今週のベイエフエム/NEC presents ザ・フリントストーンのゲストは、冒険家・三浦雄一郎さんです。
三浦さんは1932年、青森市生まれ。プロスキーヤーとして、富士山直滑降や世界7大陸最高峰のスキー滑降を完全制覇、そして記憶の新しいところでは、2013年80歳で3度目のエベレスト登頂に成功し、世界最高齢の登頂記録を塗り替えました。また、クラーク記念国際高等学校の校長先生として、子どもたちの指導にも熱心に取り組んでらっしゃいます。
そんな三浦さんはすでに、次の目標に向かっています。今回はいくつになっても夢に挑み続ける三浦さんに、なぜそこまでして険しい山に登るのか、チャレンジする気持ちに迫ります。
※来年85歳で世界第6位のチョー・オユー8,201mに挑戦するため、先月ヒマラヤでのトレーニングを行なったという三浦さん。一体どんなトレーニングだったのでしょうか。
「今回の一番大きなテーマは、僕自身の体調です。日本を出る前は、自分の家にいても血圧が180、心拍数が100ぐらいという、非常に危ない状態だったんです。どうしようかと思ったのですが、今回は僕の体調を管理してくれる山岳ドクターとして、大城和恵(おおしろ・かずえ)先生が一緒に行ってくれました。はじめの一週間はかなり苦労しましたが、それ以降は山歩きしていくうちに段々と血圧が下がっていき、心拍数も70台まで戻っていきました。山は“最高のホスピタル”だと思いましたね」
●山を登ることで、逆に体調が良くなったんですね! 山登りに年齢は関係ないんでしょうか?
「はい、“山の歩き方”次第だと思います。今回も60歳前後の、中高年の日本人チームが3つぐらい(ヒマラヤに)来ていたんですね。しかしその中の4、5人が高山病になり、ヘリコプターでカトマンズの病院まで運ばれました。なので、年齢はそれほど関係はなく、無理したり、頑張り過ぎると非常に危なくなるんですね。特に日本人は、“生きるか死ぬか”のギリギリまで自分を追い詰めてしまう人が多いんですよ」
●それはやっぱり、日本人は真面目だと言われることもあるように、何とかやり遂げようと思ってしまったりするからでしょうか。
「“せっかく来たんだから”と思って、頑張り過ぎているんじゃないですかね。僕の場合ですと、80歳でエベレストに登りましたが、登る1ヶ月半前に心臓の手術をせざるを得なくなっていました。しかもその前には大腿骨と骨盤を骨折していたので、再起不能かと思うほどの重症でした。そこからやっと復活しかけたのですが、そこでまた、心臓の手術をしなければいけなくなりました。周りのみんなは、“もう無理だ”“ダメだ”と言っていました。
そこで僕は、“今までと方法を変えてみよう”と考えたんです。そして“年寄り半日仕事”という言葉を思い出しました。これは、全ての行程を半分ずつやっていこう、というものです。山を登る場合、普通は朝に登ってお昼にご飯を食べて、少し休憩してからまた頑張って頂上まで行き、夕方に帰っていきます。
ヒマラヤであっても、例えば“今日は4,500メートルから5,000メートルまで登る”とすると、同じように登って行くんですが、そうすると若い登山家でもフラフラになってしまうんですよ。それならば、朝からお昼まで3時間ほど登ったら、“今日はここに泊まろう”と、決めてしまうんです。いったん決めれば、後はお昼ご飯をゆっくり食べて、昼寝をし、目が覚めたら景色のいいヒマラヤを見ながら散歩をするんです。
半日ずつ、ゆったりと過ごしていく、この生活を16日間繰り返しました。そしたら、自然と心臓手術後のリハビリが終わっていたんです。同時に、エベレストに登るための足腰もできていました」
●そうだったんですね! しかし、三浦さんはもともとプロスキーヤーでしたし、アスリートなので、半日だと物足りなく感じたり、もっと登りたくなってしまうんじゃないですか?
