今週のベイエフエム/NEC presents ザ・フリントストーンのゲストは、映画化された『日日是好日』の著者、エッセイストの森下典子(もりした・のりこ)さんです。
森下さんは日本女子大学・文学部卒業後、「週刊朝日」の名物コラムの記事を書くアルバイトを経験。1987年にその体験を描いた『典奴(のりやっこ)どすえ』で作家デビュー。2002年に、茶道の稽古を通して気づいたことをまとめた『日日是好日(にちにちこれこうじつ)〜「お茶」が教えてくれた15のしあわせ』を出版、2008年に文庫化され、現在もロングセラーを続けています。そして去年の秋に『日日是好日』の続編となる『好日日記(こうじつにっき)〜季節のように生きる〜』を発売しました。
去年2018年の秋に公開された映画『日日是好日』では、典子さんの役を女優の黒木華さんが、茶道の先生は樹木希林さんが演じ、大変話題になりました。今回はその原作者である森下さんに、茶道を通して学んだことや、“季節のように生きる”ヒントをいただきます。
※森下さんは茶道の稽古に、40年以上も通い続けています。さぞかし以前から和の世界が好きなのかと思いきや、実は通い始めたきっかけはこんな理由だったんです。
「20歳の時に、母が“お茶をやりなさい”と、半ば強制的に。なんとなく花嫁修行的なところもあり、“お茶はいいわよ、お茶をやりなさい!”みたいな感じだったんですね」
●じゃあ、もともとそういう和のことに興味があったわけではなかったんですね。
「あ、全然ないですね! そんなのカッコ悪いと思っていました。“いや〜、そんなの古いし、なんかカッコ悪いな〜”と思って、抵抗感を感じていましたね」
●そうなんですね! もともと和のことに興味があって、いつも着物を着て過ごされているのかと思っていました(笑)。
「もともと全然、和の人ではないので(笑)!」
●じゃあ、実際に習いに行かれて、どうでした?
「だから本当に持っていたイメージが、“お金持ちの奥様たちの集まる場所で、縦社会な感じなんだろうな。嫌だなぁ……”でしたね。でも、実際に習ってみたら、全然、想像していたのと違う世界だったというか、習いに行き始めた時から、やっぱり自分の中で感じることっていうのがいろいろあったので、“これはどうも違う世界だな”と思うようになりました」
●どんなことを感じたんですか?
「最初に思ったのは、“どうぞ”ってお菓子が出されて、蓋を開けた時に物凄く可愛い、綺麗なお菓子が出てくるんですね! それを頂くと、とっても美味しいんですよ! それで私、“先生、もうひとつ頂いていいですか?”って聞いたんですけど、“それはお行儀が悪い”って言われたことがあるんですね(笑)。次の週も、“先週のお菓子、また出るといいな”と思って行くんですけど、蓋を開けると絶対に違うお菓子なんですよ。でも、それはそれで、また美味しいんですよ!
なんか、毎週そういうことの連続で、お菓子はもちろんそうですし、床の間のお花とかお道具も、見たことのないものが次から次へと出てきて……。全然、私の見たことのない世界がそこにあったんですね。それが毎回、新鮮でしたね」
●どのあたりが一番、今まで生きてきた世界と違ったんですかね?
「私の家も畳の家はありましたけど、出入りするのに“座って出入りしなさい”なんて言われたことないから、(今までは)普通にヅカヅカ入って行って、斜め横断とかしていたわけですよね。だけど(茶道では)、“畳の部屋に入るときは、畳一畳を左足から入って、6歩で歩いて、7歩目で次の踏込畳(ふみこみだたみ)に入ります”とか、そういう決まりがあって、お部屋に入るときも、“そこに正座して、右手でふすまの取っ手を3分の2開けて、残りは左手で開け切ります”とか……。それをやった時に、“ああ、これは大奥の世界だ。こういうの見たことあるわ”とか思って(笑)、日常とは全く違う世界だったので、それはやっぱり本当に新鮮でしたね」
●そういう、日常とは違うルールってちょっと窮屈だったりはしなかったですか?
「もちろん窮屈です! 大変窮屈で、何ひとつ自由にやっていいことはなかったですね」
●何ひとつ、ですか!?
