2009年3月8日
今週のベイエフエム/ザ・フリントストーンのゲストは、風間深志さんです。 |
※世界保健機関WHOの提唱する「運動器の10年」世界運動(2000-2010年)、英語ではBone and Joint Decade(骨と関節の10年)は、“体の動きをつかさどる運動器の大切さを知り、その運動器の障害・病気を予防し、その治療法の研究を推進しようと展開されているキャンペーン。 HP:http://www.bjdjapan.org/index.html 2007年8月26日放送分の「我らが兄ィ、風間深志さん、ユーラシア大陸横断の旅から帰国!」も参考にしてくださいね。 http://www.flintstone.co.jp/20070826.html |
●前回、風間さんにお話をうかがったときにアフリカに行くっていうお話をしていたんですけど、行って、帰っていらっしゃいました。おかえりなさい!
「どうもどうも。ジャンボ! それしか覚えてきていないからね(笑)」
●スワヒリ語の「ハロー!」ですよね(笑)。最初からすごく大変な旅だったというふうにうかがいました。
「そうなの。何が大変かって、カルネっていう特殊な通関を押して、日本から持っていくじゃない? 要するに、普通は輸出とか輸入関税を取られるんだけど、どうせ持って帰ってくるのは車なんだから、手帳をひとつの証明にして、一時暫定の輸出入の手帳があるわけ。そのカルネ通関で行ったんだけど、車が出てこないわけね。10日間も出てこなくて、『これじゃ、今年終わっちゃうなぁ』くらいの感じですごく参ったんだけどね(笑)。実際に10日目に出てきて、それから10日分の遅れを一気に取り戻すために、毎日色々なことがあって、途中ビザは切れちゃうし、ホテルの宿泊費も余計にかさんじゃうしね。とにかく毎日問題が起きるわけ。それをクリアするのに安全面、お金の面、色々な総合的な部分で隊長は色々な判断を下さなきゃいけないわけ。参ったなぁと思ってね。前半で5キロくらい痩せちゃったよ。」
●メンバーは総勢8人のメンバーで行かれたそうですね。
「そうですね。マックス8人だったね。子供たちがいたときは一時的に14人になったことはあったんだけど、フランス人はいるわ、アメリカ人はいるわ、日本人はいるわでね。それも今回、いつも合宿しているメンツじゃなくて、現地集合だったから、そりゃ色々あるよね。」
●グループ内での意思の疎通自体も大変だったんですね。
「大変だったよ。ひとつ過ぎればまた新しい問題が起きてきてね。一番最初にみんなが洗礼受けるのは、誰しもが行った先で水にやられるじゃないですか。で、精神的にちょっと不安があるから、みんな風邪引く。で、みんなお腹壊す。そういう洗礼を受けて、それでそれが終わると、なんとなく気候風土にも慣れるのね。そして、なんとなく水にも慣れて、なんとなくあんまりおいしくないご飯にも慣れて、周りの景色が寂しいのにも慣れて、だんだん強くなっていくんだけどね。ヘヘヘヘ(笑)」
●順応するまでに時間がかかるんですね。その間に今回の目的でもあるわけですけど、「これをやらなきゃいけないから、みんなでこれに向かって一丸になるんだ」って突き動かしたものって何が一番大きかったですか?
