今週のベイエフエム/NEC presents ザ・フリントストーンのゲストは、海部陽介さんです。
人類進化学者の海部陽介さんは、国立科学博物館の人類史研究グループの責任者でいらっしゃいます。また、先頃『日本人はどこから来たのか?』という本を出されています。今回は私たちの祖先がどんなルートで日本列島にやってきたのか、そして現在、海部さんが中心となって進めている3万年前の航海を再現するプロジェクトのお話などうかがいます。
※私たちの祖先ホモ・サピエンスは、どうやって世界に拡散していったのでしょうか?
「これがすごく面白い疑問なんですよ。皆さん少し考えていただきたいんですが、世界中に人間がいるのが当たり前だと思っていると思いますが、生物学的に見たら、それは当たり前じゃないんです。なぜなら、1種の生き物が世界のどこにでもいるというのは変わっているんですよ。
例えば、ネズミやゴキブリが世界中にいると思っているかもしれませんが、大体が大陸毎や地域毎に種が違うぐらい、多様化しています。ところが、ホモ・サピエンスという1種が世界中のどこにでもいますし、むしろ、今の人類はホモ・サピエンスしかいないんですね。これは他の生き物ではあり得ないことなので、不思議なことなんです。私たちはなぜそうなったのかを考えるべきなんです。
では、人類がアフリカで生まれたということに戻ってみましょう。アフリカで人類が生まれたということは、当時はアフリカ以外に人類がいなかったということになりますよね? 人類はある段階までは世界に広がっていなかったんです。それはどうしてなんでしょうか? 同時に、私たちホモ・サピエンスは何をしたから世界に広がっていったのでしょうか? 私たちが知りたいのはそこなんです」
●どうしてでしょう? 今は移動手段があるから世界中に行けますけど、そのときは無かったですよね。
「簡単にいうと、2つの大きなバリアーを越えたことなんですね。1つ目は“苦手だった寒いところに行ったこと”です。寒いときにはマイナス30度になるようなシベリアみたいなところに行って、彼らがアラスカに行く道を見つけて、アメリカ大陸に入っていきます。そうやって人類が広がっていきました。
もう1つは“海の世界を越えたこと”です。人類は陸上で進化しているので、海を越えることは簡単にいかないんですね。ところが、私たちの祖先はいつしか“航海術”をあみ出し“舟”を作りだしたんですね。それで遠くの島に行くようになります。そうすると、オーストラリアみたいな人類がいなかったような場所に人類が現れるわけですよ。そういうことを始めたのが、ホモ・サピエンスになってからだと分かってきています」
●そうなんですか!? よく“昔、地球は1つの大陸で海がなく、地続きに移動して人類が広がっていった”って聞いていたんですが、違うんですか?
「それは恐竜の時代の話です(笑)。人類が誕生したときは大陸は分かれていて、海を越えないと行けなかったんですね。そして、恐竜の時代は北海道のようなところにもシダ植物があったぐらい暖かかったんです。そういった多様な環境に適応する力を持ったのが僕ら人類だっていうことがいえそうなんですね」
●地続きではなく、大陸が分かれていても、海を移動できるようになったから、私たち人類が広がれたし、この世に残れたと考えてもいいんですね。
「そうですね。僕らがここにいるのも、祖先のチャレンジがあったからだと考えられます」
※私たち日本人の祖先はどうやって日本にやってきたんでしょうか?
「地図を見れば分かると思いますが、サハリンから北海道へ入ってくるルートと朝鮮半島から対馬を通って九州に入ってくるルート、そして台湾から琉球列島に入ってくるルートの3つがありそうだというのは想像できますよね。
ただ、新しい認識として“ホモ・サピエンスがアフリカで誕生した”という点があります。かつてはジャワ原人や北京原人がアジア人の祖先だと考えられていて、日本にもそういった古い原人がいたと信じられていたことがありました。その古い原人が私たちの祖先だとしたら、外からやってくる必要がないですよね。ところが、アフリカ起源となると話は変わります。いつ、どうやってここにやってきたのか、そして今は日本は島ですが、当時はどうだったのか、海を越える必要があったのかどうかという様々な疑問が出てくるわけですよね」
●実際はどうだったんですか?
