今週のベイエフエム/NEC presents ザ・フリントストーンのゲストは、野口健さんです。
今週は世界最高峰「エヴェレスト」スペシャル!
ゲストは、世界7大陸のいちばん高い山を全部制覇した経歴をもつ、アルピニストの野口健さんです。先頃『ヒマラヤに捧ぐ』という写真集を出されました。実は「野口」さんはレミオロメンの「藤巻亮太」さんと大親友の間柄でふたりでヒマラヤやアラスカなど、世界の辺境の地を旅しているんです。
今回はエヴェレストやヒマラヤのお話ほか、「藤巻」さんとの旅のエピソードもうかいがいます。
さらに、きょうは来月公開の話題の映画「エヴェレスト~神々の山嶺(いただき)」の記者会見から主演の「岡田准一」さん、「阿部寛」さんのコメントもご紹介します。(別ページをご覧ください)
※野口さんは今まで何回ぐらいエヴェレストがあるヒマラヤに行ったのでしょうか?
「56回ぐらい行ったと思います。年間では3回ぐらいで、平均すると4ヶ月ぐらいはヒマラヤに行ってますね」
●初めてエヴェレストに挑戦したのはいつなんですか?
「19歳のときです。そこからずっと行っているんですが、そう簡単じゃないですね。1997年に行ってダメで、1998年もダメだったんですが、3度目の正直となる1999年に登頂できました。
初めて行ったときは“この苦しい山を早く登って早く下りたい”と思って焦っちゃうんですよ。一気に標高を上げてしまったせいで、7,800メートル前後で意識を失ってしまいました。7時間後にシェルパに発見されて下ろされました。自力で歩けなかったので、ほとんど遭難でしたね。これが1回目の挑戦でした。
2回目は翌年に行ったんですが、アップダウンをかなり丁寧にしたら、8,500メートルを越えたんですね。標高差残り300メートルで絶好調だったんで、“もう間違いなくいける!”と思ったら、突然天気が変わって吹雪になったんです。そこで行くか下りるかの決断をしないといけなかったんですが、そこが難しいところで、行ったら間違いなく死ぬと分かっていても“もしかしたら、なんとかなるかもしれない”と思っちゃうんですよね。
僕がエヴェレストに向かう前にみんなから“無理しないでね”と言うんですが、無理しないで登れたら、みんなエヴェレストに登れるんですよ。あれは無理しないと登れないんですよ。でも、無理でも“してもいい無理”と“しちゃいけない無理”というのがあって、何か大きなことをやろうとしたら、してもいい無理の最大限までいかないとできないです。ただ、その“してもいい無理”を超えてしまって、“してはいけない無理”の世界にいってしまうと、山で死ぬのは簡単なんです。どこまでがよくてどこからがいけないのかという境目は微妙なんですよね。それを8,500メートルの猛吹雪の中でその決断に迫られて、下山しました。
それを踏まえて3回目に登頂したときは、さぞかし嬉しいんだろうなと思っていたんですが、登ってバンザイっていうのがないんですよね。山頂がとても狭くて、4畳半もなかったんです。登った瞬間は“やった! これで日本に帰れる!”って思うんですが、次の瞬間には“降りないといけない!”って思うんですよね。そのときに山頂から下を見ると“これを登ってきたのか。ということは、これを降りないといけないのか。無理!”って思って、山頂でガタガタ震えました。すると、涙がポロポロと出てきたんですが、そのときのシェルパがビデオカメラをまわしていて、その様子を撮っていたんですよ。日本に帰ってきたら、その映像をテレビ局が感動的なシーンとして使っていたんですが、あれは感動してたんじゃなくて、怖くて泣いてたんですよね(笑)。頂上では感動している場合じゃないんですよ!」
※昨年4月25日にネパール大地震が発生しましたが、そのとき野口さんはエヴェレストにいました。現地はどういった状況だったのでしょうか?
「僕はそのときエヴェレストの入り口付近にいたんですが、そのときに地震が起きました。ネパールは地震があまり起きない国で、今回のような大きな地震は81年ぶりなんですよ。だから、シェルパの村々は壊滅的に破壊されました。だから、僕たちにとっては“上は危険な場所、村は安全な場所”だったんですが、その安全な場所に行ったら、それ以上に酷かったです。その様子を見てガクッときました。それから2、3週間残って“自分に何ができるのか?”と考えたときに、地震発生のときにいたので、“この地震の被害を伝える”のが自分の役割だと思って、エヴェレスト街道の色々な村を回って被害の記録を撮りました。今回の写真集は、そんなヒマラヤで起きたことを伝えていくことも含めたものとなっています」
●その震災直後は大変だったんじゃないですか?
