今週のベイエフエム/NEC presents ザ・フリントストーンのゲストは、レミオロメンの藤巻亮太(ふじまき・りょうた)さんです。
藤巻さんは1980年、山梨県笛吹市出身。2003年にレミオロメンでメジャー・デビュー、数々のヒット曲を世に送り出します。2012年にレミオロメンの活動を休止し、ソロ活動をスタート。音楽以外にも2016年には写真集を発表したり、山好き・旅好きとしてサイトで記事を連載したりと、幅広い活動をされています。
そんな藤巻さんは、この番組にも出演してくださった登山家・野口健さん(2016.6.20ならびに2000.02.26放送回に出演)と出会い、すっかり意気投合! 一緒に山に登り、語り合う仲になったそうです。
今回はそんな藤巻さんに、野口さんと行ったヒマラヤのことや、来月10月7日(日)に富士山麓で開催する野外音楽フェス「Mt.FUJIMAKI」のお話などうかがいます。
※藤巻さんは一体なぜ、山登りを始めたのでしょうか? まずは、そのきっかけからうかがってみましょう。
●実はこの番組に以前、登山家の野口健さんにご出演していただいたことがあって、その時に、“最近、藤巻くんとよく山に登っているんだ〜!”なんて野口さんからお話をしていただいたんですけども(笑)、そうなんですか?
「本当にそうなんですよ! 野口健さん、よくしゃべってませんでした?」
●よくしゃべってました(笑)!
「本当によくしゃべるんですよ(笑)。テレビとかラジオでもあのままで、プライベートでもあのままなんですけれどね。
ちょうど20代がレミオロメンで、30代からソロになったんですけど、そんな時に野口健さんとのご縁をいただいて、対談で知り合って、仲よくなって、そこから山に連れて行っていただくようになったという流れです。もうかれこれ10年くらいの仲ですね!」
●野口さんが“(藤巻さんは)親友です!”って言っていましたね!
「親友ですよ! プライベートでも、凄く濃い時間を健さんとは過ごしていますね」
●そもそも藤巻さんご自身は、山登りはされていたんですか?
「いや、そんなこともなくてですね、僕は地元が山梨県なんですが、静岡と山梨の間に富士山がど〜んとあるわけじゃないですか。小さい頃から富士山を見ながら育ってきて、30歳になる前に1回は登りたいなと思っていて、それで登ったんですよ。
その時に初めて登山をして、“あぁ……結構、景色も綺麗だし、凄く気持ちよかったなぁ……”って思って、下山してきた1週間後か2週間後に雑誌の対談企画があって、“今、話をしたい人”っていうことで(登山に行きたて)ホヤホヤだったので、“あ〜、野口健さんのお話が聞きたい!”と思って対談を申し込んで、健さんが受けてくださって……っていう流れなんですね。なので、富士山がご縁を繋いでくれたというような形ですよね」
●そういう流れだったんですね! 初めて富士山に登ってみて、山登り自体はどうでした? イメージしていたものと違ったりとかはなかったですか?
「やっぱり日本で一番高い場所なんで、だんだん酸素が薄くなってくるのがわかるんですよ、本当に! 普段、ちょっと歩くぐらいだったら息も切れないんですけど、(標高が)上がってくるとやっぱり疲れてくるんですよね。
“ちゃんと準備していかないと危ないんだな”って思いながら、酸素が薄くなるっていうことをリアルに感じたことと、あと僕は山梨側から登ったんですけど、これは凄いなと思ったのが、最初は登って振り向くと富士五湖が見えるんですね。“ああ、綺麗だな”なんて言って登っていくと、今度ね、富士五湖の向こうに甲府盆地が見えて、さらに登ると今度は長野の方が見えて、東京、埼玉、千葉とかも見えて……。
要は、富士山が見える場所ってあるじゃないですか。あれ、逆に言ったら、富士山からも見えるんですよね。なんか、地球は広いなっていうか、飛行機とはまた違うような感覚で、景色がどんどん向こうまで見えてきて、スケール感がわからなくなるぐらいまで雄大な景色を見ることができましたね」
●自分の中で価値観とか変わったりしました?
「なんか、富士登山は純粋に達成感みたいなものがあったりとか、“ああ、綺麗だな”って思う、それぐらいだったと思うんですけど、そこから野口健さんに出会ってから行った登山のほうが結構、人生観を変えるような登山がありましたね」
※それでは、藤巻さんの人生観を変えたという、野口健さんとの登山についてうかがってみましょう!
「最初、手始めにというか、野口健さんは思い出の地が八ヶ岳みたいで、八ヶ岳に登って練習をした日々があったんですって。だから、最初に八ヶ岳に登山を誘ってくれて、それで1回、八ヶ岳に行って、そこである意味。合格したのか、八ヶ岳の次がもう、ヒマラヤだったんですよ」
●凄いですね(笑)!