「僕らはWHOっていうバックボーンを持っているじゃないですか。で、それは世界の外傷医療のレベルをアップしたい。生きるだけじゃなくて、体の運動、体のあちこち、筋肉やそういうものがきちんと動く喜びっていうのに目を向けようねっていう、一口ではなかなか口にしにくいキャンペーンをしているわけだよね。で、そういう部分で厚生省に行ったり、病院に行ったり、色々なそういう施設に行くじゃない? で、そういうところに行く以前に自分たちが国境を越えたり、毎日の衣食住、寝たり、寝場所を確保したり、食べたりっていうことで精一杯になっちゃうわけ。そういった上で、かつテーマもなんとかしなくちゃいけないっていう大変さね。ともすると、前者の衣食住だけで終わっちゃうんだよね。でも、それだけじゃただの旅人であって、その上で目的を達成して初めて、今回の旅の意義っていうのはあるわけで、そのためにスポンサードだってあったわけだから、それを忘れちゃダメだよね。で、それも大事だけど、一番大事なのは我々の安全。何か問題が起きちゃったら元も子もないわけだからね。それが、行ったことのない政情不安な外国だったり、ゲリラが出てくるかもしれないところで、軍隊を雇ったりして銃を向けながらおしっこに行ったりとかね、想像もつかないようなことが起きたわけだよね。大変でしたよ。」
●スーダンでは星空の見えるホテルに泊まったそうですね。
「そうそう!(笑) スーダンに入った瞬間にさぁ、ホテルのレセプションが1.5メートルくらいで、背伸びしないと向こうの人と話せないような感じで、なんかかっこいいんだよね。でも、1歩入ったらボロボロのホテルで、ドアが鉄でまず開かないんだよ(笑)。ガシャンって開けたら中はベッドが散乱しててさ、腰なんかグーって曲がっちゃって、屋根を見たらわらぶき屋根で開いててさ(笑)、青空が見えるんだもん。で、夜になったらどうなるんだろうと思ったら、やっぱり星が見えたね(笑)。だから、雨が降ってこなくてよかったなぁって思ってさ(笑)。寒いしさー(笑)」
●(笑)。そんな大変な前半の旅を終えて、それでも旅はどんどん続いていくわけですね。
「続きましたねー。長いようで短かったですけどね。しかし、それでもひとつひとつの国を越えて、『今度はエチオピアか!』っていう感じで、一個一個ボーダー(国境)には緊張が走るんだけどね。なかなかちゃんと入国させてくれないからね。で、入れてホッとして、そうすると今度は新しい環境の中でどんな顔をしているんだろう、道はどんなかなぁって、そんなことを思いながら、今日のホテルはどんなところになるんだろうなぁって、毎日未知だよ(笑)。ガハハハ(笑)」
●今回の旅ではケニアで地球元気村の子供たち4人が合流したそうですね。16歳の男の子が1人と10歳、9歳と男子2人と女子2人ということで、子供たちにとっては全てが初体験だったと思います。風間さんは国内の元気村を通してもずっと子供たちを見ていると思いますが、外国で未知の世界に足を踏み入れてから帰るまでって大きな変化はありましたか?
「うーん、簡単に言えば最初はビビっていたね。で、帰るときはアフリカが気に入ったみたいで満喫して、どっしりしていたね。『楽しかったです』って。『よかった? また来たい?』って聞いたら、『うん』って言うしね。その辺は独特の広い空、でかい大陸に行って、日本では味わえない開放感に子供なりに浸ったんだろうなっていうのは分かるし、そういう意味では子供は嗅ぎ取るっていうかね。平和な感じっていうか、人間と自然が密着して生きている中に厚みを感じたっていうかね。彼らは大人のような表現を使わないからね。僕も『どういうふうになるんだろうな』っていうのは興味津々で迎え入れたんだけどね。一緒にマサイの村なんかに行ってみて、ゴチャゴチャいっぱい人がいる中で、そこに1歩踏み入れて行くのは大人の僕らも怖いのね。で、子供はどうだっていうと、ちょっとビビっていましたね。で、『どう』とかって聞くと、『くせぇ』とか言って(笑)、くせぇじゃねぇよって(笑)。
