今週の放送で26年目に突入したベイエフエム/NEC presents ザ・フリントストーン。出演は、記念すべき第1回目のゲスト風間深志さん、そして、愛息の風間晋之介さんです。
1950年に山梨市で生まれた風間深志さんは、人類史上初の3つの偉業を達成した冒険レジェンド! その偉業とは、バイクでエベレストの6005メートルに到達! 同じくバイクで北極点、そして南極点にも到達した、すごい人なんです。82年には、日本人として初めて“パリ・ダカールラリー”に参戦し、バイクで6位入賞を果たしています。
そんなすごいお父さんの遺伝子を受け継いだのが、三人兄弟の末っ子で、現在32歳の風間晋之介さん。10代からモトクロスバイクに夢中になり、モトクロスライダーとして活躍後、現在は俳優としても活動しています。
そんな晋之介は「父が走ったダカールラリーに、父とともに挑みたい」という夢を持っていました。そしてついに今年、その夢が実現! 1月に行なわれたダカールラリーに、お父さんはチーム「SPIRIT OF KAZAMA」の監督として、本人はライダーとして初参戦し、見事完走! 二輪部門で“親子二世代完走”という日本初の快挙となりました。
今回は親子で挑んだダカールラリーを振り返り、その魅力をたっぷりと語っていただきます。
※世界一過酷なレース“ダカールラリー”は、以前は“パリ・ダカールラリー”と呼ばれ、その名の通り、フランスのパリから、アフリカのサハラ砂漠などを縦断し、セネガルのダカールを目指す12,000キロのレースでしたが、2009年から南米のアンデス山脈に舞台を移しました。
そして今回は、パラグアイからボリビア、そしてアルゼンチンのブエノスアイレスまでおよそ9000キロを、12日間かけて走るレースとなりました。
今回のダカールラリーでは、日本でも大人気のあの場所もコースに入っていました。
深志さん「“ウユニ塩湖”は知っていますか?」
●知ってます!
晋之介さん「とても綺麗ですよね」
深志さん「日本人なら多くの人が知っていると思います」
●ウユニ塩湖は、“死ぬまでに一度は行きたい場所”とよく言われていますよね。
深志さん「青空の下、白い大地の上をバイクで走ると、自分が浮いているような感覚になるくらい、素晴らしいロケーションなんです」
●そこをバイクで走るんですか!?
深志さん「そのために(観光で)100万円くらいかけて行く人もいるんだよね。そんなウユニ塩湖があるボリビアに僕らも行ったんだけど、1回も見なかったよな?」
晋之介さん「全く見なかったね(笑)」
●それはもったいないですね(笑)。
深志さん「レースをするために行ったからね」
●観光する余裕はなかったんですね。
晋之介さん「“あの辺りがウユニ塩湖だろうな”と思った程度でしたね」
深志さん「アンデスの山や遺跡などの文化的遺産や、人々で賑わっている場所も通ったり、アルパカに出会ったりもしたんだけど、写真を撮る暇はなく、ひたすら走っていたね」
●それはある意味、すごく贅沢かもしれませんね(笑)。
深志さん「晋之介は実際にバイクで走ったわけだけど、贅沢感は味わえた?」
晋之介さん「いや、“みじめ”に思ったかな(笑)」
深志さん「レースに出ている人はみじめに思うんだよ(笑)」
●(笑)。ウユニ塩湖のあとは、どこを通ったんですか?
晋之介さん「そのあとはアルゼンチンに入って、最後にブエノスアイレスでゴールしました」
深志さん「ブエノスアイレスは“南米のパリ”と呼ばれている、ものすごく綺麗な街だね」
晋之介さん「だからブエノスアイレスがゴール地点なのかな?」
深志さん「そうなんじゃない? 昔のダカールラリーはパリからスタートしていたから、それを意識しているのかもしれないね」
●その美しい都を目指して走っていたんですね。
深志さん「ところで一番暑い日で、気温は何度だった?」
晋之介さん「45度くらいだったね」
●えっ、45度もあったんですか!?
晋之介さん「湿度も98パーセントと、とても高かったですね」
●ミストサウナみたいですね(笑)。
深志さん「ほとんど“大気のウォーター”状態で、濡れたタオルが1回も乾かなかったほどだったよ。すごいよね」
●そういう状況で、約9000キロの距離を走ったんですよね。
深志さん「気温は、高い場所で45度」
晋之介さん「低い場所でマイナス3度くらい」
●そんなに寒暖差があるんですか!?
深志さん「標高は0メートルから」
晋之介さん「高い場所で5000メートル」
●すごいですね(笑)。
深志さん「自然条件も厳しいし、移動距離も長い。さらに“SS(スペシャル・ステージ)”という競技区間は全力で走らないといけないから、これがとても大変なんだよね。毎日700キロから900キロ走るからね」
●1日ごとに規定距離が決まっているんですか?