「刻まないのかな!? って思ったんですけどね(笑)。普通の人は刻みますよね。普通は徐々に標高を上げて行くんですけど、いきなりネパールにある、世界的に有名な“エベレスト街道”っていうトレッキング・コースがあるんですけど、ほぼベースキャンプと同じくらいの高さの“カラ・パタール”っていう山があって、それが5500メートルちょっとかな。“八ヶ岳の倍じゃん…”って思って(笑)。いきなりそんな高いところに急に行きましたね」
●大変じゃなかったんですか?
「その時、レミオロメンで全都道府県ツアーっていうのをやっていて、とにかく1年中、もうライヴばっかりやっている年で、もうライヴに疲れていてボロボロの状態で、その翌日にヒマラヤに行ったんですよね。だから、“これ、絶対に僕、倒れるんじゃないかな!?”と思って、もう不安しかなかったんですけど、これが凄くて、(ヒマラヤに)着いてから歩き始めたら、逆に元気になってくるんですよ! やっぱり自然の力って凄くて、もうライヴも1年バーっと駆け抜けて、吹き出物で顔にブツブツがあったりで、すごく疲れたような感じでゲッソリして行ったんですね。
ですけど、1日トレッキングで7、8時間歩いたかな、村から村までだいたい10キロぐらいの山道を歩いて行くわけですよ。そうすると次の村について、そこで泊まって、また高度を上げて登って……。普通に歩いたら疲れそうなものなんですけど、自然の中を歩いているとね、癒されていくんですよね! それは凄くびっくりしました」
●都会で使う力と山で使う力は、違うものなんですかね?
「よく、“気がいい”って言うんですかね、ああいうことって本当にあるんじゃないかなって思うぐらいだったんですね。僕、ギターを弾きますけど、チューニングしないと音も不協和音になってくるんだけど、そういう、自分自身がチューニングされていくような感じでしたね」
●あー、なるほど。整っていく感じなんですね。
「整っていく感じがありましたね」
●山ってやっぱり、凄いですね! 他にも、自分の中で変わったことはありますか?
「歩きながら健康になっていったってこともあるんでしょうね。規則正しい生活になり、早く寝て早く起きて、睡眠もたっぷりとって、美味しいものを食べて……っていうのもあったんでしょうけど、それとは別に、当時20代をレミオロメンで駆け抜けてきて、最初はやっぱりやりたいことから始まって、責任も出てきてやるべきことが増えてきたりとか……。
特に20代のよさって、駆け抜けることだと思うんですけど、駆け抜けるって言っても限度があるよねっていう時期もあって(笑)、だんだん後半になっていくと失速していくんですよね。当然、疲れてきて、何に疲れているかもわからなくなって、何が苦しいのかもわからなくなってくるんですよ、最後は。仏教用語で言う“無明(むみょう)”というか、なんかこう、何に悩んでいるのかがわからない状態に多分、なっていたんだと思うんですけど……。
野口健さんと行ったヒマラヤの旅っていうのは、10日から2週間ぐらい歩くんですよね。そんな経験って今までしたことがなかったんですけど、本当に大自然の中を2週間ぐらい歩いた時に・・・(ヒマラヤは)日本からだと、物理的にも凄く遠い場所ですよね・・・日本で音楽活動をしている自分と、精神的にも凄く離れられたというか、音楽をやっている自分を初めて客観的に見ることができて、歩きながら“あっ、俺、こんなことにこだわっていたな”とか、“うわぁ、こういうことを大事にしていたんだけど、そんな大事じゃなかったかもな”とか……。
要は、思い込み。それで自分自身を苦しめていたんだなっていうのが、2週間ぐらい歩くことで凄く整理できたんですね。今でいう座禅とか冥想とか、あれって今、流行っているっていうじゃないですか。ああいうのに近かったんじゃないかなって思うんです。
結局、2週間何をしたかっていったら、ひたすら歩いただけなんですけど(笑)。歩いていると、そういうものに近くなるんですよ。右足と左足を交互に前に出しているだけですから、単純作業なんですけどね、登山って。でも、その単純作業の中に、自分自身が癒されていくものがあって、心の中の絡まった糸がほどけていくような感覚があったんです。30代の僕にとって、静かなんだけど、衝撃的な出来事でしたね」
※藤巻さんが、人生観が変わるような体験をしたという、ヒマラヤ。そこで、今まで感じたことのないような地球の一面を目の当たりにしたそうです。
「ルクラっていう登山口にセスナ機で着陸するんですけど、その時点でもう、八ヶ岳の山頂より標高が高いんですね。“空気も綺麗だし、もう、ここでいいじゃん!”っていうくらい綺麗なんです。“もう帰ろうよ”っていうくらい(笑)。そこから歩き始めるぞ、ということだったんですが、最初は村があったり生活感があったりしながら行くんですけど、3,500メートル、4,000メートル、4,500メートル……ってどんどん標高を上げていくと、だんだん村もなくなってきて、木々もなくなってきて、最終的には森林限界も超えて、岩と空と雪だけになって、5,000メートルを超えてくると微生物もいなくなるくらい寒くなって、生命の香りがしなくなって、もう圧倒的な地球の美しさや造形! 空も、青さがだんだんと紺に近くなってくるし、自分たちしか生きているものがいないんだっていう空間。それが逆に、生きているっていうことを感じるっていうか、そういうこともあったし。
野口健さんも(一緒に)歩いていたんで、いろんな話をしてもらったんですよ。ヒマラヤ山脈ってどれくらい前かはわからないですけど、インドがまだ島だった時にユーラシア大陸に、下の方からインドがぐーっと上がっていって、ぶつかって、その圧力で8,000メートルぐらいまでせり上がるわけですよね。
地球は本当にすごい力じゃないですか! もともと海の底だったものが、8000メートルまで持ち上がるエネルギー。そういうものも感じたんですね。8000メートルぐらいでもアンモナイトの化石があるみたいなんですね、ヒマラヤ山脈って。なんかね、そういう地球の、想像もできないようなパワーは感じましたよね」
●本当に凄いですよね。あと、藤巻さんは山に登ると、写真もよく撮ってますけれども、どんな時に写真を撮りたいって思われますか?
