氷を枕にあおむけに眠っているホッキョクグマ、雪解けのツンドラをさまよう一頭のカリブー、真っ白で愛くるしいタテゴトアザラシの赤ちゃん。有名な写真ばかりなので、あなたもどこかで目にしたことがあるかも知れません。
今回は、写真家「星野道夫」没後20年ということで、特別編をお送りします。
星野さんは1952年、千葉県市川市生まれ。慶応大学の探検部に所属していた星野さんは、アラスカのシシュマレフという村で先住民の家族と一夏を過ごします。1978年にアラスカ大学の野生動物管理学部に入学。その後、南東アラスカで、精力的に撮影活動を続け、数々の有名な写真賞も受賞しました。そして、直子さんと出会い、1993年に結婚。子供も誕生し、公私ともに充実していたその矢先、1996年8月、テレビ取材のために滞在していたロシアのカムチャツカ半島でヒグマに襲われ、この世を去ります。享年43・・・亡くなって20年の歳月が過ぎましたが、星野さんの作品は今なお多くの人に愛され続けています。
出演は奥様の直子さん、ドキュメンタリー映画『地球交響曲/ガイアシンフォニー』の龍村仁監督、写真家・赤阪友昭さん。そして、22年前にこの番組に残してくださった星野さんの肉声、未公開コメントも、特別にお届けします。
※星野さんは1994年4月に江ノ島で開催された「第4回 国際イルカ・クジラ会議」にプレゼンターの一人として招かれていました。その取材テープがこの番組に残っていましたので、特別に、記者会見に登場したときの星野さんの声をお届けしましょう。本邦初公開です。
星野さん「僕はアラスカの自然をテーマに15年ぐらい撮影していて、ここ4年間は南東アラスカの自然をテーマに撮影しています。南東アラスカは毎年ザトウクジラが戻ってくるところで、僕がその自然に興味を持っているのはそのザトウクジラだけではなくて、それを囲む原生林や氷河、トーテムポールの文化を築き上げたクリンギット族とハイダ族の文化がありまして、彼らの暮らしや彼らが築き上げた神話といったものに興味をもっています。
そして、僕が南東アラスカをテーマにしている最大の理由は、それらを築き上げた“時間”に興味をもっています。それと平行して、僕はクジラ漁に参加したことがありまして、彼らのクジラとの精神的な繋がりを話してみたいと思っています」
※星野さんも参加した江ノ島で開催された「第4回 国際イルカ・クジラ会議」。星野さんのプレゼンテーションの模様は1994年4月30日にこの番組で放送しました。オンエアでは当時の放送を録音したカセットテープから、その模様を聴いていただきました。
星野さん「僕はこの4~5年にかけて、南東アラスカの自然をテーマに撮影をしています。そこは氷河と森で覆われた土地です。そこには毎年夏になると、ザトウクジラがハワイから帰ってきます。あるとき、僕はザトウクジラの撮影でずっと船に乗っていたんです。そのときは、すごく忙しい中、1週間だけ友人の日本の編集者が一緒に来ていたんですね。1週間の間、毎日ザトウクジラを探していたんですが、あるとき、ザトウクジラの小さな群れに出会って、1日中その群れと一緒に過ごしていました。
夕暮れになって、僕は1頭のザトウクジラを船で後ろからゆっくり追っていたんですが、そのザトウクジラが突然飛び上がって、見事なブリーチングで、水面に落ちて、また今までと同じように泳ぎ出しました。ただそれだけのことなんですが、その友人が日本に帰ってから手紙を送ってきて、あの期間、何がよかったかというと“ザトウクジラが飛び上がったのを見られたのがすごくよかった”そうなんですね。なぜかというと、“自分が東京で忙しい生活をしているときに、もしかしたら、今この瞬間、ザトウクジラがあの海で飛び上がっているのかもしれない、と思えることがすごく嬉しいんだ”っていうんですね。彼がザトウクジラが飛び上がる瞬間を見たことで、日常の忙しい生活の中で、アラスカの海とどこかで繋がって、それによって色々なものが同じ時間に生きている不思議さに感動したんだと思います。
僕はアラスカの自然の色々なものをテーマに撮っているんですが、そのクジラのことを考えたとき、いつも2つの不思議が頭の中に浮かびます。1つはこの4~5年の間、テーマとして撮影している南東アラスカの自然で、そこは氷河と原生林で覆われた美しいところです。海はフィヨルドで、島が散らばっていて、そこに毎年夏になると、繁殖のためにザトウクジラが帰ってきます。それは言葉では言い表せないぐらいキレイな世界なんですね。それが、アラスカでクジラのことを考えたときにまず浮かぶ世界なんです。もう1つは“クジラ漁”のことです。その2つがクジラのことをアラスカで考えたときに重なって浮かぶんですね」
