今週のベイエフエム/NEC presents ザ・フリントストーンのゲストは、内田正洋さんと内田沙希さんです。
この番組が17~18年前から注目している“ホクレア号航海プロジェクト”。
昨年10月も、ホクレア号に深く関わる、日本を代表するシーカヤッカーで海洋ジャーナリストの内田正洋さんをゲストにお迎えし、そのプロジェクトについて話していただきましたが、そんな内田さんの愛娘、沙希さんが航海カヌー“ヒキアナリア号”のクルーに抜擢され、ホクレア号と共に世界一周の航海に出ています。
現在、沙希さんは世界一周航海の途中でニュージーランドから一時帰国中ということで、出演を依頼し、親娘でこの番組にお迎えすることができました。
ハワイ語で“幸せの星”という意味があるホクレア号は、1975年に復元された古代式の航海カヌー。全長は20メートルほどの船体が二つある双胴船で、帆を使って風だけの力で進むカヌーです。
このプロジェクトの中心人物が1997年に公開された龍村仁監督のドキュメンタリー映画「地球交響曲/ガイアシンフォニー第三番」の出演者でもある星の航海士“ナイノア・トンプソン”さん。ナイノアさんは1980年にホクレア号のナビゲーターとして、海図や羅針盤などの一切の近代器具を使わずに、太陽や星、波と風だけを頼りに航海するミクロネシアに伝わる伝統航海術「ウェイ・ファインディング」で、ハワイからタヒチまでの4,000キロの海の旅を成功させました。
ナイノアさんの偉業はハワイの人たちに“大きな勇気と誇りをもたらし、自然と調和して生きてきた祖先の知恵や技術、文化や伝統を学び直して、ハワイ人としてのアイデンティティーを取り戻そう”という運動につながりました。
ホクレア号は日本とハワイの強い結びつきもあって、2007年にハワイから日本までの航海を行ない、沖縄から北上。最終目的地の横浜港に入港、約5ヶ月、13400キロにも及ぶ航海を成し遂げています。
※ホクレア号の新たな航海が昨年5月、ハワイからスタート! 今まさに行なわれている世界一周の航海にはどんな意味があるのか、まずは内田さんに改めてうかがってみました。
内田さん「ホクレア号は元々“人類がいかにして太平洋に拡散していったのか?”を確かめるために、実証実験みたいなことを30年ぐらいやっているんですが、人類発祥の地であるアフリカを経て、ヨーロッパやアメリカ大陸に渡っていった人類学のおさらいのようなことをやることで、これからの人類の生き方のなんらかのヒントになるんじゃないかと彼らは考えていると思うんですよ。それがホクレア号の使命だと、ハワイの人やポリネシアの人たちは思っているんじゃないかと、彼らの動きを見て感じています」
※ホクレア号のサポート船である航海カヌー“ヒキアナリア号”に沙希さんがクルーとして乗船しています。なぜ日本人である沙希さんが乗ることになったんでしょうか?
沙希さん「(2007年にホクレア号が日本に来たときに、愛媛の宇和島で)クルーの人たちと1週間ぐらい一緒に過ごす機会があったんですね。船で寝泊りさせてもらったり、自分が手伝えることがあったら手伝わせてもらったりしてたんですね。その後にホクレア号は神奈川の方に来たんですけど、そのときに三崎から鎌倉までと鎌倉から横浜までの区間に乗せてもらうことになったんです。そのときにナビゲーションの話とか聞いたりして、“ナビゲーターってカッコいい! 学んでみたい!”と思って、意識するようになりました。
その頃は、衝動的にそう思っていましたし、ちょうど『ワンピース』を読んでたりしていたから“冒険っていいな”って思っていたときでもありましたし、どこかで“海に関係する仕事がしたい”と思っていたけど、それが何かと言われたらまだ分かっていなかったときでもありましたね。大学進学を前にそろそろ進路を考えないといけない時期でもあったので、ナイノアさんに自分の知ってる英語を使って、“(ナビゲーターの)勉強をしたい”と言ったんです。そうしたら“じゃあハワイに来るしかないよ!”と言われて“はい!”と答えてしまったんですね。そうしたら、もう後戻りはできないですよね(笑)」
※沙希さんは、クルーになるためにどんなトレーニングをしたのでしょうか?
沙希さん「英語もまだ分からない状態で、みんなが何を話しているのか分からないけど、とりあえず行かないといけないと思ってハワイに行ったんです。そこで“カプ・ナ・ケイキ”というホクレア号のユース・チームがあるんですけど、そこに入るようにナイノアさんから言われて入ったんですね。
そのチームに所属していた人たちは同年代で7人ぐらいいたんですが、その子たちと一緒にトレーニングしました。彼らから英語からカヌーのことまで色々教えてもらいました。だから、彼らは友達だけど、友達とは違う・・・家族じゃないけど、家族ような不思議な存在ですね」
●そのときに航海術なども学んだんですか?
