2010年1月10日
「撃って、食って、登る」
狩猟によって、さらに進化するサバイバル登山
~服部文祥さんをゲストに迎えて~
今週のベイエフエム/ザ・フリントストーンのゲストは、服部文祥さんです。
サバイバル登山家として活動されている服部文祥さんは先頃、「狩猟サバイバル」という本を出版されました。今回は、前回2006年10月に出演していただいたときよりも、更に進化した“サバイバル登山”についてうかがいます。
狩猟サバイバルとは?
●今週のゲストは、サバイバル登山家の服部文祥さんです。大変ご無沙汰しております。
「どうも、お久しぶりです。」
●早速ですが、服部さんは先頃、みすず書房から「狩猟サバイバル」という本を出版されました。前回、この番組にご出演いただいた2006年のときには、「サバイバル登山家」という本を出されて、サバイバル登山のことについて、色々お聞きしましたけど、前回からかなり時間が経っていますので、おさらいを兼ねて、“サバイバル登山”とはどういうものなのか、簡単に説明をしていただけますか?
「簡単に言うと、食料と装備をできるだけ山に持ち込まずに、長い登山をするということなんですね。何を持って行かないかを言うと分かりやすいんですが、時計やラジオやライト等、電池で動くものや、通信機器、テントを山に持って行かないんですね。それで、焚き火を起こして、山菜を採り、イワナを釣りながら、登山を続けていくということなんですね。食料は最低限、米と調味料を持ち込んでいきます。」
●そんな登山をずっとされているんですよね?
「そうですね。10年ぐらいですかね。1999年に『やってみようかな』って初めて思って、やってから10年ぐらい続けていますね。」
●その前は、普通の登山をされていたんですよね?
「そうですね。いっぱしの登山家になりたいと思って、ヒマラヤのK2とか、ヨーロッパやカナダなど、海外の山を登りましたし、日本も、色々な岩登りやスキーなどをしてきました。」
●そこから、サバイバル登山に変わったのは、どうしてなんですか?
「どうしてって聞かれると難しいんですが、自分の力で登ることにこだわって、自分のできることを自分の力でやりたいということなんですね。それを突き詰めていったときに、そういう方法がいいかなと思ったんです。思想としては、フリー・クライミングという、自分の手足で岩に登るということにかなり影響を受けて、それを自分の登山に応用したらどうなるのかっていうことを自分なりに考えて、装備や食料をザックから取るということを思いついたんですね。」
●前回、お話をうかがったときは、「サバイバル登山家」という本の中で、イワナ釣りのことが、メインといっていいぐらい書かれていて、“食料源はイワナ”っていう風に書かれていましたね。
「タンパク質はイワナがメインですね。あと、カエル、ヘビ、山菜とキノコですね。」
●それで前回は、魚を釣るという戦いや、苦労したことなど、色々お話をうかがったんですが、今回、昨年出版された新しい本「狩猟サバイバル」は、更にすごいことになりましたね(笑)。
「大きくなって、体温がある獣に、タンパク質が変わったというわけじゃないんですけど、冬にイワナは釣れないというのがひとつと、それ以前に、サバイバル登山を通じて、野生のものを自分で獲って、殺して食べるという経験をしてみたいと思っていて、その延長線上に狩猟という行為があったんですね。
その狩猟をしたことによって、今度は狩猟で経験したことや、技術なり知識なりを、登山の食料調達に応用できないかと思って、それで冬のサバイバル登山をやってみようかと思ったんです。それで、ここ2シーズンぐらい冬のサバイバル登山をやっているんですけど、そのときにシカを食料にして、山登りを続けていくということをしています。」
●メインは、あくまで山登りということになるんですか?