「いえ、半日ぐらいの方がいいですよ。それ以上頑張ると、それが積み重なって負担になり、死んでしまう人もいますからね」
●頑張り過ぎない、ということが大切なんですね。
「“頑張り過ぎない”というのは、若い時でも大切ですよ。ましてや、僕はもう時期85歳になりますからね」
※80歳を超えてなお、夢に挑戦し続けていらっしゃる三浦さん。そのモチベーションがどこからくるのか。実は、あるきっかけから、再びやる気になったそうです。
「僕は60歳ぐらいの頃にメタボになり、“このままでは70歳まで生きるのは難しい”と医者に言われるくらいだったんですね。血圧も190ぐらいに上がっており、不整脈も出ている、腎臓もこのままだと人工透析をせざるを得ない状態でしたし、糖尿病でもありました。そうなった原因は、もうやることがなかったからです。世界7大陸の最高峰を全てスキーで滑り終わっていましたからね。そう思って、ステーキを1キロ食べたり、食べ放題や飲み放題ばかりしていたんです。そして、あっという間に体重がどんどん増えていってしまったんですね。
この状態を治すために、“何か目標を持って運動を続けよう”と思ったんです。当時、僕の父親である三浦敬三は、“白寿(99歳)になったらモンブランをスキーで滑る”と言っていたんです。実際に、90歳を超えても、スキーシーズン中には100日はスキー場で滑っていましたね。八甲田、立山、ヨーロッパアルプスなど、90歳を超えても世界中を飛び回っていたんです。“じゃあ、僕も親父に負けないようにしよう。親父は99歳でモンブランに行ったから、僕は70歳でエベレストに行こう”と思ったんです。
そこで、一番の課題が“メタボを治さざるを得ない”ということだったんですね。僕は、徹底した運動療法で治そうと思いました。健康法には2種類あります。ひとつは、健康を守っていきましょう、という“守りの健康法”です。例えば、朝にウォーキングを1時間したり、ラジオ体操やストレッチをする、バランスの良い食事や早寝早起きをする、といったことです。これは健康のための基本なんですが、守る健康法だけでは富士山も登れないんです。
だったら、“攻める健康法”をしようと思ったんです。例えば、僕の事務所から東京駅まで距離がほぼ9キロありますので、そこまで歩いていくんです。その際、片足に5キロずつ重りを付けて、背中に20キロの重りを背負って歩くんです。それを一週間に4、5回ずっと続けていました。すると、自然にメタボが治ってきて、足腰も復活していったんです。最後は片足に10キロずつ、背中に30キロ背負って歩いていました。
その当時、僕はもう時期70歳だったのですが、普通は“歳をとったら無理しないで、そんなことはやめましょう”と注意する人がいますが、僕の場合は誰も注意する人がいませんでした(笑)。そうやって歩いているうちに“人間は予想以上にタフにできているんじゃないか”と思うようになりました。守りの健康法だけではメタボは治らなかったと思います。一年前は片足1キロずつ、背中に10キロの重りを背負っていたんですが、それでも重りをつけて歩いていれば、それだけで普段の運動量の3、4倍になります。今、僕が履いている靴は、片足2キロの重りが付いているんですよ」
※実際に、三浦さんが履いている靴を持たせていただきました。
●重っ! 両手で持っても、かなり重いです!
※番組プロデューサーも、実際に靴を持ってみて、その重さに驚いていました。
※実は三浦さん、日頃のトレーニングのおかけで、最近身体測定をしたらこんな結果が出たそうです。
「僕の基本的な体力は40代並みの年齢、骨や筋肉など、部分的なところだと20代並みの年齢、という結果が出ました」
●ええっ!? 凄い! いくつになっても“攻める健康法”をしていれば若々しくいられるんですね!
「山本正嘉(やまもと・まさよし)先生という、登山家・生理学者で、東京大学の山岳部OBでもいらっしゃる、山の生理学の世界的な権威の方がいるんですが、山本先生も、“想像以上の無理をしたほうがいい。そのほうが元気も出てくるし、長生きにもつながる。80歳を超えても骨や筋肉を20代まで戻せる可能性はあるんだ”ということをおっしゃっていました」
●私たちでもできる“攻める健康法”は、なにかありますか?
「僕は何かしらの用事で外出する場合でも、10キロ、時には20キロの重りを背負って歩きます。なので、テニスやハイキングといったスポーツのほうが理想ですが、女性でもザックなどに10キロの重りを背負うなどの負荷をかけて、買い物に行ってみたり、ちょっと遠くまで歩いてみたりするといいと思います。“負荷をかける生活”は、何歳になっても必要だと思いますね」
●私たちはどうしても楽なほうを選んでしまうんですよね。たとえ階段があっても、エレベーターに乗ってしまいます(笑)。
「あ、僕もそれはいつもしていますよ! エレベーターやエスカレーターがあれば遠慮なく使っています」
●そうなんですね! 三浦さんもそうだと思うと、少し安心します(笑)。しかし、そうやって負荷をかけてでも頑張れる“夢”があるからこそ、三浦さんはここまでやってこられているんですよね。
「そうですね。まずは“こういうことをやってみたい!”という目標があるからこそ、それに向かって頑張っていけるんですね。僕も、目標が何もない時期は、せいぜい下手なゴルフをやったり、スキーで子どもたちとぶらぶら遊んだりといった、守りの生活に入ってしまい、どんどん体が退化していってしまうことを痛感しました」
●(目標に挑戦する時)“失敗するんじゃないか”という、恐れの気持ちはないんですか?
