今週のベイエフエム/NEC presents ザ・フリントストーンのゲストは、ノンフィクション作家・角幡唯介さんです。
角幡さんは1976年、北海道芦別市(あしべつし)生まれ。早稲田大学の探検部OB。朝日新聞社の記者を経て、作家としてデビュー。2010年に、チベットの“謎の峡谷”を探検した記録『空白の五マイル』で、「開高健(かいこう・たけし)ノンフィクション賞」を受賞。その後も作品を発表する度に、有名なノンフィクション賞を受賞しています。
そんな角幡さんが2018年に発表した『極夜行』が「Yahoo!ニュース 本屋大賞 2018年ノンフィクション本大賞」、そして「大佛次郎(おさらぎ・じろう)賞」を受賞! まさに、いま最も注目されている作家であり、探検家です。
今回はそんな北極圏・極夜の、およそ3ヶ月にわたる過酷な旅のことや、角幡さんが提唱する「脱システム」についてうかがいます。
※「極夜」とは、北極圏をおよそ4ヶ月にわたって支配する、太陽が昇らない季節。日本で暮らしていると、朝起きれば、当たり前に太陽は上っていますが、4ヶ月間まったく太陽が昇らない世界とは、どんな感じなのでしょうか。極夜でどんな旅をしたのか、角幡さんにうかがいました。
「北極圏の北のほうに行くと、太陽は冬になると3〜4ヶ月は昇らないんですね。その暗闇の世界を犬一頭連れて、ソリを引いて旅をしたんですけど、僕の当初の予定では4〜5ヶ月ぐらい、極夜の時期に放浪というか、ずーっとひたすら北のほうを目指していきたいなと思っていたんです。けど、なかなか上手くいかなくてですね、やっぱり凄いブリザードが吹き荒れたりだとか……。
あと長期の遠征ですから、事前にカヤックを使ったりして、食料とか燃料を途中の小屋に運んでいたんですよ。それがシロクマに食い荒らされてしまっていたりとかして、どんどん追い詰められていって、狩りをしなきゃいけないという状況になったりと、波乱万丈というか、七転八倒というか、ハプニングがいろいろ多くて……。
それで最後、僕が一番知りたかったのが、極夜っていう暗闇の世界を抜けると、最後は太陽が昇るわけじゃないですか。その太陽を見たときに、何を思うのかとか、そういうのを知りたくて行ったんです。そして、ちょうど村を出発して78日目に太陽が昇ったのを見ることができて、感動もしたし、考えることもあったし、実りの多い旅だったというか……。苦しかったけれども、いい旅だったな」
●いや〜、でもシロクマに食料を食べられちゃったり、その都度、その都度は“ヤバいな、辞めたいな”って思ったこともあったんじゃないですか?
「辞めたいな、とは思わなかったですね。ヤバいな、とは思いましたけどね。食料が足りなかったですからね。だから、もう狩りをするしかない。暗闇ですからね、ずーっと夜ですから、頼りになるのが月しかないんですよ。
ちょうど、デポっていうんですけど、食料や燃料が食い荒らされている現場に行った時に、それが満月の2、3日前だったかな、月が大きい時期で、“今なら狩りができるんじゃないか?”っていうことで、ジャコウウシっていう動物を狩りに、ジャコウウシがいそうなところを目指して行って……。けど結局、ダメだったんですね。
だから、その時はもう、絶望的になったし、打ちひしがれたというか、“4年間ぐらいかけて準備してきて、それでもダメなのか!!”みたいな気持ちにもなったし……。だけど、そういう予期せぬハプニングがあったからこそ、そのことによって深く極夜っていうものを見ることができたっていうか、“ああ、極夜ってこういう世界なんだ”ということを、自分なりに噛み締めたというか……」
●苦しんだからこそわかることがあった、ということですね。
「そうですね。やっぱね、苦しいに決まっているんですよ、こういうことって。暗いってことは、先が見えないっていうことなんですよ。例えば明るかったら、いま自分がどこにいるかがわかる。でも、GPSを持って行っていないですからね。GPSは使わない、テクノロジーの力には頼らないっていうのを前提に、闇の世界って何なのかなっていうのを知ろうとしたんですよね。
暗いっていうことは結局、自分がどこにいるのかわからなくなるっていうことですからね。自分がどこにいるかがわからないと、要するに先の予定が立てられないっていうことなんです。あと何日かかったらどこに行けるのかっていう計画が立てられない。計画が立てられないってことは、未来が見えない。あと何日か先、自分は生きているのかっていう、リアルな生存予測みたいなものが持てないんですよ。それが怖いんですよね」
●“お先、真っ暗”とか言いますけど、それを実体験として体験されたわけですもんね。でも、暗くても人間って乗り越えられるものなんですね!