晋之介さん「そうです。毎日、スタート地点とゴール地点が決まっているんですよ」
●その規定距離を、毎日ひたすら走り続けるんですね。
深志さん「朝3時に起きた日もあったよな」
晋之介さん「朝4時にスタートしなければいけなかったからね」
深志さん「だから外はまだ真っ暗なんですよ。星空を見上げながら、闇の中をひたすら走るんだよね。4輪車は2人で乗るし、いわゆる“ボックス”の中にいるから、例えば、車中で音楽を聴けたり、ヒーターやクーラーもつけられるんですよ。ところが、バイクは“むき出し”の状態だし、話し相手もいないから、バイクは4輪車に比べて100倍くらい過酷だね」
●そんなに過酷なんですね。
深志さん「4輪車の人たちから(バイクのライダーは)気の毒に思われるね」
●なぜ、それでもバイクにこだわるんですか?
晋之介さん「バイクが好きだからですね。バイク以外でレースに出ようと思ったことは1回もないですね」
深志さん「かっこいいでしょ!?」
●かっこいいですね!
深志さん「いいこと言うでしょ?」
晋之介さん「エイプリルフールだからね」
一同「(笑)」
※特にバイクでは、自然の過酷さがダイレクトに伝わるダカールラリーですが、みなさんの応援があったからこそ、晋之介さんは完走することができたそうです。
晋之介さん「今回、僕らは資金の不足分を“クラウドファンディング”を使って募ったんですが、とても多くの人に応援していただけました」
深志さん「ありがたかったね」
晋之介さん「予想以上の人が応援してくれたので、そのことがレース中、辛い時に歯をくいしばる力になりましたね」
深志さん「むしろそのほうがよかったね。自分1人じゃなく、みんなの応援をいただきながらレースに出るほうが、おもしろい。バイクは特にキツイからね」
晋之介さん「走っている時はずっと1人で孤独なんですが、レースに出る前に多くの人たちから応援をいただき、それが背中を支えてくれている感覚があったから、辛いことも乗り越えることができました」
●もともと晋之介さんは、今回のレースに出たい気持ちはあったんですか?
晋之介さん「ありましたよ! 僕は冒険に行っている親父の姿を見ながら育ったので、“自分も同じようなことをやりたいな”、“北極や南極に行ってみたいな”と思っていたんですよ。なので、“いつか親父と2人でダカールラリーに出られるんじゃないか”とも思っていたので、今回、それが実現できたことがすごいうれしかったですね。今回は親父が選手ではないから、次回はレースに出る気になっているんですけど(笑)。来年は、本当に親子揃ってレースに出場したいなと思っています」
深志さん「レースには“それぞれのダカール”があるから、おもしろいよね。例えば俺のような60代の目線と、晋之介のような30代の目線では、ダカールラリーがどのように見えるかは違ってくるんだよね。ただ、自然がベースにあるレースだから、そこには過酷さもある。だけど、過酷さがあってこその人生なんだよね。“楽チン”な人生は、おもしろくないよな」
晋之介さん「そうだね」
深志さん「晋之介もようやく、そのことがわかる年齢になりました」
一同「(笑)」
●今回のレースを通して、そのことを強く感じたんですか?
深志さん「たぶん10代のころは、“苦しいんだけだよ”とか思っていただろ?」
晋之介さん「そうかもしれないね。ただ、10代のころにモトクロスバイクのレースに出たりもしたから、苦しい気持ちだけでもなかったかな」
●お父さんからみて、晋之介さんの活躍ぶりはどうですか?
深志さん「3人いる兄弟の中で一番ラリーに向いているかな。想像力や柔軟性もあって、 “へこたれるかな?”と思っていたけど冷静だったし、俺の想像以上に上手く走っていたから、これからの成長が楽しみだね。自分のベストを尽くして、自分が“よくやった”と思えるレースができれば、1等賞や2等賞にならなくてもいいんですよ。これから先、5年間ぐらい晋之介はレースに出るんじゃないかな」
●お父さんはこうおっしゃっていますが、晋之介さんはどうですか?
