今週のベイエフエム/NEC presents ザ・フリントストーンのゲストは、低山登山家・加藤浩二(かとう・こうじ)」さんです。
加藤さんは1952年、横浜生まれ。高校生の時にワンダーフォーゲル部に所属し、登山を始めます。1999年、47歳で「日本百名山」を制覇。その後、低山の魅力にとりつかれ、すでに280以上の低山を登ってらっしゃいます。
今回はそんな、日本全国の低い山を登り続けている加藤さんに、低山だからこその魅力や、千葉県のおすすめ低山を紹介していただきます。
※“低山”といっても、一体どれくらいの高さの山が“低山”なんでしょうか。まずは低山の定義をうかがいました。
「私の定義では、“国土地理院の地形図2万5千分の1に、50メートル以下の山として名前が載っている、もしくは都道府県の最低峰”ということで(低山登山を)始めました。ですが、(その定義だと低山は)全国に149あって、それを全部登っちゃったもんですから、今はちょっと枠を広げて、地図には載っていないけれども、地元で“山”と呼ばれているようなものを登っております」
●149の山も全部登っちゃったんですね! 50メートル以下、ですか……低いですね(笑)。マンションの1階が3メートルぐらいじゃないですか。そうなると、15階ぐらいの高さの山、ということでしょうか。
「ただ、それが海面から50メートルだと、けっこう高いですよ!」
●じゃあ、結構登るのも大変ですか?
「大変な山もあります」
●ちなみに、一番低い山っていうのは、どれくらいの高さなんですか?
「国土地理院の地形図で名前が載っている一番低い山っていうのは、仙台にある“日和山(ひよりやま)”っていう山で、標高が3メートルです」
●3メートルですか!? じゃあ、マンションに例えると1階ぶんの高さじゃないですか(笑)! もう、あっという間に登っちゃいそうですね。
「この山は、東日本大震災の前は6メートルあったんですけれど、今では3メートルになって、ほとんど段差がない状態ですね」
●そういうふうに、高さが変わる山っていうのもあるんですか?
「人工的に壊されたりした山とかもあります」
●そうなんですね。それでは、加藤さんはなぜそんな低山にハマってしまったのでしょうか?
「私はもともと山登りが好きで、高校時代はワンダーフォーゲル部、大学時代はハイキングサークルにおりまして、高い山を登っていたんですね。ところが、子育ても終わったんで45歳の時にもう一回山登りを始めて、当時流行っていた“日本百名山”にチャレンジしたんですが、それを2年ちょっとであっという間に登っちゃったんです。そこで、“今度の目標は何にしようかな”というところで、ちょっと喪失感があったんですね。
そんな時に大阪に出張をして、そこで天保山(てんぽうざん)という、その当時の日本一低い山と出合ったんです。その山は4.53メートルなんですけれども、大阪のウォーターフロントにある山なんですね。その時は仕事の帰りだったんでスーツで登ったんですけれど、登るというよりはもう、“歩く”というような所でした。
(登ってみると)目の前に海が広がっておりまして、私は歴史が好きなんですが、天保山っていうのは、徳川幕府が崩壊した時に鳥羽・伏見の戦いで敗れた徳川慶喜が、天保山沖に止めた幕府の軍艦で江戸に逃げ帰ってくる、そんな歴史があるんですね。“それが、ここかぁ……”と、その時の情景がまざまざと浮かんできまして、“こういう山登りも面白いなぁ”ということで、ハマっていきました」
※日本百名山をも制覇した加藤さん。そんな加藤さんにとっては、すぐ登れてしまう低山は、ちょっと達成感がないようにも感じますが……どうなんでしょうか?