「乗り越えなかったら、死んじゃいますからね(笑)」
●諦めたらもう、ダメですからね。
「僕、割と立ち直りが早いほうなので、食料が荒らされていた時も、すぐに“狩りをやるしかない! 狩りをやって、もし狩りに成功して、凄く大量の肉が手に入ったら、逆に凄い体験になるぞ!”みたいな。逆境をポジティブに考えて、“こんだけ月が明るかったら、獲れるハズだ!”みたいな感じで、逆にアドレナリンがブワァーっと出てきて、その時はノリノリになったりしますね」
※そんな厳しい状況の中、80日間に渡って探検を続けた角幡さん。やっと太陽が見えた時、どんな気持ちだったんでしょうか?
「やっぱり、極夜の暗い間って、特に狩りに失敗したあたりなんかは、とにかく早く明るくなって欲しい。じわじわ太陽は近づいてきますから、極夜の間も。途中から南の空なんかでは、昼間は薄っすら明るくなったりするんですよ。それを見た時なんかは、“ああ、もう明るくなり始めてる! 太陽が近づいてる!”みたいな気持ちになって、もう嬉しくてしょうがない! だけど、その後ずっと天気が悪くなったりして、凄まじいブリザードに吹かれて、最後はもう、太陽は出ているはずなんだけれども、嵐で何も見えない。それで、太陽を見るのもほとんど諦めていたんです。とにかく、生きて帰れればいいやっていう感じになって……。
だけど、ちょっと風が緩んだ時があったんですよね。それで、バァーッて地吹雪がおさまって、テントが急に明るくなって、黄金色の光に包まれて……温もりがあった。今まで、冬の間はずーっと感じたことのない……。太陽の温もりってあるじゃないですか。日差しが差してきた時に、コンロの熱とは違う温もりがあって、“もしかして、太陽が出てるんじゃないか?”と思って急いで外に出たんです。
そしたら、まだ地吹雪が結構強くて、ワァーって雪煙が立っているんですけど、その向こうに、もう本当にデッカい火の玉ですよね。巨大な火の玉がメラメラ燃えてるって感じで、“ああ、これを見るために80日間頑張ってきたんだなぁ”って思いました。4年間の準備とか努力とか、いろんなことも思い出されて……。“感動した”っていう言葉しかないんですよね。それをなかなか言い表すのって難しいんですけど、本当にもう、太陽を見て、自然となんか、恥ずかしいんですけど涙が出てきたりとか……」
●今までの努力は報われました?
「そうですね、“この太陽を見るために、ずっとやってきたんだな”って思いましたね」
●『極夜行』の中で面白かったのが、“今まで月が有難いなと思っていたけど、太陽が出てきた途端、もう月はいいかなと思った”というふうに書かれていましたが(笑)、やっぱりそういうものなんですか?
「月の光ってなんかね、実際よりも物凄く明るく見えるんですよね。だから、月が出てきた時は何でも見える気がするから、月が出てきたらすっごく嬉しいし、月に翻弄される日々でしたね。だけど、その光を頼って、例えば狩りとかに行こうとすると、やっぱりちゃんと見えないから、ズブズブと変なところ、深い雪の一帯に入り込んじゃったりして体力を奪われたりして、月が陰ってくるとどんどん暗くなってきますから、最後の方は半月よりも小さくなった月が、夜空に引っかかってるだけで、そうすると見てて腹が立ってくるんですよね。“もう早く消えちまえ、この野郎! お前はもういらない!”みたいにね。散々、騙された感じでしたね」
※角幡さんは探検をする時、いつもGPSなどの最新テクノロジーは極力使わず、自分の能力や体力でどこまで出来るかという「脱システム」に挑戦されています。実はこの「脱システム」は脱テクノロジーだけではないそうです。
「僕が言う“脱システム”っていうのは、テクノロジーだけのことを言っているんじゃなくて、日常世界が営まれている領域っていうか、例えば考え方だとか行動を決めているような枠組み、見えない枠組みとか、時代の常識みたいなものですかね、そういったものの中で僕らって暮らしているじゃないですか。
その中でテクノロジーっていうのは、凄く今の時代、特に僕らの生活とか、それこそ考え方なんかも形作っているものですから、そういうものの外側に行く。つまり、先が読めるものとか、答えがある世界ですよね。だから、ある程度いろいろと管理されている領域の外側に行く。そうすると、先の読めない混沌としたカオスが広がっている。そのカオスの中で状況判断して、その結果を引き受けるみたいな時間の流れっていうんですかね、そういうのを経験するっていうのが冒険なのかなって思いますね」
●怖くないんですか?
