2019年8月31日

日本人の祖先は、大海原を渡る偉大な航海者だった!?
〜「3万年前の航海 徹底再現プロジェクト」完結編・第1弾

 今週のベイエフエム/ ザ・フリントストーンは、「3万年前の航海 徹底再現プロジェクト」特集の第1弾です。

写真協力:国立科学博物館

 この番組で2016年から取材を続けているこのプロジェクトは、3万数千年前に日本人の祖先がやって来たとされる沖縄ルートの航海を、出来る限り、当時あったとされる道具や技術を使って徹底再現し、我々の祖先がどうやって日本列島に渡ってきたのか、その謎に迫る壮大なプロジェクトです。
 このプロジェクトは、国立科学博物館の人類進化学者・海部陽介(かいふ・ようすけ)さんが2013年に企画し、2016年から実験がスタート。研究者や探検家、シーカヤックのスペシャリストなど総勢60名ほどのチームによる一大プロジェクトで、2016年に草を束ねた舟、2017年に竹を組んだ舟を作り、その都度、航海実験を行ない、最終的に台湾から沖縄・与那国島まで、世界最大の海流“黒潮”を越えて行けるか、その実験航海を目標に進めていました。

 そんな壮大なプロジェクトの完結編が、今年2019年7月に実施されたんです!

 今回は、石斧でいちから作った、約7.5メートルの丸木舟に漕ぎ手が5人乗り、台湾から沖縄・与那国島までの本番の実験航海! 7月7日午後2時38分に台湾を出航、そして7月9日午前11時48分に与那国島に到着。およそ45時間、225キロの航海が成し遂げられました。
 そんな実験航海について、プロジェクトの代表・国立科学博物館の海部陽介さんほかにお話をうかがいます!

やっと着いた…!

※まずは最大の難関である黒潮を越えて、ゴールの与那国島に見事到達したその時、プロジェクトの代表としてどんな気持ちだったのか、海部陽介さんにうかがいました。

海部さん「そうですね、よく辿り着いてくれたと思います。まず、漕ぎ手たちですよね。本当に、あの舟をよく運んでくれたっていうのがまず第一ですよね。それから、このプロジェクトを本当に支えてくれた人たち、舟を作る、運営する、そして後ろで働いてくれた人たちがたくさんいるので、本当に感謝ですよね! よくみんなでここまでやってこれた! 台湾のみなさまも凄く協力してくれましたし、本当によかったなあと思っています」

●実際225キロを、漕ぎ手交代なしで航海し、島が見えた時、伴走船で丸木舟を追っていた海部さんはどんな気持ちでしたか?

海部さん「その景色を見るために、僕らはずーっとやってきたんですよね。つまり、3万年前の人たちも、それだけハードな航海をやって、一日二日漕ぎ続けて、その先にみる島影ですよね……。だからこれは、客船などから見る島影とは全然意味が違う、まったく違う島に見えました。与那国島を外から見たことはそれまでも何度かありましたけれども、同じ島が全然違うように見えますよね……というか、見えました(笑)」

●言葉にするなら、どんな感じで見えたんですかね?

海部さん「いや、本当に“やっと着いた”ですよね。今までやってきたことが全部蘇ってきますよ、その前の晩のことから何からずーっと……。あれを乗り越えてやってきた、という感激ですね。で、そこを目指して海を越えるっていうのも、何か不思議な気持ちになりましたね。
 特に台湾は大きいですから、そこからこんな小さな島に行く、まあ沖縄の島はどこも小さいわけですけど、そこへわざわざ行く、苦労して……。こんだけ苦労するんだなって。でも、ここに来たくてやっているんだなぁっていうのは、なんかこういろいろ思いが溢れましたね」

●3万年前の人と同じ気持ち、味わえましたか?

海部さん「だといいんですけれども(笑)。そうかな〜と思いながら」

●実際に与那国島に足を踏み入れた時には、どうでしたか?

海部さん「いやーもう達成感ですね! やっぱ、達成したんだなっていうのがありましたね。“よく来れたなぁ”と。まあ、僕らは(漕ぎ手)5人に連れてきてもらったんですけどね」


与那国島のナーマ浜に到着

2つの難関

※今回の台湾から沖縄・与那国島までの本番にあたり、今までの実験とは異なることがあったそうです。

海部さん「今回と今までの(航海実験で)、ひとつ大きな違いがあって、最初から台湾から与那国島を目指すってことはもう決めてやっていますから、それに向けた練習っていうのはずっとやっていました。
 2016年と2017年は、違う島を目指すっていうテストをやっているんですけど、そうでなく2018年からは与那国島を目指して出てみるっていうのを何度も実は繰り返しているんです。これは、黒潮を超えるっていうのが、まず第一の課題ですから、巨大な海流、これを丸木舟が果たして越えられるのか……。

 その前は竹の舟でテストしたんですけど、それを検証するために、与那国島を目指して途中で帰ってくるっていうのを何度もやっているんですね。これはとても大事で、舟の性能をみるっていうことと、もうひとつは台湾の海に慣れるっていうことです。

 台湾から昔の人が出たとしたら、彼らはその海を実はよく知っている人のはずなわけです。そこで生まれて暮らしているから。僕らそうじゃないんで、よそからわーって集まってきてやっているだけですから、なるべく台湾の海を知るっていうことが大事だったんで、そういう訓練を何度もやっていました」


竹舟による航海実験

●確かに、3万年前の人たちも、途中まで行って帰ってきてっていうことを、何度もしていたかもしれないですよね!?

