今週のベイエフエム/NEC presents ザ・フリントストーンのゲストは、廣田勇介さんです。
山岳ガイド、そしてフォトグラファーの廣田勇介さんは、高校生のときから本格的な登山を始め、その後、カナダのヤムナスカという登山学校に通い、卒業。現在はカナダやニュージーランドでガイドの仕事をしながら、フォトグラファーとしても活動。また、日本山岳ガイド協会認定の山岳ガイドであり、さらにカナダ山岳ガイド協会からスノーボードのガイドにも認定されています。
今回はそんな廣田さんに、去年チャレンジしたカナダの“クレマンソー”という山への遠征や、日本で行なっている山岳信仰をたどる山旅のお話をうかがいます。
●今回のゲストは山岳ガイド、そしてフォトグラファーの廣田勇介さんです。よろしくお願いします。
「よろしくお願いします」
●廣田さんは去年、海外遠征として、カナダの“クレマンソー”という山に行ったんですよね?
「そうですね。カナダというと、皆さんは“カナディアン・ロッキー”をイメージされて、そこには美しい山々があるんですが、“クレマンソー”はあまり知られていません。標高が3700メートルぐらいで、ヒマラヤに比べるとそこまで高くないんですが、非常に遠くにあるので、その姿を見るだけでも大変な山なんです。最近では、エベレストのベースキャンプまでヘリコプターを使って行くことができるようになったんですが、クレマンソーに行くためには今でも歩いて行かないといけないんですね。
僕は山の写真に惹かれることがあるんですが、1998年に初めてカナダに行ったときに買ったガイドブックに載っていたクレマンソーの北壁を見て惹かれましたね。それからずっと行きたいと思っていたんです。でも、技術が足りなかったですし、なにより1人で行けるようなところではないので、パートナーを見つけるのも大変だったんです。そういうものが全てクリアになって、去年の4月から5月にかけて行ってきました。3人のパーティーで片道55キロを23泊24日で行きました。
初めは折りたたみ用のシーカヤックを使って、湖を20数キロ横断して、上陸したところの反対側にカヌーを置いて、そこからベースキャンプまで登りました。ベースキャンプに行くのに9日間かかりましたね。それで、ようやく憧れのクレマンソーの北壁を見ることができました。その遠征の主な目的というのは、北壁を登って山頂からスノーボードで滑り降りることでした」
●クレマンソーまで行く過程で1週間近くかけるというのがすごいですよね!
「実は、クレマンソーには一昨年にもチャレンジしていたんですが、そのときはふもとにもたどり着けずに戻ってきてしまったんですよね」
●それがあって、今回ふもとにたどり着いて、クレマンソーを目の当たりにして、どんな気持ちでしたか?
「壁を見たときは神々しかったですね。クレマンソーは遠い山なので、北壁に足を踏み入れた人は5人ぐらいしかいないので、人の気配が全くしなかったんですよ。そういった人の手に触れられていなくて神聖な感じがして、不覚にも涙が出てきましたね(笑)」
※24日間かかったカナダのクレマンソー遠征。どんな旅だったのでしょうか?
「当たり前のことですが、基本的に北米の山では、自分の荷物は全部自分で担ぎます。今では、ヘリコプターで運んでもらって、後でピックアップするということもやったりするんですが、それもせずに、自分の食料や衣類など全て背負っていきます」
●まさに、自然と対峙してますね。
「そうですね。最近では衛星携帯電話やGPS、さらにはヒマラヤのベースキャンプにいながらでも日本から詳細な天気予報を得られたりと、どこでも情報を得ることができる状態になっていますけど、あえてそういう情報を得ずに、自分たちの判断だけで動いた24日間でした」
●それだと大変なこともあったんじゃないですか?
「行ったのが春だったので、一番気をつけたのが“熊”でした。一緒に行った方の中にアラスカ大学を卒業してアラスカで生活をしていた方がいたので、食料をテントを張っているところから少し離れたところに隠したり、熊撃退用のスプレーを持っていったりと、熊に関する対処法を色々とアドバイスしてもらいましたね。
壁にたどり着いたときには(雪が)カチカチで、登るにはすごく登りやすい状態だったんですが、最後の150メートルぐらいがすごく硬くてアイスみたいな感じだったんですね。なので“残念だけど、これを登ってもスノーボードで降りることができない”ということで、そこからロープで50メートルぐらい下がったところに行って、そこからスノーボードで降りました。なので、当初の目的は達成できなかったんですが、今まで行った山の中では一番充実しましたね」
●滑り降りたら気持ちよさそうですが、そのときの気持ちはどうでしたか?
「角度が55度ありましたので、そこで板を履くのも大変だったんですね。よくスノーボーダーがゲレンデで座って板を履いてるじゃないですか。あれは角度がそこまでないところだからできることで、55度もあるとそれができないんですね。なので、自分が滑落しないようにロープで守って、スノーボードが滑り落ちないようにしながら慎重に履きました。なので、全員が板を履き終わるまで1時間半ぐらいかかりましたね」
●滑っているときはどんな感じでしたか?
「そのときは必死でしたね(笑)」
●必死だったんですね!(笑)。頬を切る風が気持ちいいとか、そういうことを感じたりしなかったんですか?
