今週のベイエフエム/NEC presents ザ・フリントストーンのゲストは、太田達也さんです。
自然写真家の太田達也さんは“生命の絆”をテーマに、メイン・フィールドの北海道のほか、北米やカナダの北極圏などでも精力的に野生動物や自然の写真を撮り続けてらっしゃいます。そんな太田さんの新刊が『カムイ~神々の鼓動~』。北海道で神々の化身といわれているヒグマやシマフクロウなどを撮影した奇跡のような写真集なんです。今日は“カムイ”と呼ばれる野生動物のお話をたっぷりうかがいます。
●今回のゲストは、自然写真家の太田達也さんです。よろしくお願いします。
「よろしくお願いします」
●1年ぶりですね。この1年はどうでしたか?
「いてもたってもいられなくなり、去年の7月に北海道に移住しまして、現在は北海道の富良野で暮らしています」
●念願の北海道生活はどうですか?
「移住してみて分かったことがたくさんありました。朝から晩までずっと森の中にいることができるので、動物たちだけじゃなく、森の様子など、少しの変化を気づくことができるんですよね。今まで通っていたときはタイミング的に初雪に出会うことができなかったんですが、今年は秋には森に入っていたので初雪に出会うことができましたし、雪虫に出会ったりと、色々な驚きと発見がありました」
●秋から冬に変わる瞬間って、あるんですか?
「ありますね。今回の変わり目のとき、私は大雪山系の中に入っていたんですが、その瞬間を感じました。雪も徐々に降ってくるんですが、一度溶けるんですよね。なので、すぐには積もりません。溶けて紅葉が段々と進んできて、また雪が降ってきて色あせていくという微妙な変化を見ることができるんですよね。自然の時間の流れって、前進したり後退したりしながら、微妙に変わっていくんですね。それをすごくよく感じました。人間の生活における時間の流れと自然の中での時間の流れって違うんですよね。」
●そういう中にいると、自分自身も変わったりしますか?
「客観的に自分のことを見ることができないので自分がどう変わったのか具体的には分からないですが、ゆったりとした時間の流れの中に身を置くと、自然の中に流れているリズムと自分のライフスタイルが合ってくるんですよね。些細なことでも、より深く発見することができるんです。たまに都内に戻ってきたりすると、時間の流れが全然違うなって思いますね(笑)。これはこれで刺激があっていいんですけどね」
●(笑)。たまには、自然の流れに身を任せてみるのも必要なのかもしれないですね。
「そうですね。だから、都会の人たちが自然に憧れているのも、そういうところが理由の1つにあるのかもしれないですね。慌しい生活に追われていて“自然に還りたい”というのは、ゆったりとした気持ちになりたいということで、そういったものが自然の中にあるんですよね。人間を原点に戻してくれる力が自然にはあるんじゃないでしょうか」
※今回の写真集は、どういった想いで作ったのでしょうか?
「この写真集は私にとって特別な想いがあります。タイトルが“カムイ”となっていますが、この“カムイ”は、昔からアイヌの人から神の称号が与えられた動物のことを指すんですが、その動物たちをまとめてみたかったんです」
●なぜ、そういった動物たちをまとめてみたいと思ったんですか?
「この“カムイ”と呼ばれている動物たちは、北海道でもなかなか出会うことができない動物なんですね。何十年も野生動物の写真を撮ってきている私でも滅多に出会うことができないんですよ。そんな動物たちをアイヌの人たちはどういう想いで見ていたのか、どういう想いで自分たちの文化に取り入れていったのかを深く追求したかったのが、大きなテーマの1つでした」
●なかなか会えないんじゃ、撮影は大変だったんじゃないですか?
「そうですね。色々な動物を撮影していますが、カムイと呼ばれる動物の中には、20年ぐらいかけてようやく痕跡を見つけることができたといった感じの動物もいるんですね」
●それだけかけて痕跡だけなんですか!? 撮るのにどのぐらいかかったんですか?
「そこからさらに時間がかかりましたが、私が写真家を目指し始めたころからの1つのテーマとしてずっと追っていました」
●そんなに大変な想いをして撮ったら、どうでしたか? アイヌの人たちが想っていたことが伝わってきましたか?
