2007年1月7日
内田正洋さん・一倉隆さんに聞く「ホクレア号航海プロジェクト」今週のベイエフエム/ザ・フリントストーンのゲストは内田正洋さん・一倉隆さんです。
この番組でも以前から取り上げてきた「ホクレア号航海プロジェクト」。このプロジェクトの中心人物とは星の航海士のハワイ人「ナイノア・トンプソン」さん。この番組でナイノアさんの名前とその活動を知ったのは、1997年に公開された、龍村仁監督のドキュメンタリー映画「ガイアシンフォニー/地球交響曲」の第三番。出演者のひとりだったナイノアさんが、復元された古代の外洋航海カヌー「ホクレア号」で、1980年にハワイからタヒチまでの4000キロの海の旅を成功させていたこと、それも海図や羅針盤などの一切の近代器具を使わずに、星と波と風だけを頼りに成し遂げた事実を知り、大変驚きました。ナイノアの偉業はハワイの先住民の人たちに、大きな勇気と誇りをもたらし、自然と調和して生きてきた祖先の知恵や技術、文化や伝統を学び直して、ハワイ人としてのアイデンティティを取り戻そうという運動につながりました。
写真提供:ハワイ州観光局
ホクレア号の航海が平和を助長することを願う
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ハワイ州観光局・代表/一倉隆さん(左)
シーカヤッカー/内田正洋さん(右) |
●内田さん、ついにホクレア号が日本にやってくることになりましたね。
内田さん「なりましたねー」
●ホクレア号自体は、単に古代の外洋航海カヌーを復元して、スター・ナビゲーションという方法で航海するというだけではなくて、ハワイの伝統や文化を見直して、ハワイアンとしてのアイデンティティも取り戻すという意味合いがありました。で、内田さんはポリネシアンとかそういう呼び名の1つで日本はヤポネシアンだと提唱されていますよね。
内田さん「僕が提唱したわけじゃないんですけどね。今は日本という国ですけど、日本も島だし、ヤポネシアという言葉は1970年代から言われ始めていて、日本を島の発想で捉えると分かりやすいっていう考え方が出来たんですね。それで、ポリネシアの人たちも、自分達の文化が20世紀になって消えていく中で、自分達ってなんだろうとか、そういったときに、ホクレア号が作られて、もともとが人類学の検証みたいな、実験的な意味合いで造られているんですが、それが思わぬ文化の復興、ルネッサンスを起こしちゃったんですよ。
それが、30年位前からハワイで起こって、ハワイはポリネシアの北端だけど、ホクレア号が航海することによって、ポリネシア中に文化復興の流れがどんどん広まっていったんですね。で、それが同時多発的にアラスカ沿岸とかカナダ沿岸とかでも同じようなカヌーで起こっていて、それがミクロネシアでも起こっていて、そういう流れの中で日本でも同じ動きがあったんだけど、日本では1970年代にそこまでいけなかったんですよね。それが、僕がシーカヤックを始めた1980年代から日本の中でも少しずつ気づき始めてきて、やっぱりホクレアっていうのが太平洋のカヌー民族の象徴みたいな形になってきたのがこの30年間ですよね」
●1997年にナイノア・トンプソンさんにお話を伺ったときに、私が「日本には来てくれないんですか?」って質問をしたら、「UP TO YOU」、「日本の人達次第だよ」って言われたんですよね。「僕らが日本に行く意味が感じられれば、その意味合いが伝わってくれば、ホクレアは行く」というふうにおっしゃっていたんですけど、そういう意味では今年、来るということで、新たな日本人としてのアイデンティティも2007年、見直されていくのかなぁって思うんですけど、一倉さんはどういうふうに思われますか?
