今週のベイエフエム/NEC presents ザ・フリントストーンのゲストは、自然科学ライター・川上洋一(かわかみ・よういち)さんです。
川上さんは1955年、新宿生まれ。1970年代から環境教育に携わり、自然の豊かさなどを紹介する記事を執筆。そのかたわら、里山に棲む生物の調査や保全活動にも取り組んでらっしゃいます。最近では、都内の生き物たちを探すテレビのバラエティ番組でも活躍されています。
そんな川上さんが先ごろ、『東京いきもの散歩〜江戸から受け継ぐ自然を探しに』という本を出されました。実は新宿、柴又、羽田などで、タヌキやオオタカなどが220種も発見されたそうなんです! そこで今回は、川上さんに都内で自然と歴史を楽しめるお勧めスポットなどうかがいます。
※“大都会”東京なのに、一体なぜ、そこまで生き物がいるのでしょうか?
「結構、東京の自然って江戸から受け継がれたものが多いんですよ。それで、そういう場所に生き物がタイムカプセルみたいに棲み着いていたりするんですね。そういうのを足がかりに、郊外の方からまた(生き物が)来たり……そういう場所なんですね」
●江戸から受け継がれているんですか?
「ええ。昔は江戸の町って、7割ぐらいが大名屋敷だったんですよ。大名屋敷っていうのは接待なんかにも使われている、大使館的な意味があったものですから、広い庭があって、いろんな木が植えられていたんですね。その庭園の中には、かなり名園っていうのがあったものですから、明治時代に入ってから、“つぶしちゃうのはちょっと、勿体無いな”ということで、例えば明治の頃に大臣になった人が自分の屋敷にしたりとか、大学になったりと、いろんな形で受け継がれて、残されてきたんです」
●そういうことなんですね。確かに、東京って土地がないのに、いきなりもの凄い敷地で緑の場所がボーン! ってあったりするじゃないですか。ああいうのはじゃあ、江戸時代の名残というか、残ってきたものということなんですね。
「そうですね。だから例えば、海外からミュージシャンとかが来るじゃないですか。そうするとだいたい、赤坂近辺でフェスをして、ホテルに泊まって(窓から外を)眺めると、お堀沿いの緑とか、赤坂御用地とかが見えるんですね。あと、ライヴを北の丸の武道館とかでやると、ずーっと緑なんですよね! なので、“東京はすごい自然が豊かな、クールな街だ!”という印象を持って帰るみたいですね」
●なるほど(笑)。東京にいるのに不思議な感じもしますけど、でもそれぐらい、東京にも自然は残されているということなんですね。
「特に、東京の山手の方ですね。東京って、低地のほうの下町と、それから高台の山手っていうふうに、しっかりと分かれているんですよ。山手線が通っているあたりがだいたい、山手の地域なんですけど、そこと下町って標高差が20メートルぐらいあるんですね」
●あ、そんなにあるんですか!?
「だから結構歩いてみると、例えば渋谷や六本木とか、あの辺って凄く坂が多いんですよね。それはやっぱり、大地のほうの、ヘリのほうにあるからですね。そういう場所に大名屋敷が集中して建てられていたんです」
●大名屋敷を楽しめるコースってありますか?
「そうですね、神田川の北側に、ちょうど山手がずっと続いているんですが、(そこは)昔の大名屋敷の跡が公園や大学といった形で残されているんですね。そこを“たぬきロード”というふうに名付けているんですけど、そこにはかなりタヌキがいるんですよ。恐らく、緑の間を行き来しているんだと思うんですけど、いくつものタヌキの家族がそこに住んでいて、あちこちで目撃談があるんです。それぐらい自然が残っている場所なんで、歩いてみると結構面白いんじゃないかと思いますね」
※そんな大名屋敷を感じられる「山手たぬきロード」の、詳しいルートをうかがってみましょう!
「高田馬場の駅から北のほうに歩いて行くと、すぐに緑のベルトにぶつかりますので、それに沿って神田川の流れを下るような感じで行って山手線を越えると、学習院があるんですね。学習院の入り口で申請すればちゃんと中に入れますし、その中にもかなりの緑が残っています。
それからずっと、神田川沿いを歩いていって、今度は神田川の南側になるんですけど、甘泉園(かんせんえん)という、これも昔の大名屋敷の跡があって、そこにはサワガニとかが棲んでいたりと、東京の中でも結構、珍しい生き物がいる所なんですね。
それからまた神田川を戻ってくると、細川邸という、昔、首相もやられていた細川家の、非常に大きい大名屋敷があったんですよね。そこは細川庭園という形で今でも残されています」
●そこは中に入っても大丈夫なんですか?
