今週のベイエフエム/NEC presents ザ・フリントストーンのゲストは、龍村仁さんです。
ドキュメンタリー映画「地球交響曲/ガイアシンフォニー」は、イギリスの生物物理学者ジェームズ・ラブロック博士が唱える“地球はそれ自体がひとつの生命体である”というガイア理論に基づいて製作されているオムニバス形式のドキュメンタリー映画です。これまでに92年の「第一番」から2010年の「第七番」まで7本の作品が公開され、延べ240万人以上を動員するロングランヒットとなっています。
そして、前作から5年のブランクを経て、ついに「第八番」が完成し、公開されました。そこで監督である龍村仁さんに、都内にあるオフィスにお邪魔して、撮影のエピソードなど、たっぷりうかがってきましたので、今回はそのときの模様をお届けします。
※2年という歳月をかけて撮影・製作された「第八番」は、映画の冒頭で“宇宙の声が聴こえますか”という投げかけから始まります。そこにはどんな意図があるのかうかがいました。
「『第一番』のときから、“地球はそれ自体がひとつの生命体である”というガイア理論に基づいて製作されている映画なので、“地球の声が聴こえますか”っていう投げかけから始まっているんですが、『その“地球の声”って一体どこから来るんだろう?』っていうことになりますよね。そう考えると、“地球の声”自体が“宇宙の声”になるんですよ。
ちょっと科学的な話をしますよ。どうして人間がこの地球で生きていられるかというと、太陽の磁場で宇宙線が来るのを防いでいるし、地球そのものもバリアを持っているんですよ。そのバリアは誰が作ったのかというと、“樹”なんですよ。そういった力があって、人類たちが今ここにいるということになるんですね。
なので、実は我々は最初からそういう宇宙に奇跡的な確率でいるんですよ。最初は太陽のおかげだし、その太陽の光によって(植物が)光合成をしたことで大気を生み出したんですね。だから、本当は我々の中には最初から宇宙の記憶があるんですよ」
※現在公開されている「第八番」には3つのキーワードがあります。1つ目は“樹の精霊に出会う”、2つ目は“樹の精霊の声を聴く”、3つ目は“心に樹を植える”と、いずれも“樹”にちなんだ言葉になっています。それはなぜでしょうか?
「科学的に理解するようになったのは最近のことですが、大昔から樹齢1000年ぐらいの大きな樹の中には“精霊”としか呼びようがない何かが潜んでいて、私たちを助けたり罰したりしてくれていた。そういった“体感”が人類の中にずっとあって、それで“大きな樹には精霊が宿っている”と神話が色々な形となって世界中にあるんですよね。
とりわけ日本人は樹の文化があるので、樹から色々なものをいただいてきましたね。船を作るにしろヴァイオリンを作るにしろ、何かを作るときには樹を切り倒して、それを使っていますよね。そういう意味でいうと、精霊が宿る樹を自分たちの利便と安楽、そして美しさのために切るけれど、それは樹の中に宿っていた精霊たちに出てきてもらって、ヴァイオリンや能面などに移し変えていくという文化があったんですよ。だから、樹の精霊の存在を感じられるような映画になっているので、“声が聴こえる”というようなキャッチフレーズになっているということですね」
※最新作「第八番」のキーワードの1つでもある“樹の精霊に出会う”。映画では奈良県吉野にある天河神社に600年間眠り続けてきた能面“阿古父尉(あこぶじょう)”を復元するために、能面を創る能面打、見市泰男さんがクスノキの木材にノミをいれて制作する場面が映し出されています。そのシーンにはどんな思いが込められているのでしょうか。
「能面打の仕事は、姿や形を直接見ることができないけれど、想像の中では存在する無数の能面が大きな樹の中に潜んでいて、その中の1つを引き出して、能面を作り上げることなんですね。それを使って(能楽師が)演ずることによって、ずっと潜んでいた樹の精霊が姿・形を持って、我々の前に出てきてくれているんですよ。とはいえ、そう簡単にはいかないわけで、やっぱり技がいるんですが、技だけがあればいいのかといえば、そうじゃないんですよね。
毎回、魂の移しかえとかやりますし、ノミで樹を切るから、残酷に見えると思うんですね。今回、僕は(そのシーンを)比較的強調しました。クスノキの古木から出た板を天河神社に運んで、そこの弁天様と一緒に過ごしてもらって、その板に何かが移ってきたところで最初のノミを入れるんです。そのノミを入れること自体が精霊に対して『今から人間の世界に出てきていただくためにノミを入れます』という意思表示になるんですよね。