一倉さん「ナイノアはいつも、なぜ日本へ行くのかっていうときに、コネクション、結びつきだっていう話をするんですね。そこで自分達が納得できる理由っていうのを見つけて、日本に行きたいというふうに言っていたんですね。
1881年に当時のハワイは王朝だったわけですが、カラカウア王が日本に来たときっていうのは、ハワイではネイティブ・ハワイアンの人達が経済的にも搾取をされていて、人口も激減していたときなんですね。その時に日本にカラカウアが来たのは、1つは移民ということで、ハワイへ日本の方に移り住んでいただきたいということで、結果的に非常に多くの方が移住されて今の経済の発展に大きく貢献したという部分もあるわけですね。
で、ナイノアとしては、日本とハワイの文化というのは非常に結びつきがあるというのを、今回の寄港を通じて確認をしつつ、それとともに次の世代の人達にスター・ナビゲーションというものを通じて、自然環境保護といったものを伝えていきたいんじゃないかなと私は思います」
●ここでナイノア・トンプソンさんご自身のコメントをご紹介しましょう。
ナイノアさん「アロハ。私はナイノア・トンプソン。ポリネシア航海協会の会長です。ポリネシア航海協会はホクレア号という名の遠洋航海用の双胴カヌーを航行しています。計器が全く存在しない2000年前に太平洋の島々を探検し、移住するために使われた遠洋航海カヌーの象徴として、ホクレア号は非常に興味深い存在です。
1975年3月8日にホクレア号の進水式が行なわれました。翌1976年、タヒチへ向けて処女航海を行ないました。これまでの30年間で6回航海に出て、南のポリネシアはもちろん、北西太平洋に至る、合計11万海里以上に及ぶ海を探検しました。そして、2007年1月、我々は新たな遠洋航海に出る予定です。
まず、我々の師ともいうべき、マウ・ピアイルグの故郷、ミクロネシアを目指します。パラオ諸島でミクロネシアに別れを告げ、日本に向けて北上する計画です。まず、沖縄の那覇を目指し、航海します。寄港日は天候にもよりますが、4月1日前後の予定です。ハワイの過去と将来にとって、大きな意味を持つ日本の7つの港を訪れる予定です。日本からハワイへ最初に移民した人達が、日本を出港するときに使った主な港へ寄る予定です。最初の移民の方々がハワイに到着してから、現在で5世代を数え、こうした日本の血を引く人々が現在のハワイを形成しており、未来のハワイにおいても、大切な一部分を形成するのは言うまでもありません。ですから、私達の日本への航海はささやかなやり方ではありますが、そうした初期の移民のみなさんへの敬意を表するものです。
私達が日本を訪問することによって、そうした事実に敬意を表したいのです。寄港する港とハワイの人々を再び結びつけることによって、ハワイを故郷と呼ぶ、5世代にも渡る日系住民と、我々の子供たちとの絆をより一層、深めたいのです。そして、異なる文化に関心を寄せ、守り、伝える一役を担うことができれば幸いです。
とても、ささやかで素朴な方法ですが、今回の航海が世界中の人々の間に、特に太平洋諸国の様々な文化に対する尊敬の念を育み、最終的には平和を助長することを願っています。
ホクレア号は我々が過去を思い起こし、取り戻すための道具であり、そうすることで我々の先人達、我々の文化と伝統に強さと威厳をもたらしてくれるのです。これは、私達の子供にとって、自尊心の礎となります。その礎を元に強くなり、自分達が誰であり、どこからやってきたのかを知ることが、複雑で分かりにくい、21世紀の世界を明るく生き抜く手助けとなるのです」
●ホクレア号が遂に日本にやってくるということで、一倉さん、実際のホクレア号の航海のルートを簡単にご説明いただけますか?
一倉さん「はい。ハワイのビッグ・アイランドを出るんですけど、その先、ミクロネシアの中ではマジュロ、ポナペ、トラック、サタワル、ヤップ、パラオというふうに寄港してまいります。で、今のところ、予定としてはパラオを3月20日過ぎに出て、日本に向けて航海をします。で、沖縄は糸満、熊本、長崎、福岡、山口県の周防大島、広島県の宇和島、そして最後の寄港地の横浜には5月20日くらいにやってくる予定です」
●今のルートは、シーカヤッカー内田正洋さんとして、どの辺が一番厳しい航海になりそうですか?
内田さん「南太平洋っていうのは、基本的に貿易風帯だから、あんまり変化がないんですね。だから、ヤップ、パラオから北上してくるわけでしょ。で、時期がまだ4月ですから、季節風が残っているので、日本が近づくと逆風になるんですね。それこそ台湾坊主とか春一番とか、台風よりすごいようなとてつもない風が吹き始める時期だから。世界の船乗りの中では有名な話ですけど、日本近海っていうのは非常に難しい海なんですね。で、まず、熊本へ行くでしょ。ということは有明海に入るんですけど、そこから始まる潮流の世界っていうか、潮の流れの世界っていうのがハワイにはあまりない世界で、要するに海が突然川のごとく流れ始めて、それが時間をおいて行ったり来たりする。で、有明海っていうのは日本で一番干満の差が大きいところなんですけど、そういう潮の流れに翻弄されます。ましてや、九州から瀬戸内に入るときに関門海峡を渡らなきゃいけないけど、この間も船が2隻沈みましたし、潮の流れがものすごいんですね。これがずっと続くんですよ。広島っていうのは瀬戸内の中でも奥の奥にあるんですね。だから、そこに入るための関門がいっぱいあるんですよ。で、また日本っていうのは船が多いでしょ。交通量がとてつもなく多いから、最後の横浜に入るのだって、浦賀水道を越えてくるんだけど、世界一交通量が多いんですよ。だから、その辺のことも、考えなきゃいけないし、それは日本サイドにいる連中が考えてやらなきゃいけないし、俺もそこを考えちゃっているんですよね」
●内田さんも頭を痛めちゃっているんですね。
内田さん「はい」
●内田さんはナイノアさんとはプライベートでも仲良くしていらっしゃるので、ざっくばらんにそういう話もできると思いますし、今までもしていらっしゃると思うんですけど、その辺のお話はナイノアさんとはされたんですか?