「琉球列島はかつて陸続きだったと信じられていましたが、科学でこういう言い方はしないんですが、100パーセント否定できます。一番大事なのは“いつ来たか”なんですが、ここで質問です。縄文時代の前は何時代かご存知ですか?」
●えー? 何でしたっけ?
「旧石器時代です。1万5000年ぐらい前の時代ですが、その時代の遺跡の数は日本でどのぐらい見つかっていると思いますか?」
●1000ぐらいですか?
「いい線いってますが、実際はもっとです。1万以上見つかっています。そのぐらい全国各地で発掘調査が行なわれていて、そのぐらいの数の遺跡が見つかっているんですが、その中である面白いことが分かってきました。それは、あるときに遺跡の数が急に増えだしたんですね。それは3万8000年前がターニングポイントで、この時期以降、確実に人がいるのが分かったんです。どうして急に遺跡が増えたと思いますか?」
●急に増えたということは、どこからか人がたくさんにやってきたからじゃないんですか?
「そう思いますよね。その遺跡の中を見てみると、我々は“現代人的行動”と呼んでいますが、私たちっぽいモダンな行動を取った証拠が出てくる遺跡が見つかるのが主体なんです。これらは一体どういった生物なのかというと、ホモ・サピエンスに違いないというのが分かるんですね。もう1つ大事なのが、その3万8000年前以降、遺跡が途切れることなく連綿と続いていきます。ということは、この人たちは絶滅することなくいたと考えられるんですよね」
●私たちの祖先ということになるんですね。
「そうです。だから、ここでアフリカからやってきた人たちが日本列島に現れたんじゃないかと考えられるんです」
●ということは、3万8000年前がどういう状態だったのかが分かれば、アフリカからどうやって来たのかが分かりますよね。どういう状態だったんですか?
「過去数万年間の地球は暖かくなったり寒くなったりしていたんですが、1万数千年より前は“氷期”という寒い時期で、今よりも気温が低いです。寒いと地球がどうなるかというと、海水面が下がります。当時の海面変動がかなり細かく復元されていて、今より80メートルも海面が低かったです。そうすると、対馬海峡が開いているので、最初に入ってきた人たちは海を越えたことになります。琉球列島も実際は離れていたので、海を越えてきています。ということは、日本列島に最初に入ってきた人たちは海を越えないといけなかったんです。なので、最近では“最初の日本人は航海者だった”といわれています。イメージが変わりませんか?」
●そうですね! 農耕民族のイメージが強かったので、日本でずっと畑を耕していたと思ってました。
「農耕が始まるのはずっと後ですので、最初の日本人は海を越えてやってきたんです」
●なぜやってきたんでしょうか?
「どう思いますか?」
●普通に考えたら、食べるものがなくなったり領地を追われて、渡らざるを得なかったんじゃないでしょうか。
「不思議なことに、私の周りでもそういう風にネガティヴに考える人が多いんですが、“チャレンジしたいから行った”というポジティヴな考え方もあると思わないですか? 実際はどっちだったのかを私たちは知りたいと思っていて、この後お話する“3万年前の航海 徹底再現プロジェクト”では“祖先たちの気持ちになろう”というプロジェクトでもあるわけです。その現場に立って、実際にその立場になってみて僕らがどんなことを感じるのか、なるべく祖先に近づきたいというプロジェクトです」
※私たちの祖先と同じ方法で海を渡る海部さんのプロジェクトですが、どんなルートで航海するのでしょうか?
「今回の最終目標は台湾から与那国島に目指したいと思っています。ただ、これは非常に難しいチャレンジなんです。100キロ以上の距離があるだけじゃなく、黒潮が傍を流れています。これを横断しないと着けないんですよね。そんな難しいことを最初からやるわけにはいかないので、今年の夏に与那国島から西表島に行こうと思っています。それができた上で、来年度に台湾から与那国島にチャレンジしたいと思っています」
●どんな船で行くんですか?