「それは、実際にやってみると、山登りのついでにシカを狩る、解体する、料理するというのが難しいですし、シカを1頭仕留めてしまうと、荷物がとんでもなく重くなってしまうんですね。なので、これに関しては、バランスの問題ですけど、獲物の命を奪うという行為を、より正当化するための付加を自分にかけていくというか、自分も大自然という環境に身をさらし、大自然という環境の中で、生きている獣を狩らせていただくということですね。それもちょっとおこがましいんですけど、そんな感じで、単なる狩猟だけじゃないものが欲しくて、登山行為もあると思うと、僕の中ではスッキリするんですよね。」
電車の中でシカの頭がゴロン!?(笑)
●昨年、みすず書房から出された「狩猟サバイバル」という本の中では、服部さんはメインではシカを仕留めていますね。
「そうですね。でも、おいしいのはイノシシです。もちろんクマもおいしいんですけどね。ただ、チームで狩猟をするときも、狙いはイノシシで、獲れるのはシカという感じなんですよね。シカには失礼な話ですけどね(笑)。
やっぱりイノシシの方がおいしいんですけど、ちょっと獲りにくいんですね。だけど最近、シカが増えているので、よく仕留めることができますね。」
●例えば、イノシシとかシカを狩るときって、どういう風に狩るんですか?
「チームで狩るときは、まず村の周りにある、イノシシの足跡を探します。イノシシの足跡を見つけたら、それを見ながら、どこにイノシシが潜んでいるか、探します。上手な人だと、そのイノシシが何をしにここに来たのかというところまで分かるみたいですね。」
●足跡だけで?
「そうみたいですね。『足跡はあっちからこっちに向いているから、この寝屋にいたものが、餌場に来て、そのあとこっちの寝屋に帰った』とか、『このぬた場に行ったんだ』とか、『このイノシシはメスで子連れ』とか色々あるんですけど、そういうのを見ながら、それまでの天候など、色々な状況を考えつつ、その年のドングリの実り具合とか、どこの畑が荒らされたとかっていう情報も頭に入れて、『どこにいるかな?』って考えるんですね。『どこにいるかな? あそこじゃないか? いや、今日は寒いから日なた側じゃないか?』っていう感じで。そういうことをして『おそらく、この辺の山に入っているだろう』って目星をつけます。もうちょっと詳しく調べるには、その足跡が続いていたら、最後どっちに出るかっていうことを考えて、その出口の足跡も見にいって、そこに足跡がないということになると、確率が高くなるんですよね。」
●その山にいる確率が高くなるっていうことですよね。
「そうですね。ただ、別のところから出た可能性があるので、なんともいえないんですけど、いくつかのメインの獣道を見にいって、山から出ていなければ、かなり高い確率でその山にいるし、山から出ていれば、隣の山に行かないといけないんですけどね。そのようなことを総合的に見ながら、ここにいるだろうって思ったら、いくつか分岐している獣道の、その山の出口にあたるところに、鉄砲を持った撃ち手が待機します。で、その見つけた足跡に犬を放して、犬はその足あとの匂いを追って、イノシシの方に向かっていくんですけど、そこに首尾よくいれば、『ワンワンワン』と吠えて、イノシシが『なんだ、この野郎!?』って感じで出てきて、それで『うるさいなぁ』っていう感じで逃げていくんですけど、そのままいくつかある獣道のどれかに乗れば、その先に我々が待っているので、来たら、ドンと撃つわけですね。ただ、毎回その通りにいくかっていうと、ほとんどそういうふうにはいかないですね。」
●この「狩猟サバイバル」という本の中では、服部さんが1人でシカを仕留めて、解体をして、それを持ち帰ると書かれていて、服部さんが家でシカの頭を持っているのをお子さんが撮った写真も載っているんですけど、シカの頭を持ち帰るときって、普通に電車で帰るんですか?
「いや、さすがに生首を持って電車には乗れないですね。でも、四肢を外して、背ロース、生きていたら内ロースといった、食べるとおいしいところを中心に持って、骨盤や背骨などは山に返して、帰るんですね。頭も山に置いてくる場合もあるんですけど、その写真のシカは大きいシカで、立派な角があって、このときは『この頭は必要でしょう』と思って、頭を大きいビニール袋に入れて、二重にして血が垂れないようにして持ってきたんですけど、横浜線の中で、ビリっと袋が破けてしまって、隣にいたお兄さんの目が点になっていました(笑)。『えっ!? 何、今の?』みたいな感じで見ていて、僕がすぐさま角を握って、『なんでもないですよ』みたいな感じでいましたけどね(笑)」
●(笑)。でも、それってちょっとでも間違えたら、大変なことになりますよね?