沙希さん「そうですね。その子たちのほとんどがナビゲーションをやりたい子たちで、一緒に勉強しました。それと同時に、みんなサーフィンが好きなので一緒にサーフィンに行ったりカヌーを漕いだりしました」
●座学だけじゃなく、実習的なこともやったんですね。
沙希さん「そうですね。キャプテンたちが“なんでもいいから海に出ろ!”っていつも言ってたんですよね。なので、海で遊ぶことがすごく多かったです」
●それは「海のことは海で学べ」ということですか?
沙希さん「だと思います」
※沙希さんが船から一旦降りる予定になっていたニュージーランドに着いた時、どんな気持ちだったんでしょうか?
沙希さん「ニュージーランドに着いたとき、夢から覚めたように“もう終わっちゃったんだ”って思いました。6ヶ月あったんですが、そういう気持ちになりましたね」
●「辛かったー!」とか「やっと着いたー!」という気持ちよりも「もう終わったんだ」っていう気持ちだったんですね。
沙希さん「それまではそういうことを思うときもありましたし、私だけが5区間全て乗っていたから、長い間日本からもハワイからも離れていることに対する気持ちもあったので、“長いなぁ~”って思ったりもしていました。でも、着いた瞬間は夢から覚めた感じがしましたね」
●もちろん、途中では大変なこともあったかと思いますが、印象に残っていることってありますか?
沙希さん「嵐に一度遭遇したんですね。風が50ノットぐらい出ていて、波も高かったんですけど、私はそれほど怖いと思ってなかったんですね。でも、みんなはシリアスになってましたね」
●普通はそうなりますよ! 内田さん、すごいですね! たくましいですよ!
内田さん「そうですね(笑)」
沙希さん「それは第2レグで起きたんですが、自分たちの中で“何か起きたら、それは仕方ない”と思っていたので、そこまで怖いと思っていなかったですし、思っても仕方ないと思っていたので、そのときも平気でした」
内田さん「俺も全然心配してないしね。“嵐か。当たり前じゃん”みたいな感じですね。
この子たちは第2世代だから、第1世代が持っていた冒険的な不安やドキドキ感は想定内なんですよ。今までトラブルに遭って沈みかけたのは一度だけで、それ以外はマストを倒したり嵐を避けたりして、トラブルは回避してきてますけど、それは海では当たり前のことなので、そういうノウハウの蓄積が30年分あるということですよ。彼女たちはそれをどこかで信用しているんだろうね」
沙希さん「それはすごくあります。そのときのクルーが『レジェンド・クルー』といわれていて、初期(の航海)に行っていたおじさんたちが結構乗っていたので、“この人たちがいるから、絶対に大丈夫!”って思っていたし、キャプテンのことも信じてたので、安心はしていました。よく“怖くないの?”って聞かれるんですけど、自分が信じている人たちだから怖くないんですよね。それが信じていない人だとすごく怖いと思うんですけど、今のところ、“怖い”と思ったことは一度もないです」
●信頼関係がそこにあったから大丈夫だったんですね。逆に楽しかった思い出ってありますか?
沙希さん「結局は全部楽しかったんですよね(笑)」
●(笑)。船の上では何をしているときが一番楽しいんですか?
沙希さん「色々な楽しさがあるんですけど、私は船の舵取りがすごく好きなので、舵を取ってるときがすごく楽しいですね。ナビゲーションの勉強をずっとしていたので、自分たち(ヒキアナリア号)とホクレア号がどこに向かっているのかをGPSを絶対に見ないで、みんなで考えながら移動していたので、それもすごく楽しかったです」
●勉強したことが生かされましたか?
沙希さん「生かされましたね。いつもスピードを見ていたり、高さを測ったりと、教えてもらった知識の中で自分が使えるものを使いました」
●今回の経験を通じて、自然に対する考え方とか変わりましたか?
沙希さん「変わったというわけではないんですけど、自然がないと自分たちはないし、自分たちは自然の一部なんだと実感しましたね。都会にいると“人間は強い”っていう気持ちになっていたりするじゃないですか。それが海の上では全く思わないですね。自然に対して“ありがとう”っていう気持ちでいますね」
※沙希さんに今後の目標をうかがいました。
沙希さん「一番の目標は“ナビゲーターになる”ことですね。ナビゲーターになるにはカヌーの全てのことを知っていないといけないので、キャプテンになることも夢の1つです。そして、最終的にはナビゲーターになりたいです」
●なんでナビゲーターになりたいんですか?