「下の方に行けば、そういうことを感じたりしますけど、ターンでミスをしたりすると、クレバスという穴に落ちたり岩にぶつかったりします。そうならないように1つ1つの動作を慎重にしないといけないので、そういうことを感じる余裕がありませんでした。それを感じられたのは、下に降りて、ホッと一息ついたときでしたね(笑)。そのときは“気持ちいい”よりも“生きててよかった”っていう感じでしたね」
●そんな大変な思いをした遠征に、また行きたいですか?
「人間は面白いもので、辛かったり大変な思い出というのは時間が経つにつれて忘れていってしまって、楽しかったり気持ちよかったりしたときの思い出だけが段々と強調されていくんですよね。とはいえ、また行きたいかといわれたら、それはまた別の話になりますけど、同じような山には行きたいと思いますね(笑)」
●廣田さんは今、雑誌の連載である面白い企画を進めているんですよね?
「去年の9月から『ランドネ』という登山の雑誌で“神様百名山を旅する”という、僕が写真を撮ってエッセイを書いて、それに僕が以前からファンだった“大野舞”さんというイラストレーターにイラストを描いてもらうという企画をやっています」
●なぜその企画をやろうと思ったんですか?
「僕は10年ぐらい“霊山”とか“聖なる山”と呼ばれていた富士山で登山ガイドをしていたんですが、その山に300回ぐらい登っていると、どんなに鈍感な人間でも“この山はどこか違う”と感じざるを得ないんですよね。そして、富士山の長い歴史の中で、江戸時代に富士登山が江戸の町で大流行したんですね。富士山を信仰の対象にして、白装束を着て“六根清浄(ろっこんしょうじょう)”を唱えながら登ったんです。それが昭和30年ぐらいまで続いたんですね。その動きが、ごく少数の山を除いて、忽然と消えてしまったんですよ。
そういうことも考えつつ、自分自身で信仰登山の歴史を勉強しようと思いました。どんな思いでその人たちが登山していたのかということを改めて見つめなおして、日本人が長年築いてきた“自然観”をもう一度取り戻して、今の登山に活かしたいと思って、この企画を始めました」
●日本人は海外の方に比べて、山に対する想いが独特で、頂上を制するのではなく、山に対する畏敬の念があるといわれてますよね。
「まさしくその通りですね。日本人と山との関係は奥が深く歴史も長いんですよね。それを象徴するものの1つとして“御山(おやま)”という言葉があります。これは富士山のふもとに“富士吉田”という町がありますが、そこに住んでいるお年寄りの方は富士山のことをそう呼んで、決して富士山とは呼ばないんですね。それは尊敬の念を込めてそう呼んでいるんですが、実は“御山”という言葉は富士山に限ったことではなく、信仰の対象となっている山のふもとに住んでいるお年寄りの方は皆さんそう呼ぶんですね。その“御山”という言葉が日本人と山との関係を一番表しているんじゃないかと思っています」
※廣田さんが選んだ日本の“神様百名山”とはどんな山々なんでしょうか?
「日本には“日本百名山”という深田久弥さんがセレクトされたものがありますが、それにあやかって“日本神様百名山”というタイトルを付けました。でも実際は、僕が思いついて行ってみたいと思うような“霊山”は60ぐらいで、残りの40は空白になっています。この連載には、毎回“巡礼の方(ゲスト)”をお呼びして、その方にまつわるエピソードやその方と山の繋がりといったストーリーを追っていきたいと思っています。“山と人”、“人と人”の繋がりを辿っていけば、無数にある、地元の方が信仰している山を、僕も勉強しながら登らせていただけたらと思っています」
●今後は山岳ガイドとして、さらにそういった活動をされていくんですね?
「そうですね。海外の方からもお客様として来ていただいていますので、僕自身が日本の魅力である“歴史”の核心を勉強して深く理解した上で、海外の方に分かりやすく伝えていきたいと思っています」
●廣田さんは、今後どういった山に登りたいですか?
「“なぜ人間が山に登るのか”という問いには色々な答えがあると思いますが、僕は大きく分けて3つあると思っています。
まずは“記録のため”。これは登山をスポーツとして捉えている方がそうなんですが、記録を大切にしたり、人が成し遂げたことがないことをやりたいと思う方がそうなんですね。
2つ目は“芸術のため”。これは登山を芸術として考えている方がそうで、記録よりも自分が大切にしている“美意識”を持って、まさにキャンバスに絵を描くように登山をする方がそうです。
最後は“信仰のため”。これは山を信仰の対象として考えている方がそうです。この3つがあると思っています。
では、僕がそれのどれに当てはまるのかというと、明確にはいえませんが、写真家としては山を“芸術”として捉えたいと思っていますし、山岳ガイドと“日本神様百名山”という企画をやっていく上では、山を“信仰”という部分を抜きにして語ることはできないと思っています。なので、“芸術”と“信仰”をキーワードに登山していきたいと思っています」
カナダのクレマンソーのふもとにたどり着き、山を見上げた時にその神々しさに思わず涙が出たとおっしゃっていた廣田さんの言葉が印象的でした。大自然を前にしたときに思わず涙が出てしまのは、もしかしたら私たちの本能の中に“自然への感謝”の気持ちがあるからなのかもしれませんね。
廣田さんはプロのガイドとして、プライベート・ツアーのガイドのみ受け付けています。一般の方を公募して行なうツアーはやっていないそうです。料金等、詳しくはオフィシャル・サイトをご覧ください。サイトにはブログや、雑誌に掲載された写真記事なども紹介されています。
廣田さんは現在、女性のためのアウトドア雑誌「ランドネ」で“神様百名山を旅する”という記事を連載中。こちらもぜひチェックしてみてください。