「そうですね、登山と同じぐらいのタイミングで写真も始めたんですけど、何て言うのかな……世界の切り取り方というか、いろんな角度から物事を見るということを、写真は学ばせてくれたような気がしてますね。近くで撮っても、ちょっと引いて撮っても、やっぱり見え方も違うし、1つの花でも違うし……。
遠くの山を撮っても、目の前にある石ころを撮っても、それは山の一部じゃないですか。だから、どれが本当の山だっていうこともないんだなというか、自分たちが思い込んでいるものが、思い込みをつくっているわけですよね。“山とはこういうものだ!”“レミオロメンとはこういうもので、ソロとはこういうものだ”って思っているから苦しいわけで、柔軟性みたいなものが学びとしてあって、決めつけちゃいけないんだな、決めつけないでいると、いろんな景色や魅力に出会えたりするのかなと思ったんです。野口健さんも凄く写真が好きで、一緒によく撮りましたね」
●競争しているって、健さんもおっしゃっていました(笑)。
「男がふたりいると、絶対に張り合いますよね(笑)。“どっちのほうが上手いんだ!?”みたいな話になってきて、そこらへんはまだ中学2年生で止まっているんで(笑)」
●でも、同じ景色を見たとしても、“藤巻くんはこういうふうに切り取るんだ。正直、悔しいこともある”なんておっしゃっていましたよ。
「本当ですか!? それは当然、僕もそう思っていますね。でも、同じ場所をふたりで歩いているわけですよね。だから、被写体ってほとんど同じなんですよ。でも、違いが生まれるんですよ。
ここに写真の面白さがあるなぁっていうことを、よく野口健さんとお話をするんですけど、僕の場合、“あ、いいなぁ!”って思って、カチャって撮る1枚目が一番いいことが多いんですね。それで、“もう少しこうしてみようかな?”って思ってカチャッカチャって例えば5枚撮っていったら、どんどん僕は鮮度が下がっていくんですよ。1枚目に撮った写真の方が“あっ!”っていう思いつきとかひらめきで撮っているから、なんかいいんですね。
野口健さんは逆で、5枚撮ったらどんどんよくなるんですよ。要は、構図はこうだとかを研究して、“よりいい構図はこうで、光はこうだから、こっちのほうがいいんじゃないか”って考えて、1枚目の新鮮さよりもどんどん写真がよくなっていくんです。これって、個性かなって思ったんですよね」
●今までで“シャッターを切りたい!”って思った瞬間は?
「最初にヒマラヤに登った時でいうと、たくさんあったんですけど、ちょうどその時は新月に近かったんですね。新月のヒマラヤって、星が半端ないですから! 夜とか、ライトや電灯もないような場所で、もちろん寒いんですけど、ブルブル震えながら外に出ていくと、もう満天の星過ぎちゃって! それが、ヒマラヤの白い雪を照らして、白い雪とその間に星の海みたいなのがあって、それを三脚を立てて撮るんですね。それが撮れた時は、自分でも凄く感動しましたね」
●どんなことを思いながらシャッターを切っていたんですか?