そうやっているとケニアはマサイ族ですよね。おばちゃんとか子供は興味本位で寄ってくるし、おばちゃんは子供に色々な装飾品を買えって言ってくるし、子供なんかお金を持っていないのに手に持たせてくるわけ。そういう一方的な攻撃で本当にタジタジだったんだけど、一緒に逃げ込もうって行ったのが、カフェだったのね。我々はカフェって聞くとコーヒーを飲んで、休息する場所なんだけど、避難したそのカフェはバーと一緒になっているような感じで、昼間からお酒を飲んでいるんだよね。そこに酔っ払いのおじさんがいてね。俺達が『ホッとしたー』と思っていたら、おじさんが俺達の真ん中を割り込んできて、『俺にもチャイよこせ!』なんて言ってさ。でも、俺達は睨みつけているわけ。子供は氷のように固まっちゃって。目と目で合図して『怖い』って言っているんだけど、俺は隊長だからその空気を何とかしないと行けないじゃん。やばいなぁと思ってね(笑)。で、そのおじさんに『ジャンボ!』とか言って、何回か会話をしたら向こうはニコッと笑って、急にみんなを歓迎している空気になったね。彼らも観光の人たちに『俺達のところに来て、デカイ面すんな!』みたいな気持ちがあるんだよね。で、そこで『敵じゃないよ。仲間だよ』っていう感じでコミュニケーションをとると、急に迎え入れてくれてね。ま、そんな人ばかりじゃないけどね。だから、マサイにとっても我々にとっても、国際親善の基本が1人対1人の笑顔にあるっていう感じを、子供たちはそこで掴んだんじゃないかな。その辺から始まって、学校を訪ねたりとか、色々やりましたけどね。日本では得がたい体験であったのは間違いないね。」
●子供たちが大人になったり、お父さん、お母さんになったときに、そういえばあの時、あんなことあったなぁとか、こういう体験したなぁとか、こういう条件のときは「ジャンボ!」でニコニコ笑って笑顔が人を繋いだなぁとか思い出してきますよね。
「そうそう。幼児体験の中で子供たちが驚いたのが、最初の子供は『くさい』って言ったでしょ。で、マサイの村に行って、さっき『くさい』って言った子が、今度マサイの村の牛の糞で作った家のところに行って、『マサイ族どうだった?』って聞いたら、『シイタケのにおいがした』って言うんだよ。『シイタケってキノコのか?』って聞いたら、『そう。あのにおいがする』って。五感で感じたっていうのは理屈抜きに焼きついた。それも、シイタケのにおいを嗅ぐたびに『マサイのにおいってこんなんだったなぁ』って70歳になっても、80歳になっても多分覚えているマサイの記憶じゃないかな。そういうものが五感の記憶だよね。忘れがたい1つの強い印象っていうかね。そういうものに似たのが子供たちにとって今回のアフリカだったから、全てに渡って焼きついていると思うね。何もないところで生きている人間達のエネルギーっていうか、力強さっていうものが自分の生活の基本にあったら、強く生きていけるんじゃないかなって思うんだよね。今回は大正解かな。」
●前半は非常に大変な旅でしたけど、後半も大変だったんですか?
