今週のベイエフエム/NEC presents ザ・フリントストーンのゲストは、鍵井靖章さんです。
水中写真家の鍵井靖章さんは、震災から3週間後に潜った海で“ダンゴウオ”というお魚に出会ったことがキッカケで岩手県の宮古湾に通うようになり、海と生き物の変化を撮り続けてらっしゃいます。今回はそんな鍵井さんに、海からの視点で色々語っていただきます。
※鍵井さんが震災直後に、岩手県宮古湾の海で出会った“ダンゴウオ”は、冷たい海を好むカサゴの仲間で、体長は2センチほど。色は住処にしている海藻や岩などに近い赤やピンク。外敵から身を守るために、そんなに色になっています。尾びれが小さく、泳ぎが苦手で、お腹にある吸盤で1日のほとんどを海藻や岩にくっついて過ごしてします。
そんなダンゴウオと出会ったことで、鍵井さんは宮古の海に潜り続けることを決めます。一体どんな出会いだったのでしょうか。
「震災から3週間後の4月3~5日に岩手県宮古市と大船渡市の海に潜ったんですね。その3日間では魚を見つけることができなかったんですよ。あったのは、沈んだ人工物と悪い透明度でした。その中を這いつくばって潜っていたんですが、その中で1匹だけ海底に可愛いダンゴウオがいてくれたんですね。“こういう命を感じなくなってしまった海底にも、生き物はいるんだ!”と思って撮影していたら、“これはみんなに見ていただきたい”と思うようになって、通い始めました」
●そのダンゴウオに出会ったことによって、ここを撮り続けようと思ったんですね?
「そうですね。正直言うと、震災から3週間後の海に潜るのって、すごく勇気がいったんですよ。僕自身、潜っていいのか不安があったんですが、最後の最後にこのダンゴウオに出会えたことで、“僕はここに潜るべき人間だったんだ”ということをダンゴウオが教えてくれたようでした。自然は色々なことを教えてくれますけど、その中でもこの出会いは僕にとってすごく大きなキッカケになりましたね」
●どのぐらい潜っていたんですか?
「震災から3週間後に潜った後に汚染水問題などが明るみになってきて、実はそこからその年の11月まで潜る勇気が持てなかったんですよ。あるとき、岩手県宮古市で写真展を開くお話をいただいたんですね。写真展を開くにあたって、その時期だったシロシャケの遡上を撮影したんです。シャケがガレキの海から一生懸命帰ってくるのを見ていると、“初志貫徹だな”と思いました。
最初に潜った理由は“今、日本で一番変化のある海を記録しよう”と思って行ったんですね。でも、僕も人間なので、途中で恐怖を感じてしまって遠ざかってしまったんですが、一生懸命帰ってくるシャケの姿を見ていると、“僕も一番最初の気持ちを貫かないといけないな”と思って、そこからは、海外での撮影が多いんですが、その合間を縫って2~3ヶ月に1回のペースで宮古市に通いました。それは、もうすぐ4年になる今も変わらないペースで行ってます」
●それだけ長い期間通っていたら、かなりの変化を目の当たりにされたんじゃないですか?
「最初は魚がいなくて、命を感じなかった海だったんですが、12月に潜ったときには海底には海藻が繁茂し始めていて、生き物も戻ってきていたんですね。“思ったより海の再生って早いんだな”と思いました。ただ、海底にはまだたくさんの人工物が落ちています。
宮古市にある“浦の沢”っていうところによく潜っているんですが、そこは、この4年間、海底(の瓦礫)の撤去が一切されていないんですよ。そこに、今は漁礁として魚たちが住み始めていて、車の中を覗くと魚が住んでいたり、タイヤが海藻に覆われていたりしているんですよね。それを見て“たくましい”と思いましたね」
※震災直後から岩手県宮古湾の海に潜って撮り続けた写真を何枚か見せて頂きましたが、そこには他の海では見られない不思議な光景が広がっていました。
「例えば、扇風機、4年も経つと朽ちていきますが、この扇風機に藻が付着するんですね。その付着した藻はピンク色なんですが、その藻に擬態するかのように魚が扇風機に住んでたりするんですよね」
●どこに魚がいるのか全く分からないですね!