「伝わってきましたね」
●どんな想いが伝わってきましたか?
「私が憧れている動物がいるんですが、それは“シマフクロウ”なんです。シマフクロウはアイヌの人たちにとって集落の守る神様と崇められているんですね。自分たちの村の守り神なんですよ。このシマフクロウは、全世界で100羽前後しかいないんですよ。絶滅危惧種で、日本の天然記念物にも指定されているんですが、シマフクロウに初めて会ったときは体が硬直しました。シマフクロウに睨まれたんですが、その様子は動物の領域を越してましたね。鳥を見ているはずなんですが、その視線の奥にさらにすごい崇高なものを感じて、それからハマってしまいました」
●そこに神を感じたんですね。
「そうですね。威厳からくる緊張感だったり、初めてシマフクロウに会ったときのことは今でも忘れることはできないですし、どんな動物よりもすごかったですね」
●どんな状況だったんですか?
「まず声が聞こえてきました。シマフクロウの声が独特で、“ボ・ボ・ボー”といった感じで、普通のフクロウよりも重低音が強いんですよ。それが森中にこだまするような感じで、胸の鼓動まで響いてくるんですよね。私も色々なCDとかで聴いてシマフクロウの声は認識してたんですが、実際に聴いたときの衝撃はすごかったですね。この世のものとは思えない声に感動しました」
●でも、そのときはまだ姿が見えてなかったんですよね?
「そうですね。そこから姿を見るのに何年もかかりました」
●声しか聴こえないことが数年あったんですね!
「シルエットは何回か見ているんですが、姿を見たのは数年かかりました」
●それはまさに神と同じですね!
「そういったところもハマった理由ですね」
●初めて姿を見たのはどういった状況だったんですか?
「ある渓谷にある木に止まっていて、目と目が合ったんですよね。“虹彩(こうさい)”という目の黄色い部分のインパクトがすごく強かったですね。目を見開いたときの目の鋭さは本当にすごくて、ヒグマと面と向かったときと同じように硬直しましたね」
●恐怖心とかはなかったんですか?
「恐怖心よりも崇高さですね。例えるなら、向こうの世界があって、神の世界の扉の前に立たされている自分がいて、向こうは木の上で私を見ているんですよ」
●番人のような感じなんですね。
※“カムイ”には様々なカムイがいます。例えば、ヒグマは“キムンカムイ(山の神)”、オオワシは“カパッチリカムイ(空の神)”、シャチは“レプンカムイ(海の神)”、タンチョウは“サロルンカムイ(湿原の神)”といいますが、どうしてそんな風に考えるようになったのでしょうか?
「その姿が村を守ってくれる象徴だったんじゃないかと思います。例えばヒグマは山の神なんですけど、シマフクロウ(*)は鳥の神ではないんですよ。シマフクロウは翼を広げたときにアイヌの人たちが暮らしている集落を守る象徴だったんじゃないかと思うんですよね」
(*コタンコロカムイ 森の神)
●そんな神々しい存在を撮影することに抵抗はありませんでしたか?
「それはドキドキしました(笑)。それはいつ撮ってもそうです」
●どんな感じなんですか?
「私の場合は、心で自分の気持ちを伝えながら、対話しつつ撮らせていただいています」
●どんな気持ちを伝えているんですか?
「その森に入るときは感謝の気持ちを述べて、シマフクロウと対峙したときも感謝の気持ちを持って撮らせてもらいます。相手は野生動物なので『ここからは入ってきてはいけない』という声が心に響いてくるんですよね」
●テレパシーとして感じるんですね。
「そういうやり取りがあったんで、長い間撮らせていただけて、今回の作品を作ることができたのかなと思います。私が撮ったのではなく、シマフクロウの神様に伝えるべきことを託されたような気がします」
●それは思いました。他の人では撮れない昼間のシマフクロウも撮影されてますよね。これは、太田さんがシマフクロウに許された存在だからじゃないかと思うんですが、どうなんでしょうか?