「遺跡に船は残っていないです。植物で作られることが多いので、保存されていないんです。なので、実際に3万8000年前の祖先たちがどんな船を持っていたのかを確実に知ることはできません。ですが、そこで諦めることはなく、彼らが船を作るときにいくつかの制約があるので、そこを考えます。
まずは“材料は地元で得られるものしかあり得ない”ことです。輸入なんて今のことですからできないので、その島に竹があれば竹を使えるといった形です。そして、遺跡から出てくる道具を見てみると、どんな加工技術を持っていたのかがある程度考えられます。
ただ、僕らが今除外しているのは、縄文時代に発達した丸木舟です。あれを作るには、木をくりぬくための斧が必要なんですが、沖縄の古い遺跡から斧が出てきてないんですね。そうすると、くりぬきの技術はなかったんじゃないかと思うんですね。となると、丸木舟は無しです。
そうなると、残ってくるのは絞られてきます。当時の技術でできそうなのは、イカダや草舟みたいな浮く力のある材料を束ねて作るタイプのものになってきます。それで黒潮を越えられるか、長距離の航海に耐えられるか、そして一番大事なのは、これは移住を目的としているので、男女複数人が行けるかどうかなんです。男だけが冒険してたどり着いても、それだけで終わってしまうんですね。それに、男と女1人ずつでもダメなんです。どれだけの人数が行けば子孫を残せるのかは、数理シミュレーションでやると大体の見当がつきまして、僕らのチーム内にそれをやるメンバーがいます。さらに、当時の黒潮がどこをどのぐらい流れていたのかを解析している人たちもいます。
このプロジェクトは単に航海実験をするだけではなく、3万8000年前当時を科学的に復元しつつ、祖先たちが目にした環境も復元して、何人行ったのかを科学的になるべく答えを出して、移住を再現するのを目的としています。それによって、祖先たちが何をしたのかを追求したいと思っています」
●大変ですが、面白そうですね!
「そこまでやらないと面白くないんです!」
●当然、コンパスもGPSもないですから、方角を確認するのもスター・ナビゲーションですよね?
「スター・ナビゲーションは人類が太平洋の真ん中まで行ったときに発達した技術だということは分かっています。ただ、これは3000年前ぐらいの話なので、すごいんですが、モダンな技術なんです。私たちは人類が初めて海に挑戦したころの話をしたいんです。陸で生活していた祖先たちがなぜ海に出ていったのかを知りたいんです。なので、技術は初歩的なものしかなかったはずです。なので、そのときにスター・ナビゲーションみたいなものがあったのかどうかはよく考えないといけないんですよね」
●じゃあ、どうやって方角を決めるんですか?
「とはいえ、やっぱり星を使うしかないと思います。台湾から与那国島を目指すとき、少なくとも船の上から与那国島が見えないので、天体を使わないと方向は定められないんじゃないかと思います。それもやってみると分かることだと思います。それも実験の面白いところなんですよね。論文を書くだけだと想像で終わってしまいますが、やってみると“やってみないとダメだ!”ということが体感できるので、それが実験をやる意味でもあります」
※日本人の祖先が海を渡った、その仮説を聞いてみました。
「先ほど出てきた“仕方ないから行った”というネガティヴな考えと“チャレンジしよう”というポジティヴな考えがあると思いますが、こういう仮説もあると思っています。
私たちが気にしている問題がありまして、それは“台湾から沖縄の島が見えるかどうか”です。もし見えなかったら、ミステリーになってしまいますよね。与那国島からは台湾が見えますが、台湾から与那国島は見えないといわれています。なぜなら、台湾は3000メートル級の山が連なっているので、向こうの方が大きいので、与那国島から台湾が見えるんです。だから、台湾の海岸からは与那国島は見えませんが、台湾の高い山からは沖縄の島が見える可能性があるんですね。私たちが知りたいのはそこなんです。
祖先たちが山に登って沖縄の島を見て、そこに島があることを知って、そこに移住するかどうかを決めたとなると、シナリオが変わってきますよね。そういう情報をもとにして、私たちは自分たちの仮説を作っていきます。もし、長澤さんが台湾の山に登って島を見つけたら、どう思いますか?」
●「あそこに島があるな。いつか行ってみたいな」って思います。
「もしかしたら、そういう気持ちになるかもしれないですよね(笑)。私が思うのは“そこに行ける自信があったかどうか”“失敗したときに帰ってこれるかどうか”が分かれ目だと思います。そういう自信があったら多分やると思いますね」
●私は元ヨット部だったから、自信があったのかもしれないです(笑)。
「だからポジティヴに考えたのかもしれないですね(笑)。それを台湾の山の上に立って、私たちもそういうことを感じるのかをやってみたいんですよね」
●もし、仮にそこから見えなかったら、なぜ行ったと思いますか?