ノミを入れたとき、能面となっていく本体は塊として残っていきますが、剥ぎ取られたものは屑だと普通は思うじゃないですか。ところが、実は屑ではなくて、今回の能面にはなれなかったけれど、能面としてもう一度生まれ変わってくるために必要だった精霊だったということが、日本の神道の中にあるんですよ。だから、屑は絶対に捨てないで、能面が出来上がったときにそれを全部集めて火を起こして、樹のエネルギーが火のエネルギーとなって、その火の上で出来上がった能面を清めるんですよ。そうすると、屑だと思われていたものでさえ、能面の中に宿っていき、その能面を守っていくんですね。
能楽師の梅若六郎玄祥さんも映画の中で『形だけを真似るのであれば、今や3Dプリンターを使えば同じようなものが出来てしまう』と話していますが、果たしてそれが“能面”なのかというと、何かがないわけですよ。じゃあ、その“何か”って何だっていうことになるじゃないですか。それが先ほどから話している“魂”や“樹の精霊”などの目に見えないものなんですよね。そういったものが人に見える形となって現れてきたんですよ。こういう文化ってどこにでもあったと思いますが、これだけ洗練された文化というのは素晴らしいと思いますし、精霊と出会うためにはあれだけの手続きと精神的なものがいるんですよね。そういうことに気づいているから、日本人はできるわけですよ」
※最新作「第八番」のキーワードの1つでもある“樹の精霊の声を聴く”。このシーンで登場するヴァイオリン製作者の中澤宗幸さんは、名器ストラディヴァリウスのメンテナンスを名だたる演奏家から依頼される世界でも数少ないクラフトマンのひとりです。そんな中澤さんの言葉について、龍村監督はこんなお話をしてくださいました。
「彼が言っていることの中に“ヴァイオリンは物だけど物じゃなく、生命体と同じ有機体だ”という言葉があるんですね。そういう心境にならざるを得ないと思います。森の中で芽を出してから樹齢200年ぐらいの樹になるまでの記憶をもちろん持っているし、それがストラディヴァリウスのようなヴァイオリンという形に変わって、弾かれると弾いた人の記憶も背負っていくんですよね。だから、“ヴァイオリンは生き物だ”と言っているんですね。森にいるときは癒してくれますし、切り倒されてヴァイオリンになると、音楽となって生きていくと彼は言っているんですよ。
実は、彼は8歳のときに最初のヴァイオリンを作っているんですよ。それもすごいことなんだけど、彼のお父さんも興味深い人で、兵庫県で山林業をやっているんだけど、ヴァイオリンが好きで自分で見よう見まねでヴァイオリンを作っちゃう人なんですよ。それで息子に『夏休みの宿題としてヴァイオリンを作ってみてはどうだ?』って提案したことで、宗幸さんは見よう見まねで初めてヴァイオリンを作ったんですよ。そのときの音は残っていないんだけれど、彼が(お父さんから言われたことで)一番覚えているのは『ヴァイオリンは音がいいということよりも、それぞれに持っている“声”が大事だ』と言ったそうなんですね。“声”って生き物特有のものじゃないですか。だから、“ヴァイオリンは生き物だ”ということを“声”という言葉を使って表現しているんですよ。でも、彼はそう言われたとき分からなかったと言っているんですが、ヴァイオリンを作っていくうちに、素直にそれを感じられるようになったんだと思います。
ストラディヴァリウスをみんなが欲しがるのは、“誰がこのヴァイオリンを弾いてきたのかを、ヴァイオリン自身が記憶していること”なんですよね。優れた音楽家によって弾かれると、それをヴァイオリン自身が記憶するんです。そして、次の音楽家に弾かれると、その記憶を新しく宿すことになるんです。ヴァイオリンを物と考えると、記憶を宿すという考え方はできないけど、生き物だと考えると、その考え方はできるんです。それを体感的に分かるんですよね」
※「第八番」には“津波ヴァイオリン”も登場します。そのヴァイオリンはガレキの中にあった材木で作られました。キッカケは、中澤さんの奥さまでヴァイオリニストの中沢きみ子さん。きみ子さんは被災地に積み上げられたガレキの中に家屋の梁や柱で使われていた材木を見つけ、「きっとそこにはそこで過ごした家族の記憶が残っている」と思い、その材木を使ってヴァイオリンを作れないかとご主人に提案したそうです。
実はヴァイオリンのほかに、チェロとヴィオラも製作されました。そんなチェロに関するあることを龍村監督が教えてくれました。
「これは映画の中には出てこない話なので、こういう風にしか話せないんだけど、津波チェロを最初に弾いたのはヨーヨー・マ(*)だったんです。そのシーンも撮ってあるんだけど、使ってないんです」
(*世界的に有名なチェリスト)
●なぜ、彼がやることになったんですか?