「どうなんでしょうか?(笑) 私もシマフクロウに出会うのはいつも突然ですよ。見たいと思って会えるものではないんですよ。一期一会の出会いなんですよね」
●そのときそのときで導かれているところがあるんですね。
「シマフクロウと目線が合うと、必ず語りかけられてるような気がします。それはヒグマでも同じなんですが、カムイと呼ばれる動物たちと接すると、物言わぬ彼らたちからメッセージを発せられている気がするんですよね」
●最近、彼らはどんなメッセージを発していますか?
「あまりよくないですね。『もう少し、人間の愚かさを知りなさい』と言われている気がしてならないですね。自然と共に生きる人間の知恵や文化もアイヌの人たちは持っていて、私もそこに共感してアイヌ文化を色々研究したり追ったりしているんですが、人は自然と接するにあたって畏敬の念を持たないといけないですよね。動物たちと接するにしても、人間が上ではなく、共に生きる仲間として労わっていかないといけないんじゃないかと思います」
※実は、サケもカムイなんです。なぜでしょうか?
「彼らの中にサケ(*)という魚がいないと、このストーリーが成り立たないぐらい重要な役割を果たしているんですね。シマフクロウにしてもヒグマにしてもサケがいないと生きていけないんですよ。サケが生態系を支えているんですよね」
(*カムイチェプ 川の神)
●だから、サケもカムイなんですね。アイヌの人たちは、サケに対してどんな想いを持っていたのでしょうか?
「アイヌの人々にとっても大切な存在だったんですよね。自分たちが生きていく糧となる食料がサケだったんですよね。サケは捨てるところがないというぐらい貴重な魚で、身はもちろん、皮や骨など全てを利用したんですよね。衣服や靴、針にしたりしていたんですよね」
●となると、切っても切り離せない大切な存在だったんですね。
「そうやって、命の絆が繋がっているんですよね。シマフクロウは大きなサケを捕ることはあまりないですが、稚魚は食べます。ヒグマはまずイクラの部分を食べてから森に持っていって、自分が座りやすいところに座ってからサケを堪能します。そうなると、サケの残骸が残りますよね? 人間界みたいに業者がゴミを収集しに来ないですよね? 森にとってはその残骸が栄養分で、森の豊かさを作ってくれる象徴なんです。北海道の広葉樹や針葉樹を支えているのはサケだと言っても過言ではないと思います」
●ヒグマやサケなどによって、命が繋がっているんですね。
「サケもヒグマを逃れて、上流部まで昇っていって産卵をするんですが、それが終わったサケは死んでいきます。その死骸が川底に蓄積されて、川の栄養分となり、孵化する前の子供たちの養分になるんですね。命の繋がりというのは、見方を変えたら“生と死の輪廻”という気がします」
●そう考えると、自然ってよくできてますよね!
「現代社会だと、それを感じられることってなかなかないじゃないですか。でも、最近では農業や漁業でも、循環システムって最近流行ってますよね。それはやはり自然から学んでいることなんですよね。自然界の動物たちはそれが太古の昔からできあがってるんですが、人間はそういうことを忘れてきてしまったんですよね」
●忘れてきたということは、元々は分かっていたんですね。
「そうですね。サケって生まれた川に戻るじゃないですか。それを“母川回帰(ぼせんかいき)”というんですが、人間も“原点回帰”をしないといけないんじゃないかとつくづく思います。
私は以前、野生のタヌキに出くわしたことがあるんですが、その時はあまりの目線の鋭さに、思わずその場に立ちすくんでしまった思い出があります。常に自然と対峙して厳しい自然の中で生きる野生動物は、自然を忘れてしまった生き物とは違う目をしているんだと感じたんですが、今回太田さんが撮られたシマフクロウの目を見て、さらに胸に突き刺さるものがありました。自然と共に生きている“カムイ”と呼ばれる野生動物たちが、今私たちに何を伝えようとしているのか、改めて考えてみたいと思います。
山と渓谷社/本体価格2,700円
今回のお話に出てきたシマフクロウやヒグマ、サケ、オオワシやシャチ、タンチョウの奇跡のような写真が満載!本当に神々しくて美しく、神々の化身といわれていることに納得します。ぜひご覧ください。
太田の作品や近況などは、オフィシャル・サイトをご覧ください。