「震災直後は本当大変で、まず情報が無いんですよ。村はみんな壊れているし、ネパールの中では連絡もつかないんですよ。なので、衛星電話を使って日本に電話をして、日本からネパールの状況を聞いて、村人たちに伝えていました。
ネパールは観光地で、観光がメインなので、観光客が帰ってこないと経済が成り立たないんですよ。なので、 “ヒマラヤ大震災基金”を立ち上げて、そこを建て直そうと思いました。立ち上げて半年ぐらいで1億2,000万円ぐらい集まりました。本当に日本の方々に感謝しています。その1億2,000万円を使って、エヴェレスト街道の村々の家を直したりしました。彼らも頑張っていて、半年でエヴェレスト街道沿いの村々の山小屋はほぼ直りました。
ただ問題は、震災発生から数ヶ月は震災のニュースが世界中で多かったじゃないですか。でも、復興しているニュースってほとんどないんですよね。“ヒマラヤは壊滅的にやられた”というところで情報が止まっているので、山小屋がほとんど直っているのにお客さんが全然いないんですよ」
●まだニュースが伝えた“悪いときのイメージ”がみんなの中にあるからなんですね。
「そこで報道が止まっているんですよね。日本の色々な旅行会社に問い合わせてみても“観光で行ったら不謹慎なんじゃないか”と考える方が多いんですよ。全くそんなことはなく、一番いいのは“観光で行くこと”なんです。観光で行ったら、現地にお金が落ちるじゃないですか。今、彼らは借金をしながら建物を直しているので、彼らを助けるのに一番効果的なのは、これまで観光客がたくさんいたので、また観光に行くことなんです!」
※野口さんはレミオロメンの藤巻亮太さんとひょんなことで出会い、すっかり意気投合。今や大親友の間柄で、二人で世界の辺境の地を旅しています。
「もう5~6年の付き合いですね。ヒマラヤ2回、アフリカ2回、北極海1回、日本国内はちょくちょく一緒に旅してますよ。6年ぐらい前に“山に登りたい!”といって、僕のところに来たんですよ。そこから日本国内の山を何度か登ってから、その年の年末にヒマラヤに行って、5,000メートル半ばぐらいの山に一緒に登りました。
なぜかは分からないですが、ウマが合ったんですよ。彼はミュージシャンで僕は登山家なので、職業もフィールドも違うんですが、彼は歌で伝えていて、僕は山に登りながら伝えているので、そういうところに共通点があったんですよね。
出会ったのは僕が35歳ぐらいのときで、あっちは30歳ぐらいだったんですが、30歳にもなると親友なんてなかなかできないじゃないですか。でも、ピタッと何かが合ったんですよね。そこから一緒に旅をするようになりましたね。
行くところもちょっと特殊で、例えばウガンダのジャングルの中とかで、誰もいないところなんですよ(笑)。すごい湿地帯で観光地とは言えないところなんです。そこで二人で泥んこになりながら過ごしてましたね。亮太さんは夜、自分のテントの中で持ってきたギターを弾いているんですよ。少し弾いては“違うな。こうかな”とかずっと言ってるんですよ(笑)。気づいたら曲作りをしているんですよね。一緒に旅するようになったのは、レミオロメンが休止してソロ活動を始める直前で、“自分の曲って何だろう?”という葛藤があったらしいんですね。
山って“自分と向き合う時間”なんですよ。日頃は色々な人と話したりして、自分を出していることが多いと思いますが、山の中だとずっと歩いたりテントの中にいたりして、自分と会話していることが多いんですよね。それがキッカケでソロになろうと思ったみたいです。だから、ソロになってからの曲というのは、旅をしたことで生まれた曲が多くて、旅の最中はいつも曲を作ってましたよ。北極海に行ったときもずっと曲を作ってましたね。それが僕にとっても刺激になりますね。
あと、お互い写真が好きで、旅しながら写真を撮っていたんです。でも、同じところを歩いているはずなのに、僕の写真と亮太さんが撮った写真が全然違うんですよ。写真を撮るとき、やっぱり日頃見ない目線を探すんですよね。
例えば、道端に花があるとするじゃないですか。いつもは花を上から見るじゃないですか。そこから撮っても発見がないので、花を撮るときは根っこのほうから撮ったりと色々な角度を探すんですよね。そこからの発見が多かったりするんですが、僕の視点と亮太さんの視点が違うんですよね。そうすると、同じところを歩いていても、切り取るところが違うんですよ。それがすごく面白いんですよね。そんなお互いが6年ぐらい撮ってきた写真を出そうということで、共同で写真展をやることになりました。」
●今言った同じものなのに違う視点の写真を見ることができるんですね! お互いの写真を見て、「こういう視点があったか!」という悔しい気持ちってあるんですか?
「やっぱりお互いすごくあるんですよ! そこではお互いライバルになって、夜テントの中でお互いの写真を見せ合うんですね。ときには向こうが勝ち誇った顔をしてきますし、“その見方があったか! 自分にはなかったな”といって悔しくなったりしますね。亮太さんはやっぱりアーティストなんですよ。写真がポエムっぽいんですよね。僕はリアリストなのか、グッと迫っていくんですよね。なので、彼の写真を見て“キザな写真を撮るなぁ”っていつも思いますね(笑)。僕の方がリアルです(笑)」
※野口さんはなぜ何度も死の恐怖を味わってもエヴェレストがあるヒマラヤに通い続けるのでしょうか?