「後半はフルーツと野生動物と観光だね。アフリカってフルーツ王国ですね。マンゴー、パパイヤ、バナナっておいしいものがなんでもあるのね。で、マンゴーなんて野生なのね。そこら中になっているのよ。日本では1個500円とか、1000円とか高い値段で食べているでしょ。あんなの嘘だ!(笑) どこにでもドワーッとあるもん。僕はね、マンゴーを10分で5個食べましたね! 『マンゴー浴びちゃおう!』くらいに(笑)。口の周りはマンゴーだらけで、歯の間はマンゴーの筋だらけですごいよ!(笑)」
●食べ飽きちゃうくらい食べたんですね(笑)。
「いや! 飽きていない!(笑) おいしい! マンゴーで一生暮らしたいと思ったね(笑)。ガハハハ!(笑)」
●そんなにおいしかったんですね!(笑)
「おいしかった! それに、ちょうどいいマンゴーのシーズンだったんですね。ちょうど熟れる頃、真夏に僕らはマラウィとか、タンザニアとか、ザンビアとかあの辺に行ったんだよね。もう本当にフルーツ。全部ムチャクチャおいしかったね。そのときに一番『あー、アフリカに来てよかったぁー!』って思ったもんね(笑)。ガハハハ! (笑)」
●(笑)。そういうもので豊かさを感じるというか、幸せを感じられるっていう・・・。
「人間にとって食べ物はかなり大きな要素だね。もうひとつ感動したのは空の広さかな。空っていうものは雲が何よりも表現しているっていうか、雲がそれぞれ悲しい表現をしたり、にっこりとうららかな表現をしたり、厳しい表情をしたり、雲が旅情をかきたてたりとかね。まず、雲は雄弁だし多弁なんだよね。これがよくてね、俺もう雲の写真家になっちゃおうかなっていうくらい、雲は表現豊かでしたね。」
●また、28年ぶりにキリマンジャロにも行かれたそうですね。
「キリマンジャロ、タンザニアね。僕は1980年にキリマンジャロに行って、会社辞めて、家も売って、全てを託してキリマンジャロに行って、キリマンジャロが4500メートルで終わっているからね。その無念さと、青年時代の自分の青臭い思い出があってね。目にしたキリマンジャロはひとしおだったね。それで、当時と同じホテルの同じ部屋に泊まったんですよ。何も変わっていない! ホテル全体の佇まいも何も変わっていない。そこに至るまでの道はもっとボロボロになっていた。28年間舗装をしていないからね。その全く同じホテルがあって、レセプションに行って『俺は28年前にこのホテルに泊まったんだ! 同じ部屋はあるか?』って言ったの。ちょっと記憶もボロボロになっていたでしょ。『こっちじゃない。あっ、こっちだ!』って行ったら、全く同じ部屋があって、28年前がそのままあるなんてことは願っても叶えられないよね。記憶の世界がまた再現している。俺も29歳とか30歳の頃の自分に戻ったような気分になったね。で、そこに泊まって、あれから身支度してキリマンジャロに行ったんだよなぁっていうのが、記憶にまざまざと戻ってきてね。28年間なんていうのは昨日のことのようで、時間の厚みをあえて我々は文明という忙しい時代の中で毎日、『去年? 一昨年? あれは5年前だよ』とか時間っていう概念は頭の中にあるんだけど、キリマンジャロに行っちゃうと違うんだよね。『28年なんて何なんだろう?』って。昨日のことのようだし、28年前は28年前なのかなぁとも思いながらキリマンジャロを見ましたけどね。で、次の日にキリマンジャロをよく見たんだけど、28年間の違いっていうのが1つあったね。温暖化。南のほうのフェイスに氷がバーっとあったのにね。それがもう10分の1くらいかな。5分の1くらいかな。それで、山頂の頂に乗っかっている雪がすごく少ないのね。これは世界の温暖化を物語っていて、ちょっと悲しいなと思ったね。自然はたくましく普遍的であって初めて我々は安心を覚えるけど、それが急変して様変わりすると、俺達の身の安全も危ういなぁって気分になってくるから、明日が不安になってくるよね。」
●その氷が水源になったり、人々や生きもの達の水、おいしいフルーツにも繋がるわけですから・・・。
「そう! 今年の雪が少ないでしょ。今年は田んぼの水も少なければ、水が少ないとなると、様々な作物に影響するからね。そうすると、秋祭りもなくなっちゃうわけよ。やっぱり、自然は自然らしく四季折々でないとね。やっぱり勉強になったね。キリマンジャロは如実に表していましたね。」