「魚たちは、こういう人工物を自分たちの住処だと認識しているんだと思います。たくましいですよね。震災直後は魚の世界と人工物の世界は別のものとして存在していたものが、今ではその境界線がなくなっていて、人工物と共存している魚たちという、世界のどこにもない“東北の海の世界”があるんですよね」
●そういう魚たちの姿を見ていると、感じることが多いですね。
「きっと色々なことを感じていると思います。撮るのに必死なところもあるので、もし色々なことを感じているとすれば、それは僕たちは地球を傷つけないように生活していかないといけないですが、そんな小さなことじゃなく、もっと大きな自然がいつか僕たちのことを優しく守ってくれるんじゃないかという甘えが出てくるぐらい、自然ってすごく大きな力があると思えた4年間でしたね」
●最初に潜ったとき、そういった想いってありましたか?
「あのころって、確かに人間が大切で、僕も家族や友人が大切なんですが、報道を見ていたら、人間のことばっかり報じられていて、水中カメラマンとして魚と向き合っているので、“あの海底はどうなったんだろう? 魚は果たしているのだろうか?”と思っていたんですね。そこには魚は絶対にいると思っていたので、魚の姿を見つけて“こういった傷ついた海にも魚たちは住んでいるので、これ以上傷つけるのは止めよう!”っていうメッセージを送りたかったんですよ。それが最初に潜った理由です」
●その想いが4年間でどんどん強くなっていったんですね。
「想いは変わってないですね。語弊がなかったら嬉しいですが、“一人だけでも海の中の生き物のことを考えるやつがいてもいいんじゃないの?”という想いでこの海を見つめていました。
実際、この海に潜るとき、地元の方にすごく協力していただいているんですね。岩手県立水産科学館というところがありまして、そこの職員の方が僕のタンクを手配したり、漁協の方が僕のために船をチャーターしてくれたんですよ。
漁師さんはダンゴウオには全く興味がなくて、“こんなに食えない魚のために来て、お前は毎回何をしに来ているんだ?”っていう感じで見ていたんですが、“ダンゴウオが卵を守っていて、それが孵化した”といった話をすると、一緒に喜んでくれたりして、ダンゴウオといった海の生き物を通じて地元の方と交流することができて、幸運にも僕はそういう方々のサポートを受けて、震災の海を見続けることができました」
●これからもずっと撮り続けていくんですね?
「はい、撮ります!」
※鍵井さんがある物を撮ったことによって、こんな出会いがあったそうです
「震災から3週間後に潜った海の底に白いものが1枚揺らめいていて、近寄って見てみると、答案用紙で、スイミーと書かれていたんですよ。それは、週刊現代の仕事で行ったので、撮影した答案用紙の写真が(誌面に)載ったんですね。そうしたら、それを見た女の子の近所のおばちゃんがその子に教えて、その女の子から編集部に“私は生きています”という手紙が送られてきたんですよ。すると、編集者から“鍵井さん! あの女の子から手紙が来ました!”って連絡があったんですよね。そのときは講談社の社員であるカメラマンの方が彼女に会いにいくもんだと思っていたんですが、その手紙を編集部で読んだら、すごく会いたい気持ちになって“すみません。そのロケ、僕が行きたいです”って言ったら“そういうと思ってました”って言われたんですよね(笑)。実際に彼女に会ったんですが、素直ですごくいい子でした。写真集の出版記念パーティーに家族で来てくれました」
●答案用紙を撮影したから繋がった縁ですね。
※そんな出会いも作ってくれた岩手県の宮古湾。鍵井さんご自身はそこに潜ることによって、何か変わったのでしょうか?