「低山は低山なりに、それぞれ達成感があるんです。低山は情報が限られているんですね。天保山なんかはいくらでも情報があるんですけれど、知られていない山っていうのは情報が少ないんです。なので、そういう山にどうやって登ろうかということで、地図を見ながら頭の中で考えていくという、そういう違う楽しみ方があるんです。それを1日にいくつかできるのも、低山の楽しみなんです」
●高い山だと、ガイドブックがあったりインターネットとかにも情報が溢れていますけれど、低い山はそこまで情報がないですもんね。
「特に私が始めた頃は、パイオニア的でしたので(笑)、誰もそんなものに興味を持っていなかったみたいでしたね」
●自分だけのオリジナルのルートとかを考えて攻略するのが楽しかったんですね! そして、先ほどもおっしゃっていた、歴史も学べたり体感できるもの魅力ですよね。
「低山っていうのは、人との関わりが非常に深いんです。ですから、歴史とか文化といった、裏にある物語性っていうのが非常に面白いんです。例えば、日和山は昔、帆船で出入りしていたわけですけれども、船が出航する際に、天気をみるような山だったんです。こういう山が、全国の港にいくつもあるんですね。
現地に行くと、よく故事来歴を看板で出している山がいくつもあります。それを見ると本当に勉強になるんですね。例えば、徳島にある弁天山(べんてんやま)という山は、自然にできた山の中では一番低い山と言われているんですけれども、平安時代は海の中の島だったんですね。源義経が屋島を攻める時に、この弁天山のそばに上陸して攻めていった、ということが書かれているんです。こんな所に急に義経が出てくるなんて思いもよらなかったんで、“ああ、本当に勉強になったな”と思いましたね」
●その歴史が浮かんできそうですね!
「そうなんですよ! 天保山でもそうですけど、その歴史が目に浮かんでくると、本当にその山の魅力が増すと思います」
●そうなんですね。ちなみに“低山”なので、どの山もすぐに登頂できちゃうんじゃないかなと思うんですが、登頂できなかった山ってあるんですか?
「9割ぐらいは道があるんですが、1割ぐらいは道がない山もあります。特に印象に残っているのは、新潟県の村上市にある“鳥越山(とりごえやま)”なんですが、これは海岸沿いにある、50メートルの断崖絶壁の山でして、途中まではなんとか藪(やぶ)を抜けながら行ったんですが、それから先はもう岩山で、危険を感じたので登頂を断念しました」
●低山でもそんなスリリングな場面に出くわすんですね!
「あとは、静岡県の安倍川の中洲にある“舟山(ふなやま)”っていう山は、両側に急流が流れているんですね。ですから最初に行った時は、12月だったし水も冷たいし諦めたんです。そこで、“どなたか舟山に行かれた方はいませんか?”と私のHPで聞いていたら、“実は自分が行った”と言う方がいらっしゃいまして、6年後にリベンジが成功しました! この時はアユ釣り用の、底がフェルトの滑らない靴を履いて、登山用のステッキを持って、股ぐらいまで水に浸かりながら必死に登りましたね(笑)」
●低山と言えど、結構ハードですね! 低山っていろんなタイプがあるんですね!
「そうですね。地元と親しんでいるんで、道がちゃんとできているところがほとんどなんですけれども、やっぱり忘れられた低山っていうのもありますから、そういうところは藪になっちゃっていますね」
●親しまれている低山と、忘れられた低山、どっちの方が好きですか(笑)?
「どっちも好きです(笑)」
●さすが、低山登山家!
※それではここで加藤さんに、千葉でオススメの低山をうかがいました。
「木更津市にある“太田山(おおたやま)”は標高が40メートルの山なんですけれども、この山は非常に景色も良くて印象深い山でした。山頂に展望台があって、そこから東京湾が見られるんですが、“木更津”という名前のもとになったのが“きみさらず”っていう言葉なんですけれど、これは日本武尊(やまとたけるのみこと)が嵐の海で弟橘姫(おとたちばなひめ)という奥様を亡くされたことを悲しんで、この太田山に登ってずっと海を見ていたんですね。“君(=日本武尊のこと)が去らなかった”ということで、“きみさらず”から“木更津”という名前ができたという案内が書いてありました」
●へぇ〜! 木更津の名前の由来が感じられる山ということですね。いいですねぇ、日本武尊と同じものを同じ目線で観られるんですね。他にもファミリーで楽しめたり、初心者の方にオススメの低山ってありますか?
「私がオススメしているのは、これは東京なんですけれども、“お江戸の低山巡り”っていうのを推奨しています。浅草にある“待乳山(まつちやま)”は9,7メートル。それから上野の“摺鉢山(すりばちやま)”は23,3メートル。そして新橋の“愛宕山(あたごやま)”は25,7メートル。これは銀座線の沿線にあるんですけれども、だいたい半日ぐらいで全部周れるんですよ」
●半日で3つの山を制覇することができるんですか!
「それも全部、歴史のある山ですから、いろんな面白さがあるんじゃないかなと思います」
●それ、いいですねぇ! 半日コースでいろんな山を登れるんですもんね! 私、ずーっと気になっている山があって、品川から京急線に乗ると、北品川のあたりだと思うんですけれど、岩山というか、そんな山がありますよね! あれも低山なんですか?
