らしてたんですが、妻の方が僕よりも『こういったところでは暮らしていけない』っていう思いが強くなっていったんですね。なぜなら、子供を二回立て続けに流産してしまったんですよ。それで、母親としての本能で、『ここは環境的にまずいんじゃないか。このまま、ここの空気を吸いながら、ゴミゴミした中で仕事をしつつ、生活をしていくことはよくないんじゃないか。もっと、ナチュラルな生活をした方がいいんじゃないか』と思い始めたんですね。それと、僕は以前『動物のオスは、家族を持ったら、家族を守るための巣を作るんだ。人間も同じだから、巣を作りなさい』って言われたんですよ。それで、僕も作ってみようと思ったんですね。
でも、当時は東京を拠点に活動をしていたので、“何かがあったら、東京にすぐ行けるところ”という条件を決めて、“東京から2時間以内の場所”というところで探したんですよ。だから、伊豆半島や房総半島、那須なども考えたんですけど、最終的に八ヶ岳に決めたのは、僕は長野県出身なので、子供のころから東京に行くときは、この辺りを車で通ってたこともあって、明るいイメージがあったんですよ。それと、土地的なこともあるんですが、『この人、どうやって生活してるんだろう?』って思うぐらい、不思議な人が多かったりするんですよね(笑)。正直な話、他の人から見たら『どうやって生活してるんだろう?』って思われるようなタイプの人間なので、『その土地にとけこめやすいんじゃないか』と思ったんですね。そう思っているときに、今の土地に巡り合えたんですよね。隣には川や森があって、近くには里がある程度ある。また、僕は旅をして、そのことを本にする人なので、旅に出た場合、残された家族のことを考えると、森の奥だと心配なので、“近所付き合いもできて、自然もあり、東京にも出ていきやすいところ”という条件で、ここに決めました。でも、この場所を見つけるのに一年ぐらいかかりましたね。ここに落ち着いて、家を作り始めたというのが、田舎暮らしの始まりでしたね。」
●新刊にも書かれていましたが、家を作る過程が面白いんですよね。
「あのときは楽しかったですね! 妻が『自分たちで家を作ろう』って言い出したんですけど、最初『家なんて、プロの大工さんの仕事なんだから、作れるわけないじゃん!』って思ってたんですね。ところが、僕がネパールを放浪したときに、肝炎にかかって、1ヶ月半ぐらい滞在してたんですが、そのときに看病してくれた友人が伊豆で家を自分で建てたんですよ。その家は、廃屋を借りて、自力で改造した家だったんですけど、そのことを知ったキッカケが劇的だったんですよ。
僕たち、明治神宮で挙式をして、新婚旅行で熱海に行ったんですよね。そのときに『熱海まで来て、そのまま帰るのはどうか』っていうことで、下田まで行ったんですよ。下田駅に着いたとき、その友人に声をかけられたんですね。僕は彼が伊豆に住んでいることを知らなかったので色々と話を聞いていると、彼は牛小屋を借りて、そこに住んでいるということが分かったんですよ。それを聞いて、妻はすごく興味を持って、見にいったんですよね。すると、汚い生活じゃなく、できる範囲の中でコツコツと生活していて、お金がなかったら、自分の知恵と労力で補っていたんですよ。そういう生活が、妻にとってカルチャーショックだったみたいなんですね。
妻は建築を学んでて、免許まで持っている人なので、机上の知識はすごくあるんですよ。でも、家ってそんな風にできて、かっこよかったということで、そういう家に憧れてたんですね。僕はそう思ってなかったので、『さすがだなぁ。ちっとも変わってないな』って思いましたね(笑)。長旅をするとき、お金がないときどうして乗り切るかを工夫するというのが基本になってくるんですけど、彼は普段の生活からそれを実践してたんですよね。それもあって、『彼に頼めば家を建てられるんじゃない?』っていう話になって、段々と盛り上がってきたという感じですね。」
●そこから、段々と仲間が増えていくんですよね?
「そうなんですよね。僕は大工仕事はできないので、何ができるかと考えたら、僕のようにフリーで旅をしている人って、暇をしている人が周りにたくさんいるということに気づいて、『家を作るから一緒にやらないか?』って誘ったら、四人ぐらい協力してくれたんですね。その彼らと八ヶ月ぐらい共同生活をしながら、家を建てたんですね。
面白かったのは、“家って、いいかげんでいいんだな”って思えたんですよ。もし、これが“商品”だとしたら、完璧に作らないといけないけど、自分が住む家なので、言わば“キャンプの延長線上”で、自分が寝泊りできればいいという感覚で、キャンプよりしっかりとしたものが家かなっていう感じでしたね。」
※続いて、こんなお話をうかがいました。
●今、私たちがいるウッドデッキの横には、たくさんの薪があるんですけど、全部斉藤さんが割ったんですか?