晋之介さん「長い目で見てもらえればな、と思っています。今回は67位という成績でしたが、本当はあと10くらい順位を上げたかったんです。
また今回、初めてダカールラリーに出て、レースの組み立て方などを勉強することができたので、また来年レースに出たら、もう少し上を狙えるかな、と思っています。というのも、ペース配分については、12日間走る中で休息日が真ん中に1日あるので、そのことも考えて、レースの前半は8割のペースで走り、後半は9割のペースで走るなど、いろいろなペース配分の仕方があると思います。
ただ、僕は今回、初日から3日目までは50パーセント以下のペースで走っていたんです。初めてのレースで何もわからなく、ケガをしてもバイクを壊してもだめなんで。転んでしまうだけでレースが終わってしまう可能性もあるので、とてもペースを抑えていました。実際はペース配分を6割にも7割にも上げられましたし、そのやり方も今回のレースでわかったので、来年レースに出たら、初日からそのペースで走れたらずいぶん楽になると思います」
●実は以前、私はヨット部に所属していまして、ヨットでは海上でナビゲーションする際に、コンパスを使って方角を決めてから航路を決めていたのですが、バイクはどうやって進路を決めてたんですか?
晋之介さん「バイクでもコンパスを使います。デジタルのコンパスなのですが、例えば“86キロ地点を右の方角に50度”と判断することもあります。ほかのバイクが走って、道のようになっているところをたどったりすることも多いです。
また、川底は何本も分かれていることがあって、(マップに)何も表示されないこともあるんです。その場合は、自分よりも前に走って行った人のタイヤの跡をたどっていきます。
トップで走っている人たちは、これまでの経験やコースを作っている人の“癖”を読んで“ここを進んで行けばいいはずだ”と判断して進んで行くんですね。でも、これはすごい難しいですね。その判断が間違うことも当然あり、僕が走っていると正面から他の選手のバイクが来て、すれ違うこともあるんですよ」
●コースを戻ってしまっているんですね(笑)。 晋之介さん「同じレースをしていて、同じ方向に進んでいるはずなのに、逆から他の選手のバイクが来るんですよ」
●そういう時は、“あいつ、やっちゃったな”と思いながら見送っているんですか?
深志さん「いや、どっちが正しい道を走っているかはわからないんですよ。自分も同じ“罠”に陥ってコースを逆走しているかもしれないからね」
●レースというよりも、冒険のようですね。
深志さん「だからダカールラリーは、昔から“冒険ラリー”と呼ばれているんだよね。冒険要素が多いから、それがまたおもしろいんだよね。そこが単なるスプリントレースとは違って、一般の人たちが関心を持ってくれたり“頑張ってね!”と言ってくれる要因だね。結構命がけなんですよね。
例えば、どうやって伝書鳩はもとの場所に帰ってくるのか不思議に思うけど、その不思議さを僕らもバイクを通じて体験しているんだよ。サケも母川に帰って来るよね。アリューシャンの方から何千キロも泳いで気仙沼やいろいろな川に帰っていくけど、一体どうやって帰っているんだろうと思うよね。けど、サケができるんだったら、人間にもできるはずなんだよ。その時に必要な感性や本能が試される部分もあるから、ダカールラリーはおもしろい!」
●レースを進めていくにつれて、自分の感性が研ぎ澄まされていくような感覚はあるんですか?
晋之介さん「レースも後半になるにつれて、コースの読み方が鋭くなっていくので楽になりますね」
深志さん「トレーニングをする場合も、都会にいて会社を往復するだけの生活じゃ絶対によくならないよ。トレイルランニングに行ったり、自然の中に行って遠くを見たり、ヨットに乗ったりと、いろいろな経験を積んでいくことで、ナビゲーション能力が研ぎ澄まされていくんだよね。だからアウトドアはおもしろい!」
晋之介さん「昔、800段くらい階段がある神社でトレーニングを、毎日1時間半くらいしていたんですが、夕方になると真っ暗になって、そうすると鳥やサルの鳴き声、風で木がざわめく音や水が流れる音など、普段聞こえない音に対してとても敏感になるんですよ。そのような自然の中でトレーニングをして、自分の体の先端まで意識を高めていくと、研ぎ澄まされて見えてくるものがありますね」
深志さん「いい話するね! すばらしいね、晋之介さん!」
※まさに“冒険ラリー”と呼ばれるにふさわしいダカールラリーですが、そこには過酷さだけではなく、心温まる体験もあったようです。
晋之介さん「レースが始まって2日目くらいに、その日のゴールまであと12キロの地点で、4輪のトラックに止められたんですよ。“どうした?”って聞いたら、“ガス欠だからガソリンを分けてくれないか”って言われたんですよ。なので、昔ガソリンを入れた時のように、チューブを入れて、口で吸ってガソリンを入れたんですよ」
深志さん「でもその方法だと結構ガソリンが入っちゃうんですよ。そしたら(ガス欠になって)今度は、自分が遭難騒ぎになりかねないんだよね」
晋之介さん「ゴールまであと12キロということはわかっていたので、ガソリンを分けても大丈夫だとは思っていたんです。
あと、僕はバイクも助けているんですよ。ゴールまで残り10キロの地点で、ライダーに手を振られて、また僕は走るのをやめちゃったんです。“また止まっちゃったよ”とか思いながら、“どうした?”って聞いたら、“牽引してくれ”って言われたんですよ」
深志さん「“ええ!?”って感じだよね」
晋之介さん「バイク同士で牽引するんですけど“止まったからにはしょうがない”と思って、そのバイクを引っ張りながら走っていったんです。ただ、 “俺より先に走っていたライダーということは、俺よりも順位が上のはずだから、このまま助けてよかったのかな”とずっと思いながらゴールまで走っていました」
一同「(笑)」
深志さん「よくやったよね。でもそんな話は、ゴールしても全く僕にはしないんだよね」
●そうなんですか!?