「僕がそれを知りたいですね(笑)。周りの仲間たちが毎年死んでいくんですよ。ついにその数が自分の歳を超えてしまったんですよね。その数を数えていると、その分だけ自分が老け込んでいく気がするんですよ。だから、仲間の死って疲れるんですよね。“もう辞めよう”と思って10ヶ月ぐらい山から離れた時期もありました。そうすると困ったことがありまして、僕は山の清掃活動や遺骨収集とかをやっているんですが、そのほとんどがヒマラヤからきてるんですね。
僕の中で全てが繋がっているんですよね。例えば、エヴェレストに行ったときにゴミがあったから拾ってますし、戦没者の遺骨収集も周りの仲間がたくさん亡くなるから、生死が絶えず身近なので、戦争で亡くなった人がどんなことを思って亡くなったのか、ものすごく感じるので、戦争と冒険は違うようで似ているところがあるんですよね。
あと、2007年にもう一度エヴェレストの山頂に行っているんですが、一緒に登った人と握手して、下山が始まった直後に彼が倒れたんですよ。酸欠で痙攣が始まって亡くなったんです。僕は彼を残して下山をしたんですが、彼が亡くなるまで小一時間あって、“何を思って死んでいったのか、死んでいく人の覚悟ってどんなものなのか”と考えたとき、亡くなる方の覚悟もあれば、そんな相方を残して生きるために下山をする人の覚悟もあるってことに気づいたとき、戦争があれだけ多くの人が亡くなって、死んでいく人の覚悟はもちろん、その親族の覚悟もあるじゃないですか。そういったことが繋がっていきますよね。
また、10年前ぐらいからフィリピンのジャングルにも行くようになって、日本人の遺骨を発見して持ち帰るという活動をしているんですが、それらは全てヒマラヤから始まっているんですよね。だから、ヒマラヤは僕にとって背骨みたいなもので、ヒマラヤをやめてしまうと、それ以外に対するモチベーションが総崩れしていく気がするんですよ。それが怖いんです」
※エヴェレストが地震で大きな被害に遭ったとき、野口さんはこんな風景に心が癒されたそうです。
「ヒマラヤって、月が出ていると夜が明るいんです。近いし、周りが暗いし、湿度がないので、天の川が黒いコーヒーにミルクを入れたときぐらい白いんですよ。午前2時ぐらいに見ると、威圧感がすごいんですよ!
ある夜、なかなか寝むれなかったので外に出て空を見上げると、その時期に咲いている白いシャクナゲがぼんやりと見えてくるんです。あれはすごくキレイでしたね。あれだけ村とかが壊れていても、星や山や花はいつも通りに美しいんですよ。そう思ったときに“ヒマラヤはまだ死んでない”と思いました。あのシャクナゲの花には救われました。
夜になると色々考えてしまうんですよ。そうなると寝むれなくなるので、外に出てシャクナゲの花をボーっと見て気持ちをごまかしてましたね(笑)。それ以外にも、エヴェレスト街道を歩いていると、4,500メートルといった高いところでもエーデルワイスやブルーポピーが咲いているんですよ。寒いところの岩の下にポツンと咲いていると“お前ら健気に生きてんなぁ。そうだな、弱音吐いちゃいけないな!”って思うんですよね。僕はそれまで花にはあまり興味がなかったんですが、花って大事だっていうことに気づきましたね」
「シャクナゲの花を見て“大丈夫。ヒマラヤは生きている”と感じた」とおっしゃっていた野口さん。私も東日本大震災の年に桜が咲いたのを見て、とても元気をもらったことを思いだしました。毎年何気なく見ていた桜ですが、どんな時でもどんな状況でも変わらずにありつづける“自然のありがたさ”をあの時改めて感じた気がします。野口さんの最新の写真集『ヒマラヤに捧ぐ』には、そんな自然の尊さ、自然の力強さ、そしてそこに暮らす人々の笑顔が溢れています。ぜひみなさんご覧下さい。
集英社インターナショナル/本体価格2,500円
50数回もヒマラヤに通ってらっしゃる野口さんだからこそ撮れた写真が満載のこの写真集。神々しい山々はもちろん、シェルパ族の子供たちや村人の笑顔、そして昨年ネパールで大震災に遭遇したときに現地に留まって撮った生々しい写真、さらに震災のショックでくじけそうだった野口さんを救ったといってもいいシャクナゲの写真も載っています。
大親友・レミオロメンの藤巻亮太さんとの写真展“野口健×藤巻亮太「100万歩 写真展」”が現在、六本木の東京ミッドタウン・フジフィルムスクエアで開催中です。写真展の開催は3月9日まで。入場は無料です。
その他、ネパール支援のための“ヒマラヤ大震災基金”などの詳しい情報は、オフィシャル・サイトをご覧ください。