「一応、低山なんですけれど、あれは“富士塚(ふじづか)”というジャンルなんですね。品川富士だったと思うんですけれど、ちょうど目線が富士塚とぴったり合うようになってますよね。私も初めてあそこを通った時にすごいびっくりしたんですけれども、昔は“富士講(ふじこう)といって、”みんながお金を出し合って(代表が)富士山に行っていたんですね。でも、そうすると他の人は富士山に行けないから、その人たちのために富士山の溶岩を持って帰って山を作って、それを登ってみんなが拝んだというのが、江戸時代の末期から明治時代にかけてあったんです。なので結構、関東地方には富士塚が残っていますよね」
●そうなんですね! じゃあ、今でも富士山に行けない人はそこに登ればご利益があるということですね(笑)!
※低山をこよなく愛する加藤さんは、低山を守るため、最近では里山保全の活動もされているそうです。
「低山の多くが、地元で非常に愛情を持って大切にされているんですね。なので、私が低山を訪れた時もいろいろと説明してくれたり、綺麗に整備していたりということから、そういう愛情を感じていたので、“自分も少しでもお役に立てたらな”と思ってボランティア活動に参加するようになりました」
●長年、低山を登ってきて何か環境の変化を感じたりはしますか?
「都会に近い低山は、崩されていってだんだん山じゃなくなってきたりということもあったりと、ちょっと悲しいですね」
●じゃあ今、低山は減少傾向にあるんですか?
「確かに減少傾向にはあるんですけれども、地図に載るかどうかということに関して言えば、低山を地図に載せようという動きもあるんで、その数でいうとちょっと増えていますね。地元の人がみんなで協力して“地図に載せてください!”と自治体に陳情すれば載せてくれるということですね」
●自分たちで申請して、山として登録されるということも可能、ということですか?
「そうですね。(そうして登録された山を)2つほど知っていますけれども、1つは先ほども言った、大阪の天保山ですね。一回、地図から消えてしまったんですけれども、また復活しているんですね」
●このラジオを聴いているリスナーの方で“あれっ? うちの近所にも、山があるよなぁ……”って思う方がいたら、申請した方がいいですね!
「自治体にやってもらわないといけないですけどね」
●加藤さんのHPでいろいろとチェックするといいかもしれませんね。ちなみに、次に登る予定の低山はありますか?
「茨城県の北に“いぶき山”っていうのがあって、そこはイブキが自生している北限なんですね。ですから、この低山にはぜひ行ってみたいと思っているんですけれど、情報によるとイブキを守るためにフェンスで囲っちゃったらしいんですよ(笑)。なので、登ることは叶わないんですけれど、近くには行ってみたいなと思います」
●(笑)。でも、ちょっと冒険に近いというか、宝探しみたいにワクワクするのが“低山登山”なのかなと、今回お話を聞いていて思いました!
「そうですね。実は今年の3月の初めにも、小笠原の父島にある低山に登ってきたんですね。この山はどうしても気になっていたんで、13年越しにようやく行けました」
●13年越しにようやく登ってみて、どうでした?
「すごく達成感がありましたね。13年間温めてきた目標ですから、感激しましたね」
●そこで見た景色はどうでしたか?
「やっぱりねぇ……すぐそこに海があって、波が砕けているんですけれども、50メートルぐらいの岩山なんで、すごく展望がいいんですよ。天気もよかったんで、言うことなかったですね!」
●では最後に、“今週、低山に行ってみようかな”と思っているリスナーの皆さんに、改めて低山の魅力を伝えていただけますか?
「低山にはいろんな隠された物語があって、そういった低山巡りをすることで過去の歴史とか文化がわかってきます。そういうことが楽しいんですけれども、低山巡りっていうのは結局、日本を再発見する旅なんだなっていうふうに思いますので、皆さんもぜひ、やってみていただきたいなと思います」
低山登山は、山を登った達成感だけでなく、そこにある歴史や文化も感じる事が出来るんですね。高い山に行く時間はないけど、ちょっとリフレッシュしたい時、自然と親しみたい時、低山登山してみようと思います。
加藤さんがこれまでに登った低山のリスト、そして登った時の感想や写真など、詳しくは加藤さんのサイト「低山倶楽部」をご覧ください。