「それがシンクロニシティみたいなもんですよ。中澤さんが『ヨーヨー・マみたいな人に最初に弾いてほしい』と言ったので、『夢みたいな話だけど、もしかしたらできるかもしれないから、ちょっと調べてみよう』と言っていたら、次の日に(ヨーヨー・マが)来日したんですよ。彼はサントリーホールで2回演奏することになっていたから、ダメもとでお願いしてみたんですよ。
実はこれは後で知った話なんですが、彼のお父さんのチェロを修復していたのが中澤さんだったんですよね。
リハーサルが全部終わって、彼に(津波チェロを)弾いてもらったんですね。すると、少し弾いたら顔色が変わったんですよ。どうやら気に入ったみたいで、『もしアンコールがあれば、そのときにこれで弾きます』と言ってくれたんですね。実際に“鳥の歌”(*)を弾いてくれたんですよ。僕自身は、彼が本当に気に入らない限りは、無理強いすることはしたくないと思っていたんですが、実際に彼が弾いてくれたので、津波チェロが最初に宿した記憶はヨーヨー・マだったんです。でも、それが映画の中に出てこないのがミソなんですよ!」
(*カタルーニャ地方の民謡、カザルス編曲)
※最後に、現在公開されている最新作「第八番」について、こんなメッセージをいただきました。
「日本人は、自分たちの記憶の中に縄文時代から繋いできている感性や記憶があるんですよ。この映画をご覧いただくと、理屈的なことではなく、自分の中に眠っているその記憶が活性化されて、この困難な時代に何が大切なのかが分かってくると思います。科学的に物質を分析することも大事ですが、同時に宇宙の中の一員として樹によって生かされている私たちが直感的に持っている記憶が、この困難な時代を克服していく上で一番大切なものだと思います。
今回のコンセプトは“畏れと美と知恵と勇気と”なんですね。この中の“畏れ”という言葉には“いつ何時、命が絶たれるかもしれない”という意味も含んでいるんです。その上で、初めて自分を遥かに超えた大いなるものへの畏敬の念が浮かんでくるんですよね。次の“美”ですが、人間は直感的に“美しい”と感じるものと、“これは嫌だな”と思うものがあるんですよ。“美しい”と感じられるものは、単なる情緒的なものじゃなく、宇宙的な秩序の関係の中で感じているんだと思うんですね。
例えば、被災地には5メートルぐらいの防潮堤を作っていたのに、それ以上の津波が来てしまったから、今度は10メートルぐらいのものにすれば防げると考えていますが、実際にそんな防潮堤が作られたら『なんか嫌だな』って思うと思います。自然が作ったすごく美しい海辺がそれによって塞がれたときに感じるその感覚は、大切にした方がいいと思いますよ。“美しくない”と感じたときは、“宇宙の摂理と相反している”と思ってもいいんじゃないかと。そういうと、科学者に怒られちゃいますけどね(笑)。“美しい”と感じる力がどうやって蘇るかにかかっていると思うので、そういう願いを持っています」
※この他の龍村仁さんのトークもご覧下さい。
今回番組ではご紹介出来なかったのですが、「第八番」には以前この番組にもご出演いただいた気仙沼の漁師さん畠山重篤さんが「心に樹を植える」編で登場されています。畠山さんが映画の中で、和船を櫓を使って、お孫さんと一緒漕ぐシーンがあるんですが、日本人の自然観がこんな風に脈々と受け継がれてきたんだなと感じられて、とても印象的でした。他にも、心に響くシーンがたくさんあって私も思わず涙してしまった「地球交響曲/ガイアシンフォニー第八番」。ぜひご覧ください。
「第八番」は千葉では5月5日(火・祝)の12時半から千葉市民会館で自主上映会があります。この上映終了後に龍村監督の講演が予定されています。
◎詳しい情報:ガイアネットワーク千葉の専用携帯電話
◎TEL:070-1570-4715(斉藤さん)
5月23日(土)から横浜のシネマ・ジャック&ベティでロードショー公開が決定しました。他にも、続々と全国での上映が決まってきていますので、詳しくは、ガイアシンフォニーのオフィシャルサイトをご覧ください。