沙希さん「なんでって聞かれると、それほど大きな理由がないんですけど、何も使わずに海の道を見つけていく技術を持っているのは手で数えるほどしかいないので、次の世代に渡すためにも、自分がナビゲーターになって、繋げていきたいです」
内田さん「こういうことが3000年続いているから、伝統芸能みたいなものですから(笑)」
●(笑)。そういうことを、日々ひしひしと感じているんですね。その経験を通して、次の世代に渡すこともそうですが、日本の方に伝えていきたいメッセージってありますか?
沙希さん「この6ヶ月の経験で色々なことを学んだし、感じたこともたくさんあるので、日本ももちろんですし、特に若い人たちに知ってもらいたいことがたくさんありますね」
●たとえば、どんなことですか?
沙希さん「私が思ったのが“人生で本当に大切なものってそこまで多くなくて、船の上だとそれがすごくクリアに見える”っていうことなんですね。自然のことだったり、自分たちは自然がないと存在しないこと、周りと一緒に生きていかないといけないこととかすごく色々気づきました。
人間関係も、船の上ではみんな家族だと思って、最初は嫌だと思っている人でも最終的には受け入れられるんですよね。陸だと逃げることができるんですけど、船の上ではできないですし、プライバシーもほとんどないので、人を受け入れる方法とかは変わりました。
今までだと、嫌な人だったら無視していた人も、自分がいつも気にするようになったんですよ。そういうことも人生の中で大切なことだと思いますし、夢を持つことも大切だと思うんですよね。
『ホクレア号も最初は“そんなことできる人なんていない”といわれたけど、今ではこうしてやっているんだ。だから、ありえないことなんてないんだ』ってキャプテンが話してくれたんですよ。私もそれを信じてるので、夢は絶対に叶うと思うし、怖いこととかたくさんあると思うけど、勇気を出したら色々なことが見えてくるので、怖がらずにやってほしいですね。
そうすれば、人生で大切なことが明確に見えてくるので、これをたくさんの人に知ってほしいです。自分だけ知ってるのはすごくもったいないと思うんですよね。なので、知ってもらいたいです」
●内田さん、目を細めてますね!(笑)
内田さん「沙希の場合は、まだ自分の中だけの話だけど、ホクレア号のことも考えてみると、ホクレア号が(航海に)出たころは“ONE OCEAN”と言っていたのが、今では“ONE OCEAN,ONE ISLAND EARTH”と言い始めましたからね。そういう感覚は、あのカヌーの上だからこそ、実感するんですよね。嫌な人と一緒にいないといけないんですよ。
だから、大陸の中で、国同士で戦っていても、結局は“ONE ISLAND EARTH”にいるんですよ。そういう意識が陸で生活している人たちには抜けているんじゃないかというのが、カヌー側からのメッセージですね。やっぱり、ホクレア号は世界一周をしないといけないし、そういう時代なんですよ」
●沙希ちゃんには、今後どういったことを期待したいですか?
内田さん「“夢は叶う!”と思っているから、(俺も)叶うと思っているので、それほど心配していないし、そうなるんだろなって思ってます。その次の世代が大事なんですよね。早く(沙希が)お母さんになるのかな?(笑)ここで途切れたらマズイよね(笑)」
※この他の内田正洋さんのトークもご覧下さい。
実は沙希ちゃん、クルーの中で一番最初に島を見つけたこともあるそうです。水平線に最初は何か違和感があって、よく見たら小さな点であり、実はそれが島のヤシの木だったそうですよ。その違和感を感じる感覚がすごいですよね。本当に今後の活躍が楽しみな沙希ちゃん。今後どんな冒険に出て、どんな事を感じて私たちに伝えてくれるのか。また是非、番組でもお話をうかがいたいと思います。
ホクレア号とヒキアナリア号がチャレンジしている“マーラマ・ホヌア世界一周航海”(*マーラマ・ホヌアとはハワイ語で「地球のことを気にかける」という意味)。去年5月にハワイを出航し、11月にニュージーランドまで到達しています。その後はオーストラリアを抜けて、インド洋、南アフリカから大西洋、そして最終的にはハワイに戻るという、4年かけて世界を一周するホクレア史上最大で壮大な計画になっています。
詳しくはポリネシア航海協会のホームページをご覧ください。
今回の航海のことも書かれた内田さん親娘のリレー形式のコラムがあります。是非ご覧ください。
沙希さんが、葉山にある“SUNSHINE+CLOUD”で行なわれるイベント「ラブナイトon LOVE NIGHT」の1部に出演します。タイトルは「ホクレア号195日の旅」。席の関係上、人数に制限がありますので、参加希望の方はお早めにお問い合わせください。
◎日時:2月14日(土)の夜7時~9時
◎料金:2000円
◎人数:50名(予約先着順)
◎お問い合わせ:SUNSHINE+CLOUD
◎TEL:046-876-0746