1994年4月に江ノ島で開催された 「第4回 国際イルカ・クジラ会議」の取材DAT。 | 「第4回 国際イルカ・クジラ会議」の 取材の模様は、94年4月23日と30日の 2週にわたって放送した。 同録カセットテープも保管。 当時の台本も見つかった。30日分の進行表には 「星野道夫氏コメント」の記述もある。 |
※龍村仁監督のドキュメンタリー映画“地球交響曲/ガイアシンフォニー”。1997年公開の『第三番』は、実は星野道夫さんと行く南東アラスカの旅のドキュメントになる予定でした。ところが1996年8月に亡くなったため、その旅は叶いませんでした。しかし、龍村監督は星野さんと行くはずだった旅を辿り、アラスカに住む親しい友人たちに話を聴き、星野道夫さんに捧げる『第三番』を完成させました。
龍村監督はどんな思いで『第三番』を撮り続けたのか。そのことをお聞きしたくて、都内の事務所にお邪魔してきました。実は当時、星野さんも龍村監督の事務所を訪れていたそうです。
龍村監督「彼がカムチャツカ半島でヒグマに襲われて亡くなる1週間前、(事務所のあるビルのそばの)新宿御苑に約束の時間よりも早く来てたんだね。リュックを担いで座ってたのを、ビルの上から見て、すぐに行って、(新宿御苑の)中に入って、いつもの大きな木の下に座って、色々な話をしました。そのときに、何月何日にどこに行って誰に会うのかを話していました。『第三番』にはたくさんの人が出ていますが、それは彼が亡くなったからではなく、彼が書いた本の中に出てくる面白そうな人を1人ずつ訪ねる旅を一緒にしようという話になっていたんです。
ふたりの話は抽象的になるけど、“21世紀のような時代を生きていれば、神話は一種の絵空事のように思えるけど、そうではなく、21世紀に通じるような神話を二人でやろう”という話をしていたんです。(星野道夫が)“その前にクマの番組の手伝いをしないといけないから、それが終わったらすぐフェアバンクスに帰るから、そのときから第三番の旅をしよう”という約束をして別れて、その1週間後なんですよ。真夜中にこの事務所にいるときに、彼がカムチャツカでヒグマに襲われて、亡くなったという知らせを受けました」
※そんな『第三番』ですが、どんなことをテーマにしようと星野さんと話していたんでしょうか?
龍村監督「簡単にいうと、21世紀に生きるものにとっても、人間である限り、神話は重要なものであり、カメラに映らないものや録音できないものの中にこそ“神話”と言われるものがあるんですね。星野との話は“自然”というと、クマや山、木そのものだったりするけど、実はそういう目に見えるものや聴こえるもの、ではなくて、その背後にある見えないものによって繋がれているんです。
木と人間の関係性が、どうして大きな木の前に立ったときに、なんともいえない和みが与えられているのか。科学的に説明をすれば、酸素やフィトンチッドを出してくれているとか、日陰を作ってくれているとか、全部そうなんだけど、結局のところ、それらをトータルすると、自分の命と木の命との間に、目に見えない何か深い繋がりがあることを、人間は科学的理解より以前にごく素直に分かるじゃないんですか。その感覚が、実は自然を語るのに一番重要なのは“神話”である、という言葉になっているんです。そういう意味では、俺と星野は議論をする必要がないんですよ。それでどういう映画ができるかということで、一緒に旅をしながら、その都度・・・結局は映画に映るのは人だったり森だったりするので、そういうところで色々なことを語りましょうね、というのが最初の話だったんです」
※今回の特集に際し、奥様の直子さんの出演が11年ぶりに叶いました。今なお多くの人に愛されている星野作品ですが、どうしてたくさんの人の心に響くのか、直子さんに聞いてみました。
直子さん「私も時折写真を見たり文章を読んだりしているんですが、その時々の自分の状態や置かれている環境によって、心に届くメッセージや写真の印象が変わってくるんですよね。同じ写真でも、見る人によって違うのはもちろん、同じ人でも見るときによって受け取るメッセージが違うということで、長く見ていただいているんじゃないかと思います。
書いている文章も自然保護や環境破壊反対を声高に言うわけではありませんが、向こうで起きていることをそのまま真っ直ぐに伝えて、それを受け取る人がどうやって解釈して、その後の自分の生活に繋げていくかを託されている気がするので、広く長く受け入れられているんじゃないかと思います」
●ちなみに、道夫さんが残された文章の中で、直子さんが一番好きなものってどれですか?