内田さん「『任せたよ!』って話をされました(笑)」
●任されちゃったんですね(笑)。
内田さん「だから大変ですよ」
●今回、内田さんはホクレア号に乗られるんですか?
内田さん「はい。乗れって言われれば(笑)」
●じゃあ乗れ、みたいな(笑)。乗られたことはあるんですか?
内田さん「何回かありますよ」
●どんな感じなんですか?
内田さん「カヌーです(笑)」
●それは分かるんですけど(笑)、もうちょっと・・・。
内田さん「例えば、帆走する船としてヨットっていうのがあるじゃないですか。西洋近代ヨットみたいなのとは全然違う感じですね。柔らかい船なんです。ミクロネシアのカヌーなんかもそうですけど、もともとが縛る技術で船が成り立っているわけね。だから、全部縛ってあるわけ。釘とかで固定されているわけじゃなくて、全部の部材が縛ってあるんですね。ということは、縛ることに対して、非常に知恵があるんですね。だから、まさに縄文の世界なんですよ。要するに縄文っていうのは縄の世界でしょ。だから、三内円山なんかの巨大な建物も全部縛って作られていますよね。そういう古代の柔らかいテクノロジーみたいなものがカヌーには残っている。それを感じられる船だなっていう感想はありますね」
●イメージなんですけど、ホクレア号に乗っていても近代的なヨットに比べると、人間的な印象がありますよね。
内田さん「海と一体化できるっていうか、柔らかく波を越えていきながら、スピードは速いんですよ。海を切り裂いていくっていう感じじゃなくて、自然に逆らわないんですね。だから、自然に対して常に畏敬の念を持っている感じが構造からもなんとなく感じられますね。それがカヌーの世界なんだけど、ホクレアはまさしくそういう船ですよね。地球との対話じゃないけど、そういう世界をホクレアっていうのはものすごく大事にしているし、というか、それがないと航海できないから、ものすごく大変だと思うんだけど、逆に言うと昔は海の上ではそれが当たり前だったんだよね」
●という意味では、なに人のアイデンティティというだけでなく、人間としてのアイデンティティを取り戻させてくれるのがホクレア号だったり、スター・ナビゲーションだったりするんですね。
内田さん「多分、俺が思うに、最初はポリネシア人のアイデンティティとしてだったけど、海っていうのは繋がっているし、海に出た人類の歴史っていうのも、もう何万年も経っているわけだよね。その中で、ホクレアが造られた理由の最初のひとつでもある、人類拡散の最後のステージが太平洋だったわけで、ある意味、そこへホクレアは向かっているのかなぁみたいな。つまり、人類の拡散はなんだったのかとか、逆にいうと今の環境問題っていうのは、なに人なに人の話ではなくて、それこそ人類も含めて全ての地球上の物質が抱えているある種のジレンマじゃないですか。だから、自然の流れの中で人類がそういうことに気づいてきているっていう、ある意味、ホクレアっていうのは非常にとがった世界でもあると思うんですね」
●一倉さんもホクレアに乗られたことはあるんですか?
一倉さん「はい。何回かあります」
●どうでしたか?
一倉さん「自然と向かい合っているので、先ほど内田さんがおっしゃられたように風の向きだとか、なかなか難しい時期だと思いますし、日本の中に入ってきたときには潮の流れだとか、今までナイノアたちが経験したことがないことがたくさんあるので、決して冒険ということではなくて、彼らが伝えたいことっていうのはスター・ナビゲーションであり、自然環境保護ということなので、本当に安全に日本に到達してほしいなと思っています」
●内田さんにはホクレア号の航海中にザ・フリントストーン、スペシャル・レポーターとして、レポートを入れていただければと思うのですが、やっていただけますか?
内田さん「衛星携帯電話でですか? なんて(笑)」
●「今、大変なところにいるんだよー!」なんてレポートをしていただけたら非常に嬉しいんですが、お願いできますか?
内田さん「ええ。出来る限りやります(笑)」
●ご相談させていただきたいと思います(笑)。そして、一倉さん。ホクレア号のプロジェクトをもっと知りたい場合は、ハワイ州観光局のホームページがありますが、直接ハワイに行った場合、立ち寄れる博物館や施設などありましたら、教えていただけますか?