「まぁ、ゴロンって頭が落ちたら、ヤバイですね。」
●「何、この人!? この人怖い、危ない!」ってなりますよね?(笑)
「なるでしょうね(笑)。ただ、日本中の山村で、普通に毎年のように猟は行なわれていて、クマなり、シカなり、イノシシなり、ほかの小動物なども、普通に狩りで獲って、解体して食べている人っていうのはたくさんいます。東京とか大阪とか、都会の人たちはそういうことを知らないだけで、僕も含めて、そういう事をしている人たちがまだまだたくさんいるんですよね。」
*狩猟や猟銃の所持には、許可が必要です。詳しくは服部さんの新刊「狩猟サバイバル」に詳しく書かれています。
食料の出所を知っているのは強みになる
●狩猟をする季節や期間って決まっているんですか?
「期間っていうのはありますね。地域によって違うんですけど、基本的には11月15日から2月15日までが狩猟期間となっています。」
●一番寒い時期に行なうんですね(笑)。
「(笑)。ただ、肉は一番うまいですね。」
●この「狩猟サバイバル」の中に、レシピもありますよね。
「どういう風に食べるかというか、まぁ、食べるために撃つわけですからね。食べるということは、我々にとってとても重要なことですからね。」
●あくまでハントするだけではなくて、食べるということが大前提ですか?
「そうですね。大前提ですね。」
●「撃って、食って、登る」って、本の帯にも書かれていますけど、この「食って」の部分をおうかがいしたいのですが・・・。
「はい。『あいつは毛並みがいいから』みたいな感じで、日本には“毛並み”という言葉があるじゃないですか。本当に毛並みで味がすぐ分かるんですよね。すぐっていうのは大げさですけど、見れば『これはうまい』っていうのと、『これはちょっと敬遠しておいた方がよかったのにな』っていうのは、毛並みを見ればすぐに分かります。フサフサしているのに、つやつやギラギラしているような、いい毛並みだと、これはおいしいぞっていう感じですね。逆に、ボサボサしていて抜けているようなものとか、痩せていて、アバラが浮いているようなものとかは『ちょっと犬が食べる量が多くなるかな』っていうようなことがありますね。」
●現場で解体して、その場で食べる場合っていうのは、私にとって、例えば、漁師さんでは漁師鍋といった感じのイメージがすごく強いんですけど、服部さんはどのようにして食べるんですか?
「僕が1人で行って、シカなどを仕留めたときは、銃の弾が入った周りの肉は傷んでいるので、そこの肉と心臓は、その日の夜に刺身なり焼くなりして食べて、内臓は山に返すことが多いんですけど、他の肉は、刺身、焼肉、味噌煮込み、カレーやシチューなど、色々ありますね。シカの肉だとしゃぶしゃぶも結構おいしいですね。」
●私、シカの肉って食べたことがないんですね。味はどんな感じなんですか?