直子さん「『ノーザンライツ』という本の中に書いてある言葉で、今回の写真展の準備をしているときに読んで、心にスッと入ってきて、心に残っているんですね。
“行く先が何も見えぬ時代という荒波の中で、新しい舵を取るたくさんの人々が生まれているはずである。アラスカを旅し、そんな人々に会ってゆきたい。アラスカがどんな時代を迎えるのか、それは人間がこれからどんな時代を迎えるのかということなのだろう”
という言葉なんですが、これは未来のことを考えると、先行きが見えなくて不安になったり心配になることもあるかと思いますが、決して否定的になるのではなく、新しい時代に向かっていく若い人たちの力を信じている希望をとても感じる文章だったので、今回の写真展に来てくれる若い人たちに、その場は通り過ぎてしまうかもしれませんが、違うときにそのときのことを思い出したり、本や写真に出会ったときに、改めて感じてもらえたりするキッカケになれば嬉しいなと思って、この言葉がすごく残りました」
●写真はどれが一番好きですか?
直子さん「1枚に限定するのではなく、ムースの親子が水辺で休んでいたり、ツンドラの広い草原をクマの親子が歩いていたりするんですが、すごく小さく写っているので、その風景の中に動物がいることを見過ごしてしまいそうなんです。でもそこには動物たちが生きている様子が写っているんですよね。そういう写真を見ていると、“このグリズリーはこれからどこに行くのかな?”と思ったり、そのときの写真の中の光や風を感じたりして、色々なものが届くんですね。そういう風景の中にポツンと動物が写っているような写真が好きですね」
●今、星野さんの写真や文章が教科書にも載っているんですよね!?
直子さん「そうなんです。小学校の国語と中学・高校の国語と英語、時々、道徳の教科書に載っています。写真展で時々声をかけてくださる方がいらっしゃるんですが、若い人だと、一番はじめに星野道夫の作品に出会ったのが教科書でした、という人がいるんですね。写真集やエッセイに出会わない人の方が多いと思うんですね。それが教科書で出会うことによって、その後に“あれ、どこかで見た人だな」って写真展に来てくださったりしてくれるので、すごく嬉しいんですよね。
特に私が一番嬉しいのが、小学5年生の国語の教科書に『森へ』という絵本の写真と文章が載っているんです。ときどき“勉強しました!”といって、教科書で(作品を)見たときの、生徒さんたちの感想を学年毎にまとめて、先生が送ってくださることがあるんですね。それを読むのがすごく楽しみなんです!」
●どんな感想が書かれているんですか?
直子さん「子供たちの感じる力の瑞々しさ、“あ、森の写真を見てこんなことを感じるのか”とか、驚きをもって、その感想を読んでいます」
※星野さんは、大自然や野生動物を撮る写真家になりたいという若者に大きな影響を与えました。
そのひとりが以前この番組に出てくださった写真家・赤阪友昭さんなんです。
赤阪さん「星野さんって、すごく優しい人だったんです。最初にお会いしたとき、握手をしていただいたんですが、そのときに“この人は僕の一生の友達だ”と思いました。どうやって説明していいか分かりませんが、星野さんに会った方は皆さんそういう風に思われたんじゃないでしょうか」
●だから、アラスカの人たちとも、あんなに仲良くなれたんでしょうね。
赤阪さん「そうだと思います。本当に愛に溢れた方でしたね」
●写真で影響を受けたことってありますか?
