今週のベイエフエム/NEC presents ザ・フリントストーンのゲストは、東京農工大学 名誉教授・福嶋司(ふくしま・つかさ)さんです。
福嶋さんは1947年、大分県生まれ。東京農工大学の副学長を経て、現在は名誉教授。専門は植生管理学。主な著書には『いつまでも残しておきたい日本の森』や『森の不思議 森のしくみ』などがあり、文字通り、森や植物のスペシャリストでいらっしゃいます。
そんな福嶋さんは先日、新刊『東京の森を歩く』を出されました。そこで今回は、まだまだ知られていない“東京の森”の魅力について、たっぷりとお話をうかがいます!
※実は江戸時代、東京の森はある意外な使われ方をしていたそうなんです。
「浜離宮(はまりきゅう)はひとつのいい例だと思うのですが、徳川吉宗が浜離宮で行なった面白い話がいくつかあります。吉宗はいろんなことに関心を持ったり、積極的な将軍だったようで、例えばゾウという生き物がいると聞いた際には、“ぜひ見てみたい! せっかくなら飼ってみたい!”と思ったそうなんですね。そして、わざわざベトナムまでゾウを注文し、長崎に取り寄せ、ゾウを歩かせて浜離宮まで連れてきたんです。そしてそこで飼っていたのですが、エサ代が大変高かったので、“誰かゾウを飼ってくれないか”というお触れを出し、それを見て集まった地方の有力な3人の農家の人たちが、以後そのゾウを飼った、という話があります。
面白いのは、ゾウの糞にはいろんな効用があるということで、“象洞(ぞうほら)”と称して、丸薬(がんやく)や飲み薬にして売り出した、という話もあることです。浜離宮にはそういう歴史があるんですね。また、浜離宮はサトウキビを栽培した場所でもあるんです」
●それはなぜでしょうか?
「砂糖はその当時、大変高価なものでしたよね。吉宗は、そういうものを自分のところで育ててみたい、と思ったのではないでしょうか。また、サトウキビは南の方にありますよね。なので、“江戸で育つのだろうか”という関心もあったのかもしれませんね」
●実際にサトウキビは江戸で育ったんですか?
「育ったみたいですよ! あと、浜離宮にはトウカエデという楓が植えられています。現在では街路樹や公園など、どこでも見られますが、吉宗の頃に初めて日本にやってきた、それも献上されてきた楓なんですね。その当時に植えられた楓が、今なお5本ほど残っているんです。秋になると紅葉してオレンジの葉になり、若葉は黄緑色で美しい、りっぱな楓ですよ! ぜひご覧になってください」
●今度、見に行ってみます!
※それでは、東京の森には実際に、どんな森があるのかをうかがってみましょう。
「東京の森にも、いろんなタイプがあります。埋立地につくられた森もあれば、雑木林もありますし、西の方には武蔵野や奥多摩など、昔の自然のままの森があります。都心の公園にはまた、公園特有の森もあります。このように、場所によってタイプの違う森があります」
●東京の面積に対して、どれくらいの割合で森はあるんですか?
「東京には36.5パーセントの森があると言われています。驚くことに、埼玉や千葉よりも森が多いんですよ! 埼玉は森林面積が32パーセントで、千葉は31パーセントなんです」
●そうなんですか!? 昔から東京には、それだけたくさんの森があったんですか?
「人が生活する前は、東京には森がずっと広がっていたと思うんですが、人が生活し始めてからは東京の開発が進み、奈良時代以降は開墾されていき、荒地になっていったんです。そして、江戸時代になって雑木林がつくられるようになりました。こういう歴史の中で、質の違う森がだんだん出来てきたんですね」
●人の手が加わった森がたくさんあるというのが、東京の森のひとつの特徴なんですね。
「そうですね。海岸に近い埋立地にある森は、人がつくった森ですが、その中でも、今から350年あるいは400年前に埋め立てられた浜離宮に行ってみると、立派な常緑の森がありますよね。この森も、もとは人が植えたものですが、今では自然林とほぼ同じような植物の構成になっているんです。
ところが、例えば東京湾にある野鳥の森公園などは、昭和になって埋め立てたところにつくった森ですよね。すると、同じ埋立地にある森でも違いが出てくるんです。歴史的な違いが、森の質にも反映されているんです。
また、目黒駅から歩いて10分ぐらいのところに、自然教育園という場所がありますが、そこはもともと松平讃岐守の下屋敷でした。つまり、人が生活していた屋敷だったんですね。そこにつくられた森なんです。さらにその近くには、明治神宮があります。明治神宮は100年、150年先を見越して昔の人が計画的につくった森なんですね。今では本当に自然の森のように見えます。やっぱり昔の人は偉いですね」
●それぞれの森には目的があって、だからこそ東京にはいろいろな形の森があるんですね。
「そうなんです。なので、東京の森を一言で表すと、“非常に多様性のある森が、各地域ごとに広がっている”ということですね」
●それだけ、私たちの生活と森が密接な関係にあったということですね。
「森はつくれるようでいて、つくれないんですね。自然に任せて森を大きくしてもらって、それを私たちは利用させてもらっているので、時にはそういった森を気に留めることも大切だと思います」
※実は東京の、ある森が多くの人の命を救ったことがあるって知っていましたか? 早速、先生に聞いてみましょう。
「清澄庭園(きよすみていえん)に行った時に、ぜひ意識していただきたいのが、“緑が果たした効果”です。通常、植物は火に対して、燃えるものですよね。しかし、状況によっては燃えにくくもなるんです。水分をたくさん含んでいる植物には、なかなか火はつきにくいんですね。この効果がはっきりと現れて、2万人もの人を救ったという例が、関東大震災の時にありました。
それが清澄庭園でのことなんですが、関東大震災が発生した時にそこに逃げ込んだ人は助かり、そこに逃げ込まなかった人は焼死してしまったんです。このような比較ができる場所としては、例えば、隅田川沿いにある横網町公園や、陸軍被服廠跡(ひふくしょうあと)です。陸軍被服廠跡は4ヘクタールくらいで、周りがトタンで囲まれた空き地だったようですが、そこに4万人の人が逃げ込んだんですね。ところが周囲が燃えてきて、やがて熱旋風が発生してしまい、3万8000人が焼死し、性別を判定できた人もほんのわずかでした。
一方、清澄庭園も同じく隅田川の近くにあって、4ヘクタールくらいで、そこに2万人が逃げ込みました。清澄庭園の周りには土手があり、その上には常緑のシイの木やカシの木、イチョウがあったんですが、それらの木が外から来た火を防いで、2万人全員を守ったんです。清澄庭園の中には池がありますが、そこに植えられている松の木は外からの熱で茶色くなってしまいました。清澄庭園の周りに生えていた木々は、外側は焼けてしまいましたが、庭園側の葉は緑が残っていたそうです。つまり、“木が火を防いだ”という大事な事例が清澄庭園にはある、ということですね」
●森というと、私は山火事をイメージしてしまい、火事の時は危ないんじゃないかと思っていましたが、むしろ森は、火事から私たちを守ってくれるんですね!