海部さん「そのはずだと思います。それで、要するに危なかったら帰るんですよ。僕らはスケジュールがあるからやっちゃうんだけど(笑)、彼らは危険は冒さないと思いますけどね」

※さらに、今回の本番の航海では2つのポイントがあったといいます。

海部さん「この航海の大きなポイントって2つあって、ひとつは黒潮ですね。黒潮を越えられるか。もうひとつは、島を見つけられるかっていうのがあったんですね。
 僕らは、島を見つけるどうこうの前に、ずーっと黒潮に苦しめられてきたわけですね。で、丸木舟が行けるかもしれないっていうのは誰しも実は、思っていました。その前の準備の過程で、この舟ならいけるかもしれない、と。それで、実際に行けたんですね!

 初めてですけど、黒潮を越えて、僕らは黒潮の向こう側まで到達しました。ただ、黒潮を越えたっていうのはわかんなかったんですね。海の上だと海流は見えないもんですから、そもそも黒潮に入った、出たって簡単にわかるわけじゃないんですよ。
 でも、黒潮に入るところはなんとかわかったんです。漕ぎ手たちは、水温が変わるのと、流され始めているっていうのを、陸を見ながらモニターしているので、それで気が付いていたんです。

 けど、黒潮を出たころにはもう、陸が見えなくなっているので、わかんなくなっちゃっているんですよね。流れが速くなっているのか、遅くなっているのかわからない。そして、陸が見えなくなっているので、これは実は天気が悪かったからですけど、出航した日の、本当はもっと見通しの良い日に出たかったんですが、まったく台湾が見えない。そうすると、自分がどこにいるのかわからない、与那国島まで見えない……。

 これが一番問題でした。そして、次の問題に入っていくんです。黒潮はまあ越えてるんですけど、越えたって自覚は実は本人たちはなく、島は見えないわけですね。海の上で、さあどうするか!?」

●そこからどうしたんですか!?

海部さん「最初から事前に立てていたプランがあって、24時間ぐらい、まず東に漕いで、それから北東に向けるっていうプランがあって、そのプラン通り実践して島に当てるんですけど、まあ当初の想定より島が見えてこなかったわけですね。

 30時間くらい経った時、2日目の、つまり2回目の夜に入る手前ですけど、そこまでいってもまだ島が見えない。まあ、天候が悪いんで相当近づかないと見えないっていうのもあるんですけど、何しろ、これはちょっと漕ぎ手にとってはストレスですよね。どうなるんだろうって不安にもなりますよね。だからそこはもう、信じるしかないんだと思うんです。

 原康司(はら・こうじ)キャプテンは自分のプランを信じて、漕ぎ手たちもそれに付いていくんですよ。最後、それが見事に当たって、2回目の夜が終わった時に、島がわかるんですけどね」

●3万年前の人もそういうチームワークじゃないですけど、リーダーがいて、リーダーシップについていくみたいな形が、航海の成功に繋がったりしていたんですかね?

海部さん「まあ、これは本当に想像するしかないけれど、そういうことなのかなと思いますよね。ただ舟に乗る人が、技術があればとか言うだけのレベルではないっていうのを、見せてもらった気がするんですね。

 僕らはあくまでも現代人の漕ぎ手たち、たまたま5人のメンバーで実験をしたので、3万年前がその通りだったとは言えないですけど、ただやっぱり彼らがやってくれたことひとつひとつ見ていくと、まあこうじゃなきゃ出来ないよねっていうようなことがいくつもあったと思います。

 そのうちのひとつはリーダーシップっていうのは、僕自身は感じていましたね。やっぱ誰かそういうまとめ役がいて、みんながそれについていく。でないと、まあ舟の上でまとまりって出来ないんじゃないかなっていうのは思いましたね」

丸木舟はあり得ないと思っていた!?

*漕ぎ手5人による約45時間、225キロの航海。その最大の難関、黒潮を越えて到達できた大きな要因のひとつが、「丸木舟」だったこと。なぜ、最終的に丸木舟にしたのでしょうか?