赤阪さん「彼は“待つ”ということをずっとしてきた方だと思います。彼が写真を撮るまでに待っている時間の間に彼が感じていることが写真の中に現れているんですよね。そういうところが彼の写真の魅力だと思いますが、そういう時間の過ごし方をすることによって、写真に込めることができるということを、星野さんに教えてもらったと思います。なので、僕も新しいフィールドで写真を撮るときは、なるべく初日に写真を撮ることはせずに“待つ”ということをします。たまにはシャッターチャンスを逃してしまうこともあるんですが、実際に自分が撮るべきシーンが来るんですね。恐らく星野さんもこういう風に写真を撮ってきたんだと思います。
彼は“南極には興味がない”と言っていたんですね。なぜかというと“そこには人が住んでいないから”ということなんですが、恐らく彼が撮り続けていたのは、“人は自然とどう生きるのか”ということを1つの問いとして持ち続けていたんじゃないかと思います。人間界と自然界とでは矛盾が必ず起こるところがあるんですが、そこをどうやって折り合いをつけながら共存し続けるのかを、彼は問い続けたような気がします。だから、言葉の中に森や動物、人などが一緒に出てくるし、写真の中にも全ての生き物たちが出てくるんだと思います。彼はその中で区別を一切していなくて、平等に受け入れて写真に収めてきたんだと思います」
※最後に、ドキュメンタリー映画『地球交響曲/ガイアシンフォニー』の龍村監督にうかがいました。星野作品の素晴らしさは、どんなところにあるんでしょう。
龍村監督「彼の書いた文章や撮った写真を見れば分かると思いますが、彼は動物が珍しいから撮っているという動物写真家ではないんですよ。クマの写真1つにしても、確かに写っているのはクマなんだけど、そのクマを、珍しいことをしているから撮っているのではなく、そのクマがどこか遠くをじっと見ていて、写真には写っていないものを感じられるんですよね。それと、クマがそこまでやってきて、そこでその表情をしているんだけど、そこに来るまでのクマ自身の動きなどもその1枚で想像できるんですよ。ということは、時間的には過去だったり未来だったりするんだけど、その写真を見ている我々はリアルに感じられるんですよ。それが彼の写真なんです」
●だから、私たちも星野さんの写真に惹かれてしまうんですね。
龍村監督「自分でも“動物の姿が珍しかったり、面白かったりするから撮っているわけではない”と言っているじゃないですか。写っているものを通して、写っていないものを写しているというのが、星野の写真のすごさじゃないですか。それを補充するような文章があるじゃないですか。それが星野の良さなんですよね。『第三番』にも出てくる彼の知り合いのイヌイットの人も“彼は死んでいない”というんです。魂はずっと旅を続けているから、彼の旅はまだ続いているんですよ」
“もし星野さんが生きていたら今どんな写真を撮っていたのか”、そんなお話も奥様の直子さんとさせていただいたんですが、「アラスカの先住民と日本の繋がりを感じていた星野さんなので、もしかしたら、今頃日本人のルーツを探って日本に辿りつき、日本の写真を撮っていたかも知れない」と直子さんはおっしゃっていました。そんな“星野さんの旅の続き”に想いを馳せながら作品を見ると、また新しい想いを感じられるかもしれませんね。
現在、横浜高島屋の8階ギャラリーで開催中のこの写真展は約250点の作品ほか、星野さんが使っていた撮影機材やカヤックなども展示されています。
◎日程:10月30日(日)まで
◎開館時間:午前10時から午後8時まで。(最終日は午後6時まで)
◎入場料:一般・800円、高校生と大学生・600円、中学生以下・無料
星野さんの写真集はもちろん、エッセイ集『旅をする木』や『森と氷河と鯨』、そして遺作となった『ノーザンライツ』など、本も名作揃いです。また、星野道夫さんの素晴らしい写真で構成された2017年の卓上カレンダーも販売されています。いずれも詳しくは、星野道夫さんのオフィシャルサイトをご覧ください。