「同じような例で、第二次世界大戦後期ごろ、明治神宮に焼夷弾(しょういだん)が落ちたんですが、森の中に落ちたものは、森が湿っていたために火が広がらなかったそうです」
●森ってすごい大事ですね。
「そうなんです。例えば自然教育園の周囲には土塁があるんですが、その上にシイの木やカシの木が植えられています。これは明らかに、昔の人が外からの火を防ぐために植えた、いわゆる“火ぶせの木”なんです」
●ますます森が好きになりました! ありがたいなと思いますね。
「今はただ単に、機械的な消防意識だけで“備蓄倉庫を備えておけばいいだろう”という考えが支持され、多くの公園が“丸坊主”な状態になっていますが、それでは災害時の効果は落ちてしまうと思います。しっかりとした意識を持って、森をつくったほうがいいと思いますね。自然の力を借りながら人の安全を守っていく、ということも考えていかなければいけないと思います」
※最後に、先生の本にも書いてある、桜にまつわる興味深い話を聞いてみます。
●北区の飛鳥山にある桜は、徳川吉宗が植えたものなんですか?
「そうですね」
●その桜は、もしかしてソメイヨシノですか?
「いえ、ソメイヨシノは江戸の末期につくられた桜なので、吉宗が生活していた1730年代には、まだなかったんですよ。ところでなぜ、“ソメイヨシノ”という名前なのかわかりますか?」
●漢字で書くと、“染井吉野”ですよね。なぜでしょうか?
「“染井村”という、東京にある村が由来なんです。その村で桜を売り出したんですね。最初は“吉野桜”という名前で売り出そうとしたんですが、その名前の桜はすでに奈良にあったんです。そこで、売り出す場所の名前も付けることになり、ソメイヨシノという名前になったと言われています。
吉宗が植えた桜は飛鳥山以外にもあり、玉川上水沿いにある小金井公園の近くの桜もそうなんです。玉川上水が1654年にでき、吉宗が政治をとったのが1730年以降です。そこから玉川上水沿いに新田が開発されていくわけですが、やがて“玉川上水をどうやって維持していくか”という課題が出てきました。そこで、桜を植えることになったんです」
●なぜ、桜を植えるといいんですか?
「土手に桜の木が植えられていたら、みんなが桜を見にきますよね。たくさん人が集まると、地面が踏み固められていきます。すると、玉川上水が土砂崩れを起こしにくくなるんですよ。これが、ひとつめの理由です。
ふたつめの理由は、例えば桜餅を食べると独特の匂いがしますよね。それはクマリンという成分なんですが、これには消毒作用があるということが昔から言われているんです。そんな成分を含んでいる桜の葉が玉川上水に落ちれば、水の浄化になるのではないか、ということも考えられていたそうです。
さらに、三つめの理由は、今様な感覚ではありますが、桜が咲いたら有名になり、有名になったら人が集まる。そして人が集まればお金が落ちる。このように、町おこしの発想もあったようですよ。こういう歴史の中で、小金井桜はつくられたんですね。小金井公園のすぐ横にありますので、そういう観点からご覧になると、また違ったよさがあると思います。玉川上水の桜と、小金井公園の桜で、1日中楽しめると思いますね!」
実は東京の3分の1が森とは驚きでした。昔の人達が上手に森を利用していたから、大都会でもここまで森が残ったのかもしれません。そう考えると、次は私達が次世代に東京の森を残せるように、大切にしていきたいですね。
講談社/税込価格1,058円
新書ですが、カラー版なので写真も多く掲載されています。表紙に「知られざる豊かな自然を楽しむための決定版ガイド」とあるように、23区内にある公園はもちろん、郊外の公園、そして高尾山をはじめとする多摩の森の解説が載っています。講談社現代新書シリーズの一冊として絶賛発売中です! 詳しくは講談社BOOK倶楽部のオフィシャル・サイト内詳細ページをご覧ください。