海部さん「まあ正直言って、プロジェクトが始まった時は、木はあり得ないと思っていましたね。草の舟から始めたんですけれども、丸木舟って実は縄文人が使っている舟なものですから、最初から縄文人の技術が3万年前にあるっていうのは、ちょっとあり得ないだろうと思っていました。

 それで、もっと原始的な草とか竹とかで実験を始めたんですが、まぁやっぱり、どうも上手くいかない。これは、遠い島に行くにはちょっと心もとないということで、最後に残った丸木舟の可能性を考え始めた、というのが経緯ですね。ここまでくるとは正直、思っていなかったですね(笑)。3つあった可能性の、最後の3つめまでやることになるとは思っていなかったです」

●どちらかというと海部さんの中では、丸木舟は可能性としては低いなと思ってらっしゃったんですね?

海部さん「そうですね。縄文人より1つ前の段階があるんじゃないかなと思っていたので。どうもそれでは上手くいかないというのが、僕らの結論なんですけれどもね」

●最終的にその選択肢しかなかったという「木」になったわけですけれども、逆に木を使った舟を作るには、その当時の技術でどこまで出来たのかっていうことが、まずプロジェクトのスタートになるんですよね?

海部さん「それがプロジェクトの条件になりますね。舟の選択の条件は4つあるんですけど、まず地元で材料が得られるっていうことですね。それから当時の技術で作れるか。海に出して機能するか。そして縄文の技術を超えないっていう、4つの条件を課してやっていたんですね。

 丸木舟の最大の問題点は、まっすぐな大きい木であれば一応出来るので、一番大きな問題は何と言っても、作れるかどうかでしたね。大きな木を伐り倒してくり抜く技術というのが、3万年前の人たちにあったのか……。それを検証するために、石斧の実験を始めました」

●この番組に以前出ていただいた大工の雨宮国広(あめみや・くにひろ)さんが実際に丸木舟を作ったんですよね。

海部さん「はい。これは実際には、研究者として首都大学東京の山田昌久(やまだ・まさひさ)先生が全体の監修者です。彼が実験考古学のいろんな、縄文の伐採とかの実験をされています。あと、池谷信之(いけや・のぶゆき)先生など、そういった研究者の監修があって、作業を雨宮さんにやってもらったという形ですね」

●でも、実際に3万年前に石斧を使って木を伐るというのは、どんな形で行なわれていたんですか? 我々が想像するのとは、やっぱり多少は違うんですかね?

海部さん「そこが問題なんですね。遺跡に残っているのは、石だけです。つまり、斧の刃の部分しか残っていないんですね。で、問題は柄なんですよね。柄は木で作るわけですけれど、それをどういう形にして固定するかっていったことは、実はとても大事で、それを僕らは試行錯誤でやっているわけですよ。

 実際に木を伐るときには、旧石器の斧で全部やり切れていないんです。途中で旧石器の斧が壊れてしまったりして、これはどうもやっぱり、柄のつけ方を僕らは分かっていない。そういう試行錯誤の段階なんですね。
 伐れることは間違いない。作れることに関しては大丈夫なんですが、全行程を旧石器の斧でやることは、実は出来ていないんですね。それぐらい、まだ分かっていない部分もあります」

●そうだったんですね。でもやっぱり当時、どうやらそういった道具を使って木を伐っていたんじゃないかということは、何となく分かってきたんですかね?

海部さん「そもそも、何であんな道具があるのかっていうのが一番不思議で、わざわざ刃の部分を砥石で研いているんですけど、それをなぜやるかという点ですね。普通の旧石器時代の動物を獲って解体して……っていうことに、あの道具は必要ないはずですね。ですから、意味があるはずなんです。それは木工のためなんだろう、木工の専用具なんだろうというのが僕らの考えで、それはまだ研究としてこれからずっと続けていくんですけど、そういった理由があって始めました」

●そう考えると、3万年前の人が木工をしていたということは、今までのイメージとはかなり変わってきますね!

海部さん「変わってきますね、これはとても面白いです!」

女神が守ってくれた!

丸木舟の制作で重要な役割を果たした縄文大工であり、“すべての生命(いのち)をつなげるものづくり”をモットーに、石の斧とともに生きている雨宮国広さんにお話をうかがいます。

 今回の作業は、樹齢約130年、直径1メートル20センチほどの杉を、石の斧で伐り倒すことから始まりました。さぞかし大変だったんじゃないでしょうか?

雨宮さん「そうですね、みなさんに大変だったかと聞かれて、本当にその通りなんですけど、すべてのものに命があると思うんですよ。その命をいただくということは、例えばチェンソーであたり鉄斧や石斧、どんな道具を使っても大変な作業だと思うんですよね。しかも130年も生きてきて、1メートル20センチにも大きくなって、その山の御神木となった杉の木だったんですよね。だから本当に並大抵のことでは出来ない、そういう作業でした」

●御神木だったんですね!

