今週のベイエフエム/NEC presents ザ・フリントストーンのゲストは、長谷川博さんです。
東邦大学名誉教授の長谷川博さんは、翼を広げると2メートル以上もある大型の海鳥“オキノタユウ(別名・アホウドリ)”の調査と保護活動を約40年に渡って行なってらっしゃる研究者です。国の天然記念物で絶滅危惧種に指定されているオキノタユウの繁殖地、伊豆諸島の鳥島に1976年から通っていて、これまでに行った回数は118回にも及ぶそうです。長谷川さんがいなければ、環境省や東京都などの支援によるオキノタユウの保護活動はなかったといわれるほど、大変重要な役割を果たした方でもいらっしゃいます。そんな長谷川さんに、オキノタユウのお話をたっぷりうかがいます。
●今回のゲストは、東邦大学名誉教授の長谷川博さんです。よろしくお願いします。
「よろしくお願いします」
●長谷川さんは“オキノタユウ(別名・アホウドリ)”の調査と保護活動を行なってきた研究者で、“動物生態学”を専門とされています。今回はオキノタユウについて色々うかがっていこうと思いますが、“オキノタユウ”という呼び方にこだわっている理由はなんですか?
「“アホウドリ”という名前は軽蔑的な名前だと思うんですね。この鳥は沖の海に棲んでいて、大型で美しくてカッコいい鳥なんですよ。だから、数年前から名前を変えないといけないと思っていたんです。そこで“オキノタユウ”という呼び方が山口県の長門地方に実際にあって、“タユウ”は“神主”さんという意味があるそうで“沖に棲んでいる神主”という意味になるんですね。これがいいんじゃないかと思って、この名前で呼んでいます」
●そのオキノタユウですが、どういった鳥なんですか?
「陸地から離れた沖、外洋域、つまり大海原を自由に飛び回るので、翼が非常に長いんです」
●どのぐらいあるんですか?
「2メートル30センチぐらいです。(人が)両手広げて2人分ぐらいですね」
●そんなに大きいんですか!
「(翼の)幅は17センチぐらいです。なので、細長いんです。ほとんど羽ばたかずに海に吹いている風に乗ってグライダーのように高速で飛んでいます。見るとすごくカッコいいんですよ! 繁殖するときは地上にいるんですが、そのときの動きが鈍いんですね。さらに翼が長いので、飛行機と同じように羽を広げて助走して加速してから飛ぶので、すぐに飛ぶことができないんですよ。だから、風上や坂の下から(人が)来るとどうしようもなくなってしまって、簡単に捕まってしまうんですよね。だから“アホウドリ”という名前が付けられてしまったんです」
●そういうところがあるから、そういう風に呼ばれるようになってしまったんですね。ツルはつがいになると、一生同じ相手と過ごす習性がありますが、オキノタユウはどうなんですか?
「昔は“沖のツル”と呼ばれたりするぐらいツルと似ているんですが、実際はツルよりも長生きなんです。しかも、オシドリよりも夫婦仲がいいんですよ。相手が死ぬまではずっと連れ添うんですよ。だから、長寿で夫婦円満なので、人間にとっても幸福のシンボルになりうると思っているんですよね」
●その長年連れ添うことになるパートナーをどうやって決めるんですか?
「縄張りを持っているオスのところにメスが来て求愛行動のダンスをするんですが、何羽ものメスが来るので、その中で一番ダンスの協調性があるメスが選ばれると思います。そのダンス、ディスプレイにも色々あるんですが、下手だとクチバシ同士が当たってしまうとかあるんですね」
●そういった中で、一番ダンスが合う者だけがつがいとなって、長年添い遂げるんですね。
オキノタユウは、どんな鳴き声なのか聞いてみました。
「大きな鳥なので、あまり(鳴き声は)美しくないんですが、牛のような声です。それとクチバシをカスタネットのように打って音を出します」
●今回、その音声があるということなので、聴いてみましょう!