「ああいう時って、無心ですよね。自分自身も興奮しているし、“うわぁ、ここでいいのを撮りたい、撮りたい!”って思いながら無心で撮っていることの方が多いですね」
※藤巻さんは2018年10月7日(日)にふるさと山梨県の富士山麓で「Mt.FUJIMAKI」という野外音楽フェスを開催します。どうして、ふるさとでフェスを開催しよう思ったのでしょうか。最後に、その想いをうかがいました。
「僕自身、もう少しで40歳手前になるっていう時に、18歳まで地元で過ごしていて、結構な田舎で育ったんですけど、最初はその田舎が嫌だなと思っていたんですね。でも、僕自身の地元っていうのは、桃畑とブドウ畑しかないような場所なんですけど、そこで春に桃の花が咲いたり、夏に桃やブドウがなったり、秋にブドウ棚が紅葉したり、冬に富士山もそうですけど、南アルプスっていう山が白く染まったりとか、そういう季節感とか景色の中で育ったことから、結構そこの景色を歌っていることが多いんです。 『3月9日』っていう曲にしても何にしても、山梨からたくさんいただいていて、それが自分の音楽になっていって、こうやって活動ができているんだなって思った時に、自分のルーツである山梨に、自分なりに何か恩返しになり得るようなことをしたいなと思って、今回初めてやることにしました」
●我々には地元の色っていうのが染み付いているんでしょうね。
「やっぱり、そうじゃないですかね。千葉なら千葉の景色の中で生まれてくるものがあるだろうし、特に(僕の曲は)季節の歌が多いので、それはそういうところで生まれたからかなと思っていますけれどね」
●その山梨の魅力を県外の人にも伝えたいということですが、今回の野外音楽フェスをぜひ、アピールしてください!
「今回、開催される山中湖っていうのは、まず自然が本当に美しいですよね。富士山と湖が見える場所で、山梨っていうのは果物も有名なんですけど、ワインとか地ビールも凄く有名で、Mt.FUJIMAKIでは“地のもの”をまずは召し上がっていただきたいですね。本当に山梨のワインは美味しいんです。県外から来てくれた方に、音楽はもちろんなんですけど、それ以外にも楽しんでもらえるものをたくさん用意しようと思っています!」
●山梨は結構、近いですしね!
「そうですね。都心からだったら1時間ちょっとで行けますし、今回のMt.FUJIMAKIではバスツアーもありますし、電車で行くこともできますので、ホームページを見ていただければと思います」
●あとはやっぱり、富士山ですよね!
「山梨側から見る富士山って、凄くシンメトリーなんですよ。左右対称なんで、その富士山が湖に映って逆さ富士になったりとかね。夏は上昇気流が生まれて結構、富士山が雲で隠れちゃうことが多いんですけど、涼しくなってくると富士山が綺麗に見えることが多いので、皆さんも富士山の雄大な景色を楽しみながら、音楽も楽しんでいただけたらと思います」
●ぜひリスナーの皆さんも山梨に行って、富士山と素敵な音楽を楽しんでいただければと思います!
「今回は出演してくださるアーティストの方も凄く豪華で、“藤巻バンド”を組みまして、そこにゲスト・ヴォーカルの方をお招きして、ということなんですけど、地元の大先輩でもある、元THE BOOMの宮沢和史さん、同じく大先輩のフライング・キッズの浜崎貴司さん、トライセラトップスの和田唱さん、フジファブリックの山内総一郎くんがソロで来てくれて、バンド・アクトでASIAN KUNG-FU GENERATIONがやってくれるという、非常に豪華なメンバーなんです。野口健さんもトークショーをしてくれるという(笑)。いろいろと贅沢なライヴになっていると思いますので、ぜひとも皆さん、楽しみにしていてほしいと思います」
●今回のフェスのテーマ・ソングも作られたんですよね。
「はい。地元で青春時代を過ごし、そこからもう大人にはなっているんですけど、大人と子どもだったころの感覚を行き来するような、そういうテーマで作った曲で、ちょうど夏も終わって秋になっていくような景色にぴったりの曲だと思います。夏の気持ちが揺らいでいくみたいな気持ちで作った『Summer Swing』という曲を、最後に聴いていただければと思います」
*ここで、番組では『Summer Swing』を流しました。
「遠くにある山も足元の石ころもすべて山」というお話が印象的でした。遠くヒマラヤで様々な経験をされた藤巻さんが、これからどんな音楽を奏でていくのか、楽しみですね。
藤巻さんが主催する野外音楽フェス「Mt.FUJIMAKI」。開催は10月7日(日)で、開演は午後1時、終演は夕方5時の予定となっています。会場は「山中湖交流プラザきらら」。
出演は、元BOOMの宮沢和史さん、フライング・キッズの浜崎貴司さん、トライセラトップスの和田唱さん、フジファブリックの山内総一郎さん、ASIAN KUNG-FU GENERATION、野口健さん、そして藤巻亮太 with BANDとなっています。
チケットの料金は前売り5,500円、当日6,000円。中学生高校生は学割あり、小学生以下は無料です。
詳しくは「Mt.FUJIMAKI」のオフィシャルサイトをご覧ください。