「“ダメならやり直せばいい”と思っていますね」
●三浦さんは80歳でエベレストを登られましたが、その時点で登山をやめていれば“有終の美”で終わっていたじゃないですか。そこからまたさらに挑戦をする、という時に“失敗したらどうしよう”と思ったりはしなかったんですか?
「もし失敗しても、それはしょうがないことですし、実際のところ、来年に登る予定のチョー・オユーも、登れるかどうかはわからないんです。85歳で8,000メートルを登るというのは、20歳の人と比べて僕にとって10,000メートル以上の山を登るのと同じぐらいなんですね。酸素摂取能力も半分に落ちていますが、とにかくトライしてみようと思っています。やる前から失敗を恐れていては、何もできないですからね。あとは諦めず、一歩ずつ踏み出していくことです」
※では最後に、何歳になってもイキイキしている、その秘訣をうかがってみましょう。
「僕の周りで、“歳だからダメだ”と諦めていたり、 “おじいちゃん、無理しないで”という言葉に従っている人たちは、どんどん体が衰えていっています。なので、何歳になっても、“生涯現役”という気持ちで仕事や運動を続けていくということが大事だと思います」
●三浦さんがおっしゃると、とても説得力があります! 三浦さんは来年、標高8,201メートルのチョー・オユーという、世界第6位の山に登られる予定とのことですが、具体的にはいつ頃登られるんでしょうか?
「来年の秋を予定しています。6月から9月ぐらいまでは、ずっと吹雪だったり雪が降っていますから、その雪がしっかり積もった後に登って、スキーで滑る予定です」
● 今のところ、頂上まで登れそうですか?
「この前5,000メートルまで登りましたが、酸素の補給なしで、一回も高山病にかかりませんでした。今後はまた、片足に5キロずつ、背中に20キロの重りを背負って歩いて、もう一度足腰を鍛え直そうと思っています」
●90歳の時に、またエベレストに登られるという噂を聞いたんですが、それについてはいかがでしょうか?
「90歳まで生きているかどうかはわからないですが(笑)、もし90歳まで生きているなら、そういう目標を立てて、さらに鍛え直してみたいなと思っています。ただし現在、ネパールや中国などは、ヒマラヤやエベレストの登山に年齢制限を設けようとしているようです」
●そうなんですか!?
「なので、そのうちエベレストも、65歳以上は登ってはいけないという制限が設けられるかもしれません。そういった年齢制限の壁がありますので、そこはなんとか超えたいと思っています」
●そういった“山”も登らないといけないんですね。毎回、三浦さんの挑戦を見ていると、“自分もまだまだ諦めちゃいけない”“年齢を言い訳にしてはいけないな”と強く感じます。三浦さんにとって、ヒマラヤの魅力はどこにあるんでしょうか?
「世界最高峰の景色ですね。いわば、“神々の世界”です。それを見てみたいです」
●チョー・オユーの山頂に立って、その景色を見た時、どんな気持ちになるんでしょうね。
「“とうとう、ここまで来たか”とは思いますね。ただ、山頂まで登るよりも、下山するほうが大変なんです。死ぬほうが楽なくらい苦しいんですけれど、なんとか生きて帰りたいと思います。そういうことも含めて、やってみたいと思っています」
●生きて帰ってこその、目標達成なんですよね。では最後に、リスナーの皆さんもそれぞれの“山”を登っていると思いますので、三浦さんから応援のメッセージをぜひ、よろしくお願いします!
「義務感や“しなきゃいけない”という気持ちではなく、自分が“面白い!”“楽しみだ!”“どうしてもやりたいんだ!”という気持ちで、何歳になっても挑戦して欲しいなと思います」
●私もいろいろなことを楽しんで、100歳まで人生を楽しみたいなと思います!
※この他の三浦雄一郎さんのトークもご覧下さい。
普段の生活では自分に少し負荷をかけて攻めの健康法。
でも山に行ったら無理をせず、半日仕事で1歩づつ。
そんなメリハリも、三浦さんの何歳になっても夢を持ち続ける秘訣かもしれませんね。
私も、三浦さんのようにいつまでも挑戦する心忘れずにいたいと思います。
三浦さんのヒマラヤ遠征の模様など、詳しくは「ミウラドルフィンズ」のオフィシャル・サイトをご覧ください。こちらのサイトでは他にも、低酸素トレーニングの紹介やキッズキャンプ、三浦雄一郎さんやご子息・豪太さんの著作の紹介など、さまざまな情報が掲載されています!
三浦さんが学校長を務めてらっしゃるクラーク記念国際高等学校について、詳しくはオフィシャル・サイトをご覧ください。