●今回、旅をした風間さんたちの一番の目的でもある「運動器の10年キャンペーン」の一環としての運動器というものを考えると、ある意味、色々な病気とか、色々なトラブルがいっぱいある大自然の中で生き残るためには、やっぱり肉体的にも健康であるからこそ生き残れるわけじゃないですか。動物もシマウマとかが水辺で水を飲んでいると、一番先に襲われるのは弱った子じゃないですか。ハンター達はそれをちゃんと分かっていて、そこから狙いますけど、そういうことを考えても、私たちは歩けるのが当たり前、階段を上り下りできるのが当たり前だと思っている。その当たり前だと思っていることが、どれだけ大切なことか、どれだけ人間の体ってすごいものなのかっていうのを、もしかしたら、動物や現地で生活している人たちのことを考えると、余計に感じるなってお話をうかがっていてすごく思いました。
「アフリカは今回、WHOの『運動器の10年キャンペーン』で行ったでしょ。で、アフリカには53カ国があって、そのうち4カ国しかWHOの『運動器の10年キャンペーン』に加入していないのね。それだけ、アフリカの人たちは衣食住って部分にまだ終始していて、生きることにきゅうきゅうとしているのね。そんな中で、生きた上にさらに健康で、体の機能が動いて、それをフル活用して生きるっていうことが本当の健康なんだっていう啓蒙活動なのね。そういう意味ではアフリカの人たちは、もっと貧困とかエイズとか結核とかマラリアとか、プライオリティがそっちにあるから、こういう(『運動器の10年キャンペーン』で訴えている)ことに対する理解って少ないんじゃないかって不安もいっぱいで行ったんだけど、ところがアフリカの人たちはそんなんじゃなくて、世界のどこの国の人たちよりも怪我をして足が悪い人がいっぱいいて、その部分はすごくリアリティがある。アフリカにおいては余計にこの活動が大切だなぁってことを感じたね。大事なものは、地位や名誉や財産じゃない。彼らからしても健康ってものがすごく大事なんだなぁって感じましたね。あらゆる人種とかあらゆるものを超えて、健康が一番だと思った。」
●本当に色々な発見があったアフリカ大陸縦断78日間だったと思うんですけど、今後も「運動器の10年キャンペーン」の一環としての旅というのは、また行かれるご予定はあるんですか?
「今までユーラシアに行って、今回、アフリカを縦断しました。で、世界一周したいなってひそかに思っていたので、『運動器の10年キャンペーン』っていうのが2010年まであるから、今年はオーストラリアの横断を、自転車で行こうと思っています。それをやって来年、南米、北米、それから北極海を越えてグリーンランドを横断して、スカンジナビアへ行って、『運動器の10年キャンペーン』の世界大会が行なわれる10月にはスイスまで行って、世界一周を完結しようかなって思っているんですよ。」
●今度は自転車で?
「自転車で!」
●行かれるということで、今年もオーストラリア横断がありますし、元気村もいっぱいありますから、行かれる前にどこかでお会いできると思いますけど、万が一のことを考えて、気をつけて行ってきてくださいね。お土産話、楽しみにしています。今日はどうもありがとうございました。
AMY'S MONOLOGUE~エイミーのひと言~
WHO世界保健機関の「運動器の10年キャンペーン」の国際親善大使という大切な使命がありながらも、マンゴーがうまかった! なんておっしゃっていた風間さん。でもそこが風間さんらしいところなのかもしれませんね。また、今回のインタビューでは「雲は雄弁」な~んてロマンチストな一面も見せてくれました。風間大村長は地球元気村の集いで「お昼寝教室」を開くのが得意ですが、今後は「雲を観る会」もやりそうですね(笑)。 |
「地球元気村」関連情報 地球元気村協賛イベント『第4回 全日本SORIフェスタ』 手作りのソリや舵装置のない市販のプラスティックソリ、エアーボードなど、様々なカテゴリーで最速を競う大会。参戦しても観戦するだけでも楽しめるこのSORIフェスタにぜひお出かけ下さい。尚、詳細は下記のHPをご覧ください。 「しみず地球元気村2009」 ケーナ(竹笛)作り教室や竹の子掘りなど、地元の特性を活かす様々な教室を用意。また、夜にはトークショーやケーナ奏者の長岡先生らによるミニコンサートも開催。 「地球元気村 村民登録」 地球元気村では、随時、村民登録を受け付けています。
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