「はっきり言ってしまうと、それは困ってしまいます(笑)。今、実際に見えるかどうか情報を集めているところで、これから状況設定をしていきます。そこにも、今回の実験の特徴がありまして、私たちがやっている通常の研究は結論が出てから発表するんですが、今回の実験は結論が出る前からオープンにしようとしています。
なぜそういうことをするかというと、この話があまりにも面白いからで、この謎解き体験が私たちは面白くて仕方ないんですよ。これは他の人も楽しんでもらえるんじゃないかと思って、私たちが試行錯誤している段階から情報を出してしまおうということにしました。成功や失敗はもちろん、先ほどの台湾の山から沖縄の島が見えるかどうか情報を持っている方がいるかもしれないので、持っているか聞いてしまうのも手なんですよね(笑)。そうやって、研究者同士だけで話をするのではなく、みんなで楽しめると思うので、新しいやり方をやりながら模索しています」
●確かに「台湾から沖縄が見えたのかどうか」「見えなかったらなぜ行ったのか?」という議論をするだけでも楽しいですよね!
「それを研究者仲間だけじゃなく、もっと多くの人と楽しみたいと思っています」
●希望としては、見えなくてもチャレンジ精神で行ったとなったら面白いですよね!
「ちょっと考えると、さっきのネガティヴな気持ちからポジティヴな気持ちに変わってきてませんか? なので、とことん考えてやってみると、もっと近づけると思うんですよね。僕らはそれをやってみたいんです」
●本当に夢があるプロジェクトですね! 多くの方にこのプロジェクトに興味を持っていただきたいと思いますが、私たちもこのプロジェクトを応援する方法があるんですよね?
「資金をクラウドファンディングで集めようと思っています。皆様から色々な形でご支援をいただいていますが、その代わりとして、私たちはこのプロジェクトの最新情報を提供します。そういう風に私たちのプロジェクトのフォロワーになっていただいて、私たちと一緒に考えていただけたらと思っています」
●最後にリスナーの皆さんにメッセージをお願いします。
「これは祖先たちのビッグ・チャレンジを再現するプロジェクトですが、私たちにとってもチャレンジです。皆さんも是非参加していただいて、私たちを応援していただけると嬉しいです!」
私たちの祖先は何のためにどうやって日本にやってきたのか? もし、冒険心やチャレンジ精神だとしたら、私たちのDNAにはそんな熱いハートが組み込まれているということになりますよね。そう考えると、なんだか色々なことに対して勇気が湧いてくる気がします。
文藝春秋/本体価格1,300円
海部陽介さんの新刊となるこの本は、今回お話いただいた人類の歴史や移動のルートなどの研究や成果、分析が満載です! 今までの常識を覆す意外な事実も書かれているので、必見です!
私たち日本人の祖先が3万年前に行なったチャレンジを再現するプロジェクトです。海部さんが中心となり、探検家の関野吉晴さんや海洋ジャーナリストの内田正洋さんほかも協力しています。このプロジェクトの実現のためには資金が必要です。ぜひご支援ください。詳しくはクラウドファンディングのウェブサイトをご覧ください。