「ええ、中に入れるようになっています。ちょうどそこの続きに、旧・田中角栄首相のお屋敷もあったりするんですね。あと、椿山荘(ちんざんそう)っていう結婚式場の施設があるんですが、そこも旧・大名屋敷なんですよ。だから、そこからずっと高田馬場の北あたりまでは連続して緑があって、そこがたぬきロードと呼ばれている場所なんです」
●歩いたら、タヌキの気持ちになれそうですね(笑)。
「(笑)。物陰や森が多いのと、それから住宅街の中でも、緑が点々と残っていたり、古い住宅が結構あるんですね。ですから、それをたどっていくのも、ちょっと町歩き的な面白さがあると思うんです」
※他にも、今や東京23区では珍しくなった生き物が観察できる場所を、川上さんに教えてもらいました。
「目黒の自然教育園という、原生林に近いような森がありまして、そこは天然記念物にもなっているんですけど、そこにしかいないような生き物っていうのがかなりいるんですよね」
●どんな生き物がいるんですか?
「カナカナカナって鳴く、ヒグラシっていうセミがいるんですが、実はそれが23区内で見られるところって、ほんの数箇所しかないんですよ」
●そうなんですか!?
「山の方に行くとそうでもないんですけど、23区内だと今ではわずかしか残っていないんですよね。おそらく今、東京には6種類ぐらいセミがいるんです」
●東京に6種類もセミがいるんですね! まず、それがビックリです!
「結構、時期がずれていて、梅雨時ぐらいから8月ぐらいにかけて、いろんな種類が代わりばんこに出てくるんですけど、今年は急に暑くなって梅雨が短かったじゃないですか。それでなんかね、いっぺんにドッと出てきたんですね。
本来だったら、チーーーーーって鳴くニイニイゼミは、梅雨時ぐらいに出てくるんですね。そしてツクツクボウシっていうセミは、ミンミンゼミより遅く出てくるので、(出てくる時期が)ほとんど重なることはないんです。ところが、今年は一緒に出てきちゃって、私はすでに都内で同時に(鳴き声を)聴いているんです(笑)。
それからミンミンゼミにアブラゼミ、そして最近は西日本から植木の根っこについて運ばれてきた、クマゼミっていうやつがいて、それで6種類ですね。自然教育園は6種類のセミの鳴き声が全部聴けるんです。ただ、ちょっと(鳴く)時間がずれているものですから、例えばクマゼミなんていうのは午前中にしか鳴かないんですよ」
●そうなんですね。シャシャシャって鳴くセミですよね。
「そうです、そうです(笑)。ちょっと機械的な音を出すセミですね。あと、ヒグラシなんかは夕方にならないと鳴かないんですね。ですから、ずっといても面白い場所ではあるんですけど、ちょっと時間をずらして観察すると面白いですし、それから、そこにはオニヤンマという、日本一大きいトンボが棲んでいる、都内でも数少ない場所なんですよ。そこに行けば必ずと言っていいほど見られますから、その観察も面白いですね」
●自然教育園ということは、何かを学んだりレクチャーを受けることもできるんですか?
「そうですね。入り口に施設があって、ずーっと生き物がどういうふうに移り変わってきたかっていうことを研究されているんですね。それについての展示とか、今はどんな生き物がいるかなどを学ぶことができますし、それから園内を歩いてみても、観察をするための解説板がそこここにあるんで、本当に学習するには最適の場所ではありますね。ただ、(自然教育園の)中で昆虫採集はできないです」
●見て楽しむ、ということですね。
※江戸はとってもエコな町だったという話、聞いたことありますか? 例えば紙クズや金物クズは再生紙や新しい金物にしたり、生ごみや落ち葉は拾い集められて、堆肥として再利用されていました。着物や障子、茶碗などの日用品は職人さんによって修理されて、長く大事に使われていたそうです。今でいう、リサイクルやリユースが実践されていたんですね。江戸時代に学ぶべきことは、たくさんありそうですよね!
では、そんな江戸の町はどのように生まれたのでしょうか?
「江戸って、実はもの凄く大開発されて生まれた場所なんですよ。江戸っていう言葉自体が、“入り組んだ入江のある海岸べり”っていうような意味の言葉なんですけど、昔は漁村が少しあって、例えば今の日比谷公園とか皇居前広場のあたりまでずーっと海だったんですよね。そこに江戸城が飛び出ていて、岬みたいな感じだったんですね。そこへ徳川家康がやって来て、“じゃあ、ここを居城にしよう”とした時に、その海をまずは埋め立てたんですね。
埋め立てるには土を持ってこなければいけないじゃないですか。そこで、神田に山があったんですけど、それを崩して、それで埋め立てをしたんです。それから川の流れをいろいろ変えて、江戸城を守るようにしたり、洪水を防ぐようにしたんですよね。だから、今の開発とは比べ物にならないくらい、凄い開発をしたんです」
●大都市開発ですね!