雨宮さん「そうなんです。みなさんから“どのくらいの日数かかりましたか?”ってよく質問されるんですけど、私はいつも“答えたくないなぁ”と思っているわけです。やっぱり、命はいただかないほうがいいに決まっていますからね。だけど、その杉の木に斧を入れた時から本当に命をいただくまで、杉の木と対話したことを忘れないで記憶するっていうことが一番大切なことだと思っています」

●丸木舟にするための、木をくり抜く作業はどうでした? 

雨宮さん「全て石の道具を使ってやったんですね。そして、やはり中のくり抜き、曲線などいろんなかたちを作っていなかきゃいけないので、大中小30種類ぐらいのさまざまな石斧を作ってやりました」

●そんなに!

雨宮さん「ええ。そこで私が感じたのは、やっぱり私自身、30年大工をして、いろんな手道具を使う技術とか知恵を養ってきたつもりなんですけど、優れた石斧を作ることも、また使いこなすことも出来なかったっていうことを本当に感じましたね」

●えっ、雨宮さんでも!?

雨宮さん「いや〜、本当にそれは感じました! だからこそね、その高度な技術力とか高度な文明っていうものを、私たちが今まで野蛮人だったと片付けていたご先祖様は、実は高度な知恵と技術力を持った文明人だったということが、本当にわかりましたね」

●だって、そうじゃなかったら舟は出来ないわけですもんね!?

雨宮さん「そうなんです!」

●今回の丸木舟は、全長が約7.5メートルほどで、名前が“杉の女神”の意味で、“スギメ”と名付けられたんですよね。どうですか、完成した時の気持ちは?

雨宮さん「本当にね、なぜか杉の木の命をいただく時から航海を達成するまで、とても大きな愛に守られている感じがしていたんですね。まさに、本当にスギメは母なる海であったり、母なる地球であったり、女神様そのものだったなぁと思うんですよ。だけど完成したときには、その喜びより“この舟で大丈夫なのか?”っていう、不安が凄くあったんですね」

●そうなんですか!?

雨宮さん「ええ。でも実は、スギメは本当に母なる絶対的な安心なもので、実は私たち人間のほうが不安だらけで、どうしようもないというか、ダメだということがわかりましたよね。
 逆に舟のほう、つまりスギメのことを“大丈夫なのか?”なんて思っていて、自分たちのことは全然疑問や不安に思っていなかったんです。でも実は、人間側にあるんですよね、そういうものって全て。そんなことを感じました」

●具体的にそういうことを感じた出来事はありましたか?

雨宮さん「やっぱり、たくさん合宿をしてきている中で、人間の心がひとつになって、チームがひとつになったり一体感がないと転覆するなっていうのは、凄く教えてくれたひとつのことでしたね」

※漕ぎチームの監督、そして海洋ジャーナリストの内田正洋(うちだ・まさひろ)さんは、丸木舟「スギメ」をこう捉えています。

内田さん「あの丸木のカヌーが出来たこと自体が、大成果なんですよね! あの時代の石斧でカヌーが作れるかどうかっていうことに、出来る可能性があるっていうのがハッキリしたわけですよね。これが一番大きい」

写真協力:国立科学博物館

YUKI'S MONOLOGUE 〜ゆきちゃんのひと言〜

 3万年前の人たちは、丸木舟を作れる技術と知恵があった。そう考えると、今まで思っていた3万年の人たちに対するイメージが随分変わってきますよね。私たちの祖先は3万年前から、かなり文化的な生活をしていたのかもしれません。

INFORMATION

「3万年前の航海 徹底再現プロジェクト」関連情報

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 現在、国立科学博物館の日本館1階の中央ホールで、今回の実験航海に使われた約7.5メートルの丸木舟「スギメ」が展示されています。ほかにも漕ぐための櫂(かい)、航海中の写真パネルや旧石器時代の石の斧のレプリカなども展示中!
 今回の展示「黒潮を越えた丸木舟〜台湾→与那国島 航海の全記録」は9月8日まで開催されています。ぜひお出かけください!

 その他、「3万年前の航海 徹底再現プロジェクト」について詳しくは、国立科学博物館のオフィシャルサイトをご覧ください。

今週のオンエア・ソング

オープニング・テーマ曲
「(MEET) THE FLINTSTONES / THE B-52's」

M1. THE GREAT JOURNEY / KIRINJI feat. RHYMESTER

M2. YOU CAN GET IT IF YOU REALLY WANT / SAMUEL E. WRIGHT

M3. BELIEVER / IMAGINE DRAGONS

M4. 海の声 / 桐谷健太

M5. COME TOGETHER / MICHAEL JACKSON

M6. SAILING / CELTIC WOMAN

エンディング・テーマ曲
「THE WHALE / ELECTRIC LIGHT ORCHESTRA」