※放送ではここでオキノタユウの鳴き声(mp3ファイルはこちら)を聴いてもらいました。
●本当に「モー」って言ってますね! そして奥の方で「カタカタ」という音が聴こえました。
「これがクチバシを打っている音です」
●この鳴き声も、コミュニケーションとして使っているんですね。
長谷川さんが研究のために通っている鳥島にはオキノタユウがたくさんいるということですが、1949年に“絶滅した”と一度宣言されているんですよね。しかし、実は奇跡的に残っていたということですが、これはどういうことでしょうか?
「19世紀末、羽毛がヨーロッパでクッションやキルト、キレイな羽は女性の帽子や飾りに使われていたんです。需要のあった羽毛を取るために毎年何十万羽も乱獲されたんですよ。そのせいで数が急速に減って、1930年代には数百羽しか残っていませんでした」
●そういうのに適していたんですか?
「オキノタユウは水鳥なので、綿毛がたくさん付いているんですよ。今の値段に換算すると、1羽(の羽毛が)1,000円ぐらいで取引されていました。これを10万羽捕まえると1億円ぐらいの利益になったんですね。なので、昔は一攫千金を夢見てたくさんの人が無人島に行って、そこで繁殖していたオキノタユウの仲間を乱獲したんです。その乱獲に“アホウドリ”という名前が少し加担した面もあると思うので、その名前はあまりいい名前ではないと思うんですよね。
1930年代には禁猟になりましたが、その前に駆け込みで3,000羽ぐらい捕獲されました。さらに、主な繁殖地の鳥島では火山が噴火して巣が火山灰で埋まってしまったんですね。その後、1949年にアメリカの研究者が鳥島やかつての繁殖地へ調査に行ったんですが、一羽も見ることができず、“絶滅した”と思われました。でも、幸いなことに、1951年の1月に10羽ぐらいが生き残って繁殖していることが分かり、そこから本格的な保護が始まりました」
●今では、国の特別天然記念物で絶滅危惧種に指定されていますが、何羽ぐらいまで増えているんですか?
「主な繁殖地の鳥島では去年681組のつがいが繁殖して、479羽のヒナが育ちました。そこから推定すると、約3,900羽まで回復しました。次の繁殖地は尖閣諸島の南小島と北小島なんですが、僕が最後に調査したときには33羽いました。50組ぐらいのつがいがいたんじゃないかと思いますが、それがそのまま増えていると600~700羽いるかな。だから全体で4,500羽ぐらいまで回復したんじゃないかと思います」
※オキノタユウ保護のため、長谷川さんが長年通っている鳥島はどんな島なのでしょうか?
「鳥島は無人島です。東京から南へ約600キロ、八丈島から南へ約300キロのところにあります」
●八丈島からはどうやって行くんですか?
「小型の漁船をチャーターして15時間ぐらいかけて行きます。近づいたらゴムボートに乗り換えて気象観測所があったころの船着場につけて上陸します」
●ひとりで上陸するんですか?
「大抵僕ひとりで上陸しています」
●無人島にひとりだと色々大変じゃないですか?
「研究補助者を雇うお金が無いのと、長期滞在できる人が今いないんですよね。なので、ひとりでやっています」
●島はどのぐらいの大きさなんですか?
「ほぼ円形の島で、直径は2.6キロメートルぐらいです。周囲は8.5キロメートルぐらいですね」
●ベースキャンプの小屋から、オキノタユウが生息している場所に行くという感じなんですか。
「そうですね。鳥がたくさんいるところは、小屋から1時間半ぐらいかけて歩いていったところにあります」
●それを毎日繰り返すんですか。結構過酷なんですね。保護活動は具体的にはどういったことをしているんですか?