「そうですね。コツコツ割ってます。この薪は、全部買ったものじゃないんですよね。木って成長するから、自然と倒れるものがあったり、土地を切り開くために伐採したりするんですけど、そういうところを見かけると『この木、薪にしたいんで、いただけないですか?』って声をかけるんですよ。なので、この薪はお金を出して買ったものじゃなくて、労力によって得たものといった感じですね。人にとってはゴミでしかない木も、僕にとっては大事なエネルギーで資源なんですよ。そういう意味では、“木をいただいてる”といった感じですね。
じゃあ、その薪はどうしているかというと、木はそのままでは燃えないので、薪ストーブに入る大きさに切ってから割るんですね。どうして割るのかというと、木って水分をたくさん含んでいるので、そのままでは燃えないので、燃えやすくするために、割ることによって、乾燥させて薪にするんですよ。なので、樹脂に覆われていると、なかなか乾燥しないんですが、木を割ることによって、表面積が大きくなり、水分が出ていくんです。今ここに置いてある薪は、4、5年前に割った薪なんですよね。それだけ前に割っているので、どんどん乾燥しているので、よく燃えるんですよね。
薪って、その年に使う分をその年の夏に割るのではなくて、1、2年前ぐらいからコツコツと割って、備蓄していかないといけないんですよね。そういう意味で、我が家は“火を中心とした暮らし”をしていますね。冬は薪ストーブで暖をとってますし、ゲストが来たら焚き火をしたり、食事でも釜戸でご飯を炊いたり、七輪を使って料理をしたりしてますし、ゴエモン風呂があるので、薪で風呂を沸かしたりしているので、火を中心とした暮らしをしていますね。こういうことができるのも、田舎暮らしの魅力なのかなって思います。」
●そんな薪のぬくもりを感じたいんですが・・・。
「それじゃあ、去年作った竪穴式住居がありますので、そこで焚き火をして、それを感じていただけたらと思います。」
※そして、竪穴式住居「イオ」に移動しました。
●ということで、竪穴式住居「イオ」に移動してきました。いいですね!
「自分でいうのもなんですが、何度体験してもいいですよね。」
●焚き火のぬくもりを感じますし、燻されたいい匂いもしますね。
「そうですね。自然のススキの萱の匂いと燻された匂い、色々な匂いが混じって、いい感じになってきましたよね。それに、焚き火って外でやると、今日みたいに風が強いと火が回ったりしてうまくいかなったりするんですが、この中は上だけ穴が開いているという作りなので、煙突効果で、燻されてる感じがしないですよね。」
●そうですね。でも、匂いは木の燃えるいい匂いがしますね。
「すごく贅沢な焚き火だと思いますよ。」
●前回、おうかがいしたときは、茅葺がまだ完成していなかった状態だったんですが、今では屋根もしっかりしていて、暖かみが増した感じがしますね。
「去年の春に作ったので、初めての冬を迎えてるんですが、こんなにも暖かいとは思ってませんでした。遠赤効果で壁が暖まっているということもあると思いますが、それ以上に、火のぬくもりって違いますよね。それに、もし外で焚き火をしていると、背中が寒く感じると思いますが、ここは家なので、遠赤効果によって、柱や萱が暖まっているはずなんですよ。なので、背中の寒さはないはずなんですよ。改めて、『火の力はすごいな』って思いますね。今思うと、こういうことって、僕たちより1万年以上前の人たちも、『火っていいね、ありがたいね』って思っていたんじゃないかと思うと、すごく楽しいですよね。」
●ところで、斉藤さんの後ろにお餅のようなものがあるのを見つけて、ずっと気になっているんですが・・・。
「やっぱりお正月なので、お餅食べないとダメじゃないですか。それに、火って調理道具でもあるので、炭火で焼くお餅って、他の比べて全然違うので、食べていただこうと思って、用意しました。」
●ありがとうございます!! 直火で焼くお餅って、なかなかいただけないから、いいですね!
「しかも、お餅だけじゃなく、薪ストーブでじっくり煮込んだ小豆も用意しています。なので、“お汁粉”をご用意いたします。」
●いいですね! 今、焚き火の上にかかっているこのお鍋も気になっていたんですよね!
「ただかけてるわけじゃないですから(笑)」
●では、後ほどいただきます(笑)
※庭に建てられた竪穴式住居「イオ」の中で、焚き火を前に斎藤さんに作ってもらった“お汁粉”をいただきました。
●お餅がこんがりと焼けてきましたね!
「表面がおせんべいのようなキレイなきつね色になって、炭火で焼くと全然違いますよね。」
●焼き色がキレイに付いてますね!
「もう焼けましたので、今から盛り付けます。」
●お汁粉も、直火でしっかりと暖まってますね。やっぱり早いですね。
「そうですね。はい、できました。どうぞ。」
●ありがとうございます。おせんべいのような焼けたお餅のいい香りがします。では早速、いただきます!
※ここで、お汁粉を食べました。
●体に染みますねぇ。いい感じの甘さですね。お餅も柔らかくて、中までしっかり焼けてますね。
「これも炭火の威力ですね。」
●それに、焚き火を見ながら食べると、いつもと全然違いますね。
「体も心も暖まる感じですよね。」
●すっかりお正月気分を味わらせていただいて、ありがとうございます! そして、おうかがいしたいんですが、シェルパさんは、旅と田舎暮らしの両立を17年されていますが、どういったことを一番感じますか?