「被災した海に潜るまでは、南の島で熱帯魚やサンゴ礁、クジラやイルカなどを撮影するカメラマンだったんですよ。それが被災した海に潜って海底の様子を撮った写真を皆さんに見てもらったことで、やっと社会と繋がった感じがしたんですね。それまでは、パンフレットの先の、夢の中の世界にいた人間だったんです。それが、被災した海の中にある人工物を撮影して、その写真を世の中の方に見ていただいたことで、社会と繋がったと感じました」
●鍵井さんにとって、ダンゴウオがいる海は特別な海なんですね。
「そうですね。その海を通じて、日本を眺めていますし、家族のことも考えるようにもなったので、色々なキッカケになりましたね。それは僕だけじゃなく、日本に住んでいる方は全員そうだと思います」
●鍵井さんは他にも色々な場所で水中写真を撮影されているんですよね?
「世界中で撮ってます」
●最近はどんな写真を撮ったんですか?
「今年入ってからだと、1月と2月にモルディブとフィリピンに合計5週間ぐらい行ってました」
●どうでしたか?
「僕は4月に新しい写真集を出版するんですが、その作品の撮影を兼ねて行ってました」
●海外の海で撮影して、気持ちに変化はありましたか?
「被災した海を経験する前の僕って、美しい自然の中で生きていたようなカメラマンだったんです。でも、震災を経験したら“海ってこういう表情があるんだ”と知ったら、それまで知ってた海の世界がより夢のような世界に思えてきて“同じ夢のような世界を撮影するなら、もっと夢のような世界を撮影してしまえ!”と思って、今では世界中の海で撮影するときは“夢のようだ”とか“こういう場所に行きたい”“癒されたい”と思ってくれるような写真を撮影していることが多いです。被災した海も記録しますが、真逆の海も撮影しています。
よく“真逆のものがあるから成立する”って言うじゃないですか。男と女、光と影といったみたいに。そういう意味で、僕にとっては“被災した海と外国で撮影している海”がそうなんですよね。でも、その2つがないと僕ではいられないという感じですね」
●バランスを取っている感じなんですね。生き物たちを見る目は変わりましたか?
「変わったと思います。例えば、すごく簡単にいうと、昔はコレクションとして魚の写真を撮っていたんですよ。撮ってない魚があれば、それを撮影しに行ったり、あれを撮ったから今度はこれもといった感じで撮影していたんですが、今は同じ生き物でも表情などを大切に撮るようになりましたね」
●より想いを込めて撮影するようになったということですね。
「撮影対象をより深く見て撮影するようになりましたね。僕の年齢のせいでもあるかもしれないですけどね(笑)」
震災直後から宮古湾に潜り、ダンゴウオを撮り続けてらっしゃる鍵井さん。ダンゴウオはとても可愛らしくユニークな顔をしている子が多いのですが、中でも、写真絵本の表紙になっているダンゴウオは、こちらを見つめて、まるで口元は微笑んでいるようなんです。もしかしたらそのつぶらな瞳から、私たちに何かメッセージを送ってくれているのかもしれません。
新潮社/定価2,592円
鍵井さんが震災直後から2012年暮れまで、約2年に渡って撮った写真がまとめられています。瓦礫の海、ダンゴウオ…。震災の悲惨な爪痕と、その一方で生命力を感じる貴重な記録です。是非ご覧ください。
フレーベル館/本体価格1,400円
先日発売されたばかりのこの新刊は、可愛いダンゴウオの生態をメインに、震災後の海の底のお話になっていて、お子さんにピッタリな本となっています。
2015年4月上旬に発売予定の鍵井さんの新刊。様々な彩りを見せる海とそこにいる魚たちの鮮やかな色を鍵井さんらしく撮影した優しい写真集になっているようです。
その他の情報も含め、詳しくは鍵井さんのホームページをご覧ください。