「鳥が巣を作っていた場所は(斜度が)23度ぐらいある急斜面でズレ落ちてしまうんですよ。そこには草が無くなってしまっていたので、一番最初は草を植えて、ヒナがたくさん育つようにいい場所を作りました。初めて行った1977年3月ではヒナは15羽しかいなかったんですよね。それから草を植えたりして、10年後には50羽を超えるぐらいにまでなりました」
●草を植えただけで、そこまで増えたんですね。
「うまくいって本当によかったです。そうして増やしたヒナを、地すべりが起こる心配のないところに誘導しようということになったんですね。それが島の反対側の斜面にあるんですね。そこは広くてなだらかで草も生えてるんです。そこに誘導して、新しい繁殖地を作ろうと思って使ったのが“デコイ”という模型です。
元々は、アメリカの先住民がカモなどを捕るために浮かべていたものなんですが、狩猟の道具を保護のために使おうということで、デコイをたくさん並べて、先ほど聴いていただいた声を流して、そこに繁殖地があるように見せかけて誘導しました。それを1992年から始めました。それもうまいことに、3年後に最初のつがいが卵を産んでヒナが生まれて巣立ちました。それで第一関門を突破しました。それはすごく嬉しかったですね。
そこからは工夫しました。デコイの数を50個にして、(形も)求愛行動をしているときの姿勢や座っている姿勢、繁殖しているように見せかけたりしたら、12年後には4組のつがいが繁殖して、4羽のヒナが巣立ちました」
●デコイ作戦大成功ですね!
「そこは平らでなだらかで広いので、ジャンジャン増える可能性があります。楽しみです」
※長谷川さんはなぜこの鳥を守ろうと思ったのでしょうか?
「オキノタユウを日本人がかつて絶滅の寸前にまで追いやったわけですよ。今度は、人間の手で“もう大丈夫”というところまで数を増やすのが責任じゃないかと思うんですね。僕はそれをライフワークとして、それを実現したいと思っています。そして、その夢はほぼ実現されました。あと3年で5000羽になりますよ。そのぐらいになればちょっと安心しますよね。それが僕の責任期間だと思っています。そのとき、僕は69歳になっているんですね。体力的にも無人島で野外調査を続けるのはキツくなると思ったので、そこを1つの区切りにしようと思っています。僕が始めたときは200羽以下だったんですよね。それが数が増えてきて、広くて安全な新しいところに巣ができているので、もうほとんど大丈夫なんですよ」
●大丈夫ですか? 長谷川さんが来なくなると、オキノタユウたちが寂しがるんじゃないですか?
「大丈夫ですよ。それに、最近数が増えてきたことによって、伊豆諸島の船から観察される機会が増えているんですね」
●ということは、私たちも見ようと思えば見ることができるんですね。
「八丈島と東京を結ぶ航路があるんですが、そこを移動しているときに甲板に出てずっと観察していたら、見るチャンスはあると思います。4月半ばから5月初めぐらいまでが一番いいと思います」
●それは是非見てみたいですね!
「でも、ずっと見ていないといけないですよ。すぐには見られませんからね(笑)。10年後には1万羽になると思います。そうなれば、見るチャンスも増えると思いますし、2050年ぐらいには数万羽になると思いますので、そうなれば頻繁に見られるようになるんじゃないかと思います」
●最後に、長谷川さんにとって、オキノタユウはどんな存在ですか?
「この鳥を地球上に再生させることが僕のライフワークと考えてきたんですが、それがほぼ実現しそうなんです。数がすごく少なかったところから5,000羽までの40年間、お互い見守ったり見守られたりして関係を持ちながら歩んできた相手だと思っています」
アホウドリという名前の印象が強かったんですが、長生きで夫婦仲がよくて・・・長谷川さんのお話を聞けば聞くほどアホウドリではなく“沖の太夫(オキノタユウ)”と呼ぶ方が相応しい鳥だと感じました。そんなオキノタユウが、長谷川さん達の活動で約4,500羽まで復活したというのは本当に凄いことですよね。是非、その愛と情熱の籠った活動の記録を長谷川さんの本でご覧ください。
偕成社/定価1,944円
長谷川さんが調査や保護活動をするようになったいきさつや鳥島での1ヶ月にも及ぶ滞在中の調査日誌、そして今後のオキノタユウの展望など、読み応えのある内容となっています。長谷川さんが鳥島でどのような活動をしているのか、興味を持って方は是非ご覧ください!
その他の情報を含め、詳しくは東邦大学の長谷川さんのサイトをご覧ください。