「そうですね。“ここまで何もかも決められたことをしなきゃいけないのか”と思って、大変窮屈な思いをしました。それが嫌かと言えば、確かにその窮屈さっていうのは嫌だったんですけども、不思議なことに、窮屈なんだけれども、それが終わって、“ありがとうございました”って先生に言って(部屋から)出てくる時、物凄く気持ちがよかったんですね! その気持ちよさっていうのが、単に窮屈さから解放されたっていうだけではない、物凄く清々しさがあって、なんでこんなに帰りがいつも清々しいのか分からないまま、ずっと通っていましたね」
※一体なぜ、茶道での窮屈さを体験した後は、気持ちがよく清々しくなれるのか。森下さんも疑問に思っていたそうですが、その疑問は解消したのでしょうか?
「茶道の稽古場の中っていうのは、立ち止まらなくてはならない場所、なんですよね。外の世界っていうのは、常に立ち止まらずに動き続けている世界で、茶室の中っていうのは“とにかく立ち止まりなさい”って言われる世界なんですよ。
座ったら、“御釜の前にあなたは今、座っているんだから、ちゃんと御釜の前にいなさい”と言われ、ちゃんとそこにいなければいけない。だけど心はどこかに向かって走っていこうとするんですよ。“でも、ダメ。あなたは今、ここにいなさい”。それをする世界なので、究極を言えば、立ち止まるために稽古をしているようなものなんですね。立ち止まって、その瞬間の、自分が今、感じていることをちゃんと味わうっていう時間をそこで何時間か持つわけですね。
そうすると不思議なことに、いっぱいいろんなものを浴びて生きていて、一週間に一度、そこに来て、その何時間か座っている間に浴びたものを“落とす”ことができるんですよね。だから帰りが凄い気持ちいいの!」
●実は私、ヨガを習っているんですけど、ヨガでも自分の呼吸だけに集中する時間っていうのがあるんですね。それって凄く茶道に通じる気がしているんです。
「よくヨガをやってらっしゃる方からは、“同じだ”って感想をいただきますね!」
●やっぱり、言われますか! その時間って、確かに凄く削ぎ落とされる気がするし、逆に普段、いかに自分の思考が走っているかっていうのを実感しますよね。
「そうですね。(思考が)走っているので、何も味わっていないんですよね。例えば自分が今、嬉しいのか、寂しいのか、悲しいのか……。それから、きょうが天気が良くてとっても気持ちがいいのに、それをちゃんと味わっていない。何も味わわずに走っていますよね」
●本の中で、“空から落ちてくる、水だった雨の匂いや音を、お茶を習うことによって感じられるようになった”とありましたが、それが凄く素敵だなと思いました!
「お茶をやっていて魅力的に感じるのは、本当は日常の中でいつも感じ分けているはずの感覚を、改めて認識できるっていうことなんですよね。本当に私、それまでは確かに雨っていうのは、空から落ちてくる水でしかなかったんですよ。
だけど、例えば今の季節だったら、そろそろ降ってくる雨が暖かくなってきて、“あ、きょうの雨は、春の雨だ!”って思う瞬間がありますよね。そういう、降ってきた雨の温度とか、部屋の中で雨の音を聴いている時に、雨の音がこの前ときょうとは違う、つまり季節によって雨の音が変わってくるのがわかるんですよね。
でも実は、それは前にもどこかで本当は感じていたんだな、とも思うんですよ。本当は感じていたのに、ちゃんと味わっていなかったって思う。それを改めて、“あ、今は春の雨の音だ”って、お茶をやっている時に思ったりするのが凄く“あ、生きてるって、こういうことか!”って思いますね」
●生きているって、そういうことなんですね! そういう雨だったりとか、季節に敏感になれたのは、お茶を習い始めてすぐそういうふうになったんですか?
「それがいつからかは分からないんですけど、でも習い始めて“あ、あそこに行くと季節によって風の音が違うのが分かる”みたいな感じでしたね」
●それは何でなんですかね?