「怖いですよ! 怖いっていうよりもね、不安なんですよね。それって要するに、自由っていうことなんですよ。管理されている世界の外側に行くと全部、自分で考えなきゃいけないですから。自分で考えて判断して行動するわけですよ。その判断が正しくて、上手くいったらいいんですけど、失敗したら危険な目に合うかもしれないし、場合によっては場所が場所ですから、死ぬかもしれない。その判断の結果責任は、自分に跳ね返ってくるわけですよね。
でもそれって、この先どうなるんだろうって、凄く不安ではあるんですけど、全部、自分で自分の命を管理しているっていうか、統御しているっていうか、そういう状態ですから、自由ってそういうものだと思うんですよね。自由って、辛くて大変なんだけど、やっぱり生きているダイナミズムっていうか、判断、行動、結果責任が自分の命としてまとまっているっていう形ですからね。日常の管理されている世界では味わえない、“生(せい)の手応え”っていうか、そういうのがある。それがやっぱり、魅力なんですよね。
楽しいっていうわけじゃないですけど、普段の世界では絶対に味わえない。普段はちょっとスマホで検索して答えを求めたり、誰かに判断を委ねたり、テクノロジーに任せたりしてるわけじゃないですか。その外側に出ると全部、自分で決めなきゃいけない。大変なんだけど、面白い」
※実は角幡さん、極夜の旅に出る前に経験したことが、旅に大きな影響を与えたそうです。
「僕の奥さんが出産した時は、凄く難産だったんですよね。その難産に立ち会ったんですけど、その時の経験が、凄く僕の中では大きくて、“こんなに女性って、大変な思いをして子供を産んでいるんだ”っていうのが初めてわかったし、その時は感動したし……。
極夜の旅をしている間、それって別に関係ないことかなぁと思ったんですよ。だけど極夜の旅をしている間に、凄まじいブリザードが吹く。(その時は)もう太陽が出ている時期だったんですよ。だけどブリザードが凄過ぎて、太陽が見えない。視界がもう、10メートルぐらいしかないですから。もう自分もテントも吹き飛ばされそうになって、そこでガタガタ震えている時に、ふと僕の奥さんの出産シーンを思い出したんですよね。その時に“ああ、そうか!”と思ったんです。
つまり、僕はずーっと極夜を旅したくて、そして極夜が明けた後の太陽を見てみたい。それが、システムの外側にある未知の世界だからっていうことを、いろんなところで言ってきたんですよね。そういうことも書いてきたし。だけど自分の中では、本当になんでそこまでそれをやりたいのかって、よくわかっていなかったんですよね。
だけどブリザードが吹き荒れた時に、“ああ、そうか!”と。結局、暗闇から最初に昇る太陽を見たいっていうのは、恐らく、自分の出生の体験を追体験したがっているんじゃないかな。それはもう、ブリザードの時に自分の奥さんの出産の場面をふと思い出したことがきっかけで、なんとなくそういうことがハッとわかったんです。
自分の出生の時とか、母体にいた時の記憶なんか、当然ない。たまに覚えている人もいるけど、みんな、基本的にはないわけじゃないですか。だけど、物凄い経験だったと思うんですよ。初めて外の世界に出るのは、恐ろしい恐怖だと思うんですよね。不安と恐怖でいっぱいで出てきた時に、ぱっと光が見えるわけですよね。それで、その光によって恐怖が癒される。
多分、その原体験みたいなのが、あまりにも強烈すぎて、(記憶の)どっかに残っているんだと思うんですよ。それをもう一回、自分はどこかで求めていたんじゃないのかなと思ったんですよね。太陽を見るっていうことは、恐らくその出生体験の追体験なんじゃないかな。
みんな、富士山に行って太陽を見たがる。あれはもう一回、自分を再生したがっているんじゃないかとか、そういうのがその時、わかったんですよね。多分ね、間違いないと思うんですよ。根拠は僕の極夜80日の旅、それしか根拠がないんですけどね」
●でも、私もなんで、こんなに太陽を見ると安心するのかなってずーっと疑問だったんですけど、角幡さんのお話をうかがって、“あ、そうかもな!”って思いました。
「忘れていますけど、やっぱり凄まじい体験であるのは間違いないはず、うん」
☆この他の角幡唯介さんのトークもご覧下さい。
朝が来れば太陽は昇るもの、という「今いる場所の当たり前」。考えることも機械任せになりつつある「今いる時代の当たり前」。この2つの当たり前は、本当に当たり前なのか。角幡さんの極夜の旅から、そんなことを考えるキッカケをもらいました。
文藝春秋 / 税込価格1,890円
「Yahoo!ニュース 本屋大賞 2018年ノンフィクション本大賞」ほかを受賞した、角幡さんの最高傑作! 冒頭、奥様の出産シーンから始まる構成力、迫力のある文章力、そしてユーモアと、角幡さんらしい、優れたノンフィクションとなっています。詳しくは、文藝春秋BOOKSのHPをご覧ください。
また、角幡さんの近況などについては、オフィシャル・ブログをご覧ください。