晋之介さん「しないですね(笑)。その話には続きがあって、こうして僕のやったことが全部、そのあとのダカールラリー中に、僕のもとに“返ってきた”んですよ。
バイクを牽引してゴールした日に、僕のアメリカ人の友人が“お前、さっきバイクを牽引してただろ。誰かを助けることは、いいことだ。良い行ないは‘カルマ'として絶対に自分のもとに帰ってくるよ”って言われたんですね。
そのあと、“ステージ10”と呼ばれる、ナビゲーションが一番難しい日があって、その日は2時間ぐらい道に迷っていました。そしてやっとオンコースに出られて“またレースに復帰しよう”と思っていたら、僕が牽引して助けたライダーが手を振って、逆走しながらこっちに向かって来たんですよ。 “どうしたんだ?”って聞いたら、“チェックポイントは通過したのか?”って言われたんですよ。
実はレースにはチェックポイントがあって、それを1つ間違えると1時間のペナルティが課せられてしまうんです。僕は “チェックポイントはわからない”とそのライダーに言ったら、彼は僕のGPSをチェックしてくれて、“これだとまだチェックポイントが取れていないから、取りに戻ろう!”と言って、一緒にチェックポイントまで戻って、取ってから2人で再びオンコースに戻ったんですよ。そのライダーがいなかったら僕は1時間のペナルティをもらっていましたね。その場合、さらに10個は順位が落ちていたはずなんです」
●そんなに順位が落ちてしまっていたかもしれないんですか!?
深志さん「あの時牽引したことによって、結果的にロスした時間をはるかに上回るほどの時間を取り戻したんだよな。普通は、他のライダーにそういうことは教えないからね」
●教えてしまったら、相手の順位を上げることになってしまうからですね。
晋之介さん「そのライダーは、僕の存在に気付いたから来てくれたんですよ」
●とてもいい話ですね。
深志さん「やっぱり、いいことはするもんだね」
晋之介さん「さらに、僕が助けたトラックのドライバーも、そのあとに僕を助けてくれたんですよ。競技区間が終わって、キャンプ地に帰ろうと思った時に、僕のトリップメーターが壊れてしまったんです。トリップメーターがないとコマ図が読めなくなってしまい、ナビゲーションができないんですね。仕方がないので主催者のバスを見つけて、そのバスについて行ったんですけど、バスはものすごく遅かったので、“このままだと日が暮れる!”と思っていたら、そのトラックが後ろから来たんですよ。なので僕は手を振って、ジェスチャーで“俺のナビゲーションが壊れているから、お前の後ろについていく”と伝えて、ずっと後ろをついて行き、キャンプまで帰ることができたんです」
深志さん「ちゃんと自分に戻って来るんだな」
晋之介さん「本当に戻って来る」
●本当にそうですね!
※この他の風間深志さんのトークもご覧下さい。
お父さんが偉業を成し遂げたレースに出るということは、晋之介さん的にはかなりプレッシャーもあったんじゃないかと思います。それでもレースに果敢に挑み、そして日本初「親子二世代完走」成し遂げたことは本当に素晴らしいですね! 次回の挑戦が、今から楽しみです。
風間さん親子の近況は、風間深志さんのオフィシャルサイトをご覧ください。
風間深志さんが代表を務めるNPO 法人「地球元気村」では、アウトドアでの体験イベントなどを実施。また、会員も随時募集しています。詳しくは「地球元気村」のオフィシャルサイトをご覧ください。
風間さん親子が挑戦し、見事完走を果たした「ダカールラリー」は、来年の2018年で40回目を迎え、南米でも10回目の大会という節目のイベント。大会はペルーの首都、リマからスタートし、ボリビアを目指してアンデス山脈へ。その後、両国の国境にまたがるチチカカ湖沿岸を走行して、ボリビアへ入国し、立法府などがあるラパスを目指します。来年1月6日から20日まで、全14ステージ、15日間に及ぶ戦いのゴールはアルゼンチン第2の都市コルドバです。
詳しくは、「ダカールラリー」のオフィシャルサイトを御覧ください。