「“やっと地面に座ることができた”っていうことなんじゃないですかね。ずっとお茶室の中にいても“わ〜、明日レポートがある!”とか、学生の時は思っていたんですよ。“帰ったらアレをしなきゃいけない!”“帰りにアレを買わなきゃ!”“あ〜、あの人に電話しなきゃ!”とか、ず〜っと思っていたんです。
だけど週に一回、通う習慣が体に染み付いて、そこに行ったら、ちゃんとそこにいなきゃいけない、っていうことが、だんだん体に馴染んでいくとともに、静かな時間をちょっとずつ持てるようになったんだと思うんですね。そうすると、自分が感じていることがちゃんと分かるし、雨の音にも聴き入ることができるっていうのかな、うん」
※本のタイトルにもなっている「日日是好日」。これは森下さんがお茶を習いに行った時、扁額に書かれていた言葉です。実は茶室の中の掛け軸は季節によって変わります。例えば、春には花、夏には水や雲、秋には月や落葉、冬には雪など、その季節を感じる文字が入った掛け軸が飾られることが多いとのこと。「掛け軸は季節を演出する環境ビデオのようだ」と、森下さんはおしゃっていました。本当におもてなしの心を感じますよね。
他にも、茶花や和菓子など、自然や季節と深い関係にある茶道。森下さんはどう考えているのでしょうか。
「私は本当に、季節そのものだと思うんですね。それはなぜかというと、お湯を沸かしてお茶をたてて飲む。究極を言えばお茶室の中でやっていることはそれなんですよね。昔は今みたいにスイッチひとつでお湯が沸かせるわけではないので、炭で火を起こして、御釜のお湯を沸かして、そのお湯でお茶をたてていたんですよね。本当にその季節の中でお湯を沸かしお茶をたてているので、季節を取り込んでお茶をやるしかないんですよ。
それから、暖房器具も今とは違うでしょ? 冬、お客様をお招きする際に暖かいように、それから夏は涼しげにするにはどうしたらいいか、それが部屋の中で行なわれているんですね」
●だから、季節がそこにギュッと凝縮されているんですね。
「そうなんです! 冬でしたら炉っていう、囲炉裏(いろり)の小さいものですね、そこに火を起こして、その周りにみんなで集まって一緒に火を見るっていう、“炭点前(すみてまえ)”っていうのがあるんです。それは暖炉を囲むようなものなんですけど、そうすることで目からも暖かそうな火の色が見えて温まることができるし、そして部屋全体も温めることができるんですよね。
でも、真夏に火は見たくないでしょ? そうすると今度は、火は遠くに置かれて、直接火が見えないように風炉(ふろ)っていうものの中で火を起こすんですね。そうすると火が見えなくなって、代わりに水差しがそばに来て、水差しの口が大きくなっているので、ふたを開けるとお客さんの目から水が見えるようになるんですよ。だから、大きく分けて水の季節と火の季節があるんです。よくできているんですよ、合理的なの、実に!
つまり、美味しいお茶を沸かすためには、熱いお湯を沸かさなきゃいけない。そのためにはこの季節だとどうしたらいいかっていうことを、凄く合理的に考えてあるの」
●へぇ〜! 昔の人って凄いですね!
「でもそれは、今みたいにピッて(スイッチひとつで済む)わけにはいかないからね(笑)」
●なるほど、そう考えざるを得なかったんですね。
「そうだと思いますね。でも、その生活をそういう風に、冬は暖かいように、夏は涼しいように暮らすっていうことを合理的にやることが究極、合理性を突き詰めていくと、それが美しさに通じるっていう。それがやっぱり、お茶を美しくしているんですよね」
※ぜひ茶道を習ってみたい! でもなかなか近くに習える場所がない……。そんな方に、茶道の心を日常生活で取り入れる方法はあるのか、森下さんにうかがいました。
「私がいつもオススメするのは、和菓子。お茶っていうのは五感を全部使うものなんですね。目で見て、匂いを嗅いで、耳で聴いて、肌で触れて、味わう。全部使って茶室の中で生きるんですけれども、茶道の中で今すぐにでも五感を全部使えるものって言ったら私、和菓子だと思うのね。
それは見ることで季節を表現しているし、味わってももちろん美味しいし、名前を聞いて“あ〜、なるほど! これはそういうことを表現しているのね!”っていう名が付いているんですね。
それから食べた瞬間に、フワァ〜ンっと梅の風味がしたりゆずの香りがしたりと、香りでも楽しめますし……。本当に五感、全部使えるんです。なので私は和菓子をオススメしていますね。
デパートの地下にもありますし、街の和菓子屋さんでもちょっと見てみると、ケースの中に今の和菓子があるわけですよ。それを見ると、今は何の季節かって一目でわかりますよね」
●いいですね、和菓子から感じる季節!