「大都市開発なんですよ! 現在、御茶ノ水の駅前に堀と川があるじゃないですか。崖みたいになっているんですが、あれは全部、人間が掘ったんですよ」
●へぇ〜!
「それで、川の流れを変えて隅田川へつなげるような感じでつくったんです。江戸には職人が多いじゃないですか。職人の町って言われていますけど、あれは結局、都市を建設するために、いろんな職人がずっと働くために下町のほうに住んでいて、ちょうど江戸が栄えている時っていうのは、そういう人たちが江戸の町をつくっている最中だったんです」
●なるほど。あと、江戸は凄くエコな町だったって聞きますよね。
「そうなんです。そして、そういうような形で人口がもの凄く密集して、江戸って当時、100万人を超える人口があって、世界最大の町のひとつでもあったんですね。それで、ただ開発するだけじゃダメだったんですね。
例えば、実は江戸の範囲って決められていたんですよ。1日で往復できる範囲が江戸の中で、そこから外へは延びていっちゃダメって言われていたんです。警察権もその中だけで施行されていたんです。江戸の周りって全部、農村がぐるっと囲んでいたんですよ。
ですから、居住地と農村が別になっていたんです。なおかつ、大名屋敷に人は入れなかったんですが、それが7割を占めていたんですね。ですから、幕末ぐらいから明治にかけて、海外からいろんな人が来て、その中には植物学者とかもいたんですが、江戸ほど凄く緑に包まれた町は世界にないんじゃいかって言われるくらい、緑が豊かだったんですね」
※そんな緑豊かな江戸の町には、今では絶滅してしまった「ニホンカワウソ」など、たくさんの生き物がいたそうなんですが、その理由は緑が豊かなことと、もうひとつあったそうです。
「もうひとつは、江戸は水路がもの凄く発達していて、縦横に水路が走っていたんですけど、やっぱり今みたいにコンクリートで固めるわけじゃなくて、石垣を積んだり、杭を打ったりして、生き物が棲みやすいような、まぁ結果的にそうなったんですけど(笑)、そういう場所がありましたし、さっきも言ったように、農村とつながっていたものですから、生き物が凄く行き来できたんですね。だから、町の中にもカワウソがいたり、キツネをお祀りする神社には、本当にキツネが棲んでいたんですよ!」
●お稲荷さんみたいに!? へぇ〜!
「だから、生き物の姿が凄く濃かった町ではあったんですね」
●じゃあ、そこに住んでいる人たちは、生き物を身近に感じていたんですかね?
「ええ。だから、江戸の人は生き物がやって来たりするのを風物詩として感じていて、例えばホトトギスの鳴き声が夏に(その年に初めて)聴こえてくるのを“初音”って呼んで、それを聴くのを楽しみにしていたり、新そばを食べに行って、雁(がん・かり)が渡ってくるのを見ながらそばを食べるのが楽しみだったんです。結構そういう形で、生活の中に潤いとして生き物を取り入れていたんですね」
●粋ですね!
「そうなんですよ、本当に!」
●狭いスペースではあったけど、そこにうまく自然と人々が共存している町づくりができていたっていうことなんですね。そうやって江戸時代から受け継がれてきた自然ですけども、これから私たちが未来に自然を残していくにあたって、どんなことを意識していけばいいでしょうか?
「そうですね、江戸の人たちと同じような、センスっていいますかね……結局、生き物が一緒にいるのを邪魔だとは思わなかったわけなんですよね。その中から楽しみを見つけていた。例えば、ホタルがいるような水辺っていうのには、やっぱり蚊もいるんですけど、その蚊をなくしてしまえば、ホタルも一緒にいなくなる、というような感じで、“これがいるためには、あれはちょっと我慢しておこう”とか、そういうような部分はあったと思うんですよね。
ですから、ちょっとした余裕といいますか……蝶々が飛んで来る町っていうのは、どっかで蝶々が木の葉を食べているわけですよ。そうすると、どこかで蝶々は害虫として棲んでいるわけですよね。でも、それを害虫だからといって退治してしまったら、もう蝶々なんか飛ばないような町になってしまう。
じゃあ、それぐらい食べられるのはちょっと我慢しようとか、そういう所から落ち葉が落ちてくるのもちょっと我慢して、自分の家の前ぐらいはちょっと片付けようとか……。そういう、自然と譲り合うような精神が必要なんじゃないかなと思うんですけれどね」
※この他の川上洋一さんのトークもご覧下さい。
東京に豊かな自然が残ったのは、江戸時代のおかげだったんですね。本当に江戸時代の人には感謝です。そして今度は、その自然を私達が未来に繋げていきたいですね。
早川書房 / 税込価格1,512円
なぜ東京には生き物が多いのか、どこに行けばどんな生き物と出会えるのかなど、詳しく載っています! ぜひこの本を持って、散歩に出かけませんか? 詳しくは早川書房のオフィシャル・サイトをご覧ください。