「生で食べると、それほどクセはなくて、馬刺しに似た感じなんですけど、ただ、これを聴いている方が、生で食べたいって思ったとしたら、肝炎だとか寄生虫もいるっていうことを時々耳にするので、自分の責任で食べていただければと思います。僕はあまり気にせず、見て『いけそうだな』って思ったら、生で食べますね。さっきの毛並みの話じゃないですけど、虫が湧いていたりするっていうのも、なんとなく見れば、『これは生では食べない方がいいな』っていうのと、『健康で、これは生でいける』っていうのは判断できますね。
そういう意味では、ちょっと話は違いますけど、出所を知っているっていうのは強みですよね。肉になる前の状態を知っているわけだから、『これはいける、生で大丈夫』って自分で判断できますよね。肉屋さんやスーパーを信じて生で食べるのと、自分で見分けて食べるのでは、気持ちは全然違いますよね。」
●どこの山にいたかっていうのも、どんなものを食べていたかっていうのも見えていますからね。
「ドングリとか山栗が豊作の年は、肉がすごくおいしいんです。2008年は栗がよかったんですけど、2009年はドングリがいいので、イノシシは特にですけど、脂が光るような感じで、切るとクリーミーな脂がキラキラ光っていて、『これはいいものを仕留めたな』って思いますね。」
自分が死ぬ番になったときに、 獲物を仕留めた経験が自分を救うだろう
●昨年、みすず書房から出版された「狩猟サバイバル」の中でとても印象的だったのが、実際にシカを撃って、それが命中したのに、まだ前足がバタバタしているのを見て、「ここで撃っちゃいけない」って思って、あえてナイフで最後のとどめを刺すっていうふうに書かれていたんですが、多分あそこは撃ったほうが楽だと思うんですよね。
「撃たれる側も楽でしょうね。」
●でも、あえてナイフを使うっていうのは、息が絶えていくっていうのを体感するわけじゃないですか。
「僕は、どうせ殺すなら、最後まで自分でって思っていますね。でも、それを言ったら、じゃあ鉄砲を使うなよっていう話になるかもしれないですけど、できる限り自分が納得のいく感じにしたいんですね。実際、その現場では、僕も撃とうと思って構えたんですけど、僕の中の何かがそれを止めたんですよね。あのとき、ほんのちょっとでも違っていたら、普通に止め矢も撃っていたかもしれないですね。でも、なにかがそれを止めて、『これはちゃんと自分の手で、最後のとどめを刺したほうがいい』と思ったんですね。」
●以前、確かアフリカのサバンナの話だったと思うんですけど、例えば、ライオンが獲物を追うという状況の中で、すごく人間化した発想ではあるけども、狩られる側の獲物が「いいよ、俺の命をお前にやるよ」っていう目をする瞬間があるって聞いたことがあったんですね。それを聞いて、命と向き合いながら命をいただいて、それによって、自分の命が続き、ある時点で、きっと誰かが自分の命をいただくことになっていくんだろうなって思って、命っていうものを考えるキッカケになったんですね。
「お話を聞いていて思ったのは、イタリアの有名な作家で、狩猟をする方がいたんですけど、『自分が死ぬ番になったときに、獲物を仕留めた経験が自分を救うだろう』っていうことを言っていて、『これは、なかなかすごいな』って思って、心に残っていますね。これって、本当にそれをやったことがないと、分からないんじゃないかなって思うんですよね。やっぱり、人間という種や、シカという種みたいに、種っていうものを考えたときに、何か1つの種が残っていくためには、必ず個体の死というものが必要になるじゃないですか。そういうことをやりながら、自然は成り立っていると思うんですけど、だから我々もいつかは死ぬわけで、おそらく、自分で獲物を殺めたというか、仕留めた経験っていうのが、さっき言った『次は俺の番なんだな』っていうようなことを悟らせてくれるのかなって想像しているんですけど、それは自分の番になったときに考えようかなって思っています。」
●そのときのお話はうかがえないのがとても残念ですね(笑)。
「そうなんですよね(笑)」
●来世にでも、そのお話をうかがえればと思います(笑)。狩猟サバイバル登山はこれからも続けていくんですよね?
「そうですね。続けていきたいんですけど、やっぱ辛いんですよね。続けていくといいながら、『また行かなきゃいけないのか』っていう思いがどこかにあるんですよ。もちろん義務ではなくて、自分が好きで行くわけですけど、かといって、もちろんそんなイージーなものではないので、気持ちももちろん必要ですし、そこに何か深いものがあるっていう感じはするんですよね。おそらく、その感覚は正しいと思っているので、その深みみたいなものには迫りたいなっていう気持ちはありますね。」
●これからも、それをずっと表現し続けていってください。今日はどうもありがとうございました。
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