一倉さん「ハワイの中ではホノルルにあるビショップ・ミュージアム、もしくは附属の施設でハワイ・マリタイム・センターっていうのがあるんですね。ここにお越しいただけると、ハワイの伝統航海術やそういったことに関しての展示がありますので、ホクレアのことも含めて、見ていただくことが出来ます。日本の中では私共、ハワイ州観光局のウェブサイトにアクセスいただくと、ホクレア号が今どこにいるのかという状況も含めて、確認していただけるようになっていますので、是非、アクセスしていただければと思います」
●また、Tシャツも販売しているんですよね?
一倉さん「ええ。ホクレア号を応援しようということで、白、紺、グレーの3色を日本限定で販売しています。こちらの方もウェブサイトで確認していただいて、応援していただければと思います」
●ハワイ州観光局としては、このプロジェクトをどういうふうにご覧になっていますか?
一倉さん「私共、ハワイ州観光局といたしましては、『DISCOVER ALOHA』というのを3年間掲げているんですね。で、日本からは年間150万人くらいの方にハワイにお越しいただいているんですが、青い海とか青い空というワイキキやホノルルを中心としたようなところを一般の方はイメージされているかと思うんですけど、そうではなくて歴史や文化など、まだまだ知られていない魅力がハワイにはあるんですね。今回のホクレア号というのも、まさにその通りで、今回、彼らが日本に来る背景には、先ほど申し上げたように、日本とハワイのつながりを振り返るということがあるわけですし、是非、多くの方に今回のホクレア号の日本への寄港を応援していただいて、ハワイのイメージの見直しをしていただけたらと思っているんですね」
●ようやくホクレア号の来日が実現しますね。
内田さん「これは昔、ナイノアが言っていたことなんだけど、結局、ホクレアが来ることに対して、迎える方の気持ちがどれだけ大きいかによってその航海は成功するかしないか決まってくるし、逆に言うと、日本に行くっていう気持ちが強ければ強いほど、それは安全に繋がる。で、迎える側の気持ちが熱ければ熱いほど、それが安全に繋がるみたいな言い方をしていたんだけど、まさしくそうだと思うんですよね。だから、ある種、ホクレアは日本に感謝して来るわけだけど、今、僕ら日本人がハワイに感謝されるってどういうことっていう自分に対する問いかけをみんなが持って、感謝された僕らは何をすればいいのかということも、自分達が自覚をしてきちんと考えて、感謝されたらまた感謝していけば、それこそつながりが続くわけだから、そこを僕なんかはヤポネシアに期待しています。『ヤポネシアすごいぜ!』っていうところをポリネシアの人達にも見てもらいたいですね」
一倉さん「内田さんがおっしゃられたとおり、今、ハワイには日系の方が人口の17%いらっしゃるわけですね。なぜ、それだけの方が今、ハワイにいらっしゃるのか。そういうことも含めて日本とハワイの繋がりを色々な意味で考えていただいて、彼らがなぜ、危険を冒してまで日本に来るのかっていうのをご理解いただければと思いますね。で、彼らが伝えたいと思っているものもご理解いただいて、温かく迎えていただければなと思います」
●今日はどうもありがとうございました。
内田さん&一倉さん「マハロ!」
■「ホクレア号航海プロジェクト」情報
1975年に古代の外洋航海カヌーを復元し、建造されたハワイの「ホクレア号」は、星の航海士「ナイノア・トンプソン」さんによるスター・ナビゲーションで、1980年にハワイからタヒチまでの4,000キロの海の旅を成功させたほか、クック諸島やニュージーランド、サモア、マルケサス諸島、イースター島などへの遠洋航海を成功させ、およそ19万キロ、地球4周分の航海を行なっている。
・ハワイ州観光局公式HP:http://www.gohawaii.jp/hokulea2007/ ■シーカヤッカー/海洋ジャーナリスト
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オープニング・テーマ曲
「ACOUSTIC HIGHWAY / CRAIG CHAQUICO」
M1. NA PE'A O HOKULE'A / ALDEN LEVI
M2. SAILIN' ON HOKULE'A / LEHUA HEINE
M3. THERE IS A SHIP / 白鳥英美子
ザ・フリントストーン・インフォメーション・テーマ曲
「THE CARRIAGE ROAD / JIM CHAPPELL」
M4. 冬景色 / 亀工房
M5. WHAT A WONDERFUL WORLD / LOUIS ARMSTRONG
M6. TAMARI'I HOKULE'A / ROBI KAHAKALAU
M7. COME SAIL AWAY / KEALI'I REICHEL
エンディング・テーマ曲
「THE WHALE / ELECTRIC LIGHT ORCHESTRA」
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