「私はデパートの地下に行った時に、和菓子屋さんの前を通ると必ずケースの中を覗くんですけど、“あ〜そっか、今はこれが出てきたんだな。もう、この季節だな”って思うんですね。そう思って見ると、美しいものがない季節ってひとつもないんですよ。本当に真冬の物凄く寒い時には、寒い時の美しさがあるし、うんざりするような暑さの時も、本当にその時の美しさや楽しさがあるし……。どの季節だって楽しんでみせる! って、そんな感じですね」
●なるほど! 本の中でも、“熱いか寒いかだけだった季節が、もっと細かく感じられるようになった”って書かれていますね。
「それはお茶を始めて凄く意識するようになったことですね。驚いたのは、“季節ってこんなにいろんな種類があったのか!”ってことですね。つい、日本は四季の国だとかって言っちゃいますけど、全然4つなんかじゃないんですよ!
例えば春でも、立春から春が始まりますよね。そうすると、立春の時っていうのは、まだまだ凄く寒いけれども、ポチって梅の花が咲いて、風が吹いてきた、ちょっと寒い夜とかに歩いていて、“あ、何だろう、この甘い匂い?”って思って見ると、どこかにちょっとだけ花が咲いているんですよ。
そこから春が始まって、菜の花が咲く頃、それからちょうど今ぐらいの、雨が暖かくぬるくなってくる季節があって、土手が真っ黄色になって、気がついたらいろんなところにホトケノザとかナズナとか春の花が咲き始めて、タンポポがあちこちに姿を見せて……。
それから、“今年の東京の桜は○月○日ごろの開花です”とか、そろそろそんな話題があるでしょ? そんな話が出てきて、みんななんとなくソワソワし始めて外に出る。それで、“わ〜、桜だ、桜だ!”ってみんなでお花見をやっているうちに雨が降ってきて、川面が一面ピンクになって、“あ、花筏だね!”なんて言ってみんなでそれを眺めて……。そうして桜が終わったと思うと、わあっとツツジが咲き始めるんです。もう、そこからは夏になるわけ。
だけど最初の、梅が咲き始めた春から桜が散るまでの間に、物凄くいろんな表情があるんですよね。“あ、こんなにいろんな種類があったのか!”これを、ひとつの“春”っていう言葉で括っちゃうのは、あまりに大雑把すぎるでしょ?
それは例えば色を表現する時に、“赤”っていう色を表現するにも、物凄く濃い血赤色もあれば、淡いピンクに近いような赤もあって、そこにはいろんな段階があるじゃないですか。それと同じように、春にもいろんな段階があって、いろんな表情を見せてくれる。だから二十四節気(にじゅうしせっき)っていうのは、一年を4つではなくて、例えば春というひとつの季節を、さらに6つに分けたんですよね。それはお茶をやっていて凄く感じますね。春にもいろんな顔があるんだなって。
今はね、お茶室に行くと、一点前(ひとてまえ)終わって障子がスッと開いた時に、日差しが畳に差し込んでくるんですけど、その光がすごく強くなってきたのを感じるんですよ! “あぁ、日差しが春になってきた!”と思いますね」
※では最後に、森下さんにとっての“日日是好日”とは何か、うかがいました。
「私にとってやっぱり、それは目覚めの言葉ですね。美しくない季節ってひとつもなかったし、凄い風の日は凄い風の日で、その風を楽しむし、雨の日は雨の日で、雨を味わう。そんなふうに生きていったら、毎日がいい日なんだなと思って……。日日是好日は、それを象徴する言葉ですね」
「自然の中にいると五感が研ぎ澄まされる」。この番組にご出演頂いたゲストの方からよく聞くお話なんですが、小さなあのお茶室の中にも、自然と同じように季節が詰まっていたんですね。
PARCO出版 / 税込価格 1,620円
ロングセラー『日日是好日』の続編。「疲れたら、季節の中にいれば、それでいい」「私たちは、季節のめぐりの外ではなく、元々、その中にいる。だから、疲れたら流れの中にすべてをあずけていいのだ……」。詳しくは、PARCO出版のHPをご覧ください。
また、映画『日日是好日』は、ロングランで好評上映中です!
詳しくは、森下さんのホームページ「おいしさ さ・え・ら」をご覧ください。