「どっちも好きだっていうことですね。僕の場合、ここまで旅を続けられるのは、“帰る家があるから”なんですね。しかも、その帰る家は、僕にとっては世界一の家だと思ってるんですよ。どうしてそう思うかというと、自分で作った家だからなんですよね。『自分がこうすればいいな』っていうのを形にした家なので、それまでは旅が終わりに近づくと寂しさがあったんですが、今では家に帰れる喜びに変わるんですよね。
これは本に書いたことなんですが、“旅に出るのは、家に帰るため”という思いがあるんですよね。僕はどこかに通っているわけじゃないので、家に帰るという感覚があまりないんですよ。でも、旅に出ると、前半は目的地に行って、帰りになると、家を目指す旅が始まるという思いが強くなって、自分で建てた家に帰ると家族が待っていてくれているので、そういう意味で、僕が長く旅をしていられるのは、“家の暮らしが好きだから”なんですね。逆に、家にずっといると飽きてしまうから、旅に出るんですね。両方やっているからこそ、長くやっていられるんだなって思ってますね。」
●今回の本の冒頭で、“バックパッキングの旅と田舎暮らしは似ているところがある”と書いていましたが、これはどういうことですか?
「バックパッキングを説明すると、今そこにあるもので、どうするかを考えて、いかに快適に夜を過ごすかを工夫していくというスタイルの旅なんですね。田舎暮らしでもそういう感覚が出てきて、色々なアイデアが生まれて、それを実践できるんですよ。都会に暮らしてると、そういうアイデアが浮かんでも、家を借りていたりして、実践するのは難しかったりしますけど、ここだと全部自分の土地だから、その中だと何してもいいんで、アイデアが実践できるんですよね。それから、バックパッキングは電気や店などがないという、限られた中で考えて工夫して乗り切っていくんですが、田舎暮らしも今ある環境の中でどういう風に快適に過ごすかを考えるのがすごく楽しいんですよね。
それと、自然を身近に感じられるんですよね。旅で歩いていると、自然の移ろいなどを感じられるし、僕の家の隣は森なので、田舎で暮らしていると、同じように自然の移ろいを感じますし、慈しみを感じるんですよね。そういった感じで、僕は旅と田舎暮らしは似てるなって思いますね。それに、工夫することが楽しいんですよね。バックパッキングだったら、その日の夜に気持ちよく寝れたり、田舎暮らしだったら、より快適に暮らせるようになったりと、やったことが形になっていくことの喜びと、その喜びが積み重なっていく感じも似ているなって思いますね。」
●さて、今年2013年の斉藤さんの予定を教えていただけますか?
「僕の中で、一番大きな目標としているのが、“東北を歩きたい”と思っています。今、環境省が“東北海岸トレイル”というのを作ろうと頑張っているんですよ。東日本大震災の被害にあった三陸海岸沿いである、青森県の八戸から福島県の松川村までを一本で繋ぐロングトレイルを考えているようで、環境省の方が僕にヒアリングに来たんですよ。僕もできるだけのアドバイスをしようと思って話をしたんですが、『やっぱり、歩いてみないと分からないな』っていう思いが強くなってきたんですね。『だったら、歩いてみよう』と思ったんですよね。
そうすれば、より的確なアドバイスをすることができますし、今度の3月で震災から2年経つので、これからは、僕らがどんどん行くことが、さらなる復興に繋がると思うので、バックパッカーとかはどんどん行った方がいいと思うんですよね。行ってテント張ったりしつつ、そこでお金を使ったり、足を運ぶことが復興に繋がると思うので、ロングトレイルを作るためだけじゃなく、旅を楽しむために東北に行きたいなと思っています。」
(この他のシェルパ斉藤さんのインタビューもご覧下さい)
シェルパさんは、著書の中で“作家とは作る家と書くので自分で家を作ったご自身は本当の作家である”と述べられているのですが、奥様や仲間たちと創意工夫をしながら作り上げ、17年の歴史が刻まれたご自宅は、まさにシェルパさんたちの作品なんだと思います。これから、この作品がどんな風に進化していくのか、本当に楽しみです。シェルパさん、またご自宅にお邪魔させて下さいね!
地球丸/定価1,575円
斉藤さんの新刊となるこの本には、今回のお話に出てきたことも含め、八ヶ岳南麓に居を構えてからの斉藤家の17年の歴史とエピソードが詰まっています。斉藤さんの親しみやすく、読みやすい文章もさることながら、中村みつをさんが描いたイラストが表紙や挿絵に使われていて、素敵な本となっています。もちろん、家作りをしているときの写真も掲載されています。
斉藤さんのお宅には、奥様が切り盛りされているカフェ&ギャラリー「チーム・シェルパ」がありますよ。こちらのコーヒーとカレーが絶品なので、ぜひ一度ご賞味ください。